廻り煌めくほうき星
廻り煌めくほうき星①
ルイテンは、ドラスへ謝罪するために、葡萄通りで彼と待ち合わせをしていた。
先日来た時とは一変して、空は快晴、透き通るかのような
結局のところ、昨日ドラスと一緒に帰宅することはできなかった。それはドラスと約束していたことではないものの、毎日の習慣であるのだから、「一緒に家に帰る」という行為は暗黙の了解であったのだ。どう謝罪をするべきか悩みながら、ルイテンは葡萄通りの道の先を見上げる。
葡萄通りの入り口、三つ角にある立て看板のそばで、ドラス腕組みをして立っていた。ルイテンを待っていたのだ。
「ドラス」
ルイテンはドラスに向かって片手を上げる。ドラスはルイテンを見るなり、不機嫌に口角を下げた。どうやら起こっているようだ。
ルイテンはドラスの正面までやってくると、頭を軽く下げて、上目でドラスの顔色を窺った。大柄で長身な男性から見下ろされているという状況。ルイテンは威圧感に押し潰されそうで、ただ平謝りしていた。
「本当にごめん」
「何かあったんすか? いきなりいなくなって」
「それは……」
昨日、ルイテンはドラスの目の前で
ルイテンは昨日の出来事を思い出す。
。.:*・゜
「私、クロエ・ヴィラコス。
ねぇ、私の用心棒してくれない?」
少女はルイテンにそう言った。
クロエと名乗る少女は必死であった。ルイテンの手首を握って離さない。ルイテンは面食らってしまった。一度言われただけでは理解ができず、竜胆色の瞳をぱちくりさせる。
「え? 用心棒?」
ルイテンはオウム返しした。聞き間違えたのではないかと疑ったからだ。だが、クロエは頷いて再度頼み込んだ。
「うん、用心棒。お願い」
クロエの声は震えていた。せわしなく泳ぐ瞳と、辺りを気にして商店街を見回す仕草。彼女のそういった表情からも、何かに怯えているのだろうということは簡単に汲み取れた。どうにも断りづらい。
「だめ、かな……?」
クロエは上目でルイテンを見つめる。ルイテンは彼女の瞳を見つめ返した。
ルイテンは、ここでようやく彼女の顔を真正面から見た。
否……ルイテンはクロエの瞳をじっと見つめる。彼女の瞳をよく見れば、緑一色ではなかった。青、緑、オレンジのグラデーション。まるで虹のように美しい。ルイテンは、暫く美しい色合いの瞳に見とれていたが、はたと我に返って首を振った。
「困ったな……」
ルイテンは呟いて商店街に顔を出す。何処かゆっくり話ができる場所はないかと、商店街を見回す。
洒落たレストランや喫茶店、親しみのある大衆食堂。腰を据えて話せる場所は多くある。どこに向かおうかと考えていると。
「ごめんね。ここでする話じゃないよね。喫茶店入ろっか」
クロエがルイテンの行動を見て、そう提案した。ルイテンもそれがいいとばかりに、クロエに賛同して頷いてみせる。
「お姉さんが奢ってあげるよ」
続くクロエの言葉に、ルイテンは目を瞬かせクロエを見る。クロエはフフンとふんぞり返って、自身の豊かな胸に片手をそえる。
「君、学生でしょ? だからお姉さんが奢ってあげる」
クロエはやや童顔で、背丈はルイテンより少し小さい。彼女の口から出た「奢ってあげる」という台詞が似合わなくて、ルイテンは苦笑いした。
「君、社会人?」
「失礼な! ちゃんと社会人……予定です!」
そう言って頬を膨らませるクロエ。ますます子供にしか見えない。
だが、クロエが怒ったのは一瞬のことで、すぐに表情を笑顔に変えると、掴んだままのルイテンの手を引っ張った。辺りを見回して、丁度良い店がないか目視で探す。
「そうだねぇ。あ、あそこ、いいんじゃない?」
クロエが指差したのは、一軒の喫茶店。純喫茶らしい、落ち着いた佇まいの店であった。彼女はルイテンの意見を聞くことなく、なかば無理矢理に喫茶店へと引っ張って行く。
ルイテンは彼女の行動に困ってしまったが、それを拒否する勇気もなく、引きずられるままに店内へと入った。
外壁の一部はガラス張りとなっていたが、無地のカーテンが半分だけ閉じられており、店の中までよく見えない。加えて、扉は木材でできており、外からの視線はほとんど遮断できるようになっていた。話をするにはうってつけの喫茶店である。
平日の夕方、喫茶店の中は、人が少なかった。クロエは店主の「いらっしゃいませ」という声を聞き流し、奥まった席へと向かう。
「はい、座って座って」
店内の照明には、橙色の「星屑の結晶」を利用しているらしい。温かみのある柔らかな光であったが、反面店内はやや薄暗い。
クロエが選んだ席は、店の隅にあるボックス席だ。他の席より一層目立たない、かつ明りが届きにくい席であった。
ルイテンは、クロエに勧められるまま椅子に座る。背中には壁、目の前にはテーブル。それを挟んで、クロエはルイテンと向き合うように、椅子に腰掛けた。
ドアから離れた場所に座らされたルイテンは、クロエをしたたかなヒトだと評価した。話を聞いてくれるまでは帰さないという、強い意志を感じる。
やられたなと、ルイテンは苦笑い。仕方なしに、持っていたボストンバッグを床に置いた。
「店員さーん。カフェオレ二つと、タマゴサンドお願いしまーす」
クロエは体をカウンターの方向へと捻って、店員に呼びかける。男性の店員は頷いて、サイフォンの準備をし始めた。
「あ、飲み物カフェオレで良かった? あ、あと何食べる?」
クロエは、テーブルに置かれたメニューをルイテンに差し出して、ルイテンの希望を尋ねる。しかしルイテンは首を振って遠慮した。メニューを軽く押し返す。
クロエはそんなルイテンの様子を見て、メニューをなおもぐいとルイテンの方へと押しやる。
「いやいや、ケーキくらい食べなよ」
「とか言って、用心棒とやらの前報酬のつもりなんでしょ?」
ルイテンは尋ねる。
クロエはギクリと肩を跳ねさせた。どうやら図星だったようだ。誤魔化すかのように、ぎこちない笑みを浮かべる。
どうもクロエは、用心棒とやらに拘っている様子。ルイテンは、自分に誰かを守れるような力はないと自覚していたし、初対面の女性の用心棒をし、金銭や物品で取引することも断りたく思っていた。
だが、クロエが用心棒を欲している理由を知りたい。これは単なる好奇心であったが。その思いから、ルイテンは立ち去ることをせず、クロエの顔をじっと見る。
発言を促すことはしなかった。クロエの話を待つ。
ややあって、クロエは話し始めた。
「あのね、私、変な奴らに狙われてるらしくって……」
クロエは、メニューを畳んでため息をつく。メニューをテーブルの隅に戻し、両手を膝上に置いてうつむいた。
やけに静かな店内で、湯が沸騰するコポコポという音が微かに聞こえる。そのうちに、コーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。
クロエは、ゆっくりゆっくりと言葉を続ける。
「トラブルに巻き込まれるなんて慣れっ子だけどさ。今回はヤバそうというか……」
「ヤバそう?」
「なんか、おっきい集団? かなんかに狙われてる? って感じでさ」
クロエの言葉を、ルイテンは半信半疑で聞いていた。
大きな集団に狙われる少女。まるで小説の題材のようではないかと思ったのだ。クロエの作り話なのではないかと思ってしまうが、彼女の目は真剣である。
「さっきのギョロ目の男もそうだし、前にも何回か別の奴から追われたこともあって。怖くて……」
クロエの腕が震えている。恐ろしく、そして不安なのだろう。
ルイテンはクロエをじっと見つめていた。彼女の震えは、演技では無いように思える。
確かに、先ほど彼女は襲われていた。ルイテンはその一件しか目の当たりにしていない。しかし、彼女の言葉を信用するのであれば、もしかして今までにも何度か襲われていたのではなかろうか。
「あの、だからね。首都に行くまでの間、守って欲しいなって思って」
本題に入った。
首都、クラウディオス。アステリオスの中央に位置する都市であり、13の大賢人が住まうところ。大賢人達が暮らし祈りを捧げる「宮殿」を中心に、円状に広がる街だ。
漁業の街であるここ、カッシーニは、国の南端の街。ここからだと、銀河鉄道に乗ったとしても、移動だけで丸一日費やすだろう。随分と離れた場所に遠出するのだなと、ルイテンは思う。
「クラウディオスに、何しに行くの?」
ルイテンは問い掛ける。クロエはにっこりと笑い、得意顔で語る。
「働きに行くんだよ。クラウディオスの出版会社で内定貰ってるの」
成程と、ルイテンは納得した。クラウディオスは、出版や印刷といった業種が盛んなのだ。
クラウディオス勤務、出版業界となれば、アステリオスの住民にとっては成功者である。その業界に勤めるということは、クロエは相当賢い女性なのだろう。
クロエは続ける。
「いいところに内定決まったから嬉しくて。でも、水を差すように変な奴が追ってきてさ……だから助けてほしくて、用心棒を探してたのよね」
クロエは潤んだ瞳をルイテンに向ける。
「いっそ明日だけでも、駅に向かうまででもいいの。お願い、助けて」
ルイテンの目が、クロエの視線と重なった。
彼女の瞳が、きらりと煌めいたような気がした。ほんの一瞬であったが、虹色がより鮮やかに光を散らしたかのような……
ルイテンは瞬きする。彼女の瞳は煌めいてなどいなかった。きっと思い過ごしであったのだろう。
クロエの申し出に対し、ルイテンは、一旦悩むことにした。
確かに、目の前の女性は困っているに違いない。だが、クラウディオスへと同行するのは、学生である自分には難しいことだった。学校を休むことも、師匠の稽古を休むことも、後々のことを考えると簡単に決められることではない。
ふと、ルイテンは一つの考えに行きつく。初対面の自分を頼っているということは、もしや、ルイテン自身の歌をアテにしているのではないかと思い至ったのだ。
「クロエさん、
ルイテンは問い掛ける。
クロエは頷いた。ルイテンの言う通りだった。彼女はルイテンの
だが、ルイテンは首を振る。
「
ルイテンは、自分の
そんな事情を知らないクロエは、不思議そうに目を瞬かせる。
「嫌い? なんで?」
ルイテンは目を伏せる。語りたくない。その表情は明らかな拒絶であった。
クロエは駄目押しとばかりに問いかける。
「さっき、その歌で助けてくれたのは……?」
「咄嗟のことです。君、襲われそうだったから」
「本当に、だめ?」
「…………すみません」
ルイテンは、クロエの頼みをはっきりと断った。
ほんの数十分前に出会った相手と簡単に契約などできるはずもない。罪悪感がルイテンの胸を刺すが、断るという意志が変わることは無かった。
ややあって、クロエが口を開いた。
「はぁー……じゃあ、仕方ないかぁ」
クロエは、あっけらかんとした様子で背もたれに体をあずけた。
ルイテンは、意外な展開に首を傾げた。もっとしつこく護衛を求められると思っていたのだから、拍子抜けしてしまったのだ。断ると言う選択に変わりはないが、クロエの真意を読み取るために口を開き、おそるおそる問いかける。
「怒ってないんですか?」
クロエは苦笑いして頷いた。
「ぶっちゃけ、私でも君の立場なら断るかな。うん、無理言ってごめんね」
丁度そこへ店員がやってきて、テーブルに二人分のカフェオレと、一人分のホットサンドを置く。店員は一礼し、すぐにカウンターへと戻って行った。
カフェオレから湯気が立ち昇り、クロエの顔を隠してしまう。おそらくがっかりしただろう。ルイテンは、自分の目の前に置かれたカフェオレに手を伸ばせない。湯気の向こうにいるクロエに、じっと視線を向けていた。
「あ、遠慮しないでね。カフェオレはさっきのお礼だから」
クロエはそう言って、ホットサンドに手を伸ばす。スクランブルエッグが挟まれたそれは作り立てのようで、切り口からふんわりと湯気が溢れている。一口かじると、その柔らかさにクロエは微笑んだ。
ルイテンはクロエから目を逸らせ、カフェオレが入ったコーヒーカップを持ち上げて、口につける。苦いのは、コーヒーのせいだけではない気がした。
。.:*・゜
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