52Hzの星の歌⑦
ルイテンは歌う。歌いながら走る。
足音はリズムに。歌声は光に。辺りに確かに響いているはずだが、誰もルイテンを気に留めない。
何度かヒトにぶつかってしまったが、ルイテンは歌を止めない。ぶつかった相手は、まるでぶつかったことに気づいていないかのようだ。
「あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ」
美しい歌声は誰に聞こえることもなく、ルイテンの体は赤、青、黄色の光を散らす。それらはくるり、くるりと宙を舞う。だが、色鮮やかなその光も、誰の目にも留まらない。
「あおいめだまの子いぬ
ひかりのへびのとぐろ」
これは
ルイテンは馬車道を横切り、今しがた男が入り込んだ路地の片隅へと足を踏み入れる。そこは袋小路。少女は男によって、そこに追い詰められていた。
陽光は建物に遮られ、影を落とす。奥まった空間は薄暗く、三方を建物に囲まれた空間には逃げ場がない。
少女の緑の瞳が揺れる。ワンピースの裾を皺がつくほどに強く握り、カタカタと震えている。怯えているのだ。
「ようやく追い詰めた」
男は肩で息をしていた。息切れ交じりの声には、欲望がちらついている。その口元に、ニヤリと笑みが浮かんでいた。
ルイテンは歌をやめず、彼らを後ろからじっと見ている。これから何が起きようとしているのか、大方察していた。だが、事が起こってからでないと手出しができないと判断する。
「さあ、一緒に来てもらおうか……!」
男の手が少女に伸びた。少女はきつく目を閉じて、身を縮こませる。
ルイテンは歌を止める。
同時に、右足に重心をかけた。それを軸にし、左足を高く振り上げて腰をひねる。ルイテンの内果が、男の側頭を捉えた。
男は背後からの不意打ちに対処できず、その場にどうと倒れた。
少女は、目の前で起きた出来事に理解ができず、「ひえっ」と怯えた声を出す。
「大丈夫?」
ルイテンは問いかける。ルイテンの体にまとっていた光が地に落ちる。
途端に、少女の目は驚きに見開かれた。少女の目には、今しがたルイテンが何もないところから突然現れたように映ったのだ。
「あ、あれ……? 今……」
少女はすっかり混乱してしまい、ルイテンとフードの男を交互に見遣る。状況だけ見れば、ルイテンが男を倒したように見えるのだが、一体全体、どうやったのかわからなかった。
倒れた男はふらふらと起き上がる。蹴られた頭をおさえ、目眩に耐えている。気を失ってはいなかったようだ。
のんびりしている暇はない。ルイテンは少女の手首を掴み、引っ張りあげた。
「あの……」
「逃げるよ。手を離さないで」
少女の手を、離れないようにと強く握る。少女はわけがわからないまま、しかしルイテンを信用することに決めたのか、ルイテンの手を強く握り返した。
「アンドロメダのくもは
さかなのくちのかたち」
ルイテンは再び歌い始める。
辺りに光が散り、それはルイテンと少女の体にまとわりつき、くるくると宙を舞う。それは少女の目にもはっきりと見えた。
ルイテンは、踵を返して歩き出す。男に背を向け、来た道を戻り始めた。今しがた「逃げるよ」と言ったはずなのに、走ることはない。
少女にはルイテンの行動が理解できなかった。
「あの、どういうこと? あなた、急に現れて、いきなり歌い始めるなんて」
少女は問う。だが、ルイテンは歌い続けるだけで答えない。代わりに、ルイテンは空いた方の手でフードの男を指差した。少女は振り向く。
「あんの
男は激昂する。立ち上がり辺りを見回す。そのうちに、少女の姿を正面に捉えたが、彼女にはまるで気付いていないようで、視線は明後日の方向を向いていた。
少女はルイテンの顔を見つめる。
「
少女は察した。ルイテンは歌いながら頷いてみせた。
「小熊のひたいのうへは
そらのめぐりのめあて……」
ルイテンは、繰り返し、繰り返し。同じ歌を延々と歌う。少女はルイテンに手を引かれるまま路地裏を出る。
ルイテンの歌は、確かに少女には聞こえていた。男性とも女性とも区別できない歌声はとても綺麗で伸びやかで……だが、誰もその声に気付くことはなく、振り返るものはいなかった。
二人は馬車道の脇を歩き、商店街へと向かう。学校周辺と比べ、そこは人通りがかなり多い。人混みに紛れてしまえば、男も簡単に追ってこれないだろうと判断してのことだ。
商店街に近付くにつれ、賑わうヒトビトの声、そして石畳を歩く足音が聞こえてきた。二人は、他人にぶつからないように道の脇を歩いた。
ルイテンは、歌いながら辺りを見回した。大衆食堂と本屋の間に隙間を見つけ、追われていないことを確認してから隙間に身を隠す。少女も、手を引かれるままそこに入った。
ルイテンは歌を止める。散らしていた光は、少しの間煌めいていたが、やがてフェードアウトするように煌めきを失い、地に落ちた。
ルイテンは少女から手を離す。少女は暫くポカンと口を開けていたが、ややあって。
「今の、何……?」
礼も忘れて、そう問い掛けた。
無理もない。先程手を繋いでいた間は、お互いの姿を視認できていた。それなのに、襲ってきた男の目には自分達が映っていなかったように見受けられた。
ルイテンが
ルイテンは無表情でゆるゆると首を振る。触れてくれるなと言っているようだ。
「
ルイテンはすっかり少女への興味を無くしてしまい、ふいと顔を逸らした。建物の影から商店街へと出て、学校の方向へと体を向ける。
ドラスを校門に残してしまった。すぐにでも戻って詫びなければ。
そんなルイテンの考えを遮るように、少女はルイテンの手に自分の手を伸ばした。掴み、引き寄せる。
ルイテンは後ろに引っ張られ、僅かによろけた。ムッとして、少女の顔を振り返る。
「どうしました?」
「あの……」
少女は言葉を迷っているようだった。暫く目を泳がせて、しかし意を決してルイテンに言葉を投げ掛ける。
「私、クロエ・ヴィラコス。
ねえ、私の用心棒してくれない?」
ルイテンは面食らった。
。.:*・゜
『52Hzの星の歌』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます