52Hzの星の歌④

 ルイテンは葡萄通りへとやってきた。

 葡萄通りとは名の通り、住宅地から葡萄畑へと繋がる煉瓦道であった。緩やかな坂道は、葡萄畑へ向かうに従って道幅が細くなる。葡萄畑の入口はアーチが設置されており、それに蔓が巻き付いていた。

 辺りには爽やかな緑の匂いが漂っている。もうすぐ春なのだと認識させられた。

 空を見上げれば、星が瞬いている。ルイテンは知っている星座を探してみるのだが、道を挟むように設置されたアイアンフェンス、それに絡まる葡萄の葉が邪魔をして、空をよく見渡せない。ぼんやりと空を見ていると、星空が絵画のように思えてきて、ルイテンは目を細めてうっとりとした。濃紺に光を散りばめたかのような美しい星空と、葡萄の葉の額縁。ヒトの手では作り出せない、自然の芸術。


はえぇっすね」


 低い声が聞こえ、ルイテンは視線を落とし振り返る。友人のドラスがやってきたのだ。

 緩やかな坂道を上るドラスは、ルイテンの顔を見るなり、ニヤリと笑ってからかった。


「こうして見たら、女にも見えるんすよね、あんた」


 ルイテンは眉を顰めた。


「男らしいとか、女みたいとか、そういうの嫌なんだって……」


 嫌がるルイテンの顔を見て、堪らずドラスはくつくつと笑う。


「んな格好してりゃ、言いたくなるんすよ」


 ルイテンは自分の服装を改めて見る。

 ゆったりとした長袖のTシャツに、スキニーパンツ。アウターは薄手のジャケット。中性的なファッションは、自分の体の細さを際立たせてしまっている。今のルイテンは、女性的な見た目をしていた。ドラスの言葉が不愉快で、ルイテンの目尻が吊り上がる。それを相手に見せまいと、海色の前髪をしきりに撫でつけた。


「……………………ドラスなんか知らない」


「そりゃねぇっすわ」


 ルイテンは踵を返し、葡萄畑へと向かって進んでいく。ドラスは慌てるでもなく、笑いながらルイテンの背を追いかける。

 緑の香りは、畑に近付くほどに濃くなっていく。やがて葡萄畑に到着すると、一人の男性がルイテン達を出迎えた。


「こんばんは。今日は二人?」


 鳩羽色をした青年は背がすらりと高く、背を丸めてルイテンに声をかける。ルイテンは頷き「よろしくお願いします」と呟いた。

 やや遅れて、ドラスが到着する。男性は二人を快く受け入れ、葡萄畑の奥へと案内した。


 畑の奥には小屋がある。通常、農具を保管しておくための小屋であるが、農具そのものは小屋の周りに鎮座していた。

 小屋の中からはヒトのざわめきが聞こえる。これから始まる催しを期待しているかのような、明るい声だ。


 小屋の中へと入っていくと、すでに集まっていた人々が一斉にこちらを向いた。

 若者が多数ではあったが、人種は様々。人間にサテュロス、獣人にハーピィ。数人だがニンフもそこにいた。

 実に多種多様な人種が集まっている。

 ルイテンはドラスと顔を見合わせる。この中では、ルイテンは新参者であった。古株であるドラスを頼るのは当然と言えよう。ドラスはルイテンの不安に気づくと、細い目を細めてふわりとほほ笑む。


「さて、始めようか」


 鳩羽色の髪をした青年が、小屋に集まる人々へ声をかける。彼らはしんと静まり返り、思い思いの場所に腰を下ろした。

 ルイテンもそれに倣い、ヒトとヒトとの間にねじ込むように腰を下ろす。ドラスは巨漢故に腰を据えることができず、ルイテンの隣に立っていた。


 鳩羽色の青年が、小屋の奥へと向かう。そこには教壇と、簡易的な祭壇らしきものがあった。開き戸型のキャビネットは戸が開けられ、その中に小さな像が入っている。長い黒髪に、白いキトンを身に着けた少女の像。無数に詰め込まれた、金の五芒星に囲まれたそれは、小さいながらも神々しさを放っていた。

 青年は祭壇に一礼し、教壇に立つ。

 徐に、一冊の本を掲げた。それは、いかにも手作りといった形の、本と呼ぶには相応しくない分厚い冊子であった。


「僕はシェダル。君たちに教えを授ける者だ。

 前回の集会で一通り話したと思うけど、今日は初参加のヒトも多いからね。まずは世界の成り立ちから教えよう」


 そう言って、鳩羽色の髪を持つシェダルは、冊子をパラパラと捲った。

 そこに何が書かれているのかルイテンは知る由もないが、これから何を語られるかは知っていた。

 このカルト教団が教える「世界の成り立ち」。それは今まで歴史の授業で習ってきた内容とは、全く違うものである。


「この世界は一つの星だ。そう、空に浮かぶ、あの星々と同じ。この世界の命も、奇跡の術である輝術きじゅつも、夜空の星から頂いたものではない。

 千年前の百年戦争では、竜王ラドンの娘が人類を導いた。それを忘れた人類どもは、我が物顔で世界を支配する。

 それを憂いたラドンの娘、『歓楽の乙女様』は、一度身を隠された」


 青年・シェダルは、一度小屋の中を見渡した。

 皆一様に、シェダルに釘付けであった。ルイテンも例に漏れず、演説に聞き入っている。

 シェダルはそれに気を良くしたようである。彼の声は一層大きくなった。


「『歓楽の乙女様』に成り代わった偽の乙女、『乙女の賢者』。奴らは代々ヒトビトの目を欺き、とうとう先の動乱を引き起こした。

 動乱とは? そう、五年前に引き起こされた『金色塔出現事件』である。あれは、乙女の賢者が仕組んだことである。金色塔を生み出し、それを打ち砕くというによって、民の信仰心をより強固なものにせんと企んだのだ。

 だが、我らは違う。世界の真の姿を知っている」


 シェダルは冊子を閉じる。ここから先は、空でも語れるほど、彼の口に沁みついている。


「僕らは星の一部だ。それなのに、お空のお星様を崇めるなんておかしいと思わないかい?

 この国が教えている『ユピテル教』は嘘だらけ。

 真に崇められるべきは僕たちだ。崇められるべきは、『喜びの教え』の教祖様である『歓楽の乙女様』だ。

 が国を治めるだなんで、ちゃんちゃらおかしいね。真にふさわしい指導者は『歓楽の乙女様』だ」


 小屋に集まったカルト信者達は、一斉に声を上げる。

 皆、国を信じられない者達ばかりだ。


 五年前より、突如現れた「冬」という存在に、彼らは疲弊しているのだ。

 ある者は仕事を無くし、ある者は住まいを無くし、ある者は家族を亡くした。


 ルイテンも、冬によって家族を亡くした一人である。

 五年前、冬の存在がなかったこの世界に、初めて冬が訪れた。その影響で未知の病が流行り、ルイテンの母は命を落とした。

 家族を亡くした悲しみは、五年経っても拭えない。十六歳の子供にとって、いまだその悲しみは大きかった。

 心の拠り所を無くしたルイテンが縋ったのは、カルト教団『喜びの教え』であった。


 そして、ドラスもまた、カルトの教えに傾倒している一人である。ルイテンを『喜びの教え』に誘ったのは、他ならない彼なのだ。


「さあ、今日も祈ろうか。

 大地と、竜と、真の乙女に」


 シェダルが両手を組み、目を閉じる。若き信者達も、それに倣う。

 ルイテンもまた両手を組んだ。カルトの教えに、すっかり心酔していた。

 いけないことだとは思わない。それどころか、教団の教えが正しいのだと信じて疑わない。

 歴史の授業に身が入らないのは、これが原因の一つであった。


「国が教えているのは、全て嘘なんだ」


 そう信じて疑わなかった。

 

 ディフダには、この教団のことを伝えていない。彼は信心深いユピテル教徒であった。だから、きっと酷く怒られてしまうだろうと、懸念があった。


 ルイテンは祈りを終え、顔を上げる。

 教徒はみな祈りを終えていた。シェダルは一礼した後に小屋から出ていく。これにて、今日の集会は終わりだ。

 平日はいつも簡易的な集会であった。本格的な集会は、毎週土曜日と日曜日。いまだその集会に未参加であるルイテンは、ぼうっと思いを巡らせている。いつかは参加してみたいと。


「ルイ」


 ドラスに呼ばれ、ルイテンは見上げる。


「帰るっすよ」


「あ、うん」


 ドラスに誘われ、ルイテンは立ち上がる。

 実に有意義な時間であったと、ルイテンは感じていた。このような場に誘ってくれたドラスに、感謝の念を抱く。


「ドラス、ありがとう」


 ルイテンはドラスへ礼を言う。

 ドラスはルイテンを見下ろして、返事をする代わりにルイテンの髪をぐりぐりと乱暴に掻き回した。


「あ、ちょ」


「礼なんていいんすよ」


 ぶっきらぼうな物言いであったが、ドラスの目は優しかった。

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