52Hzの星の歌③

 足の裏を念入りに拭いて汚れを落とし、ルイテンは家の中に入る。廊下を進みダイニングに入ると、ミルクの芳醇な香りが漂ってきた。稽古の後とはいえ、屋外は冷えるのだ。温かなクラムチャウダーが楽しみで、表情の乏しいルイテンの顔に薄く笑顔が浮かぶ。


「手伝います」


 ルイテンはそう言い、ディフダの後に続いてキッチンへ。ディフダがコンロへと向かい、ルイテンは食器棚へ体を向けた。

 深皿を二枚取り、ディフダに手渡す。ルイテンのその様子は、餌を待つ犬のように見えてディフダは声に出して笑う。


「こういう時だけ笑顔になりおって」


 ディフダは皿を受け取り、ルイテンの海色の髪を乱暴に撫でまわす。ルイテンはその行為に驚き目を瞬かせた。


「座って待ってなさい」


「配膳くらい手伝います」


「いいから、ほら、座ってろ」


 ルイテンはしょぼんと目を伏せた。食器棚からスプーンとランチョンマットを取り出して、食卓へと並べる。

 ディフダはすぐに夕食を運んできた。皿に盛られたクラムチャウダーからは、湯気と香りが立ち上っている。

 二人は向かい合わせに座り、各々食べ始める。


「おいしい」


 クラムチャウダーを一口。ルイテンは頬を綻ばせて呟いた。

 濃厚なミルクの中に貝の旨味がにじみ出る。たまらなくおいしい。


「そうだ、今日の歴史のテスト、どうだったんだ?」


 食べながらディフダは問いかける。ルイテンはギクリと肩を震わせた。

 ディフダは「はは」と空笑いする。ルイテンは歴史が苦手であったのだ。


 ただ苦手なのではない。以前のルイテンは、歴史に対して苦手意識はなかった。

 苦手になったのは五年前から。否、五年前を境に歴史への苦手意識が芽生えたのは、おそらくルイテンだけではないだろう。


「やはり、覚えるのは苦手か?」


「あの事件がいけないんです。あれがなければ……」


 ルイテンは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 ディフダは一旦スプーンを置き、ルイテンに歴史の講義をし始めた。


「百年戦争はわかるな?」


「それはわかります。古代百年戦争、竜との戦争ですよね」


 ディフダの問いかけに、ルイテンは答える。

 古代百年戦争。それは、千年もの昔、伝説の種族である竜と人類が争った古代戦争である。竜王ラドンが人類を支配し、人類がそれに抗ったが故に起こった戦争。百年続いた戦争は、最終的に「初代乙女の賢者」と呼ばれる人類の姫が、ラドンの首を斬り落とし勝利したと伝えられる。


「乙女の賢者がラドンの首を落としたとか」


「んん? 私が習った頃は、騎士が斬り落としたと聞いたが……まあ、それはいい」


 ディフダは首を横に振り、話を続ける。


「昔は、ラドンが冬を作り出し、人類は冬を遠ざけたと習ったが、例の事件をきっかけに、それが見直された」


「金色塔の事件ですよね」


 ルイテンの言葉に、ディフダは頷く。


「五年前、突如として現れた金色塔。首都を覆い隠し、夜空を奪ったあの事件だな。

 かつてラドンは世界を滅ぼさんとし、人類から冬を取り上げた。

 冬とは、星の休眠期間だ。一年間消費した光を、また新しく生み出すため、星は眠らねばならん。その休眠期間が千年もの長き間取り上げられた結果が、あの金色塔。あれが生まれてしまった。

 そして、命と引き換えにその塔を枯らし、冬をもたらした者こそ、乙女の賢者の末裔だな」


 ルイテンはその話を聞いても実感がわかない。


 星の光をその身に受けた賢者達。彼らは、百年戦争の功労者であり、その恩恵として領土を得て、奇跡の技を授かった者達だ。

 そして五年前、厄災が国を襲った時も、賢者達が一丸となって立ち向かっていったのだ。

 その賢者達は、当時十五歳の子供であったと言う。自分より一つ年下の子供達が世界を救ったなど、ルイテンにはとても信じられなかった。


 だが、これが歴史として伝わっているのである。


「それが、どうも現実味がないというか……」


「その賢者らには実際に会えるし、当時の目撃者もいる。真実だ」


「ううん……」


 ルイテンは首を傾げて唸る。

 同年代の子供達は、誰もがその歴史に現実味を感じないのだ。たった五年で今までの歴史が塗り替えられたのだから、信じきれないのも無理はない。


「まあ、成績を上げたければ割り切ることだな」


 ディフダは語る。これが、現在語られている歴史なのだと。

 幸い、歴史といった暗記科目は、重要な単語と年代を覚えてしまえばテストの点を取ることができる。中身を信じる必要などないのだ。

 だが、ルイテンには納得できない理由がある。


 師匠の前で語るのは憚られる理由だが。


「ところで、今日は何で遅くなったんだ?」


 唐突にディフダは話題を変えた。ルイテンはせる。放課後の告白を思い出したからだ。


「いつもならもう少し早く帰るだろう? 何かあったか?」


 ディフダは再びクラムチャウダーを食べ勧める。保護者として他愛無いお喋りをしているつもりなのだろう。しかし、ルイテンは話したくなかった。


「ん?」


 だが、師匠に促されては仕方ない。彼には、隠し事をしないように躾けられているのだ。


「……女子に告白されました」


 ルイテンはぽつりと呟く。

 途端に、ディフダの顔に明るい笑みが浮かぶ。ルイテンの顔を見つめ、ニヤリと笑って揶揄からかった。


「お前もとうとう告白されたか。で、どうしたんだ?」


 ディフダは期待を込めて問う。しかし、ルイテンの返答は、ディフダの期待にそぐわないものだ。ルイテンにはその自覚があった。


「断りました」


「断った?」


 豆鉄砲を食らった鳩さながらに、ディフダは唖然とした。ルイテンは途端に不機嫌になり、ディフダから顔を逸らす。


「なんで」


此方こなたは、そういうの苦手です……恋とか、付き合うとか……」


 ディフダは、深く深く息を吐き出す。まるで、情けないとでも言うかのように。

 この後何を言われるのか、ルイテンは察していた。聞きたくない。そう思い、クラムチャウダーが残った皿をシンクへと運んでいく。


「ルイ、女の子に恥をかかせるんじゃない。男だろうが」


 案の定だ。ルイテンにとって最も言われたくない言葉を、ディフダは投げかける。

 ルイテンは途端に激昂した。皿をシンクに叩きつけるように置き、ディフダをキッと睨みつける。


此方こなたは男じゃない!」


 暫し沈黙。ルイテンはディフダの顔から眼を逸らさない。

 母からも、師匠からも、男らしくあれと言われ続けてきた。そしてこれからも、ずっと言われ続けるのだろう。ルイテンはうんざりしていた。

 そんなルイテンの神経を、ディフダは逆撫でる。


「男じゃないから、女の子に恥をかかせていいと? 男じゃないから稽古も嫌と?」


「好きじゃないのに告白を受け入れるのだって失礼だ。ていうか、今は稽古なんて関係ないでしょ」


「今日の稽古には、身が入っていないようだったが」


 ルイテンは言い返せない。開きかけた口を閉ざし、唇を噛む。稽古を嫌がっていることも、集中できなかったことも事実だ。

 ディフダは困ったように笑う。

 ルイテンの意固地さが師匠を困らせていることを、ルイテン自身理解していた。しかし、「男らしくあれ」という願いは、どうも受け入れ難いのだ。


 ルイテンは早足でダイニングを後にする。


「ルイ」


 ディフダが呼ぶ。ルイテンは振り返らない。


 時刻は十九時近くを指している。

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