廻り煌めくほうき星②

 昨日の出来事を思い返していたルイテンであったが、やはりドラスに語ることは憚られた。ルイテンはドラスを見上げ、へらりと笑ってみせる。


「ごめん、用事があって。先に帰らせてもらったんだ」


「はあ……」


 ドラスは生返事をする。先に帰ったというルイテンの言葉を信じようとしていたが、それにしたって昨日の出来事は、ドラスにとって目を疑うようなものだった。


「しかし、目の前でふわっと消えちまうなんて、輝術きじゅつ使ったみたいに……」


 昨日ドラスには、ルイテンの姿が一瞬で消えたように見えたのだ。姿も影も、声も全て。その後暫くルイテンを探しても見つからず。心配をしながら、今日葡萄通りにやってくると、ルイテンがやって来た。まるで狐に抓まれたかのような心境だった。

 そんな疑問を投げかけられ、ルイテンはとぼけてみせる。


「ええ? それは見間違いじゃないかな?」


 演技は下手である。ルイテンは声を上ずらせ、誤魔化すために咳払いした。ドラスはルイテンの嘘に気付いたようだが、じっと見下ろすのみで何も問うてこない。


 ルイテンは、ドラスに輝術きじゅつのことを話していないのだ。ドラスだけではない。誰に対しても話したことはない。師匠にさえも話していないのだ。

 クロエのために輝術きじゅつを使ったのも、その場限りの関係だろうと判断してのこと。関係の深いヒトにこそ、自分が賢者だと知られたくなかった。


『賢者は賢者であることを言わず。これを美徳とする』


 という考えは、昔から語られてきた美徳である。だがルイテンは、そういった美徳がなくとも、話したくない理由があった。

 ルイテンは、正式な方法で輝術きじゅつを受け継いだわけではないのだ。


「まあいいっす。じゃ、行くっすよ」


 ドラスはルイテンに問いかける。

 今日も『喜びの教え』の集会がある。今日は土曜日、時刻は朝の九時半。本格的な集会が催される日であった。

 ルイテンはシェダルに呼ばれていた。幹部から呼ばれているということもあって、ルイテンは緊張していた。心臓が絶えず大きく脈を刻んでいる。


 葡萄通りはゆるい坂道。二人が登っていくと、両脇のアイアンフェンスから、葡萄の葉がアーチ状に垂れ下がっている。そのアーチの下で待つのは、教団員のシェダル。シェダルはルイテンを見るなり笑顔を浮かべる。

 だが、目が笑っていない。まるで仮面を貼り付けたかのよう。冷たい笑みは、ルイテンを怯えさせた。脚が竦んで立ち止まり、シェダルの元に近付けなくなってしまう。

 ドラスはシェダルのただならぬ雰囲気に気付いたようだった。ドラスが近付いていくと、シェダルはドラスに耳打ちした。

 離れた場所で立ち尽くすルイテンには、彼らが話す内容は聞こえなかった。シェダルの冷たい視線は、明らかにルイテンへと向けられていた。今もそう、ドラスに話しかけながらも、ルイテンから視線を逸らさない。

 ややあって、ドラスは目を見開いた。そしてちらりとルイテンを見遣る。


「いや、でも……」


「ケイセルがね、消える間際を見ていたようでね」


「いやいや、何かの間違いじゃねぇっすか? それに、ルイは何も知らなかったろうし。

 つーか、消える間際って、なんすか?」


 ドラスは酷く混乱しているようであった。ルイテンとシェダルを交互に見ては、首を傾げている。


「ルイテン君」


 シェダルに呼ばれた。ルイテンは反射的に背筋を伸ばし、シェダルの顔を見上げる。


「君は、罰を受けなければならない」


 今度はルイテンが狼狽うろたえる番だった。

 罰とはどういうことなのか。ルイテンには心当たりが全くない。

 ルイテンは、大人しく教義を聞いているだけの目立たない信者である。それ以上でもそれ以下でもない。一体自分が何をしたというのか、誰かの勘違いではないのか。

 そもそも、罰とは何なのか。

 不安が脳内を埋め尽くし、心臓が激しく暴れる。緊張のあまり腹の奥が重くなり、気分が悪くなってしまう。


「おいで。話は中で聞こう」


 シェダルはルイテンに近付き、背中に手を回す。

 ルイテンは逃げ出したくて仕方なかった。怖くてたまらない。しかし、逃げることはできない。シェダルは、ルイテンが逃げ出すことを懸念して、左の肩を強く掴んでいた。爪の先が肩に食い込んで痛みを感じたが、それを指摘する勇気は、ルイテンにはなかった。

 三人は連れ立って葡萄畑の中へと向かう。葡萄の青臭さが鼻を抜け、嫌な気分にさせられた。

 やがて小屋の入口に着くと、教徒が一人待機しているのが見えた。爬虫類顔をした、ギョロ目の男である。

 ルイテンはハッとした。彼の目に見覚えがあったのだ。


「こいつ……!」


 男はルイテンを見るなり掴みかかった。胸倉を掴まれたルイテンは、肩をびくりと震わせて目をきつく閉じる。殴られることを覚悟して肩を竦め縮こまるが、一向に拳は飛んでこない。


「ケイセル、今は堪えなさい」


 シェダルは、拳を振り上げたギョロ目の男に言う。男・ケイセルは、ルイテンの顔をじっと睨めつけて、聞こえない程の小さな声で悪態をついた。だが、シェダルの言葉に逆らうことはできず、ルイテンを突き飛ばして小屋の中へと入っていく。

 ルイテンは、突き飛ばされてようやく目を開けた。ケイセルの背中を怯えた目で見つめる。


「なあ、アンタ、ケイセルに何したんすか?」


 ドラスはルイテンに問う。


 ルイテンは理解した。自分が、どういったを犯したのか。

 ケイセルのギョロ目は、昨日出会ったフード男と同じものだ。クロエはケイセルに追われていたのだ。

 そして先日耳に入った会話を思い出す。誰が話していたかルイテンは忘れたが、内容は覚えていた。


『あの、例の女を連れてきたら格式が上がるってやつか? ううん……でもそれ、何処の誰かもわからないんだろ?』


『いや、何。情報は出てるんだ。光悦茶アンバー色の髪をし、虹色に彩られた瞳を持つってな』


 光悦茶アンバーの髪に、虹色の瞳。クロエの容姿と一致している。

 つまり、「例の女」とはクロエのこと。クロエは、『喜びの教え』という教団に追われているのだ。


 何故?

 どうして?

 疑問符が脳内をひしめき合う。だが、回答は用意されていない。


 わかるのは、小屋に入れば自分がを受けるのだということ。


「ルイテン君、さあ、中に」


 シェダルが促す。

 ルイテンは足を動かせないでいる。震えて仕方ない。

 一体どういった罰を受けるのか、想像はできるがしたくない。


 脳裏に「助けなければよかった」とちらつくが、その考えはあまりに身勝手に思え、ルイテンは首を振った。


 ルイテンの仕草を、拒否の返事と捉えたシェダルは、ため息混じりにドラスへ目配せする。


「仕方ないね。ドラス君」


「え? あ、はい……」


 ドラスは戸惑いながらも、ルイテンの体を小脇に抱えた。担がれるまま、ルイテンの体は宙に浮く。


「あ、ちょ。ドラス、下ろして!」


 ルイテンはじたばた暴れるものの、ドラスの腕を振りほどけない。抵抗できないまま、小屋の内部、中央へと連れて行かれる。ドラスはようやくルイテンを下ろした。

 ルイテンは辺りを見回して顔色を青くする。教団員と思しき大人達が自分を取り囲んでいたからだ。

 女も数人いるものの、男性が半数以上を占めている。彼らは一様に怒りの表情を浮かべ、へたりこんだルイテンを見下ろしていた。


 照明が灯されていない小屋の中は、昼間だと言うのにあまりに暗く、陰鬱とした空気を醸し出していた。

 普段の集会では見られない異様な雰囲気に、ルイテンは呆然としていた。


「なんすか。なんなんすか。こいつ、そんなに悪いことしたんすか」


 ドラスもすっかり面食らっている。古株の彼でさえ、この状況は慣れないものなのだろう。

 シェダルは、人の群れの中からヌッと現れる。それが悪魔のように見え、ルイテンは「ひっ」と息を飲んだ。

 シェダルは、ルイテンの怯えた顔に笑いかける。


「僕は、君の贖罪に関与できない。これは、君とケイセルの問題だ」


「え? 贖罪……?」


「敬虔な信者である君ならわかるだろう?」


 シェダルはルイテンから顔を逸らし、背後に立つケイセルへと目線を向ける。

 ルイテンは尻を引きずるようにして後ずさる。背後にはヒトだかり。逃げることは叶わない。

 ケイセルはルイテンの正面まで歩み寄ると、突然ルイテンの横腹を蹴りつけた。


「あっ、ぐ……」


 柔らかな急所にめり込んだ衝撃に、ルイテンは目を見開く。深い痛みに息を詰まらせ、声にならない呻きを洩らした。


「信者同士の問題は、信者同士で解決するんだよ。

 君は、ケイセルの権利を奪った。だから、許して欲しいならケイセルに許しを請うことだよ」


 シェダルは表情を変えず、笑顔のままルイテンに語る。

 否、少しばかり、愉悦に歪んでいたかもしれない。ルイテンは涙で滲む視界の中、そんなことを考えた。


「あとは当人同士でね。

 今日の集会は中止。解散」


 シェダルはルイテンに背を向け、小屋の扉に手をかける。去り際に片手をひらりと振って、日が照る屋外へと出て行った。

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