龍の覚醒

 ああ、またこの夢。

 不愉快でしかない。自分でない誰かの記憶の断片。

 カノンは足元に倒れている男を見下ろした。

 頭部を鈍器で殴られたのか。顔は赤く染まっている。ああ、脳漿まで見えたもう死んでいる。

 男の横を通り過ぎる。また男が倒れている。今度は胸にナイフが刺さっていた。柄しか見えない。刃は相当深く刺さっているのだな。

 僕はまた歩き出した。足を止めると目の前に男がぶら下がっている。今度は絞殺か。

 その横を通る。鼻を着く焦げた臭い。今度は焼死か。振り返ると炭化したモノが横たわっていた。

 僕は一瞥して前を向いて歩きだした。これは誰かの記憶の断片。目的の場所等僕にはわからない。ただ、歩き続けるとやがて開けた場所に出た。

満月に照らせた巨木の下に立っていたのは何度も死に顔を見た男。

 夜色の長髪が風で靡く。整った顔立ちに金色の瞳。闇を統べる者として相応しい御身。

 目が合うと愛おしく微笑んでくれる。

 貴方だけを愛していた。

 ずっと一緒にいたかった。

 貴方と幸せになると決めたのに。

 何度も貴方を殺す事になるなんて。


 私を、許して・・・


ーぱちりっ


 両腕でしっかりと掴んでいるのが、誰かの、ハルオミの左腕だと気付いたカノンはゆっくりと起き上がった。そしてハルオミの顔を覗き込む。

 穏やかな表情にカノンの頬が緩んだ。

 呼吸も安定しており、血色も良い。

 ハルオミの右側にはユウマが擦り寄って寝ていた。リオンもソファでまだ寝ている。

 窓に目を向けると陽はまだ登っていないようだった。カノンはもう一度ハルオミを見つめ、頬に触れた。掌に感じる体温を確かめるように撫でる。それからそっと口づけた。

 唇を離した後、カノンは満足げにハルオミの唇を人差し指で撫で、左耳上に桜の花飾りをつけた。


ーーー


 「ごっはーんっ!お腹すいたー!」

 顔を洗ってリビングに入ってきたユウマを先にテーブルについていたハルオミ、カノン、食事を準備していたリオンが出迎える。

 「騒がしいですねぇ。貴方の兄は一応安静ですよ。」

 「・・・でしたらハルオミさんの膝に座らない方がいいんじゃないですか?」

 朝食を並べ終えたリオンが自身の膝を叩いた。安静だとわかっているのに遠慮なくハルオミの膝に座るカノンに呆れる。

 「あはは。いいよリオン。カノンが座るくらいどうってことない。昔はもっと大変だったし。」

 そう言ってハルオミは手を合わせた。視線を向けられたユウマはスプーンを握り、朝食を食い入るように見ている。

 「いっただきまーす!あれ?これなあに?」

 スープにフニャフニャした物が入っている。スープンで掬い不思議そうに眺めるユウマにリオンはクスクス笑う。

 「パン粥です。食パンがあったので、ハルオミさんが食べやすいように。」

 「パン粥?!初めてー!パン好きー!」

 パクパクと食べ始めたユウマに続いてハルオミもパン粥を口に運ぶ。

 「ん。これ上手いな。リオンは料理のレパートリーが多くて羨ましい。これなら良いお嫁さんになれる。」

 「・・・ありがとうございます。」

 ハルオミに褒められたリオンの頬が赤くなっていく。

 「お嫁さん、あっ!」

 ユウマが思い出したように大きな声を出した。

 「そうだ、お嫁さんっ!ねぇハルっ!」

 「シッ。」

 ハルオミがユウマを制す。カノンも緑碧の瞳を細めリビングのドアに視線を移した。

 「・・・。」

 ユウマは静かに立ち上がるとドア横の壁に身を寄せた。3人の異様な雰囲気にリオンは不安げな表情を浮かべる。そんなリオンにハルオミは安心させるように「大丈夫。」と笑みを浮かべた。そしてカノンを抱えリオンの膝に座らせる。


ーバッキッ!

 「出てこいっ、この反逆者共っ!」

 玄関のドアの破壊音と怒声が室内に響く。

 ドタドタと数人の足音がリビングに近づき、乱暴にドアが開いた。

 「ダ家の命ぃぃ?!」

 「帰って。」

 入ってきた男の喉元にユウマはフォークを押し当てた。怯んだ男を無機質な目で見上げる。

 「リオンのご飯が冷めちゃう。」

 フォークを持つ手に少しの力を込める。男の喉がひゅっと鳴った。

 「おい、何をしているんだっ!さっさと引っ捕らえろっ!」

 「・・・馬鹿野郎、押すなっ」

 前の男の喉元にフォークが突き立てられている事を後ろから来た者が知る由もなく叫んでいた。

 「俺が捕まる理由を聞かせてもらおうかな?」

 凄んだハルオミに男は情けない程顔を歪め鼻水を啜った。

  「大方、負傷した俺に警備の責任を押し付けて憂さ晴らしの折檻といったところか?」

 ニヤリと笑ったハルオミに男はガタガタと震えだす。

 「場所を変えるとしよう。」

 男の前に立つとハルオミは迷わずに鳩尾に蹴りを入れた。雪崩のように後ろにいた男たちもバランスを崩し倒れていく。入り口前の男をハルオミは平然と踏みつけた。

 「リオンとカノンはご飯食べてていいからねー。ミニトマトは残しといてー。」

 普段通りににこっーと笑いユウマはリビングのドアを閉めた。きちんと閉まらなかったドアがギイと耳障りな音を出す。

 「やれやれ。迷惑な連中ですね。安静の意味とは。」

 嘆息し、カノンはぴょんとリオンの膝から飛び降りた。

 「リオンはどうします?」

 「・・・どうする?」

 問うた言葉を繰り返されカノンは頭を掻いた。

 「ハルオミの負傷の件だけじゃないでしょう。僕らも当事者ですよ。」

 カノンが言わんとしていることに気付くとリオンは睫毛を伏せた。

 が、直ぐに顔を上げた。

 「どうにかなるんですか?」

 「ボクを誰だと思っているんですか?」

 自信に満ちた不敵な笑みのカノンをリオンは真っ直ぐ見つめた。

 「一緒にどうにかします。」

 リオンの答えにカノンは満足げに目を細める。

 「ま、もう逃げられ無いんですけどね。」


 乗り込んできた男達の軍服の襟には上位の「AA」と刻まれたプレートが縫い付けられていた。金で階級を買った輩が何人束になろうがハルオミは負ける気はしなかった。

 「で、俺の罪状はなんだ?」

 睨みつけるハルオミに男たちは後ずさる。

 瀕死の状態だと聞いたのに、この殺気はなんだ?弟さえ押さえれば、負傷している兄を捉えるのは簡単だと聞いていたのに。

 男達の顔に焦りが浮かぶ。このままで帰す気がないのは倒れている仲間の剣を抜き取っているユウマの行動から嫌でも理解させられていた。

 「・・・いいのか?」

 後方の男が口を開いた。皆の視線がその男に集まる。

 「今頃、お前の部下が取り調べをうけてるぞ?可哀想に上官の身代わりか?」

 「・・・どういう意味だ?」

 極めて冷静を装っているがハルオミの怒りは頂点に達していた。くだらない事ばかりしてくれる、と。

 「ユウマ。」

 「ん。」

 倒れている男達から奪い取ったもう1本の剣をユウマがハルオミに手渡す。

 剣を手にしたユウマは通さんとする男達の喉元に剣を突きつけながら道を開けさせ、壊れたドアの前で振り返る。

 『行っていいのか』と顔に書いてある。ハルオミは頷き口角を上げた。

 「お前たちには良いハンデだろう?特備を倒したと土産話になったらいいな?」

 ハルオミに気圧された男達だが、ハルオミの言葉がプライドに刺さったようだった。勢いで男達も剣を抜く。

 「コイツは巫女姫を連れ去った不届き者だ。多少痛めつけても問題ないだろう。」

 「そうだ。私達は既に仲間に怪我を負わされたんだ。」

 ブツブツと呟く男達にハルオミは顔を顰めた。

 「・・・巫女姫?何のことだ。」

 「特備隊長だからって容赦しねぇ!死に損ないがっ!!」

 意気込んだ一人が剣を構え直す。

 「ボクの旦那に何をするんですか?」

 扇子で口元を隠したカノンがハルオミの後ろに立っていた。その隣にリオンも立っている。

 「カノン、リオン。危ないから奥に行け。」

 視線だけで促すハルオミを無視しカノンは隣に立った。途端、

 背中に風を感じた時にはハルオミの前にいた男達は突風の中にいた。リビングから玄関までの狭い空間で男たちが天井や壁に激突し、外に放り出されていた。

 「この姿ではこれが限界ですかね。」

 起き上がった男達にカノンはニッコリと笑った。

 「貴方達は本当に運がいい。ボクの姿をこんな近くで拝めるのだから。」

 茫然としたハルオミの前に出るとカノンは桜の花飾りに手を掛け外した。


 ふわりふわりと甘い匂いと桜の花が舞う。


 「・・・ぇ。」

 

 ハルオミの前に現れたのは夢で見た深碧の目の女性。いや、夢だと思っていた。

 男達も呆然と突如現れた女性に魅入っていた。

 その美貌に誰しも言葉が出なかった。そんな中で先に口を開いたのはハルオミだった。

 「・・・誰?」

 「カノンだよー。」

 驚きもせず平然と答えるユウマにハルオミは状況を理解していなかった。その様子にカノンは肩を竦める。

 「説明は後で。まずはゴミの排除から。」

 軽くカノンが扇子を振った。先程とは比べ物にならない突風が男たちの体を包み、外に向かってながれていく。男達の悲鳴が遠のいていく。

 「すっごーい!あっというまー。」

 はしゃぐユウマの手から剣が離れ落ちる。  

 「ユウマ。刃物を投げるんじゃありません。怪我したらどうするんですか。」

 「ごめんなさいっ!」

 ハッとなりユウマがカノンに頭を下げた。溜息を吐くカノンの隣でリオンが手を合わせた。指の隙間から光が漏れている。その光をユウマは珍しそうに瞳を輝かせて見ていた。近くで見ようと近付いてくる。


 ーぽんっ!


 小気味良い音と共に桜の花がリオンの掌に落ちる。

 「それなあにー?」

 「お手紙です。」

 興味津々のユウマにリオンはそう言うと両手を上げた。その動きに呼応するように桜の花もふわふわと浮かび外に飛んでいく。

 「これでよし。」

 「わっー。すごいっー!」

 桜の花が空に向かっていく。ユウマはキラキラとした目で桜を追っていた。

 「そういえば先ほど、気になることを言っていましたね。ユウマ、これを追いかけなさい。」

 今度はユウマの前にふわりと青い桜が現れる。ふよふよと目の前で揺れた後、すっーと外に飛んでいく。連続する魔法にユウマの興味は止まらない。

 「あれ何ー?待ってぇー!!」

 追い駆け出そうとするユウマは一瞬立ち止まり、リオンの手を握った。

 「リオンもいこっ!」

 「えっ、ちょっ。」

 リオンの返事を待たずにユウマは手を取り走り出した。

 「気をつけて行ってきなさい。」

 カノンが2人の背に声をかけ見送った。それをハルオミは呆然と見ていた。

 「さてこの姿でお会いするのは二度目ですね。神夜の末裔、月の民のカノンです。」

 ぽかんとするハルオミに近付き、カノンは耳元で囁いた。妖艶な笑みに艶やかな仕草でハルオミの首元に指を這わす。

 「・・・ね?大きくなったでしょう?」

 その言葉が何を意味しているかハルオミは理解できないでいた。


ーーー

 

 木々の間をふよふよ舞う青い桜をユウマは楽しそうに見ていた。羽が無いのに飛んでいるのが不思議でならない。

 「どこいくんだろー、ハルの部屋かなー?」

 「ハルオミさんのお部屋ですか?」

 「うん。」

 家とは反対方向に走っているが、そこにハルオミの部屋?があるのだろうか。

 「ハルオミさんのお部屋、ですか。」

 「うん、ハルの部屋ー。」

 もう一度呟き、まだユウマへの理解が足りないのだとリオンは感じた。



 ユウマが青い桜に案内されたのは特別警備隊の軍寮だった。


 「リオン、ここで待ってて。」

 茂みから顔を出し、ユウマは周囲を確認した。窓が割られ玄関ドアは壊されている。

 数人の男達は武器を持っており囲まれているのは見知った面々だ。

 「・・・。大人が沢山います。お姉に連絡しますから、少し待った方がいいです。」

 飛び出そうとするユウマの服を掴み、リオンは首を横に振る。ユウマはにこっーと笑う。

 「大丈夫ー。直ぐ終わるからー。」

 そう言うとユウマはリオンの静止も待たずに勢いよく走り出した。



 (・・・なんだってこんな事に。)

 伝達も無しに現れたのは「 A A」の男達だ。顔も名前も知らない。わかるのは階級が上級の貴族出身という事だけだ。

 フェンはこの場をどう乗り切るか考えていた。

 殴り合いになれば間違いなく勝てるがそれをすると更に面倒な事になりそうだと。思っていたのだが、

 「こらっー!!」

 数人の男達は皆警棒を持っているそこにユウマが迷いなく突っ込んできた。

 「ユウマ!?」

 ユウマの登場にフェンやガシャコ達が驚く。あっと言う間だった。現れたと思ったら、囲んでいた男達だけを殴り蹴飛ばしていた。次々に倒れていく男達の上にぴょんと飛び乗りユウマは鼻を鳴らす。

 「だいじょーぶ?」

 ポカンとしていた面々が徐々に安心した表情になる。

 (・・・始末書だけじゃ済まない気がする。)

 フェンは頭が真っ白になった。しかし、穏便に済ませたかったのはフェンだけのようで、キャン爺は怒りを体全体で現していた。

 「朝っぱらから急にこいつらが奇襲仕掛けて来やがったんじゃ。」 

 大振りする腕の動きにユウマはマーケットでみた異国のおもちゃを思い浮かべる。

 「しかも、地味に示談で済ませられる程度のな。」

 簡潔に説明するガシャコの横で、スクラ達若い者達がペッと倒れて気を失っている貴族の息子たちに唾を吐いた。

 「・・・赤龍王の命だと。匿っている月の巫女を引き渡せと訳の分からない事を言ってきたんだ。

責任者を出せと言われて、まだ中にヴィント副隊長が。」

 フェンが不安に軍寮に視線を移した。

 「ん。中見てくるからそいつら木に縛り付けといてねー。ハルにどーするか聞くから。あっ!そうだリオンのことよろしくねー!」

 茂みからおずおずとリオンが姿を見せる。注目を浴びたリオンはペコッと頭を下げた。

 「じゃあ行くねー!」

 そう言うとユウマは建物の外に回った。

 「え、ユウマ?」

 玄関とは反対方向に走り去るユウマにリオンは動揺する。

 「・・・あー。」

 他の面々は呆れたまま何も言わずにフェンを見た。

 「・・・何で俺を見るんですか。」

 フェンは納得はいかなかったが、どうせ自分の仕事だろうと諦めていた。


 

 

 「・・・あー、くそいてぇなぁ。」

 ぺっと吐き出した唾に血が混ざっていた。ガヤガヤと乗り込んできた連中は昨日、少年達に警備を任せていた貴族の息子達だったか。

 余計な仕事を増やされた事にヴィントの苛立ちは募る一方だ。

 「さっさと吐け、巫女様はどこにいるか聞いてんだ!」

 「だーかーらー、それは誰だっての。つーか、お前らそれ掃除して帰れよな。隊長に叱られるからさー、俺が。」

 壊れたドアを指差す。木材を運んで加工して、蝶番を付けてとなると手間がかかる。その工程を考えるヴィントの額には青筋が浮かぶ。

 「てめぇ、殺されてぇのか!?」

 「おー、待ってたぜ、それ。こんだけ殴られたんだ、正当防衛でこっちが殺してやる。」

 目をギラつかせ構えたヴィントに男達は警棒を構え直した。

 「だめぇ!」

 空気を読んでいない声音と窓ガラスが割れる音は一緒だった。飛び込んできたユウマは室内に入った瞬間、男達を殴り飛ばす。

 「ヴィントはキレたら加減できなくなるんだからね!ハルに怒られるよっ!」

 プンプンと怒りながらユウマはトドメと倒れた男の顔を踏みつけた。ガラスの破片で男の顔に傷がつく。

 「えー?これ、怒られるのユウマじゃね?」

 きょとーんとユウマが漆黒を見開き首を傾げる。

 「だって、窓ガラス壊してるやん。」

 「あっ!」

 割れた窓ガラスと散らばった破片にユウマはにへらと誤魔化しの笑みを見せた。

 「・・・ハルに言わないで?」

 「無理無理。コイツらこっちから来たからさー。」

 ヴィントが立てた親指を向けたのは壊されたドアだ。ユウマはしょぼんと項垂れた。



 外で伸びている男達を縛り上げたフェン達は中にいた男達も運びだした。ガシャコは全員を一箇所に纏めると印の書かれた棒を地面に差した。害獣用の柵が出現する。

 「ユウマー。隊長は療養中だから、俺らで片付けるからなー。そう伝えてくれ。忘れるなよ、絶対だぞっー?」

 「はぁーい。」

 ユウマの返事にガシャコはガリガリと頭を掻いた。ヴィントの治療をワクワクとした目で見ているユウマの返事が生返事だとわかるからだ。

 

 リオンが手を翳すと淡い光がヴィントの傷口を包む。ゆっくりとだが、傷が塞がる様子にユウマは興味津々だ。

 「まほーってすごいねー。」

 「俺、初めてだわー。薬塗るより痛くねーし。」

 感心するヴィントにリオンは役に立てている事が嬉しかった。

 「昨日の桜も凄かったけどなー。」

 ヴィントの何気ない言葉にリオンの手元が揺れる。

 「うん、きれーだったねー。」

 「っつかさ、隊長元気になったかー?」

 「うん?ふほーしんにゅうしゃが分かるくらいは元気ー。」

 「マジかー。すげなー、流石体力お化けだな。」

 「ハルはお化けじゃないっー!それにカノンがまだ『あんせー』って言ってたっー。」

 「カノン?誰だそりゃ?」

 「ハルのお嫁さん。昨日居たでしょー。桜いっぱい飛ばしてたー。」


 ユウマの返事にヴィントの思考が停止する。固まったヴィントに気も止めずユウマはリオンにどれくらいかかるのか質問していた。

 「はあああっ!?隊長ってブラコンのモーホーじゃなかったのか!?」

 急に大声を出したヴィントにリオンがビクつく。

 「モーホー。」

 「てっか、嫁さん?やばっ。あのエロいチャンネーだろ?」

 「チャンネー。」

 ユウマはヴィントの言葉を繰り返した。そんな二人の会話を近くで聞いているリオンの顔はだんだん赤くなっていく。

 「こーしちゃいられねー!行くぞ、ユウマ!今夜は赤飯だ!」

 「せっきはーんっ!」

 直様立ち上がり駆け出すヴィントにユウマも立ち上がった。

 「まだ、治療の途中、」

 「リオンもいこっ!」

 焦ったリオンにユウマは手を掴み笑っている。

その様子をフェン、ガシャコはため息をついて見送り、後片付けを再開させた。


ーーー


 「さてどこから話せばいいのやら。」

 定位置になりつつあるハルオミの膝に座りカノンは話し続けている。

 「まずは貴方の疑問を解いた方がいいかも知れませんね。」

 ニコリとハルオミの眼前でカノンが優雅に微笑む。

 「・・・まずは、離れてくれないか。」

 向き合って座り、首に腕を回している。ハルオミは一呼吸置いて答えた。

 朧気な記憶ではあるが、昨夜自身の前にいたのはこの女性だ。放たれる匂いも同じ。

 「おや、貴方抱き上げたり抱きしめるの好きじゃないですか。」

 「はっ!?んなわけあるかっ!」

 唐突に何を言い出すかと反論しようとしたが、カノンは続ける。

 「まぁまぁ。僕ら裸を見せ合った仲ですよ?」

 「は、・・・裸?」

 「結婚の約束もしましたし。」

 フンと目を細める様子はカノンに似ている。いや、カノンなのだが。

 「・・・あれは、」

 ままごとの延長だろうと言おうとしたが、それを察したカノンが更に不機嫌に深碧の目を細めた。

 「今更、反故になんかできませんよ。こちらは契約まで済ませましたからね。」

 「・・・契約?」

 シュッツシェールとの取り決めは貴族との契約より優先される。ハルオミは呆然とした。いつ、何の契約をしたか覚えていない。そんなハルオミにカノンは綺麗に、勝ち誇った笑みを向ける。

 「ええ。妻となり巫女として貴方に一生仕える契約です。」

 「なっ!??」

更にハルオミはついていけなくなった。驚くハルオミにカノンは満足し、首に絡めた腕に力を入れる。

 「っ!とにかく距離が近い!降りろっ!」

 「それも貴方が言うんですかぁ〜?」

 距離を詰めるカノンにハルオミは体を反らせる。その仕草がおかしく、カノンの口調にはからかいが混じっていた。

 「つっ!?」

 体を動かした際にハルオミの左脇腹に痛みが走った。昨夜、ホリビスの体液を浴びた箇所だ。

「何度安静と言えばわかるんです。」

 痛みに顔を歪めるハルオミをカノンは目を細め愉しげに眺める。それはもう愉しくて愉しくて堪らないというように。

 「いけませんねぇ。」

 妖艶に笑み、カノンは患部に触れた。掌で撫で指を這わせる。痛みが和らぐのがハルオミにはわかる。しかし、深碧の瞳は怪しく光続けている。目線を逸らすことができず、ハルオミは警戒していた。

 「ふふ、そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ。」

 体を動かそうにも何故か動かない。

 「・・・カノンは小さくて可愛いぞ。」

 振り絞った言葉にカノンは瞳を見開き、面倒そうに見下ろした。流石は兄弟だ。場違いな言葉を並べるところはそっくりである。

 「はぁ。こうも警戒されては治るものも治りません。」

 カノンは桜の髪飾りを左耳上にかけた。

 ふわっと桜の香りが漂い、カノンの体が小さくなる。

 「小さいのが好きなんですもんねっ!」

 小さな体でカノンは器用にハルオミに飛びついた。咄嗟の事ではあったが、ハルオミは難なくカノンを支えた。それがまたカノンの癪に障る。

 「たいちょー!彼女いつできたんすっか、水臭い」

 そこに勢い良くヴィントが入ってきた。ヴィントは幼女を抱き抱えるハルオミを凝視し、

 「ユウマー話違うじゃんか!結婚どころか、ロリコンじゃん!ブラロリコンのモーホーってやっばいだろっ!」

 ハルオミの額に青筋が浮かぶ。

 「あれー?カノン小さくなってるー。」

 「あー、今日の赤飯は無しだな、ユウマ。」

 「えーっ!」

 「あーあ、せっかくおもろいのが見れると思ったのにー。」

 「・・・赤飯食べたかった。」

 頭を垂れるユウマにヴィントは「しやーない」と何故か腕を組んで頷いた。そんな2人を眺め、

 「・・・俺が復帰するまで隊を頼むぞ、ヴィント。」

 静かに遠回しに『仕事しろ』と告げたハルオミにヴィントは背筋が凍えた。



 ヴィントとユウマがドタバタと駆け込んで来てから30分。大人しくリオンの治療を受けたヴィントは『後片付け』に戻っていった。

ふぅと一息つき、ハルオミは自室で少し休んでいる。体の痛みは大分良くなっている気がする。しかし、また完全に毒は浄化されていないらしい。

 

ーコンコン


 ノックの音にハルオミは返事をし、体を起こした。

扉が開き、リオンが顔を覗かせる。

 「お水を持ってきました。」

 「ありがとう。」

 持ってきた水差しをリオンはサイドテーブルに置いた。水差しには桜の花が浮いており、カップには桜の花弁が浮いている。

 「これは『月水』です。無くなれば用意しますので声をかけて下さい。ゆっくり休んで下さいね。」

 微笑むリオンにハルオミも笑みを向ける。

 「悪いな。せっかく観光で来ていたのに面倒をかけてしまって。」

 昨夜からリオンには色々と世話になっている。自身の事もそうだが、特にユウマの事を気にかけてくれるのは心底ありがたかった。

 「ユウマは?」

 「お姉と赤豆の収穫に行きました。」

 裏山の家庭菜園で育てている豆の収穫に行ったユウマにハルオミは思わず吹き出した。

 「餅米はキッチン棚の左にある。土鍋は上に置いてあるから後で俺が取るよ。」

 ユウマが『赤飯』と言っていた事をハルオミは覚えていた。流石は兄だとリオンは思う。

 「大丈夫ですよ、ハルオミさん。土鍋はユウマが出してくれましたから。」

 重いのだろうとハルオミは気を使ったのだが、既にユウマが準備していたようだ。

 「そうか。」

 ユウマが率先して手伝っている。その事がハルオミは嬉しかった。

 「では失礼します。」

 ペコリと頭を下げリオンが退室しようとするのをハルオミは引き止めた。

 「リオン、少しいいか?」

 「はい?」

 「・・・カノンの事なんだが。」

 ハルオミの言葉にリオンは眉を下げ困った表情になった。

 「姉がすいません。ご迷惑をお掛けして。」

 「いや、責めてるわけじゃない。」

 ハルオミの中ではまだ状況整理が追いついていない。詳しく聞きたいがユウマの前では聞きにくいと感じていた。それに命を助けてもらったのは確かなので出来る限りお礼はしたい。

 「月の巫女とは何だ?契約とも言っていたが。」

 ずっと気になっていた事だ。契約と言っていたが、ハルオミは身に覚えがなかった。

 リオンは黙っていた。どう、答えていいのか考えているようだった。静かな沈黙はハルオミが破った。

 「すまない、変な事を聞いた。」

 そもそもだ。聞く相手が違う。リオンを困らせてしまった事にハルオミは頭を下げた。

 「いいえっ!謝らないで下さい!ただ、・・・お姉はハルオミさんを伴侶に選びました。」

 意を決してリオンは答えた。

 「それが全てだと思います。」

 それだけ告げるとリオンは部屋を出ていった。残されたハルオミは深い溜息を吐いた。

 『お嫁さんにして下さいね。』

 カノンが何度も言っていた言葉は本気だったようだ。

 あの時は遊びだし悲しませないようにと承諾した。まさか、こんな形になろうとは。


 『・・・ね?大きくなったでしょう?』


 体の自由を確かめるように右手を握ってみる。開いてもう一度握る。

 結婚等これまでに考えてこなかった。周りに世話をやかれそうになる度に丁重に断ってきたのに。

自身が家族を持つ等想像すらできない。妻の前に恋人を作る事すら。そもそも、許されるかどうかさえも。

 「・・・勘弁してくれ。」

 右手で両目を覆い、ボソリと呟いた。

 


ーーー


 「まめー♪お豆ー♪あかまめっー!」

 独特なリズムを口ずさみユウマは赤豆を収穫していた。他にもレタスと茄子を籠に入っている。

 「ふぅむ。土は良さそうですね。」

 菜園を一周し、カノンはぶつぶつと呟いていた。

 「黒豆ー♪おもちっー!・・・リオンの髪もお団子っー!!」

 上機嫌のユウマの声が耳に障り、カノンは足を止めた。なぜ、豆の次が餅なのか。

 「ユウマ、静かになさい。」

 「はぁーい!」

 静かにしろと言ったのに、元気に返事するユウマにカノンは嘆息した。返事のみで歌を歌い続けている。考える事をやめてカノンは周囲を見渡した。草木が生い茂る中にポツンと開け放たれた空間にある一軒家。

 「カノン、収穫終わったー。帰ろっ!」

 籠に入った新鮮な野菜にユウマは満足していた。

 「上手に獲れたー!リオンびっくりするかな?赤飯炊いたらハル美味しいって言ってくれるかな?」

 ウキウキと笑顔のユウマにカノンは呆れた。あの二人がユウマを褒めない事はない。

 「褒めるでしょうよ。」

 「楽しみー。」

 「ねぇ、ユウマ。」

 「なぁに?」

 「貴方にしか頼めない事があるんですけど。」

 サワっと風が吹いてカノンの長髪が靡く。真っ直ぐなカノンの瞳にユウマは足を止めた。

 

ーーー


 白龍王に届いた一房の桜は1枚の手紙に変わった。

 「ご確認を。」

 ユタから渡された手紙を受け取り、白龍王は目を通す。

 月の巫女からの手紙。

 そこにはリントエーデル国に訪れた理由が簡潔に記載されていた。それから、ハルオミの治療後に謁見の旨。

 「如何致しましょう?」

  ユタの問いに白龍王は目線を上げた。

 「先方の意思を尊重しよう。神夜の姫が我が国に来てくれたのだから。」

 白龍王の返事にユタは頷いたが、

 「ですが、黒の兄弟と親しくなるのはいかがと。」

 忠告だとユタが進言する。白龍王は目を閉じた。

 「我々が月の民の事を知らないように、あちらも龍の事を知らないのだ。それに、ハルオミが私を裏切る事はない。」

 白龍王の言葉にユタは頷いた。そして納得したようにスッとその場から消えた。


ーーー


 「たっだいまー!みてみてー!ナスとお豆っー!」

 ドタドタと玄関からリビングにユウマが向かう。リビングではリオンが洗濯物を畳んでいた。

 「おかえりなさい、ユウマ。」

 ニコニコ顔でユウマが籠の中身をリオンニ見せる。

 「艶があって美味しそうなナスですね。焼きナスとおひたしどちらにしましょうか?」

 「焼きナスっー!それからー、シフォンケーキ食べたいっ!ふわふわ好きー!」

 「おやつに焼きましょうね。」

 微笑むリオンにユウマの機嫌は更に上がる。

 「リオンのご飯美味しいから好きっー!」

 こんなにも素直に言われると悪い気はしない。母の手伝いをしていて良かったとリオンは感じる。

 「私もユウマは美味しいって食べてくれるから嬉しいです。」

 「だってほんとーに美味しいもんっ!お手伝いするからいっぱい美味しいのつくってー!」

 甘えてくるユウマが愛らしい。一緒にいて楽しい。

 「いっぱいですか。わかりました。頑張ります。」

 「お願いーっ!」

 ニコニコと上機嫌のユウマにリオンも笑みが溢れる。

 「そうだ。ユウマは苦手な物とかあります?私とお姉は鶏肉以外のお肉は食べちゃダメなんですけど。」

 宗教的な問題でリオン達は鶏肉以外は禁じられている。龍宴では多種多様な料理が並んでいたのでリントエーデル国では特に禁じられている食べ物はないようにリオンは感じていた。

 「え?うんとねー、オレ、お肉が食べれないの。」

 「お肉?」

 「うん。牛さん、豚さん、馬さん、鶏さんも食べれない。おえっーてなっちゃう。」

 顔を顰め、舌を出したユウマをリオンは見ていた。

 「スープは飲めるんだけどね。」

 ふぅーとユウマが息を吐く。ユウマの表情がコロコロと変わる。

 「グチュってなるのが人食べたみたいでやだー。」

 

 (・・・ぇ?)

 今、ユウマは何と言った?

 「・・・そうなんですね。ではお肉を使わない料理にしますね。」

 「ありがとー!」

 リオンの返事にユウマはニコッと笑った。空耳かも知れない。そうリオンが思える程ユウマが見せる笑顔は純粋無垢だった。

 


 リビングで楽しげな二人を見た後、カノンはハルオミの部屋に向かった。ノックせずにドアを開ける。

 ベッドに近付き、よじ登る。いつもなら飛び乗るところだがそこはカノンなりに配慮した。

 シングルにしては大きいセミダブルのベッド。大人の男と少年、幼女の3人なら余裕で寝れた。

 大人の姿でも寝れたのだから、これは明らかにユウマが潜り込んでくる事を想定しているなとカノンは察している。

 (本当にユウマに甘い。ここまでだなんて何のために。)

 嘆息し、ハルオミを見やる。用意していた月水は全部飲まれていた。本当に律儀な男だ。

 カノンは小さな掌をハルオミに翳した。目を閉じて神経を研ぎ澄ます。

 (・・・月水は体内を巡ってますね。これなら回復も早いでしょう。)

 瞳を開けるとベッドから飛びおり、水差しを持って部屋を出た。



微笑む君に逢いたくて。

何度も何度も夢を見る。


 「・・・。」

 ハルオミが目覚めるともう深夜になっていた。青い月の光がまぶしい。

 どうしてこうも眩しく感じるのかハルオミが視線を上げると水差しのガラスが反射していることに気づいた。水が補充されていたのでハルオミはありがたかった。体を起こし、グラスに月水を注ぐ。口に広がる甘い香り。柔らかい飲み心地。

 (体が軽くなっていくのがわかるな。)

 治癒の力があるであろう水にハルオミは感心していた。

 ふと、窓に視線がいく。サワサワと風を感じる。

青い夜空の下で人影が揺れている。

 「・・・。」

 月夜で舞っているのはカノンだった。月光を全身で浴びるように、舞う姿は宮廷の舞姫達より美しかった。何度見ても綺麗だと思う。

暫く舞を眺めたハルオミは月水を飲み干すとそのままベッドに戻った。

 妙な既視感に違和感を抱くことはなかった。


ーーー


 陽射しを遮り葉が擦れる音が聞こえる。

 「こっちだよー。」

 機嫌よくユウマがカノンとリオンを案内したのは特備隊の訓練場だった。

 「お姉、どうして急に訓練の見学を?」

リオンが隣のカノンに話しかける。

 「貴方達の為です。」

 カノンは前を向いたまま答えた。リオンはまた気まぐれかと呆れる。

 訓練場の門を潜る。その先の広場で隊員達は各々自主練に励んでいた。

 「キャン爺ー!」

 ユウマが手を振りキャン爺を呼んだ。ユウマの声に隊員達の視線がユウマ達に向いた。

 「おう、ユウマか。隊長は元気か?」

 「うん、カノンがいるからー。」

隣のカノンは腰に手を当て得意げに鼻を鳴らした。

 「こりゃ、どこの嬢ちゃんだい?」

 「ハルのお嫁さんだよー。」

 「旦那の世話をするのは妻の務めですから。」

 「何!?ヴィントが言っていたのは本当だったのか、おい、大変だっ!」

 慌てるキャン爺にユウマは小首を傾げた。

 「・・・。お姉。」

 リオンが呆れた視線をカノンに向ける。

 「あの人にはいい薬ですよ。」

 ふんと答えるカノンはどこか拗ねたようだった。

 「ねーぇ?ヴィントはー?」

 キョロキョロと辺りを見渡しユウマはヴィントを探した。

 「ヴィントならフェンと事務処理だ。」

ユウマの姿を見つけたガシャコが近づいてくる。

 「事務処理ー?」

 珍しいぃー。と言うユウマにガシャコも「だろう」と苦笑した。

 「俺ぁ今、新しく入った奴らの面倒をみてるんだ。」

 そう言うガシャコが顎で示した先には先日の警備にいた少年達がいた。

 「働くとこがないならうちで面倒みてもいいと思ってな。」

 目尻に皺を寄せるガシャコにユウマは「そっかー。」と返す。

 「ところで、ユウマは彼女を見せつけにきたのか?」

 「かのじょ?」

 「ほら。」

 ガシャコの視線にユウマも振り替えるその先にはリオンが立っていた。2人の視線にリオンの頬が赤くなる。

 「ユウマの彼女さんだろ?」

 ニヤニヤ笑うガシャコにリオンは更に赤くなった。

 「ユウマにはまだ早いですよ。」

 カノンが呆れながら答える。下から聞こえた声にガシャコも視線を下げた。

 「なんだい、姉ちゃん取られて悔しいのか?」

わしゃわしゃと無骨な手で撫でられ、カノンの機嫌が急降下していく。

 本当に、この国に人間は。気軽に触れてくる。

 頭を振りガシャコの手を逃れるとカノンはコホンと咳払いをした。

 「今日は訓練の見学に来たんです。案内して下さい。」


ーーー


 「・・・まだ終わってないんですけど。」

 「まーまー。ユウマが呼んでんだし、なんかあるだろ。」

 グチグチ言い続けるフェンをヴィントが宥める。事務処理から解放されたヴィントはフェンと違って上機嫌だ。ヴィント達が到着すると訓練場では皆が集まっている。

 「おーい、ユウマー。来たぞー。」

 ヴィントに名を呼ばれユウマは手を挙げた。

 「なんかあったのかー?」

 「わかんない。カノンが皆を呼んでって。」

 「ぁ?カノン?あの蹴り入れたワンパクなガキ、いって!」

 軽口を叩くヴィントの脛をカノンが蹴り上げる。

全員が集まった事にカノンは顔ぶれを見渡した。

年齢層が幅広く、技術の差も大分広がりがある。

 「ユウマとそこの非常識の実力が大きいですね。他は、中の下と言ったところでしょうか。」

 急な評価、しかも幼女の不躾な物言いに隊員達がざわめく。リオンがカノンに声を掛けようとしたが、それをユウマが制した。にこと笑っている。

 「カノンに任せよ。」


 「貴方がたの訓練を見せてもらいましたが、今のままでは下級の妖さえも倒せません。結界石がある事でどうも油断が生まれているようです。だから、ボクがお手伝いしてあげますよ。」

 ニヤリと不適な笑みを浮かべ、カノンは髪飾りに手を伸ばした。


ーーー


 西の結界石が砕け、ホリビスが侵入して3日が経つ。ホリビスが侵入した事より、大事になっていたのは月の巫女の存在だった。

 それは宮殿の東区画で生活している王弟のエンジュの耳にも届いていた。

 「あのチビが月の巫女?」

 寝室のベッドに横たわりエンジュはミラーの腰を撫でた。

 「はい。兄王が探されていた月の巫女姫でございます。」

 龍宴はユウマの乱入を許したケンシンに苛立ち退席していた事を思いだす。あの後の事は興味は無かったがハルオミが助かった事だけは聞いていた。

 「ふぅーん。」

 気のない返事を返し、エンジュはミラーのブラウンアッシュの髪を指に巻き付ける。

 「で、その探してた女をあいつに取られたんだ?ザマァねぇな。兄貴もさ、わかればいーんだ。あいつは何でも奪うからな。」

 あいつさえいなければ。呪われている盗人共が。

 昔から気に食わなかった。罪人のくせに慕われているあいつが。

 「エンジュ様。龍の顕現で少々お耳に入れたい事が。」

 「んなの後でいいだろ?」

 しかし、今となっては立場は逆転した。ハルオミを護っているのはケンシンだけだ。ケンシンに何かあれば時期龍王はエンジュになる。

 クックッと笑いエンジュはミラーにのし掛かった。

 「真面目なお話なのです。」

 「だったら尚更後だ。」

 淫靡な笑みを向けるミラーにエンジュはキスで答えた。


 ーーー


 ある程度体が回復したハルオミは、散歩がてらに訓練所に向かっていた。久々に感じる外の空気に心身が満たされる。

 「ユウマも頑張ってるしな。」

 ここ2日、ユウマ達は午前中に出かける事が多かった。昼過ぎに帰ってきては昼食を沢山食べている。これまでのユウマの不規則な食生活を考えれば喜ばしい事だ。

 

ーふよふよ。

 

 「花弁?」

 目の前に桜の花弁がいくつも浮いている。訓練場の門前で、少年達が網を振り回している。

 「だめだ!捕まんない!」

 少年達が網を振り回して捕まえようとするが不規則な動きで捕まらない。

 「何してるんだ?」

 ハルオミが近付くと少年達は動きを止めた。知らない大人に警戒している。ハルオミはニコッと笑った。

 「俺はハルオミ。警備隊の者だ。」

 そう言うと少年たちは顔を上げた。

 「ハルオミって、隊長?」

 「ガシャコさんが言ってた人?」

 ヒソヒソと話しだした、少年たちにハルオミは続ける。

 「暫く休んでいて何も分からないから教えてくれないかな?」

 そう言うと少年たちは緊張しながらもハルオミの元にやってきて拙い敬語で話し始めた。



 少年たちと別れハルオミは訓練所の門を潜る。自身が休んでいた分は古株達が上手くこなしてくれていたようで安心した。これなら訓練も問題無いだろうと思っていた。


 「これしきの事でへばってもらっては困ります。」

 地面に突っ伏した部下達にハルオミは目を見開いた。

 状況が飲み込めない。

 「さ、ユウマと非常識。2人ががりで来なさい。」

 「くっそー!ぜってー、一発いれるかんなっ!」

 「いっぱーつ!」

 余裕の笑みのカノン目掛けてヴィントは踏み込む。ユウマも跳躍する。

 そんな2人の突きや蹴りをカノンは難なくさばいていた。笑みを崩さずに舞うようにかわす。

 「ハルオミさん。」

 リオンに呼ばれハルオミはハッとなった。

 「お姉が稽古をつけてるんです。組み手?みたいな。」

 眉を下げて話すリオンにハルオミは口を開けたままだ。

 「隊長の奥さんにも困ったもんです。」

 ガリガリと頭を掻いたガシャコ。

 「昨日、急に来て若いのしごき出したんですよ。こんな厳しい訓練初めてじゃないですかね。ま、実戦でついていってるのはあの2人だけですが。」

 ユウマの拳もヴィントの蹴りもカノンはかわし続けている。

 「・・・ユウマとヴィントがまるで子供みたいに。」

 驚くハルオミがショックを受けたのかと思い、リオンはあせあせと答える。

 「ユウマもヴィントさんもすごいです!お姉は月力を纏ってるから。」

 「月力?」

 「あ、『魔力』の事です。氣を纏ってるんです。」

 リオンの話にハルオミは納得する。強化しているならあの二人が手こずるのもわかる。

 「しかし、体術も経験があるとは。」

 魔力だけでない。体術も場数を踏んでいるように見える。

 「・・・馬鹿にされたり、変な目で見られるのが嫌いで。」

 「・・・なるほど。」

 無難に伝えたリオンの意図をハルオミは正しく汲み取る事ができた。


 訓練場にハルオミの姿を見つけカノンの口角があがる。

 「さて、終わりにしますか。」

 カノンはユウマの足を引っ掛け、体勢を崩したユウマをヴィント目掛けて蹴り上げた。

 「いったぁー!」

 「ぐえっ!」

 重なるように倒れた二人にリオンが駆け寄った。

 「ユウマ、大丈夫?」

 直様、ユウマの腹部にリオンが撫でる。

 「お姉っ!手加減して下さい。怪我したらどうするんですか。」

 「リオンが治せばいいでしょ。」

 しれっと答えるカノンにリオンはムッとなる。

 「リオン、ありがとう!」

 リオンの右手に手を添えてユウマがにっこり笑った。

 「・・・つーか、俺も痛いんだけど。」

 ヴィントの声はリオンには届いていないようだった。

 ハルオミの姿を見てカノンはニヤリと笑った。

 「次は貴方の番です。もう十分休んだでしょう?」

 ハルオミは真っ直ぐにカノンを見つめる。

 「病み上がりなんて言い訳しませんよね?」

 不敵な笑みにハルオミも口角を上げて答えた。

 「上等だ。」



 ハルオミは屈伸し、関節の可動域を確認すると背筋を伸ばした。手首、足首も問題ない。

 「僕に一発入れたら貴方の勝ちです。」

 「それは、・・・訓練なのか?」

 「ええ。貴方の部下は皆さん『守』はそこそこ出来ています。『攻』はからっきしですが。」

 挑発などでなく、カノンは事実だけを述べた。嫌な所をせめてくる。

 「ユウマと非常識さえ潰せば機能しませんよ。」

 ハルオミは黙って聞いていた。そういう風に育てた。『龍の盾となり自己を護る』ようにと。

 「僕が勝ったら言う事1つ聞いてもらいますね。」

 妖艶に微笑むカノンにハルオミも答える。

 「なら俺もそうする。」

 その返答を合図にカノンはハルオミに向かっていった。

 

 2人の攻防を部下達は息呑んで見ていた。これまでカノンから攻撃する事はなかったのだ。ハルオミはただ、カノンの拳を受けている。

 「やっぱり隊長はすごいですね。あの攻撃を受け止めるなんて。」

 フェンが感嘆の声を上げた。これまで皆、受け止めては投げられていたのだ。

 「ああ。あれだけ腕っぷしがたつなんてなぁ。隊長も良い嫁さん見つけたもんだ。」 

 「そうかぁ?俺、自分の嫁があんなんだと嫌何すけど。隊長ってあー見えて実はMだったんだな。」

 相変わらずのヴィントにフェンは蔑視を送る。

 ユウマは黙って2人を見ていた。

 「・・・。」


 (・・・魔力を乗せている、か。)

 素手とは違う重みを受け流し、ハルオミはカノンの動きを見ていた。細い腕から繰り出される拳に躊躇なく人体の急所を狙う蹴り。

 これは厄介だとハルオミは小さく笑った。

 ユウマ達を相手にしていた時の微笑は今のカノンには無かった。

 (恵まれた体格と身体能力。センスも良いなんて嫌な相手ですねぇ。) 

 冷静に分析し、カノンはハルオミの顔目掛けて蹴り上げた。何なくかわされ間合いを取られる。

 (でも、味方ならこれ程頼もしい存在はない。)

 もう一度構え直し、カノンはハルオミに目掛ける。


 二人の攻防は続いていた。周りには決定打にかけるように移っていた。

 「おーい、休憩〜。」

 ヴィントが隊員達に声をかける。皆、何故「今なんだ」「空気読め」と顔に出ていた。

 「だって、さっさと休憩取らなきゃしょ。暫く終わんねーもん。な、ユウマ。」

 「うん。」

 視線を二人から外さず答えたユウマにヴィントはほらな。と言って振り返ると訓練場の隅にあるベンチに向かった。ベンチと言っても石の表面をただ磨いただけの物だが。

 何人かがヴィントについて行く中でユウマは二人を見るだけだった。

 「ユウマもお水飲みますか?」

 リオンの声にユウマはニコッーと笑顔を向ける。

 「うん、飲むっー!」

 普段と変わらないユウマにリオンはホッと安堵した。


 君に逢いたい。

 

 バッとユウマは振り返ると駆け出した。

 「ユウマ!?」

 驚きリオンはユウマを見る。ユウマは一直線にハルオミの方に向かっていた。



 何度もカノンの攻撃を受けながら、ハルオミはどう対処しようか考えあぐねていた。

 『一発』なんて女性のカノンに初めからするつもりはなかった。カノンが体力を消耗するのを待てばいい。魔力があろうがそれは変わらない。無限でないのだから、補充も必要なのだ。

 しかし、そのタイミングが今は見入出せない。

 暫くはこのままかとハルオミはかわし続ける。


 君に逢いたい


 「!」

 

 声が聞こえた。

 男の声だ。

 ハルオミは顔を上げる。カノンの姿しか見えない。


 君に触れたい


 ドクンと心臓が高鳴った。

 意識が遠退く。瞬間、ハルオミはカノンの拳を受け止め、腕を引いていた。

 「!?」

 その動きにカノンがバランスを崩す。月力を纏っていない箇所を掴まれたのだ。カノンが顔あげるとハルオミはカノンを見下ろしていた。


 金瞳。


 目が合い、カノンに悪寒が走りる。

光の加減、反射でもない。暗闇に光る瞳だ。


 「だめぇーっ!!」


 緊張感のない声でユウマはハルオミの肩に飛びのると両手で目を覆った。そのままの状態で顔を上げられたハルオミの隙をカノンは見逃さなかった。


 「アクシデントは付きものようですね。」


 迷いなくハルオミの腹部に『一発』を入れる。ノーガードの為、それは綺麗に決まった。

よろけるハルオミをカノンが支える。ユウマはくるりと回り、両手を伸ばして着地した。


 「・・・、なんだ、いきなり。」

 「僕も調子に乗りすぎました。お休みなさい。」

そういい、カノンはハルオミの額に触れた。身体の力が抜けハルオミは意識を失った。直ぐに寝息が聞こえる。

 「ユウマ、ありがとう。」

 「うんっ!」

 滅多に褒めないカノンにユウマはご機嫌だ。呆気ない、ユウマ乱入の幕引きに隊員達も肩透かしを食らったような顔になる。

 

 「非常識を呼んできなさい。運んでもらいます。」

 「んっ!」

 バタバタと駆け出すユウマとすれ違い、リオンがカノンに近寄る。

 「お姉っ!ハルオミさんは大丈夫なんですか?

 「ええ、問題ありませんよ。」

 問題無いようには見えなかったとリオンは思ったが、それは口にしなかった。



 声が。

 声が聞こえた。

 君を求める声が。

 白い肌に触れ

 桜色の唇を重ね



 喰らえと


 「!」

 覚醒したハルオミの視界に入ったのは青い空と

 「目覚ました?」

 覗き込むカノンと胸だった。

 「なっ!?」

 「ああ、急に起き上がらないでくださいね。」

 肩を掴まれハルオミは黙った。カノンが動く度に目の前揺れるものから視線を逸せる。

 「・・・何してんだ。」

 「膝枕です。してみたかったんですよねー。」

 カノンが触れた肩からが抜けていく。魔力かとハルオミは起き上がるのを諦めた。体勢を変えようと体を横にする。

 「!」

 視線の先でヴィントが口を押さえていた。吹き出すのを我慢している。ヴィントだけではない、ガシャコや他の部下もいた。

 「・・・ここって、」

 青ざめるハルオミの頬をそっと掌で包み、自身の方にカノンが顔を向けさせる。

 「訓練場ですよ。」

 ニコリと笑うカノンの笑みにハルオミは声を無くした。

 「ハルを気絶させるなんてカノン強いー!」

 「ひひ、・・・こりゃアヒェントは返上すっか?」

 無邪気なユウマとふざけるヴィントの声から逃げるようにハルオミは目を閉じた。今後暫くイジらるのなら尚更今相手にする事はない。


 さわさわと風がそよぐ。


 膝枕なんて、数十年ぶりだ。

 今だけはゆっくり休もう。

 懐かしい夢でも追いかけながら。

 

 寝息を立て始めたハルオミの髪をカノンは優しく撫でる。

 「いつもこう素直だと可愛いのですけどねぇ。」

 そんなカノンの呟きすら、子守唄のように耳に届いた。

 


ーーー



 ハルオミは復帰するとまずは宮殿へ向かった。

 白龍王に報告も兼ねての謁見だった。

 龍の間に向かう。回廊に灯された灯りが消えた。ハルオミは立ち止まり身構える。

 『災いの御子よ。』

 背後のランプには青白い炎がともされる。しゃがれた声にハルオミは足を止めた

 『お前は影だ。光を求めるな。』

 背中にかけられたそれは忠告だった。青白い炎が消える。振り返った先には通常のオレンジの光が灯っていた。



 龍の間では白龍王が座っていた。

 頭上から光を浴びる姿は神々しく、まさに神の御使のようだ。

 「ハルオミか。」

ハルオミは片膝をついて、顔を伏せる。

 「龍宴の件の報告に参りました。」

 顔を上げずにハルオミが続ける。白龍王は黙って聞いていた。

 「先の戦闘で西の結界石が破損しましたので、現在私の隊が数名警備に当たっています。早急に結界石を作れるシュッツシェールを探しておりますがまだ見つかっていません。尚、今回も負傷者は居ません。」

 その報告に黙って聞いてた白龍王が呟いた。その呟きはハルオミの耳にも届く。

 「負傷者はいない、か。」

 そう、部下の負傷者はいない。

 「龍宴での騒ぎに関しての処罰なら甘んじて受けます。部下の不敬の責を取るのは上官の勤め。」

 記憶にはないが、ユウマが馬で宴に乱入したと聞いた。その後にカノン達と治療にあたったと。

 「部下か。私には兄思いの弟に見えたが。」

 白龍王の言葉にハルオミの額から冷や汗が流れる。

 「・・・。いえ、勝手に持ち場を離れた不出来な部下です。これも全て私の指導力不足。」

 「ハルオミ。」

 会話を閉ざされ、空気が変わった。張り詰めた、威厳のある声音。

 「今回の件で私がお前を罰する事はない。むしろ、感謝したい。・・・お前が怪我をしなければ、月の巫女は姿を現さなかったのだから。」

 嫌な空気だ。この居心地の悪さ。吐き気を催させる、重圧感。

 「・・・龍王陛下が探していたシュッツシェールが『月の巫女』様でございましょうか?』

 ハルオミの問いに白龍王はゆっくりと答えた。

 「そうだ。『龍の顕現化』を行える力を持つ者だ。」

 「文にはお前の治療後に挨拶に伺うと書かれていた。お前も回復したように私には見える。龍の力を制御する為にも月の巫女の力は必要不可欠だ。いずれは龍王宮に入ってもらいたい。」

 その言葉にハルオミは固まった。側室へと考える程の人物がカノンだと。

 「失礼のないように持て成せ。」

 「・・・承知致しました。」


 監視しろとハルオミは言われた気がした。


ーーー


 ユウマ達はマーケットに来ていた。

 一週間ぶりのマーケットは前回より、人が少なく感じる。

 龍宴が終わり落ちついてきたようだ。

 「今日はぁー、お魚と卵とーきのこー。小麦粉とー・・・小麦粉と?」

 あれ?とユウマが足を止め、ポケットを叩く。

 「パスタとトマト缶。鶏骨。でしょ。あと、薬草の種と古書店も忘れないで下さいよ。」

 ポケットを弄る仕草でユウマがメモ用紙を忘れている事にカノンは気付いていた。というか、家を出る前にメモ用紙はテーブルに置かれたままだったのだ。

 「そーだった!あとはー、えっと、お洋服の石鹸と」

 「ユウマ、メモ。」

 リオンがそっとユウマにメモを渡す。ユウマはパッと笑顔になるとリオンに抱きついた。

 「ありがとー!リオン!」

 「今度からはテーブルに置いたままにせず、直ぐにポケットに入れて下さいね。」

 「はーい!」

 抱き付くユウマの頭をポンポンとリオンが撫でる。その頃にはカノンももう何も言わなかった。

ただ、呆れる視線を送るだけだ。

 「かっー!見せつけるねぇ!」

 魚屋のグエンが店から声をかける。ユウマは顔をあげるとまたもこてんと首を傾げる。

 「あ、ここ外・・・。」

 赤くなったリオンにカノンはしれっと答えた。

 「あまりにもやり過ぎると露骨であざとく見えますよ。」

 「そんなつもり、」

 「じゃなくても、周りの目にそう映るのですよ。他者の目を気にするなら自覚なさい。」

 カノンの言葉にリオンは確かにとシュンとなる。気をつけないといけない。

 「リオンいじめちゃだめー!」

 ギュッとリオンを抱きしめユウマがカノンを見下ろした。リオンは目を丸くする。

ーベシッ!

 カノンが飛び上がりユウマの頭を扇子で叩いた。

 「いったーい!」

 「いじめるなじゃないでしょう。そう思うならリオンを護れるくらい、頼り甲斐のある男になりなさい。」

 「ぼうりょくはんたーい。」

 「なぁーにが、暴力ですか。大事な妹を任せるんですから当然でしょうが。それとも、リオン村に連れて帰りますよ?いいんですか?」

 「やだ、ダメー!リオンはオレのお嫁さんになってもらうのっ!!」

 大声でユウマは叫んだ。それはマーケット内に十分に響いた。

 「それなら、しっかりしなさい。ボクに認められるくらいに。」

 「はーい。」

 腰に手を当て見上げるカノンにユウマは手を上げて返事をする。リオンはポカンとしたままだ。

 「おいっ!ユー坊やるなっ!ほら、これ持ってけ!!」

 魚屋の店主が1匹のカツオを差し出す。

 「くれるのー?」

 ニコニコとユウマはリオンから離れた。

 固まるリオンのポンチョをカノンがグイグイ引っ張る。

 「缶詰買って来てから寄ってもいー?」

 「おうよ、おうよ。あのユー坊がねぇ。こりゃ祝わないといけねーや。ハル坊は先を越されたか。ハル坊にも早く嫁さん、探さねーとな。」

 うんうんと1人で納得している店主にユウマは?を浮かべ答える。

 「ハルのお嫁さんならいるよ?」

 「はぁあ!?」

 素っ頓狂な声を上げる店主奥から女将さんがくる。

 「あんた、うるさいよ!」

 「こーしちゃいられねぇ!ハル坊に嫁さんだと!?ちょっとひとっ走りしてくるわっ!」

 店主が慌てて出て行ったのをユウマと女将さんはただ見送った。

 前にもこんな事あったなと首を傾げる。その時に視界に猿のおもちゃが映った。

 ハッとキャン爺の顔が浮かぶ。

 「キャン爺だ!」

 「?」

 女将さんが不思議そうな顔をしたがユウマは気にしない。


ーーー


 その後3人は魚屋を後にし、八百屋で買い物をした。日用品を購入し、また魚屋に戻る道を歩く。

 「カノンー。本屋さんはいいのー?」

 「ええ。見つけられなかったので。」

 「ふぅん?」

 カノンの言っている意味がわからずユウマは?を浮かべる。リオンを見ると苦笑していた。

ふと、先程は無かった露天にカノンの足が止まる。

 「原石ですか。少し覗いていきましょう。」

 小さな露天には1人の男が店番をしていた。フードを深く被り、表情が見えない。

 「これは可愛いお客様達だ。何か気になる石はおありですかい?」

 首から下げた歪な十字架が胸元で揺れている。

 「リオン。」

 カノンに呼ばれ、リオンはカノンを抱き上げた。

訝しんだカノンだが、原石は非常に質が高い。

 「左のエメラルド、その横のサファイア、1番右端のルビー、いえ、その上のモリオンを下さい。」

 「おっほっ!こりゃ見る目があるわさっ!値段も高いよー?」

 ニタニタと口元を緩める男は気味が悪い。手をだす。

 「これで足りるでしょ。」

 服の間から小さな石を出すとカノンはそれを男の掌に落とした。

 「おぃおぃ、こりゃ、ただの石、」

 男の目が見開く。

 「お釣りは入りません。」

 投げ捨てるように言うとカノンはユウマに石を詰めるように指示した。

 「さっ、長いは無用です。カツオが待ってますからね。」

 「カツオー!」

 何故か右手を掲げたユウマとリオンを促しカノンはその場を離れる事にした。

 

 「カツオ♪カツオ♪お刺身っー!」

 食べ物の事になると歌を歌い出すユウマを微笑ましくリオンは見ていた。カノンは苛々と眉間に皺を寄せているが。

 「これ、ユー坊!」

 窓から顔を出し、ミランダがユウマを呼び止めた。

 「ミレー!こんにちわっー!」

 「ちょいと店に来なっ!」

 ミランダが慌てた様子で手招きしている。ユウマはコテンと首を傾げる。

 「今度でぃー?カツオが待ってるのー。」

 「グエンなら暫く戻らないよ。いいから三人ともおいでっ!」

 「わかったー。」

 ユウマはリオンに振り返る。リオンが頷いたのでミランダの店に入る事にした。


 来店時の鈴がカラコロと鳴る。店内にはお客の姿はない。

 「ちょいと。グエンが言ってたのはホントかい?」

 カウンター席に座った三人にミランダが詰めよるように聞いてきた。

 「??」

 何を言っているかわからないと小首を傾げるユウマにミランダが焦れる。

 「ハル坊が結婚してたって話さっ!」

 「けっこんしてた??」

 ??となったユウマにミランダは盛大な溜息を吐いた。

 「その様子じゃ、グエンの勘違いのようだね。そうだよねぇ、ハル坊が結婚なんてねぇ。」

 残念そうに話すミランダがリオンには不憫でならない。カノンを横目に見るとカノンは我関せずと言った具合に欠伸をしている。

 「あんたがリオンちゃんに告ったってのも尾鰭が付いたんだろう。」

 「こくった?」

 きょとんとするユウマにミランダははぁーとまた溜息を吐いた。

 「ミルクセーキ飲むかい?」

 「飲むっー!ミルクアイスも食べたいー!」

 「ちょいと待ってな。」

 ミランダが奥に入っていく。

 「ミレ、どうしたのかな?」

 「ユウマのせいでしょーが。」

 カノンの一言にユウマは「えー!?」と驚く。

 「オレ何かした?」

 「面倒です。リオン説明を。」

 「えっ!?」

 急に振られたリオンは顔を真っ赤にして俯いた。思い出すだけで恥ずかしいのに、説明なんて。    

 「リオン、オレ何かした?」

 眉を寄せ、しょんぼりとユウマがリオンに問いかける。

 「ユウマは何も悪くないですよ!」

 「またそーやって甘やかして。だからユウマは余計な事ばっか口にするんです。」

 「お姉はユウマの事言えませんっ!」

 「おやおや。姉妹喧嘩かぃ?」

 丁度ミランダがミルクセーキを持って戻ってきた。

 「アイスは無かったから、また今度な。」

 「うん!」

 ミルクセーキを受け取るユウマの機嫌は直っていた。

 「現金な子ですねぇ。」

 一言嫌味を言い、カノンもグラスに口を付ける。

 「あーあ。龍宴も終わりシュッツシェールも帰って行っただろう?暫くは祭りも行事も無いし。ハル坊の話しは本当に嬉しかったんだけどねぇ。嫁さん紹介しなかった事に関しては2日くらい無給で働かせたら許してやろうと思ってたんだけど。昔はよく働いてくれたもんだ。出世する前なんか、あんた背負って駆け回っていたんだよ?そんなハル坊が結婚ってさぁ。こんな嬉しい事があるかい?それなのに。」

 くどくどは話すミランダをユウマは不思議そうに、リオンは苦笑いで見ていた。カノンは興味無さそうに、夕刊に手を伸ばす。

 「・・・あたしゃハル坊の嫁さんにはいつ会えるだろうねぇ。」

 「ハルのお嫁さんの話?」

 「さっきからそう言ってるだろ。」

 「??」

 ユウマは深く考えるのが得意ではない。会話の意図を汲み取るのが苦手だ。

 「外からの客が来るのは今度は、・・・来年の王弟殿の誕生日くらいか。またどれだけ派手にやらかすのやら。城の中だけだから私らは納めるだけだけどさ。」

 先程とは違う溜息に夕刊から、カノンが顔を上げる。

 「ミランダも王弟への印象が、良くないんですか?」

 「私もって、私以外にも話してたのがいるのかい?」

 「ええ、すぐ隣に。」

 むすっと唇を尖らせるユウマにミランダは頷いた。

 「ユー坊は一応特備隊在籍だからね。そりゃ王弟を良くは思ってないだろうね。」

 「赤いの嫌いっー。」

 「これ、人前でそれ言うんじゃないよ。誰が聞いてるか分りゃしないんだ。」

 ミランダが咎めるとユウマは頬を膨らませた。

 「ユウマの話しだと、貴族は王弟派だとか。」

 カノンの話し振りにミランダの表情が変わった。

 「この子はそんな事まで言ったのかい。」

 「ユウマの言葉をボクなりに纏めるとそうですね。」

 「そうかい。」

 ミランダは頷いた後は何も言わなかった。

 気まずい空気が店内に流れる。

 「あの、このミルクセーキ美味しいです。作り方教えて下さい。」

 話題を変えようとリオンが明るくミランダに話かけた。

 「そーかい。そーかい。なら今度来た時にでもマル秘レシピを用意しとくよ。」

 「ありがとうございます。」

 「レシピー?!じゃあリオンお家でも作ってくれるのっー!やったー!」

 ミルクセーキとリオンを交互に見てはユウマがウキウキと喜ぶ。

 「そーだ。2人はいつまで滞在するんだぃ?」

 何気なく聞いただろうミランダにユウマはリオンを抱きしめた。

 「いつまで、もっ!リオンは帰らないのっ!オレのお嫁さんなんだからっー!!」

 「はぁ?」

 ぽかんとするミランダにユウマはフンっと鼻を鳴らす。リオンは赤面したままだ。

 「あんた、ちゃっかり告ってるじゃないか!」

 「?」

 きょとするユウマにミランダは額を右手で抑えた。

 「・・・。意味を理解してなかったのか。まぁ、仕方ないね。」

 自身を納得させるミランダの呟きにカノンは「大変ですねぇ。」と他人事の様に呟いた。


ーーー


 

 月灯りが照らす木々の間をハルオミは歩いていた。普段なら月が昇る前に帰宅していたのだが、今回は療養中に溜まった仕事をこなしていて遅くなってしまった。いや、帰宅したくなかったのかもしれない。

 いつもはユウマの夕飯の事を考えていたのに。

 カノン達が来てから、リオンに任せっきりになっていた。ユウマが楽しいならそれで良かったが、王宮が絡んでくるとそうも言ってられない。カノンが何を考えているのかもわからない。

 こんなモヤモヤとした気持ちではいけない。しっかりしなくては。 

 白龍王特別警備隊長の前にユウマの兄なのだから。悶々と考え歩くだけでも疲れるものだ。

 ハルオミは深く息を吐き出し気持ちを切り替え玄関のドアを開けた。

 「ただい、「ハルっー!カツオもらったー!さばいてっー!」

 ドアが開いた音にユウマがバタバタと掛けてきて、ハルオミの右手を掴む。

 「・・・カツオ?」

 「うんっ!オレのお嫁さんはリオンだから、そしたらおじさんが、くれたっー。」

 「んんっ?」

 ユウマの話を理解できないなんて、思っている以上に疲れているかもしれない。

 ハルオミはそう思う事にした。


 リビングで簡単にユウマから話しを聞いたハルオミは頭を抱えて座り込んだ。ユウマは首をコテンと傾げる。リオンも皿を持ったまま、顔を真っ赤にして固まったままだ。


 「・・・ユウマ、そういう事には順序があってだな。簡単に口にしちゃいけないんだぞ。」

 「なんでー?」

 「何でって・・・」

 純粋な子供の疑問程説明に困る事はない。

 「オレ、リオンの事好きだもん。お嫁さんにしたいっ!」

 「だから、それは」

 「おや。お帰りなさい。ちょっと通りますよ。」

ユウマを嗜めるハルオミの横をカノンが通り過ぎる。すれ違ったカノンからポタリと雫が落ちた。

 「?・・・おまえっ、わっ!?」

 「お姉っ!」

 驚愕したハルオミの声より、リオンの怒声が響いた。リオンはユウマの目を手で隠している。

 「ユウマの前ではやめてください!」

 カノンはそのまま風呂から上がり、バスタオルを巻いただけの姿だった。幼児の姿ではなく、大人の姿。濡れたバスタオルが肌に張り付いている。

 「ああ。家族なのだから問題ないでしょう。それより、暫く籠ります。誰も入って来ないで下さいね。」

 言いたい事だけ言うとカノンはリビングを出てハルオミの部屋に入って行った。廊下には水滴が続いている。

 「・・・。何なんだ、あれは。」

 ハルオミの声にリオンはため息を吐く。

 「すいません。廊下の掃除はしますので。多分、全部水浸しですから。」

 「??」

 未だにリオンの手で両目を覆われているユウマは?を飛ばしている。

 「夕方、原石を買ったんです。それで、結界石を造る為に『篭る』と。・・・あの格好は儀式前の準備みたいなものなので気にしないで下さい。」  

 「お腹すいたー!」

 リオンとハルオミの会話の内容はわらないまま、ユウマは素直に声をだした。


ーーー


 ユウマがお腹が空いたなら夕食が先だとハルオミはカツオを捌いた。リオンもカノンが水浸しにした廊下を拭き、その後ろをユウマが仕上げで拭く。

 ハルオミがカツオを盛り付けるとユウマ達もリビングに戻ってきた。

 「終わったー。」

 「タイミングがいいな。」

 苦笑し、ハルオミは食事を並べた。

 「カノンは後で食べるのかな?」

 ユウマはそう言い、席に着く。リオンも苦笑し椅子を引いた。

 「今は集中してますからね。声をかけるだけで怒られますから。そっとしときましょう。」

 「わかったー。カノン怒ると怖いもんねー。」

 いただきまーすとユウマの合図で食事が始まった。


 「カツオ、美味しいっ!」

 「ほんとだな。グエンおじさんにお礼しないとな。」

 「ハルの時はマグロくれるって言った。おっきいの。」

 「は?」

 ポカンとしたハルオミを気にせずにユウマはニコニコとカツオを食べている。リオンを見るとリオンは申し訳なさそうに微笑んだ。カノン絡みだなとハルオミは察する。

 「そういえば、カノンは結界石を造るって言っていたな?」

 「んっ。」

 カツオを飲み込みユウマは頷いた。

 「西の割れちゃったでしょ?だから、どうせなら東と北も造るってカノンが。南はこの間見たから大丈夫って。」

 「四方の結界石を全てか!?」

 驚愕し思わずハルオミの声量が大きくなった。

 「うん。」

 ユウマは普段通りに返事を返す。

 「えっと、もしかして勝手な事をしてて、ご迷惑ですか?」

 リオンが尋ねるとハルオミは首を横に振った。

 「国全てを包囲する結界を1人で張るなんて、聞いた事ない。1つの結界石を作るのも4、5人のシュッツシェールが2ヶ月かかると聞いたのに。」

 「お姉なら明日には出来ていますよ。」

 「明日・・・。」

 これだけの力があるなら国王が宮殿に迎えたいのも頷ける。いや、直ぐにでも宮殿内に案内した方がいいのではないか。

 「今のお姉は調子がいいですから。ハルオミさんのおかげですね。」

 リオンの笑顔にハルオミは目を丸くする。

 「・・・俺?」

 「はい。お姉の事宜しくお願いします。我が強くて大変だと思いますけど。」

 頭を下げるリオンの隣でユウマも同じようにお願いしますと頭を下げた。結婚の事を言っているのだろうと分かるが、こちらにそんな意思はない。それに、

 「・・・いや、俺には。」


 何も出来ない。


 その言葉をハルオミは飲み込んだ。


 「オレもリオンと一緒で調子いいー。」

 ニコニコと笑うユウマにリオンも微笑む。

 「私もユウマと居るとホッとします。」

 「一緒ー。」


 『互いに想い逢えるのは素敵な事よ。ハルにもそんな子と出逢ってほしいな。』


 ユウマの屈託ない笑顔は母に似ている。あの時大好きだった、大切な人の言葉。

 胸が苦しい。同じ思いをユウマにだけはさせたくない。

 「ハル?」

 ユウマが不思議そうにハルオミを見つめる。

 「なんだ?」

 「ボッーとしてる?」

 疑問系で問われハルオミは返答に困った。

 「片付けはやっておきますから先にお風呂に入って下さい。疲れも取れますよ。」

 「ならお言葉に甘えようかな。」

 「甘えてー!」

 リオン、ユウマに促されハルオミは入浴しようと思ったが、

 「・・・部屋に入れないんだよな?」

 あっと3人は顔を見合わせた。



 月夜の中、古城に降り立ったのはフードを深く被ったユタだった。月灯りに照らされた人物は幾枚もの葉を空に浮かべた。

 風に乗った葉は東の方に飛んでいく。途中でパラパラと枯れて消えた。


 「・・・。」

 皿を洗っている手を止め、リオンが顔を上げた。

エプロンで手を拭くと指を組んで祈りを捧げる。

 「リオン?」

 皿を拭いていたユウマが不思議そうにリオンを見る。

 「お祈り?」

 リオンは答えない。ただ、目を閉じている。

 ユウマもそれ以上は何も言わずに隣で指を組んで目を閉じた。


ーーー


 湯船に浸かり、ハルオミは息を吐く。

 甘い香りがする。リラックスできるように入浴剤でも入れてくれたかのが有り難かった。

 気持ち良くてこのまま、寝入ってしまいそうだ。

 何も考えずに、このまま。

 心地よい香りにハルオミは目を閉じた。

 意識が溶ける。

 甘い匂いに包まれる。



 『ハルは甘いの好き?』

 そう問われ、何と答えたか。

 『実はね、ハルお兄ちゃんになるのよ。私のお腹にハルの弟が居るの。ほら。触って?』

 手を握り、お腹に触れた。それはまだ膨らみのないお腹だった。

 『名前はね。決めてあるの。ユウマよ。ハルの名前から取ったんだ。』

 幸せそうに笑っていた。俺を愛してくれていた。

 『4人で一緒に暮らせたらなぁ。』

 遠くを、見つめた横顔はとても儚く美しかった。

 叶わなかった願い。俺が壊した。


 水音が聞こえる。


 目覚めるとそこはリビングだった。

 うっすらとした視界で見慣れた木目を眺める。まだ陽は登っていない。夜と朝の境界。

 ハルオミは何故、リビングで寝ているのかわからない。

 布団がかけられており、隣に温もりを感じる。また、ユウマに心配かけたのかとハルオミは自身に飽きれた。

 「ん。・・・早いですね。」

 モゾってと動き布団から顔を出したのはユウマではなかった。

 「お前は、またっ?!」

 カノンの姿にギョッとなりハルオミは離れようとする。幼児の姿の時には可愛く見えたタンクトップ姿も大人の姿では目のやり場に困るのだ。

 「んっー。貴方昨日湯船で溺れてたんですよ。沈んでたってユウマ半泣きだったんですからねー?その後は引き上げてソファに寝かせました。着替えはユウマが行ったので、安心して下さいねー。」

 それだけ言うとカノンはハルオミに擦り寄り寝息を立てる。

 「おい、「うるさい。僕、疲れてるんです。誰かさんのせいで。」

 寝ぼけ眼の潤んだ瞳で睨むカノンだが、いつもの様な殺気はなく、寧ろあらぬ方向に誘っているように見える

 「・・・。」

 ハルオミは反論を辞めた。きっと何を言っても聞かない。この数日。カノンが話を聞いてくれた試しはないのだから。

 「貴方もしっかりと休んでください。午後には白龍王と面会しますから。」

 カノンはそういい、ハルオミの胸に顔を埋めた。

 「・・・お願いですから絶対に護ってくださいね。」

 ハルオミは返事が出来無かった。あのカノンからのお願い。龍王が待ち望んでいた人物だ。護衛するに決まっている。ただ、それがカノンが望んでいる事と違う意味でだ。

 返事を返す事が出来無い。決める事が出来無かった。


 月が、欠ける。星々が消えていく。

 白く塗りつぶされていく。



 リオンが目覚めた時、リビングにハルオミの姿はなくカノンが横になっていた。

 テーブルには朝食が既に用意されていた。

 (少しくらい頼ってほしいな。)

 ユウマの事を任せているとハルオミはリオンに気を使っている。龍宴が終われば取れる休みも療養と事務処理で無くなってしまった。

 (家事くらい、手伝いたいと思うのに。)

 ハルオミにそう伝えてもハルオミはきっと笑って遠慮するだろう。

 「リオンー。」

 ソファからカノンが呼んだ。

 「おはよう、お姉。」

 「おはようございます。ハルオミの部屋に結界石が3つあるので、午前中にユウマと持ってて下さいー。あと、菜園の薬草の水やりお願いしますねー。」

 リオンの位置からはカノンの手がひらひら振っている事しか確認出来ない。

 「僕は午後から龍王に会ってきますからそれまで休みますー。」

 カノンはそう言うと手を引っ込めた。

 「・・・ユウマに見られないようにしてださいよ、その格好。」

 「わかってますよー。あ、リオンー。」

 「今後は何ですか?」

 「昨日の感知は良く気付きました。ありがとう。」

 「!」

 カノンの賛辞にリオンの表情が明るくなった。



 朝食の片付けの後、一通りの家事をこなし終えリオンは訓練場に来ていた。勿論、カノンの言い付け通り薬草の水かけも終わっている。

 「ここで待ってて言われたけど。」

 布で巻かれた結界石を抱えてリオンは木陰でユウマを待っていた。

 「リオンー!!」

 ユウマの声と地を蹴る音が聞こえる。しかし、ユウマの足音でない。

 「あ、その子。」

 リオンが顔を上げるとユウマはニコニコと笑う。

 「ハルを乗せたお馬さん。今軍で世話してるの。」

見上げるリオンに馬は得意気に鼻を鳴らした。

 「東門と西門は距離があるから、お馬さんで行こっ!」

 無邪気に笑い、ユウマはリオンに手を伸ばした。



 「これでよし。」

 カチリと北門の壁にモリオンを嵌め込んだ。

 カノンのお使いを終えたリオンは青空に向かって背筋を伸ばした。今日は本当に良い天気だ。少し離れたところでユウマが馬と戯れ合っている。

 「ユウマ終わりましたよ。」

 「はーい。」

 返事をし、ユウマは綱を木の幹に繋いだ。

 「ちょっと待っててねー。」

 ポンポンと撫でると馬は名残惜しいそうにブルンと鳴いた。

 「ユウマ?どうしました?」

 「リオンにも秘密基地教えてあげるー。」

 教えたくて仕方がないのか、ユウマはリオンの返事も聞かずに手を取ると急かす様に歩いた。そんなユウマがリオンは可愛いらしくて仕方なかった。

暫く木陰の中を歩く。ユウマが足を止めたのは古城の真下だった。

 「お城?」

 煉瓦造りの城が聳え立っている。

 「きゅーでんの後ろにあるの。リオンこっちこっち。」

 ユウマに促されるまま、リオンは着いていく。ユウマはある場所で足を止めると煉瓦を3回蹴った。

ガコンと煉瓦が外れた。1つの煉瓦外れた事でバランスを崩したかの様に左右の煉瓦崩れていく。そして、ポッカリとした空間が現れた。

 「行こっ!」

 笑顔でユウマはリオンを手を引くがリオンはその中に入るのを躊躇した。真っ暗で奥が見えないのだ。本能的に飲み込まれそうな感覚に恐怖を感じる。

 「リオン?」

 こてんとユウマが首を傾げる。

 リオンの表情が強張っている。ユウマはリオンの左手を握った。

 「大丈夫。リオンはオレが護るから。」


 暗闇の中を二人はゆっくりと歩いた。

 ユウマの手を握るリオンの手は少し汗ばんでいる。

 「灯り持って来るの忘れちゃったー。ごめんね?もうちょっとだからー。」

 ユウマの明るい声が反響する。

 「ユウマ、絶対手を離さないでね?」

 「絶対離さないよっ!」

 声だけなのに、ユウマは満面の笑顔だと伝わる。リオンは深呼吸して、ユウマの手を握った。


 「ついたー!」

 煉瓦をカンカンと数箇所ユウマが叩くと、ガコッと音がなった。隙間に指を入れ、扉を上げる。

 「んしょ!」

 パッと眩しい光が注ぎリオンは目が眩んだ。

視界が慣れるのに時間がかかる。

 「ここは?」

 高さのある壁に本がぎっしり並んでいる。左右の天窓から光が差し込んでいた。

 「宮殿の図書館っ!」

 得意気に言ったユウマはハッとなりリオンの耳元に口を寄せた。

 「ハルには内緒。リオンにだけ教えるのっ!」

 ニコニコとユウマは上機嫌だ。リオンは茫然と書物の多さに驚いている。

 「・・・見ても大丈夫ですか?」

 「うん。オレも絵本選ぶー。」

 そういうとユウマは絵本があるであろう場所にかけていった。

 リオンはゆっくりと書棚を見て歩いた。カノンが見たら大喜びし、狂喜乱舞しそうな光景だ。

 「・・・。見た事ない言語ばかり。」

 月力を発語に割り振ったリオンには奇怪な文字の羅列に見える。カノンの言う通り、きちんと舞っていれば良かったと後悔した。

 頭上にも何千冊と並んでいるのに知っている言語が見当たらない。

 「あ。」

 漸くタイトルが読める本が見つかった。

 『神夜復活の儀』

 思わずリオンは手に取った。

 ーパンッ!

 「!」

 静電気が走ったようで手を引っ込める。リオンは今度はゆっくりと指で触れ、書棚から引き抜いた。

 (さっきのは何?)

 パラパラと本を捲る。細かな文字がびっしりで月の古代文字がところどころに使用されている。 

 (お姉じゃなきゃ無理かも。)

 リオンが諦めて本を戻そうとした時、ユウマが隣にやってきた。

 「それ、読むのー?」

 「うーん、難しそうだから。やめておきます。」

 「ふーん。ユタが気になったのは借りていーって言ってた!これはカノンの分ー。」

 絵本と一冊の本を見せユウマはニコニコした。

 「ユタ?」

 聞き慣れない言葉にリオンが繰り返すとユウマはニコニコ笑った。

 「うん!まほー使いのおばーちゃん!」

 リオンの疑問は消えなかったが、ユウマが楽しそうなのでリオンはそれ以上は聞かなかった。


ーーー


 龍王宮殿の騎士は全員が『R(ラジャン)A』クラスだ。貴族出身である為、全身の装備は魔具。金に糸目を付けない者達が扱えない武器を持っている。前回もそうだがカノンの印象はそんな感じだった。

 そんな雑魚(カノンに取って)が、ヒソヒソと冷ややかな視線を向けている。ハルオミはその視線を気に止める事なく歩いていた。幼女のカノンを抱いて。

 「有名税でも取ったら如何です?」

 「別に俺は気にならないぞ?嫌か?」

 「煩わしいです。」

 ふぅと嘆息し、カノンはハルオミの肩に顎を乗せる。本当なら、本来の姿で抱き上げてほしい。しかし、そんな事を言っては呆れられるか、睨まれるかでどっちにしろ拒絶される。この姿なら手を伸ばせば抱き上げるハルオミにカノンは呆れるしかなかった。


 「・・・。」

 ハルオミが急に足を止めた。

 「?」

 カノンがハルオミを見上げるとハルオミは一点を凝視したままだった。腕に力が入っている。

 「・・・カノン、ここからは歩いてくれ。」

 「この姿じゃ歩くの面倒だから貴方に抱っこを頼んでるんですけど。」

 「・・・宮廷魔導師がご立腹だ。」

 ハルオミが緊張しているのが伝わる。カノンは前を見ようと首を動かすがハルオミが先にカノンを抱え直した。まるで見せないようにしているようだ。

カノンはハルオミの頬を引っ張る。

 「?」

 「ちょっと。そんなに見つめる必要あるんですか?」

 眉を上げるカノンにハルオミはポカンとした。

 視線が合うとカノンは更に唇を尖らせる。

 「このボクより良い女が居るわけないでしょ!」

 勢いに任せカノンは正面を睨んだ。しかし、通路の先には誰もいない。ハルオミの緊張も解けたようだった。

 「・・・。いない。」

 ハルオミは茫然としたままだ。

 苛ついたカノンは小さな手でハルオミの頬を更に強く引っ張った。


 謁見の間の前は左右に警備も兼ねたシュッツシェールが立っていた。ハルオミがカノンを降ろそうとするとカノンは強く抱き付いた。

 「このままいきます。」

 「この先に居るのはこの国の龍王だ。そんな非礼を許せるわけない。」

 そう言いハルオミはカノンを下ろした。カノンは不貞腐れたが右手を差し出した。

 「リードして下さい。」

 「・・・はいはい。」

 幼女の姿のカノンにハルオミはどうも弱かった。

 小さな手を握り歩幅を合わせる。

 扉が開くと中には淡い光で彩れていた。

 玉座に鎮座する銀髪の美しい王が見下ろしている。

 ハルオミは直ぐに頭を下げた。

 「初にお目にかかります、リントエーデル国白龍王。私は西の地より参りました、月の民カノンと申します。」

 服の裾を持ちカノンが挨拶する。

 白龍王は玉座から立ち上がり、一礼した。

 「遠路はるばる我が国へようこそ。月の巫女姫。私はこの国を治める龍の血を継ぐ者。名をケンシンと申す。」

 国王が名を名乗った事にハルオミは驚愕した。カノンは本当に探していた人物なのだと。一国の王が礼儀を重んじる相手なのだと。

 「お茶でもしながらゆっくり話しをしましょう。」

 白龍王のその言葉にカノンはハルオミに近づいて両手を伸ばす。

 「・・・。」

 「ほら。」

 ムスッと膨れるカノンをハルオミは無言で見下ろした。

 「もう歩きたくないです。抱っこして下さい。」

 「・・・。」

 ここが家なら溜息1つで抱き上げたかもしれないが、ここは龍王の前だ。

 「ハルオミ、巫女姫の望むようにしなさい。」

 「承知致しました。」

 白龍王の命にハルオミは直ぐにカノンを抱き上げた。その態度が気に入らなくて抱き上げられたカノンはハルオミの頬を小さな手で強く抓った。



 通された部屋は大きな窓があり、暖かな陽射しが差していた。

 「どうぞ、此方へ。」

 案内された椅子は大人用だった。

 「合いません。」

 「クッションを用意してください。」

 カノンが要求している事が伝わったハルオミが案内係に伝えた。カノンの機嫌が急降下していく。

 「何でそう意地悪なんですか!いつもみたいに膝に乗せてくれてもいいじゃないですか!けちっ!!」

 「そのあたりで構いません。」

 小さな拳でカノンに殴られながらもハルオミは用意されたクッションの上にカノンを座らせる。

カノンは眉間に皺を寄せたままハルオミを睨みつけた。

 白龍王が対面に座る。テーブルには焼き菓子が並んでいた。どれも龍宴で味見したものだ。

 給仕係がお茶を運んでくる。

 ハルオミは後ろに下がっていた。白龍王の視線がドアに流れたのを確認し、退出する事にした。

一礼し、ハルオミが退出しようと背を向ける。

  ぽすっ

 背中柔らかい物が当たった。振り返るとクッションが落ちている。

 「不愉快です。帰ります。」

 ぴょんと椅子から飛び降りカノンはドアに向かう。

 「なっ?!」

 一国を治める王の前でなんと言う態度なのか。不敬罪どころの問題ではない。自分から日時を指定しておきながら何という我儘ぶりだろう。

 「言っときますけど。リオンを連れてこの国を出る方法なんていくらでもあるんですからね。」

 簡単に逃げ出せるとカノンは言っている。無駄に追いかけてくるなと警告したのだ。

 白龍王は無言でカノンの視線を受け止める。交渉の席に座ってもらわないと話しすら出来ない。

 「それは失礼をした。ハルオミ。」

 白龍王に呼ばれ、ハルオミはカノンを抱き上げた。椅子に座ろうとした時、

 「あのチョコタルトと紅茶のスコーン、カスタードシューが美味しかったです。」

 「・・・。」

 座る前に皿に取り分けろと言っている。機嫌を損ねると面倒だとハルオミはカノンの指示に従った。


 目の前に置かれた、チョコタルトと紅茶のスコーン、カスタードシュー。ハルオミの膝の上でカノンのニコニコしている。ハルオミの方は緊張感を崩さないように白龍王を真っ直ぐに見ている。


 「それでは頂こうか。」

 その白龍王の言葉にカノンはフォークを手にチョコタルトを食べ始める。

 「やはり、このタルトは絶品ですね。」

 「お口にあって何よりだ。」

 「・・・。」

 二人の会話にハルオミは気が気じゃなかった。どうしてこうなってしまったのか。

 「ねぇ。」

 カノンが口元にチョコをつけハルオミを見上げる。

 「紅茶に入れるミルクをお願いします。」

 給仕係が一礼し、去っていく。ハルオミは慣れた手つきでカノンの口元のチョコをナプキンで拭き取った。

 その様子を龍王は黙って見ていた。


 「美味しかったー。」

 タルトにスコーン、シュークリームと紅茶を2杯飲んだカノンは満足そうに小さな手でお腹を叩いた。

 「・・・。」

 どれだけ鋼のメンタルを持っているのか。それとも自信の表れからか。ハルオミは言葉も無かった。

カノンが食べ終わるのを白龍王は静かに待っていた。


 「早速だが、貴殿の力をお貸し願いたい。」


 白龍王がそう告る。膝に座っているカノンの背筋が伸びたのがハルオミにも伝わった。

 「お見受けした力と噂は真でした。我が国の魔導士の言葉通り、月の巫女姫である貴殿にしか頼めない。」

 真っ直ぐな銀眼をカノンは正面から受け止める。

 「神夜様のお告げ通りに行動しこの国に祈りを捧げる為に来たのは必然です。」

 一呼吸し、話し始める。

 「詳しい話を伺っても?」

 いつの間にか部屋には三人以外誰も居なかった。

 「私が依頼したいのは『龍の顕現化』についてだ。」

 「顕現化?」

 カノンの眉根が寄る。

 「体内に宿っている白龍を実体化させてほしい。」

 白龍王の言葉をカノンは黙った。

 体内を流れる力を分離させてほしいなど聞いた事がない。むしろ、魔術を扱う者は体内に取り込もうと必死なのだ。

 「それはまたどうして?」

 「私も人並みの幸せを得たいと思っているのですよ。」

 苦笑とも自嘲とも取れる笑みにカノンは黙った。ハルオミが緊張しているのが伝わる。カノンは目を閉じて、すっと目を開けた。

 「良いでしょう。協力致します。」

 カノンの返事に白龍王の目の色が一瞬変わった。

 「引き受ける条件として、こちらのやり方に口を挟まないことを約束してください。万全の体制で挑みたいので時間はかけます。」

 「引き受けてくれるのならばこちらから申す事はない。」

 微笑んだ白龍王にカノンは違和感を感じたが何も言わなかった。

 「時期は月の満ち欠け、長くて1ヶ月弱・・・。後は私の気分次第ですが。またこちらから連絡致します。それまで自由に過ごさせてもらいますね。」


 最後に不遜な態度を取りカノンは一礼した。そしてハルオミの服を引っ張る。

 「帰りますよ。」

 小さな手をハルオミの首に回ししがみ付く。ハルオミはカノンを抱き上げると、白龍王に向かって一礼した。

 白龍王は何も言わずに二人を見送った。


 雲が太陽を隠した。静まり返った室内が暗くなっていく。

 「宜しかったのですか?」

 スッと黒いローブのユタが姿を現した。

 「月の巫女姫の協力が得られる確証を得たのだから申し分ないだろう。」

 白龍王の言葉にユタは頷いた。

 「巫女姫は変わった方のようですね。」

 「そのようだな。」

 「黒の兄弟、特に兄を気に入っていらしゃるところがまた。」

 嘆かわしいとユタは二人が去った扉を睨んだ。



 カノンを抱いて歩くハルオミの表情は強張っていた。

 カノンがお菓子を食べ終えた頃から白龍王の後ろにはずっとユタが立っていた。黒いローブから覗く皺くちゃの顔が睨み続け、口元はブツブツと何かを喋っていた。


 昔も、同じ事があった。あれは、ユウマが高熱を出した時だ。急にユタが現れ、銃を突き付け睨みながらブツブツと呟いていた。黒のローブから覗く暗い目。また、奪い取ろうとしているのかと感じた。あの時、寝ていたユウマが、


 「ハルオミッ!!」


 ハッと我に返る。気付けばそこは宮殿の北の森だった。

 「家はあっちです。」

 カノンが指差した方に視線を移す。

 「・・・。あ、そうだな。間違えた。」

 「ユウマみたいな事しないでください。」

 情けないなぁー。と作り笑いのハルオミの背に小さなでカノンは力いっぱいしがみ付いた。



 カノンを家に送るとハルオミは仕事に戻った。残されたカノンは昼寝でもしようかとハルオミのベッドに横になる。

 「・・・どうしたものか。」

 ベッドに横たわりカノンは天井を見上げた。

 白龍王の依頼を引き受けたはいいが浄化を行い、月力を溜めてもまだまだ龍の顕現化には及ばない。ハルオミには『契約』と言ったがまだ、『仮』契約だ。

 「変なプライド捨てて、さっさと抱いてくれたら楽なのに。」

 こちらは気持ちは固まっているがあんなにも意固地で面倒な男だったとは。

 しかも、隠し事も多い。今日もそうだが、急に意識が飛んでいる。意識が無いのだから本人に聞いても答えられないだろうがきっかけはあるはずだ。初めの頃はポロポロ話していたが現在は警戒されている。まぁ、今でも幼女の姿では油断しているが。

 ボッーと天井を眺める。

 ピシピシと小さな音が鳴った。

 「・・・趣味の悪いババァですね。」

 毒吐きカノンは髪飾りを外すと苛立ちに任せて空に手を伸ばし拳を握った。


 ーバリンッ!


 カノンが手を伸ばした先から鉱物が砕ける音がした。

 「今度覗いたらたたじゃ置きませんよ。」

 苛立ちからカノンは吐き捨てた。


ーーー


 龍王宮殿内・東区画。

 水晶が割れ、破片が飛び散る。破片は露出したミラーの肌に突き刺さった。

 「・・・小娘め。」

 突き刺った破片を抜きとる顔は醜く歪んでいた。

 龍宴に紛れる力を持つ事から、月の巫女には力では勝てないとわかっている。しかも見せつけるように結界石を破壊し退出した。あの後会場が騒然となったのは言うまでもない。

 水晶の欠片で傷ついた肌を撫でると傷は消えた。


 代々。龍の一族は寿命が短い。三十を越えれば長生きした方だ。前龍王も二九で亡くなった。現龍王のケンシンも今年で二七。世継ぎも居ないのだから焦るのも仕方がない。

 このままなら時期龍王は王弟であるエンジュだ。

国民の事に興味の無いエンジュは政治、経済全てを我々に押し付ける。そうなればこの国を手中に収める事ができるのだ。

 「ざまぁないわね。」

 金髪のローブ姿の女性、ペレスに嘲笑され、ミラーは唇を噛んだ。

 「何ようだ。」

 「相手は月の女よ。そう簡単にいくわけないわ。まずは情報収集。こんな時こそ、役割分担よ。」

唇に指を這わせる。自身より劣るくせに魅せ方を良く分かっているのが癪だ。

 「他は賛成してくれたわよ。我が主、エンジュ様の為に。」

 ミラーは無言で立ち上がると部屋を出ていく。その後ろを肩をすくめたペレスが続いた。


ーーー


 不快な夢を見て目覚める。気分が悪いことこの上ない。

 毎回、愛した男の死体の山をかき分け前に進む。


 ー私を許して。


 自分じゃない女の声。

 そんな被害者ぶった声音で喋るな。

 選択したのは自分のくせに。


 ーごめんなさい。


 謝るな。もう喋るな。

 謝る事であの人を苦しめるのに、どうして気付けないのか。

 あの人を愛しているなら


 後悔なんかせずに向き合うしかない。




 「カノンー。お風呂入って〜。」

 ノックも無くユウマがドアを開けた。寝落ちていたのかとカノンはぼんやりとした目でユウマを見た。夢見が物凄く悪い。

 「ノックくらいしなさい。」

 「ハルにも言われてたー。」

 ハッとなったユウマにカノンは面倒そうに起き上がる。

 「お湯、沸いてますよね。」

 「んっ!あのね、お風呂終わったらカノンに見せたいのがあるー。」

 ニコニコと上機嫌のユウマにカノンはふーんと気のない返事を返した。

 「カノンー?」

 「野菜の類いなら見ませんよ?」

 「ちーがーう!もう、お風呂入ってー!順番決めたのカノンじゃんかー!」

 ムキになったユウマはカノンを促す。

 「何をそんなに怒ってるんですか。」

 「だってハルとじゃんけん出来ないからー。オレが毎日お風呂掃除してるもん。」

 「そんなの明日の朝にでも回せばいいでしょ。」

 「やだー。明日は変な感じするっー。」

 ルーティンを崩されるのが嫌なのか、ユウマはムクれるばかりだ。やれやれとカノンは肩を落とす。

 「生活する人数が増えたのだから変化するのは当たり前の事です。暫くは我慢なさい。」

 「・・・はぁーい。」

 納得がいかないがユウマは不貞腐れながらも返事をした。そこは素直だなとカノンは感心する。

 「ねぇー。それってカノンのやりたい事が終わるまでー?」

 部屋から出たカノンの後ろを歩きユウマは聞いてくる。

 「そうですよ。」

 「それ終わったらお風呂はじゃんけんにしてもいいのー?」

 「ご自由に。」

 カノンの了承にユウマはパッと明るくなる。

 「じゃあ、四人で、じゃんけんだねー!」

 じゃんけんで負けたお風呂掃除が嫌というより、ユウマはじゃんけんを楽しみにしているようだ。

 「三人でじゃんけんしてください。」

 ツンと返したカノンにユウマは黒曜石の瞳を目一杯広げて驚いた。

 「なんでー!?りーふーじーんー!」

 「だって事が済んだら入浴なんて毎日しませんから面倒くさい。入らないだから、掃除しなくてもいいでしょ。」

 「!!」

 カノンの言葉にユウマは衝撃を受けたように固まっていた。


ーーー


白龍王特別警備隊・執務室


 定時一分前。

 「これが今日の分っす!!」

 ヴィントがニカッとハルオミの前に処理済みの書類を持ってきた。

 「俺、立派に務めたっすから!」

 ハルオミに報告するヴィントの表情からはやり切った感が出ている。

 「お疲れっしたー!」

 くるりと振り返りヴィントが執務室を出ていく。

 丁度、定時の鐘が鳴った。

 「フェンも上がっていいぞ。」

 ヴィントを見送りハルオミはフェンに声をかけた。

 「はぁ、いいんですか?」

 ハルオミの机にはまだ未処理の書類が残っている。

 「これくらいどうってことないさ。」

 労わるハルオミにフェンは「はぁ。」と遠慮そうに頷く。

 「ユウマはいいんですか?」

 フェンが何を言わんとしているかが分りハルオミは苦笑した。

 「お客様が滞在中は少し遅くなっても平気みたいだな。」

 「はぁ。」

 ユウマは勿論平気だろう。問題は隊長が、だ。

 「どうした、フェン?」

 不思議がる姿はやはり兄弟だ。

 「いえ、隊長が元気になって良かったです。」

 「ありがとう。俺も皆が無事で良かったよ。」

 ハルオミの笑みにフェンは敬礼して執務室を出た。


 夕闇が迫る。息を吐き出しハルオミは背筋を伸ばした。

 「さて、片付けるか。」



ーーー



 入浴を終えたカノンはソファに座っていた。

 窓に目を向けると月が出ている。

 (・・・遅いですねぇ。)

 夕食時間になってもハルオミは帰ってこない。仕方ないので夕食後にリオンとユウマも入浴を済ませた(「今日はハルが掃除ー!」とユウマは喜んでいた。)。

 「カノンー。服着ないと風邪ひくよー。」

 「失礼な。ちゃんと着てます。」

 タンクトップにショートパンツ。ユウマの中ではそれは『下着』の部類に入っている。「??」と首を傾げる。

 「お姉っ!はしたない格好はやめて下さいっ!」

 顔を赤らめて怒鳴るリオンにカノンは面倒そうにきちんと畳まれたシャツを取った。カノンがシャツを着たのを確認し、リオンはシーツを変える為に寝室に向かう。

 「これで文句ないでしょ。」

 「そのシャツオレのー。カノンのはこっちー。」

 「ハルオミの、でしょ。」

 「ハルのはオレのだもん。」

 いずれはお下がりで貰うからという意味でユウマは話しているようだ。会話が常に主体的だなとカノンが呆れる。

 「あまり裾が長いと動きづらいんですよ。」

 「でも、リオンは着てるよ。ぁっ!!」

 ハッとなったユウマにどうせ碌な事ではないだろとカノンは思った。

 「カノン寝相が悪いからだっ!」

 カノンの予感は的中した。

 「というか。その後ろにあるもの早く見せて下さい。」

 「そうだったっ!」

 ユウマはいそいそとカノンの隣に座りニコニコしている。本当に子供っぽい。先程のやり取りも無駄な会話を無意識に楽しんでいるように感じる。ハルオミも天然なところがあるから刺激になっているのだろう。


 「じゃーん!これっ!」

 ユウマが見せたのは今日、宮殿の図書館から持ってきた本だった。

 「・・・小説?」


『天と地の境界』


 リントエーデル国の言語でタイトルが書かれている。ユウマから受け取り、パラパラとページを巡る。神と魔王の神話のようだ。

 「・・・?」

 何の変哲もない本。しかし、妙な気を感じる。カノンはもう一度本のタイトルを見る。タイトルをそっと指でなぞった。すると文字が変わっていく。

 「まほっーだー!」

 文字が変わるのをユウマは嬉々として見ている。

 「ったく。月力は娯楽ではない、え?」

 浮かび上がる文字にカノンの言葉が途切れる。

『龍国の成り立ち』

 (・・・これはこの国の魔導書。)

 カノンの探知力でも探せなかった本だ。

 「ユウマこれをどこで!?」

 急に両肩を掴まれたユウマは固まった。褒めてくれると思っていたからだ。視線を泳がせる。

 「怒らないから言いなさい。」

 そう言われユウマは頷いた。

 「・・・ハルに言わない?」

 「言いません。」

 真っ直ぐなカノンの深碧の瞳にユウマは頷いた。

 「耳貸して。」

 コソコソとユウマがカノンに話す。それを聞いたカノンは眼を見開いた。

 魔導書をパラパラと捲っていく。あるページでカノンの指が止まった。

 やはり、己の仮説は間違っていなかった。

 直感は正しかった。

 「あーんっ!ユウマなんていい子なんですか!流石僕の義弟っ!」

 感極まりカノンはユウマを抱きしめた。カノンに褒められ、抱きしめられてユウマは満更でもなかった。

 「へへっ。」

 ニコニコ笑うユウマの頭を撫でる。

 「これはご褒美上げませんといけないですねぇ。」

 これまで見たことない上機嫌のカノンにユウマの嬉しさも倍になる。

 「じゃあミルク饅頭がいいー!」

 ユウマがねだったのは好物のミルク饅頭だった。

 「今から特別レッスンです。リオンと外に出なさい。」

 聖母の微笑みでカノンが言った。



 今夜は半月だ。雲も多い。

 「何でリオンもー?」

 コテンと悠真が首を傾げる。

 「時間がありません。2人一緒に来なさい。」

 どうやら訓練らしい。

 「今やるのー?夜なのにー?」

 明日がいいとユウマは言っている。

 「リオン、ユウマのサポートを。」

 カノンは頷いた。

 「お姉はやると言ったらやりますから。ちょっとだけ、ね?」

 リオンに言われユウマはリオンが言うならと構えた。そのユウマの前にリオンが立つ。

 「ユウマに月の加護がありますように。」

 指を組み祈るリオンの周りに桜の花弁が舞った。淡い光を放ちユウマを包み込む。

 「きれー。」

 絵本で見たホタルみたいだとユウマは思った。

 「ユウマ。リオンの力は解放と受身です。それを忘れてはいけませんよ。」

 「うん?」

 「わかってないなら教えます。」

 カノンは一瞬でユウマの間合いに入ると迷う事なくユウマの顎を蹴り上げる。ギリギリのところで抑えたが、ユウマの体は吹っ飛んだ。間髪入れずにカノンは何度も拳を振るう。

 構えるだけでユウマは首を傾げた。

 (痛くない。)

 訓練の時は痛みを感じたが今は痛みを感じない。不思議に思いながらユウマはカノンの打撃を受けた。

 (変。)

 一旦距離ユウマは距離を取った。

 「ねえ「リオン何発入りましたか?」

 ユウマの声は無視し、カノンはリオンに問う。

 「・・・89、です。」

 腕を抑え、額に脂汗を浮かべたリオンが答える。リオンの変化にユウマはリオンに駆け寄った。

 「リオン!?どうしたの?大丈夫??」

 心配するユウマの服をカノンが掴み、後方に投げた。

 「!?」

 難なく体制を整えた、ユウマの前にはカノンが立っている。

 「言ったはずです。受身だと。僕から受けた打撃全てリオンに流れます。ユウマが殴られた分だけリオンが痛い思いをするんですよ。」

 最後の言葉にユウマはハッとなる。

 「何で!?」

 「それがリオンの役目です。さ、いきますよ。」

 躊躇ないカノンにユウマは焦った。これまでの戦法と違う。普段通りでカノンの打撃を受け止めてしまう。受け止めるとカノンの衝撃波がリオンの身体に流れるのだ。

 「カノン!やめてよ!」

 「やめません。止めなさい。」

 容赦のないカノンの蹴り。スピードも早く、ユウマは抑えるのがやっとだ。

 (何で?何でリオンが痛いの?)

 ユウマ自身に痛みは走らない。視線だけで、リオンを見やるとリオンは苦しそうにお腹を抑えている。ユウマの不安が大きくなる。

 (何発受けた?これ以上受けたら、・・・リオンが死んじゃう。)


 嫌な気がした。


 (叩かなきゃ。)


 一瞬だった。


 ユウマの瞳が漆黒が金に変わる。

 その瞳にカノンは満足に口角を上げた。


 「上出来です。」

 ユウマがカノンの急所を狙った瞬間、カノンが扇子を広げた。途端ユウマは反対方向に弾き飛んでいた。

 (やばっ、このまま木にぶつかったらリオンに。でも受け身もダメ)


 フワッと身体が浮く。

 「へ?」

 無数の花弁がユウマを包んでいた。巨大なクッションのように衝撃を吸収した。

 「浮いてる?」

 はらはらと花弁が地面に落ちた。ゆっくりとユウマは地面に尻もちを付いた。

 「・・・良かった。」

 ふらついたリオンをカノンが支えた。

 「リオンも頑張りましたね。」

 微笑んだカノンにリオンも笑みを見せた。

 「でもまだまだです。月光浴は欠かさぬように。」

 「・・・はい。」

 頷き、リオンは目を閉じた。

 「リオン大丈夫?!」

 ユウマが焦りカノンの元に駆け寄ってくる。

 「疲れて寝てるだけです。安心なさい。」

 「ホント?もう痛くない?」

 「今は痛くありませんよ。」

 「良かったぁー!」

 安堵の息を吐き、ユウマはリオンの顔を覗き込んだ。

 「ねぇカノン。何でこんな事したの?」

 純粋に。リオンが傷つくのが嫌だった。リオンの姉であるカノンがリオンを苦しませたのがもっと嫌だった。リオンもカノンもユウマは好きだ。

 リオンをユウマに預ける。上目でカノンを見上げるユウマは今にも泣き出しそうだった。

 「・・・全然、ご褒美じゃない。」

 ユウマの頭撫でカノンが目線を合わせた。カノンから目線を合わす事は滅多にない。

 「ユウマはリオンの事が好きですか?」

 「うんっ!オレ、リオンの事大好きっ!!」

 何度も頷くユウマにカノンが微笑む。

 「なら沢山学びなさい。そして気付く事です。己の事もリオンの事も・・・何も知らなければ、護る事などできませんよ。」

 いつもの強気なカノンではない。どこか寂しげな瞳。その中に見える強さ。

 「それって、ご褒美はリオン?」

 ユウマの言葉にカノンが瞳を丸くして吹き出した。

 「あははっ!そうですね。」

 「やったー!嬉しいっ!」

 リオンが聞いたら顔を赤らめてしまうだろう。

 「ふふっ。やはり教えがいがありますねぇ。その真っすぐさを忘れないで。」

 「うんっ!!」

 褒められた事が嬉しくてにぱっと満面な笑みのユウマにカノンも微笑んだ。


 「・・・遅くなったな。」

 ついついと議会録にまで目を通していたら月は高く昇っていた。

 「ユウマ?」

 玄関前でユウマがリオンを抱えている。ハルオミは慌てて駆け出した。また、何か奇襲でもあったのだろうか?

 「ユウマ!どうした!?」

 「ぁ、ハルお帰りっー。」

 慌てるハルオミにユウマは遅かったねーと笑った。

 「リオンはどうしたんだ?」

 ユウマの反応から大事でない事は伝わった。

 「カノンと特訓したら疲れて眠ちゃったー。だからお部屋に連れてくー。」

 「そうか。」

 何でも無かったなら良かったとハルオミが安堵する。

 「ハルー。」

 「何だ?」

 安心したからか、ハルオミは気を抜いていた。

 「オレ、いっぱい勉強する。だから、わからない事は教えてね。」

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。

 ユウマの瞳が金眼になっている。

 「ハル?」

 きょとーんとする首を傾げるユウマは普段のユウマだ。瞳も漆黒だ。

 「ほらユウマ、早くリオンを連れていかないと。体が冷える。」

 ドアノブを回し、ドアを押さえる。ハルオミが中に入るよう促した。

 「そーだね、風邪ひいたら大変っ!」

 ユウマは「ありがとー。」と言って奥に向かう。


 「おかえりなさい。」

 月光浴を終えたカノンをハルオミは睨みつけた。

 「・・・ユウマに何かしたのか。」

 静かに問うハルオミをカノンは一瞥するだけだった。

 「何とは?体術を教えていただけですが。」

 カノンは淡々と答えた。

 「何かあったのですか?」

 真っ直ぐに新緑の瞳に射抜かれる。ハルオミはグッと堪えた。試されているようで気分が悪い。

 「以前にも言いましたよね?甘やかすだけでは教育上良くないと。ユウマの成長を貴方が邪魔しているんですよ。」

 「お前に何が分かる!?」

 激昂したハルオミが声を荒げた。激情が溢れんとする漆黒をカノンは逸らさずに見つめる。

 「貴方の考えも気持ちもわかるわけありませんよ。僕は貴方じゃない。」

 それはハルオミの胸に深く突き刺さった。

 何を言ってもカノンは聞くだけだ。肯定も否定も無いのは自身の意思がはっきりしているからだ。決してブレない芯が。

 「で?何かあったのですか?・・・貴方の怒りに触れるような。」

 カノンに見つめられると、先に視線を逸らすのはいつもハルオミだ。大人な姿のカノンの眼力は幼女の時の倍以上だ。

 「・・・あまり、ユウマを刺激するな。」

 「それが貴方の答えですか。」

 カノンの溜息にハルオミは拳を握る。

 生活の事も特備隊の事も、白龍王の事でさえ上手くこなせてきた。これからも上手くこなせる自信がハルオミにはある。はずなのに。カノンの前では調子が狂う。

 「白龍王の依頼には貴方の助けが必要です。龍の顕現化は次の満月。こちらも命をかけるのですからそれ相応の準備は必要です。」

 毅然と。カノンは迷わずに自身の状況を話した。

それだけ、ハルオミを信用し協力を求めている。

 「・・・俺には何も出来ない。」

 自嘲するハルオミにカノンは目を瞑った。

 「そうですか。なら、邪魔だけはしないでください。」

 ハルオミの横をカノンが通り過ぎる。玄関のドアが閉まる。ハルオミはドアに背もたれ、月を見上げた。澄んだ夜空に白い月が輝いている。

 (もう、期待されるのは一人で充分だ。)


 玄関のドアを閉め、カノンは桜の髪飾りをつけた。小さくなった体には着ていたシャツは大きく、引きづる形になる。

 あんなにも愛情深いくせに、一旦警戒すると解くのは難しい。

 (ああ、ユウマはあんなに真っ直ぐなのに。ハルオミときたら。いいですよ、これから関係性を築けばいいんですっ!)

 小さな両拳を握りカノンは足を踏み出し、


 「あだっ!?」


 シャツの裾を踏んで顔面から転んだ。


 「どうしたっ!?」

 ハルオミが玄関に入ってくる。玄関に座り込んだカノンが居た。額と鼻が赤くなっている。屈んだハルオミにカノンが涙ぐむ。

 「貴方のせいですっ!全部っ!!」

 ポカポカと小さな拳でハルオミを殴った。

 「ぉい、どうしたんだ。」

 「とにかく貴方のせいですっ!ボク言いましたよ、自分の意見を持ちなさいって!!」

 「うるさいよー、リオンが起きちゃうー。」

 ひょこりと顔を出し、大きな声で「静かにー!」と諌めるユウマの声は勿論リオンにも届いていた。


ーーー



 私室のソファに持たれエンジュはワイングラスを掲げた。異国情緒溢れる家具はどの品も一点物だ。

 赤い、赤い液体。自身の髪の色に良く似てい る。 

 ユラユラ揺れるワインを眺めるとグラスの中で揺れるワインに女性が映った。

 「エンジュ様。」

 「なんだ?」

 いつの間にか背後にミラーの姿があった。

 「『顕現』の件でございます。」

 「あーあれな。」

 興味が無いとエンジュはワインを飲み干した。

 「顕現とは肉体と生命力の分離。使役龍の実体化を行う事にございます。前王であらせらるお父上も『龍降ろし』の方法を模索されておりました。お父上は力の分散を行いましたが、」

 「無駄死になったんだろう?」

 くだらないとエンジュが手を振る。

 「強大な龍の力を受け止める事は私達でも容易い事ではございません。」

 「で、何が言いたいわけ?」

 前置きはいらないとエンジュは言っている。

 「この機会に赤龍も顕現させては、と。」

 ミラーの口角が上がる。

 「赤龍を?」

 「顕現化されれば、龍の呪いも消えますでしょう。なんせ月の巫女はシュッツシェールの最高位なのですから。」

 「あのガキがねぇ。」

 龍宴で飛び跳ねていた子供の姿を思いだす。

 「月の民は独自の思想で行動します。世界の秩序や道徳心等持ち合わせておりません。なので、こちらもそれに便乗すれば良いかと。」

 「それで俺が得するなら好きにしていいぜ。」

 振り返ったエンジュは赤い目を細め口角をあげていた。その笑みにミラーも満足する。

 「黒の兄弟纏め『地下牢』に入れましょう。」

 「そりゃあいい!どうせならあいつの顔もぐちゃぐちゃにしてくれよ!」

 腹を抱えて大笑いするエンジュにミラーはニッコリと微笑んだ。

 「エンジュ様の思いのままに。」


ーーー

 

 カノンが指定した満月まではあと一週間ほどだ。

 それまではカノンは幼女のまま過ごしていた。あれから変わった事は起こらなかった。


 「なんでだよ!何で捕まえらんねーんだっ!?」

苛々とヴィントが叫ぶ。カノンはフンと鼻を鳴らした。

 「当たり前でしょう。この姿が強いのだから。」

 幼女の姿でヴィントから逃げ回る。

 ぴょんと飛び跳ねてはかわし、くるくる回る。おちょくられているようでヴィントの頭には血が登っている。近頃の午前の訓練では良く見る光景だ。

 「あっー!マジムカツクッ!捕まえたらぜってーおっぱい揉ませろよっ!」

 「捕まえたら、ね。」

 そう言い、カノンはヴィントの背後に回って飛び乗った。地面に突っ伏したヴィントは動かない。

 「・・・ヴィントの奴。副隊長の言葉じゃねぇよな、まったく。」

 「ガシャコ。」

 急に現れたハルオミにガシャコは敬礼する。

 「やー、隊長。奥さん今日も絶好調ですよ。」

 「これ、ヴィントに変わって処理してくれ。」

 ガシャコの言葉を流し、ハルオミは要件を伝える。ガシャコは肩を落とした。

 「ユウマは?」

 「東の丘で子供同士遊んでますぜ。」

 「そうか。」

 ガシャコの言葉にハルオミは目を伏せた。

 「寂しいんですかぃ?」

 「そうじゃないさ。」

 ガシャコの言葉にハルオミは首を振った。ガシャコとは長い付き合いだ。

 「ハルオミもこんなに立派になったんだ。ユウマもこれから立派になるさ。」

 ガシャコの言葉にハルオミは目を丸める。『ハルオミ』と呼ばれるたのら久しぶりだった。

 「そろそろ、手離してみようぜ?お前の愛情はユウマに届いてる。信じてやれ。」

 ポンと肩を叩かれる。

 「それに、所帯持つんだからいつまでもユウマと一緒に居られるわけじゃあるめーし。奥さん大事にしなきゃ、なっ!」

 ニカっと向けられた笑顔にハルオミは心底嫌そうな表情になった。

 「だから、奥さんじゃない。」

 「いやー、実は皆願わくばシュッツシェールとお近づきに〜って計画してたんだよー。宴終わって町で飲み行ってな。それが「悪かった。それは俺が悪かった。」

 翌日に軍寮を奇襲され、処理を行いその後は西の塔の警備。療養中のハルオミに代わりフェンの指導をしながら隊の指示をだしていたのは実質ガシャコだ。ガシャコや古株達が休暇とれた頃には魔導師達は国から出て行っていたのだ。

 「ハルオミ。」

 ぴょんぴょん跳ねて飛んできたカノンはハルオミの胸に飛びついた。コアラのようにがっちりとしがみつく。

 「隊長!そいつこっちに投げ飛ばして下さい!」

駆けてくるヴィントにハルオミは嘆息した。

 「・・・投げるわけないだろ。」

 そう言ってハルオミはカノンを抱き直した。

 「そうです。この人は子供には優しいんですからね。ねぇ?」

 「やっぱロリコンすね?!Mでロリってヤバいですよ!?」

 そうカノンに問われたハルオミは返答しなかった。代わりにヴィントがキレ気味で答える。そんなヴィントにガシャコが上官に対する敬意を持てとヴィントの頭に拳を落とした。



ーーー



 カノンの特訓を受けてからリオンは月光浴を欠かさずに行った。その隣にはいつもユウマがいた。

それだけで安心できた。

 『月力は停滞させずに流しなさい。澱みなく、取り入れるのがコツです。』

 つまりは力を使い続ける事だとカノンは言っている。

 ユウマが行っている訓練もリオンが作った桜の花弁追いかけ、捕まえる物だ。10人の同年代の男の子たちと駆け回り、無数の花弁を追いかけている。ふわふわ飛んだり、スッーと真っ直ぐ早く飛んだり。

 「まてー!」

 無邪気にユウマは桜を追っている。他の子の目標が3枚ならユウマは100倍の300枚だ。これもカノンがたてた目標なのだが。

リオンも300枚取られないように集中するが、花弁を追いかけ飛び跳ねるユウマの姿にほっこりしてしまう。

 何人かの子供達と入り混じりユウマを眺めている時、

 (・・・何?)

 背後から視線を感じる。殺意を持った視線だ。

1つじゃない、複数の視線が全身に突き刺さる。

 (どこから!?)

 桜の花弁を纏い、左右を見渡す。

 視られているが周囲に姿が見えない。

 (国の四方はお姉が結界を張ってる。なら、中から視られてる?!)

 見えない誰かにリオンは焦った。両手を広げ花弁を飛ばす。無数の花弁が空中を舞う。それでも視線を感じ続ける。


ーカチリ


 隣から聞こえた金属が擦れる音。

 「1、23、4、5。」

 すぐ傍でユウマが空を見つめていた。

 無表情な横顔はリオンが初めてみるユウマだった。左手には銃を構えている。

 ユウマは迷う事なく、空に向かって発砲した。

空にヒビが入り、中から小さくどす黒い玉が出てくる。

 ズボンのポケットから折りたたみナイフを取り出し、黒玉目掛けて投げた。


パリン!

バキッ!


 2つの黒玉に命中したが、後の3つは消えてしまった。ナイフが地面に落ちる。


 「あーあ、逃がしちゃった。」

 むっーと膨れたユウマのは普段の姿だった。けれど、先程の、手慣れた銃やナイフの扱い。

 「リオン、平気?」

 眉を寄せ、ユウマがリオンを覗きこむ。

 リオンは我に返った。

 銃撃に他の子供達も気付き、恐る恐るという感じで近付いてくる。

 「・・・また、ホリビス?」

 「でも、結界は直ったよね?」

 「また誰かが壊した?」

 皆、困惑していた。ヒソヒソと声を細め怯えた目を向ける。

 「ホントだよねー。わけわかんないねー。」

 腕組み、ユウマも不機嫌にうんうんと頷いた。

 「わけわかんねーのはお前だよ!」

 「へ?」

 きょとーんとユウマは首を傾げた。

 「急に空に銃ぶっ放して、穴開けてナイフ投げてさ。」

 「あん時もホリビス全部殺しちまうし。」

 口々に少年達が声を出す。

 「普通じゃねーよ。」


 ざわざわと風が吹いた。

 静寂が包む。その後にユウマが静かに口を開いた。

 「ふつーって何?」

 空気が、肌に触れる温度が下がった。少年達の表情が強張る。

 「教えて?ふつーってどーしたらなれるの?」

 小首を傾げユウマは少年達に聞いた。普段の仕草なのに、異質に見える。話をしては、見てはいけないと。

 「ねえ、」

 昼なのに、何故だか肌寒く、身体が重い。少年達は冷や汗をかいていた。

 「教えてよ。」


ーぽんっ!


 フワッとユウマの前に桜の花弁が舞った。

 「ほら、もう訓練に戻りましょう!沢山花弁出しますからねっ!」


ーぽんっ!ぽんっ!


 小気味良い音と共に桜の花弁が舞う。ふよふよ浮くそれにユウマの視線は釘付けだ。

 「さくらーっ!」

 舞った花を追いかけるユウマに少年達は茫然としていた。

 「・・・。あいつこえー。」

 「うん。もう関わりたくない。」

 少年達はそう言い、ユウマから離れた場所の木陰に集まった。花を追いかけているのはユウマだけだ。

 沢山の花弁に囲まれてはしゃぐユウマは楽しそうだった。その姿が痛々しくリオンには映っていた。


ーー


 桜の花弁を目標通り集めたユウマはご機嫌だった。服の裾を持ち上げ、集めた花弁を入れている。

 他の少年達は先に戻っており、リオンとユウマだけが残っていたのだ。

 「えへへっー!さくらいっぱ〜いっ!」

 上機嫌のユウマにリオンも微笑む。

 「良かったですね。」

 「うん!ハルとカノンに見せるっー!」

 服の裾を持ち、集めた桜を眺める。

 そんなユウマの半歩後ろをリオンを歩いていた。

 さっきの事、ユウマは気にならないだろうか?

 自身ならあんな除け者みたいに言われたら気になり、傷つくのに。

 それにしても、あの赤黒い玉は何だったのか。

考えてみるがわからない。わからない時は

 (取り合えず、お姉に報告ですね。)

 風が冷たい。嫌な風だとリオンは思った。



 日が沈み、夜が降りてくる。

 城下町に灯りが点る。休息の時間が訪れる。


 今日の訓練の成果だと桜の花弁を見せるユウマにハルオミは頭を撫でた。

 「すごいぞユウマ。」

 「んっ!」

 その様子をカノンはつまらなさそうに眺め、後片付けをしているリオンに視線を移した。

 リオンは何も言わなかったが、カノンには落ち込んでいるように見えた。

 「あ、ハル。弾の補充したい。お部屋にある?」

 突拍子なくユウマがハルオミに言った。ハルオミは眉を寄せる。

 「よし、じゃ取りに行くか。」

 「はーい!」

 ハルオミに促さられ2人は部屋から出て行こうしたタイミングで、カノンが髪飾りを取った。

 「色々と隠すのは貴方も面倒でしょ?僕も話が聞きたいですし。」

 ハルオミの背に声をかけたカノンは大人の姿でソファに持たれ脚を組んでいた。白い太腿が見える。

その姿にハルオミはキッと睨みつけた。

 「こちらの事に口を出さないで貰おうか。」

 「貴方が常日頃からユウマに行っているのはその場凌ぎなんですよ。ユウマは貴方が思っているより、賢く強い子です。」

 挑発するようなカノンにハルオミの目付きも厳しくなる。

 「お姉、あまりそういう事は」

 不穏な空気を感じリオンが制する。

 「ハル怒ってる?」

 きょとユウマが場に削ぐわない声で聞いた。

 「怒ってないよ。」

 ハッとなりハルオミはユウマの頭撫でる。

 「そうやっていつまで偽るんですか。」

 ギロリとカノンが睨んだ。


 「あまり僕をイライラさせないで下さい。」


 窓に向かってカノンは手を伸ばすと、ギュッと拳を握った。


ーバリンッ!


 外で弾けた破片と赤黒い液体が窓ガラスを汚す。


 「覗くなと言ったでしょうが。」


 更にカノンは頭上に手を伸ばし拳を握る。


ーバリンッ!


 屋根の上でも音がした。


 カノンはキッチンの方にも手を翳し、握る。

 キッチン側の小窓が破裂音と共に赤黒く染まる。


 一連の出来事にシンと静まり返った。

 ハルオミは言葉を失っていた。リオンは更にだ。先程まで、小窓近くで片付けをしていたのに気付かなった。

 「カノンすごーい!オレ、逃がしちゃたのにー!ねぇ、さっきのどーやったの!?」

 ユウマはカノンの横に座り教えてほしいとせがんだ。

 「そうですねえ。まずはユウマが逃がした話を聞いてからね。」

 「えっとねー。」

 必死に思い出そうとするユウマに微笑んだ後、立ち尽くすハルオミを見やる。

 「貴方も座ったらどうです?リオンも。」

 「リオンこっちー!カノンつめてー。」

 自身の隣をポンポン叩き、ユウマはリオンを呼んだ。

 「嫌ですよ。」

 「じゃあ小さくなってー。」

 「嫌です。」

 「カノン、わがままー、いった!」

 ベシッと扇子でユウマの頭を叩く。

 「それが人に物を頼む態度ですか。」

 「そっかー!カノンお願いつめてー。」

 「仕方ないですね。」

 そういうとカノンは右端に寄った。

 「ユウマ。最近馴れ馴れしくなってますよ。気をつけなさい。」

 「はーい!」

 右手を挙げて返事したユウマは本当に理解しているのか怪しいものだったがカノンは何も言わずにハルオミを見た。

 その視線に責められているようで居心地が悪い。


 「えっとね、花弁がね、変な動きしてたのー。それでね、銃で撃ったら空が割れて中から変な玉が出てきたからナイフ投げたら、赤いドロッとした液が出てきたんだー。2個は当たったけど、3個は消えちゃったー。」

 ユウマの話を黙って聞いていたカノンはリオンを見る。

 「・・・複数の視線を感じたんです。お姉の結界の中だから、ちょっと怖くなって。花弁を飛ばして視線を遮ろうとしたんですけど。」

 「成程。」

 全体の概要を掴めたカノンは2人の頭を撫でる。

 「良くやりました。あれは宮廷魔導師の監視魔法です。」

 「かんし?」

 ユウマは相変わらずきょとんとしているがリオンは青褪める。

 「お行儀の悪い覗きです。『月の民』はレアですからね。その中でも僕は滅多にお目にかかれない人物ですよ。」

 「ふぅーん。」

 ユウマはあまり理解していない。

 「ねーぇ?」

ユウマがカノンを見上げる。

 「じゃあカノンはふつーじゃないの?オレと一緒?」

 考え込んでいたハルオミが顔をあげる。ユウマはカノンを見上げていて気付いていなかった。カノンだけが正面からハルオミを見ていた。

 「普通じゃないとはどういう意味で、ですか?」

 「わかんない。今日言われたんだ、ふつーじゃないって。銃使ったからかな?ナイフ?よくわかんない。教えてもらえなかったー。」

 納得がいかないと頬を膨らますユウマにカノンは目を細める。

 「まぁ、生まれ持った力がより強い僕は普通ではないので特別視されてますけども。ユウマは普通がいいんですか?」

 そう問われユウマはコテンと首を傾げた。

 「普通は平均値です。どのような場面でそう言われたかはわかりませんが。ユウマはユウマらしくあればいいんですよ。前にも言ったように。」

そう言うカノンにユウマは漆黒を丸めた。

 「オレはオレらしく?」

 「今のままでいいのです。普通は真似できますけど、特別抜きん出た才能は真似できませんからね。誇りに思いなさい。」

 ニカっとカノンが歯を見せて笑った。ユウマは頷いた。

 「うん!オレはオレらしく!」

 「リオンもいつまでもへこたれてないでユウマを見習いなさい。」

 「はい。」

 リオンも力強く頷くと立ち上がった。

 「残りの片付けやってきます。」

 「オレも手伝うー!」

 ユウマとリオンは立ち上がるとキッチンに向かった。

 ハルオミはただ座っていた。

 ユウマが懐くのも無理はない。

 自身にはこんな事はできない。

 母親の代わりにはなれない。

 「リオン、ユウマ。また覗き何かされたら嫌でしょう?後で対処法教えますからね。」

 「はーい!」

 キッチンに声をかけるとユウマの元気な返事が返ってきた。

 「さて。」

 身体を向き合わせてカノンはハルオミを見つめた。

 「弾を見せてもらいましょうか?」

 「何故だ?」

 眉を寄せ睨みつける。

 「嫌な人ですねぇ。ただの銃弾で結界が破壊されるわけないでしょう。」

 魔具だとカノンは言いたいのだろう。

 「補充するのでしょう?」

 ハルオミは観念した。どうせ口では勝てない。

 「・・・取ってくる。」

 重い腰を上げたハルオミにカノンも面倒そうに言った。

 「いえ、部屋なら一緒に行きますよ。」

立ち上がり、カノンはハルオミの左腕を掴んだ。

 「ここでは術は使えないですからね。」

 「?」

 訝しむハルオミにカノンは悪戯っぽく笑うだけだった。


 以前は整理整頓された自身の部屋は今は乱雑に物がが増えている。

 原石や薬草といったものや、ハルオミには理解出来ない物が。

 盗られて困る物はないので気にしていないが、こうも他人の部屋を我が物顔を使われると怒りを通りこして感服すらする。

 「これが魔封弾だ。」

 厳重に管理しているようで護符の貼られた木箱に入っている。その中の1つを手に取りカノンはマジマジと見つめた。

 「護符を貼る必要がない程、微力な魔力しか感じません。結界を破る力があるとは思えない。銃の方からもそれ程強い力は感じられませんでしたけど。」

 ハルオミが黙っているとカノンは付け足すように話す。

 「ちゃんと貴方の言い付けは守り、『触らせて』くれななかったので安心して下さい。」

そう言い、カノンは木箱から護符を剥がす。

 「ユウマが使うのなら僕よりリオンの方が良いでしょう。こちらは預かりますね。」

 木箱を受け取りカノンは嘆息した。

 「貴方ホントに生きづらそうですね。思った事は口にしていいんですよ。」

 「・・・。」

 黙るハルオミの手を取り、指を絡めた。その柔らかな温もりにハルオミの体が揺れる。

 「貴方も貴方らしく、望んでいいんですから。」

 その言葉ハルオミの心に深く突き刺さった。


 だいぶ昔も同じ事を言われた。

 『貴方は貴方なのだから。』

 月が照らす、あの木の下で。


 「・・・。」


 固まるハルオミをカノンは見つめる。

 虚空を、一点をハルオミは見ている。

 また意識が飛んでいるが前回とは違うようだった。


 月の民が狙われるのはその美しい容姿での愛玩目的もあるが、『月力』と呼ぶ特殊な能力にあった。

 他者の願いを叶えると言われているが正確には『潜在能力を呼び起こす』力の事だ。

 傍に居るだけで、共に生活していればその恩恵を受ける事がでる。

 『仮』契約のハルオミに取って、それがどのような形で現れているのか。まして、月の巫女の自身の影響は。

 絡めた細い指にカノンが力を入れる。

 「!」

 ハルオミの瞳に光が戻った。

 「立ったまま寝るなんて器用な人ですね。」

 呆れるカノンからハルオミは手を離した。



ーーー


 宮殿の東側、その中、3人の痛みに悶える奇声が発せられた。

 「・・・、あの小娘めぇえっ!!」

 髪を振り乱しガルシアは静かに言った。

 「騒ぐな、ガルシア。妹の方も忌み子に邪魔された。」

 「白龍を降ろす契約は行ったようだ。」

 「我らが王、エンジュ様に劣る龍との契約だ。力を失った時に捕まえてしまえばいい。月の女は快楽に弱い売女だ。何も臆する事はない。」

 「それなら捕まえて売り払ってしまえば良いではないか。」

 「我らが危険視する黒龍さえ封じ込めれば良かろうて。」

 リベラの言葉にベネットが言った。

 「ならば兄だけ閉じ込めればいいな。弟はまだ子供。」

 「しかし、兄は白龍王のお気に入りだぞ。」

 「正しく導くのは古の魔導師の務めだ。我らが関与することではない。」

 口々に意見が述べられる。

 「囀るな。エンジュ様の意思に従えば良い。」

 面倒だとミラーが閉めた。ミラーが出ていったのを四人は睨みつける。

 「・・・いい気になるなよ、年増が。」

 ガルシアの悪態にペレスが噴き出した。


ーーー



 『面白い物を見せるから起きていなさい。』

 そうカノンに言われ、ユウマは眠い目を擦り起きていた。リオンはカノンの手伝いをしている。

 「何にか飲むか?」

 「トイレ行くからいいー。」

 ソファで左右に揺れるユウマにハルオミは苦笑し、隣に座る。ぽてとユウマがハルオミに持たれた。

 「何見せてくれるのかなー?」

 「さぁな。」

 「何でいっつも夜なんだろー?」

 「月が出ているからだ。」

 「そっかー。」

 喋っていないと寝落ちしてしまいそうなユウマが微笑ましく愛らしい。ハルオミにとって大切な家族だ。

 「ユウマ、さっきの話だけど。」

 「さっきー?」

 目を擦るユウマにハルオミは続けた。

 「普通じゃないて言われたんだろ?」

 「うん。」

 ぽけっ〜と虚ろ目のユウマは限界が近いようだ。

 「嫌だったか?」

 ハルオミの声に更にユウマの眠気が増す。

 「んー?嫌とかわかんない。普通がわかんないから。ただね、何か、一緒に遊んでも楽しくなかった。」

 桜の花を追いかけて捕まえる。遊び感覚だが、少年達が相手との距離の詰め方を学ぶには持って来いだとハルオミは考えていた。自然に身につくならそれで。しかし、ユウマには合わなかった。ハルオミ自身も少年時代に同年代と接した記憶はない。全て大人に混じっていた。ユウマも同じようになっていくのだろうか。

 「やっぱりオレ、ハル達と一緒がいい!今までどおーり!」

 にこーとユウマが笑う。

 「そっか。」

 ハルオミもユウマの返答に笑った。

 「なら訓練中は饅頭我慢にしないとな。」

 「やぁーだー。ミルク饅頭美味しいもん。クリームパンも好きー。ミレのとこのご飯も好きー。」

 グリグリと頭をハルオミに擦り付けるユウマは楽しそうだ。

 (そうだ、俺が望んでいるのはユウマの笑顔だ。

 ユウマの幸せ。ユウマに生きていてほしい。)


 「・・・あの、準備出来ました。」

 おずおずとリオンが窓の外から声をかける。

 「面白いものっー!」

 リオンの声にユウマが勢いよく両手を上げた。もちろん、ハルオミの顎に当たる。

 「・・・庭に来て下さい。」

 「庭っー!」

 顎を摩るハルオミを気にせずにリビングを飛びだす。

 (眠気の限界にきたな。)

 ハルオミは立ち上がる。


 今夜は空気が澄んでいるのか、月の白さが際立っていた。夜風は冷たい。

 「わー髪下ろしてるー!リオン可愛いー!」

 「・・・恥ずかしいです。」

 普段はお団子で纏めている髪を下ろしている。

 寝衣と違い、薄い生地を羽織っている。

 桜が舞う。

 「リオン、ユウマ。」

 「お、お前っ!!?」

 リオンを呼ぶカノンの姿にハルオミはギョッとなった?何故いつもこうなんだ。

 「何ですか?」

 カノンの格好はリオンと違っていた。布が更に薄くうっすらと肌が透けて見える。

 「その格好は!?」

 「古舞の衣装です。どうせ隠れるのだから騒がないで下さい。ほら、2人とも来なさい。結界張りますよ。」

 カノンの声にユウマが返事をする。

 「カノン寒くないのー?」

 ユウマの第一声がそれだった。ヴィント辺りは喜ぶか全部見せろと文句を言いそうだ。

 「結界張るから問題ないです。」

 そう言ってカノンはパンッ!と手を鳴らした。

 光が円を描き広範囲に広がる。

 「キレー。」

 光を目で追いユウマは喜んでいる。


 「これは月の民の伝統古舞です。ご堪能あれ。」

 リオンはカノンの横に立つと2人は一礼した。それが合図のようにしなやかに身体を動かしている。

 2人は月灯りに照らされている。

 カノンの言っていた『どうせ隠れる』は逆光で影しか見えないという意味だったのかとハルオミは理解する。ユウマは瞳を輝かせて2人の舞を見ていた。

 確かに、息のあった舞いは美しかった。

 刺繍が月の光を集めているように輝いている。

 影になっている事で薄手の布がひらひらと揺れる度に天女の様に天使の羽のように見える。

 伸びる手足が、型に見惚れる。

 全身に月灯りを浴びているカノンもリオンも気持ち良さそうに舞っている。

 桜の花弁が舞う。その演出が更に幻想的に映る。

 舞終わった2人が一礼する。

 「すっごーい!!」

 語彙力の乏しいユウマも興奮している。

 「リオンすごっーい!」

 リオンは照れ笑いを浮かべた。

 「まだまだですよ。でもいつかお姉みたいに上手く舞えるように頑張ります。」

 「もっとすごいの!?オレ絶対見たい!」

 リオンは頬を染めて頷いた。

 「如何でした?」

 カノンがハルオミに近付く。月灯りに照らされる美貌。大人の姿になるとどうして露出度が高くなるのか。

 「終わったなら服を着ろ。」

 「貴族が農地の一部を差し出す程の舞をみた感想とは思えませんね。」

 片眉を上げ不機嫌さを表すカノンからハルオミは視線を外す。

 「舞は素晴らしかった。」

 「それだけですか?ユウマはあんな感動してるのに。」

 見るとユウマはリオンを抱きしめていた。リオンは二重の恥ずかしさでオーバーヒート状態だ。

 「あ、ユウマ。あんまりリオンにくっつく、」

 「別にいいじゃありませんか。」

 ハルオミの背に身体を寄せ、腰に腕を回した。薄布から、直に感じる体温。

 「僕達が気を許せるのは村人以外は居ないのですから。」

 甘い香りに酔いそうになる。この匂いはどうも苦手だ。思考が鈍る。


 甘い、甘い匂い

 いつか嗅いだ匂い

 君の香り


 「っ!?」


 ズキッと頭部に痛みが走る。ハルオミはこめかみを抑えた。


 「どうしました?」

 「・・・何でもない。」


 急な痛みに眩暈は直ぐに治った。ハルオミは息を吐いた。

 「貴方に月の加護がありますように。」

 いつの間にか前に回っていたカノンがハルオミの顔を掌で包み微笑んでいた。

 いつも違う、愛しい微笑。

 綺麗だと思った。

 微笑を浮かべたカノンが近付く。

 互いの唇が触れていた。

 「!?」

 驚いて離れたハルオミにカノンは不敵な笑みを見せる。

 「ふっふっふっ。これで無事に終えれそうです。あのババア共っ!僕に喧嘩を売った事を後悔させてやりますよっ!」

 拳を握りしめ急に、闘志を漲らせるカノンをユウマとリオンが不思議そうに眺めている。

 ハルオミは口元を抑えるしかなかった。

 不意打ちとはいえ、国賓とキスをするなんて極刑ものだ。しかも、国王が側室に迎えたい人物。

 「2人共家に入りますよ。ユウマ、お風呂沸かして下さい。リオン、一緒に入る準備を。」

 「さっき入ったのにー?」

 「つべこべ言わずにしなさい。」

 「はぁーい。」

 ユウマはリオンの手を引いて家の中に入っていく。

 ハルオミはいまだに茫然としたままだ。

 振り返りカノンは言った。

 「龍を降ろすのは貴方の力が必要です。それを忘れないで下さいね。」

 返事を聞かずにカノンは踵を返し家の中に入った。



ーーー


 

 月が世界を照らす。

 夜闇に光を灯す。

 室内に降り注ぐ月灯りが青く染めていく。

 ジェンシャンは室内で佇んでいた。

 王が探し求めていた『月の巫女姫』

 龍を顕現化できるであろう人物。

 

 十六歳でこの国に嫁いで二年。未だ後継ぎを授からない事で白龍王の立場が危ぶまれている事は耳にしていた。祖国である藍玉国の両親からも後継ぎはまだかと急かされる手紙が届いている。

 しかし、それはジェンシャンだけではどうにもできない問題だった。


 「・・・。」


 カツカツと足音と焦る声が聞こえる。そそてドアが開いた。ジェンシャンは顔を上げた。ラズライトの瞳がドアに向けられる。

 「あれ、兄貴いないんだ。」

 「エンジュ様、勝手は困ります!」

 「灯りも付けずにどーしたの義姉さん。」

 焦っているのは宮殿メイド長だった。

 「兄貴いないなら戻るよ。早く息子が産まれるといいな、義姉さん。」

 ニヤニヤと嘲ける赤い目をジェンシャンは冷たい目で見ていた。

  静まり返った室内に残されたジェンシャンは微動だにせずドアを見ていた。

 義弟であるエンジュに良く思われていない事は知っている。

  この生活に不満はない。お飾りの妃であることも知っている。しかしそれを現王のケンシンに言う気も無い。

  「・・・綺麗でした。」

 ジェンシャンは呟いた。龍宴で見た月の巫女姫の治癒魔法。あれだけの力があれば一目置かれて当然だ。ケンシンの目が驚きから歓喜へ変わったのを見た時にやはり自分は無力だと知った。


ーーー


 次にエンジュが向かったのは龍の間だった。廊下のランプがエンジュのいく先を照らしては消える。

 巨大な扉がゆっくりと開いた。五匹の龍が描かれた丁度真下、光がふり注ぐ中ケンシンが立っていた。

 「兄貴ー。」

 集中しているケンシンにエンジュは声をかけた。

 ケンシンは目を開けた。

 「どうした?」

 「冷たいなー、あいかわらず。龍の顕現化、あれ俺も見てみたいんだよー。」

 「・・・。」

 「俺の将来にも関わることだしさ。って言うか、あいつを呼んで俺を呼ばねーのはなんでかなっーて。」

 目を細めエンジュは声を低めた。

 白龍が赤龍より力が弱いこと。亡き父が、前王が赤龍であったことがエンジュを傲慢にしている。

 「どうしてお前はこうなのかな。ハルオミと違って。」

 「あいつの話をすんなよ。」

 カッとなったエンジュにケンシンは憐れみの視線を向ける。

 「俺はあいつの存在を許さない。あいつを認める全てもな。」

 吐き捨てるエンジュの殺意、憎悪。

 エンジュはケンシンを睨んだまま踵を返した。

 嗜めるのに失敗したなとケンシンは思った。

 「・・・互いに壁を作っていては上手くいかないのも当然か。」

 ケンシンの独り言が空虚に響いた。

 

ーーー


 満月はシュッツシェールにとって最大限の力を活かす事ができる日だ。

 その中でも、月と星を崇拝する民族は更に潜在力が上がる。月の加護を受けた者達も例外ではない。

 月の巫女であるカノンが龍の顕現化に満月の日を指定するのは必然の事だった。

 「さぁ、今日は勝ちにいきますよっ!」

 「おっー!!」

 カノンが小さな拳を突き上げる。ユウマも勿論、真似をして突き上げた。隣でリオンも合わせている。

 「リオン。これはチーム戦です。一致団結っ!個人戦ではないのです。」

 「・・・お姉は戦に行くんですか?」

 「敵地に乗り込むのだから戦でしょう。大将のボクが取られたら負けです。心しなさい。」

 フンと鼻を鳴らすカノン。今日はとても大事な儀式だと聞いていたが、本当かとリオンは疑ってしまう。

 「大丈夫っ!オレがちゃんと敵は倒すからっ!」

 「今回はそんなんじゃないです。ボクを守りなさい。」

 意気込んだユウマのやる気を削ぐ発言もいつもと変わらない。

 「『龍降し』はボクも初めてですからね。想定外の事もおきます。ボクをあてにせずに各々で考えなさい。」

 「しょーちっ!」

 「リオンは『守』。ユウマは『攻』。その特性を忘れないでください。」

 「はい。」

 「はぁーいっ!」

 リオンとユウマが頷く。

 「己の身体を器として龍を産み落とす。それが龍降し。白龍王が望んでいる、顕現化です。その間はボクのサポートして下さい。では忘れ物をせずに乗り込みますよっ!特にユウマっ!」

 「ちゃんと弾も持ってまぁーす!」

 龍王宮殿の方角を指差すカノンにユウマが続く。

 「ねー、ハルはどっちなのー?こー?しゅー?」

 ユウマに聞かれカノンは不機嫌に答えた。

 「あの人こそ、亀の甲羅より硬い『守』です。」



 「・・・。」

 急にモヤッとした。この不快感は緊張からきたのかなとハルオミは思う事にした。

 (・・・遅刻しなければいいが。)

 龍王宮殿前でハルオミは三人を待っていた。カノン達が月の巫女だという事は知られてない。

 箝口令でも敷かれているのか、カノンが上手く隠しているのか。ユウマが常に一緒なのだから護衛は必要もないわけだが。

 「・・・はぁー。」

 思わず出た無意識の溜息。


 「・・・。」

 視線を感じる。何度も晒されてきた殺意。

 宮殿の中から感じるそれに、ハルオミ顔を上げた。

 2階の窓に見える赤髪。赤い目。

 赤龍の称号を持つ者。王弟である事は直ぐにわかった。

 龍の儀式なのだから参加するのは当たり前か。

 

 「ハァールッー!」

 宮殿門からユウマが手を大きく振って呼んでいる。

 ハルオミはユウマの方に足を向ける。



 「お待たせっー!」

 ユウマはいつもと変わらない。

 「それじゃ行くか。」

 ハルオミも普段通りにユウマに接する。

 「オレ、『こー』なのっ!ハルはかめさんの『しゅ』!弾も準備万端っ!絶対勝つのっ!頑張るっ!」

 意気込むユウマにハルオミは頭を撫でてうんうんと頷いた。

 「あはは。ユウマは頑張ってるだろ?」

 「もぉ違う!頑張るのっ!リオンもカノンも護るんだっ!」

 真っ直ぐにユウマがハルオミを見つめ、そして意思を伝える。

 「でもね、オレだけじゃ足りないんだ。だから、ハルもお願いっ!」

 「・・・そうか。」

 撫でていた手を引っ込めたハルオミにユウマは首を傾げた。

 「じゃあ行こうか。」

 「ハル?」

 ユウマの無垢な瞳がハルオミには見れなかった。こうも純粋に強く想える分にはまだいいのかもしれない。

 「ハルっ!」

 ユウマがハルオミにしがみ付く。

 「いつもみたいに約束してっ!」

 本人は気付いていないがユウマがハルオミなや抱き付くのは寂しい時か絶対に譲れないおねだりだ。それを知っているハルオミの頬が緩む。

 ユウマの存在はハルオミを認めている。

 「・・・仕方ないなぁ。わかった。」

 「えへへっ。ハルがいると安心っー!」

 笑顔のユウマの頭を撫でるとユウマ満足そうに猫のように擦り寄った。



 ユウマがハルオミを見つけ駆けていく。その少し前。

 カノンは足を止めた。

 「リオン、止まりなさい。」

 リオンも指示通り足を止める。

 「この先は結界が張られてます。」

 以前訪れた時は無かった結界が張られている。小賢しいとカノンは思う。

 「外にこうも張られていたら宮殿内はガチガチでしょうね。」

 邪魔をされているようでムカついたが、約束をしたのは白龍王だ。王弟である、赤龍とは話していない。

 「五匹の龍の話を覚えていますか?」

 「あ、はい。」

 リオンは頷く。

 「今回はね、五匹の龍で最強の龍を降します。」

 淡々と話すカノンの横顔をリオンは不安気に見つめる。

 「お姉に言われた通り、放出は出来るようになりましたけど・・・。」

 リオンがこれまで行っていた治癒は自身の月力を体内に送る。

 「安心なさい。貴女にはユウマがついています。」

 ニッとカノンが歯を見せて笑った。

 「見なさい、こんな気分が悪くなる空間で笑ってますよ。異常です。」

 視線の先のユウマはハルオミに頭を撫でられご満悦だ。しかもハルオミも愛情深くユウマを見つめている。

 「常人でもこの中に入るのは本能的に避けそうなのに。鈍感なのでしょうねぇ、ああ、羨ましい。」

 「お姉が羨ましがるなんて珍しい。」

 ユウマを認めてくれているようでリオンも嬉しかった。まぁ、嫉妬も混ざってはいるが。

 出逢った時からユウマは不思議だった。子どものように素直。ぽわぽわしていながらも、体術に優れている。時に無意識に他人を恐怖に追詰める事もあるけど。

 「門あっちー!」

 ユウマがリオンに手を振る。指さす先には宮殿への内門が見えた。

 「ボク歩けないから抱っこして下さい。」

 「え〜?」

 渋るユウマにカノンはハルオミを見た。ハルオミはカノンを無言で抱き上げる。

 「オレ、こういうの知ってるっ!ちょうきょーだっ!」

 「おや、良く知ってますね。」

 「またヴィントか。」

 ユウマに変な言葉を吹き込んで。ぶつぶつと言いながらハルオミとカノンが前を歩いていく。

 「リオン、行こっ!」

 差し出したユウマの手をリオンが握る。結界内に一歩足を踏み入れるが、不快感は無く、寧ろ充足感がある。

 「頑張ろっーね!」

 「はいっ!」

 ユウマが笑うと元気を分けてもらえる気がした。



 龍王宮殿内へ続く門には警備兵が立っていた。四人が進もうとすると、

 「関係者以外はこの先に進めません。」

 警備兵により、ユウマは立ち入りを禁じられた。

 「なんでオレだけっ!」

 「関係者以外は立ち入りを禁じられています。お引き取りを。」

 蔑まれた視線にユウマが唸る。槍を折ってしまいそうな勢いだ。

 「俺達は白龍王指示の元、お二人の警護に当たっている。」

 「そのような事は聞いておりません。お引き取りを。」

 口調は丁寧だが表情はニタニタと笑っている。悪意あるものだとわかるくらいに。

 「オレも入るっ!」

 「騒ぎを起こすようでしたら地下牢に案内しろと仰せ使っています。」

 『地下牢』

 その単語にユウマが敏感に反応した。

 「赤」

 「ユウマ、下がれ!」

 これ以上喋るなとハルオミが声を荒げた。ユウマはグッと唇を噛む。

 「儀式前にあまり気分の良い対応ではないですね。」

 警備兵をカノンが睨みつけた。しかし、警備兵達は気に留めていない。

 「うー。」

 「ユウマ。」

 リオンがユウマの手を握る。ハルオミが止めたのなら、それに従った方がいい。不安げなリオンの瞳にユウマも不安になる。

 「大丈夫ですから、ね。」

 ユウマは頷くとリオンの手を握り返した。真っ直ぐに黒曜石の瞳を見つめる。

 「うん。」

 名残惜しそうにユウマの手を離すとリオンはハルオミとカノンと宮殿に入っていく。

 三人を見送ったユウマが背を向けると警備兵から嘲るような笑いが聞こえた。宮殿の外に出て、ユウマは宮殿全体を見渡す。目を細めると空が波打っているように見えた。結界が張られている。

 (カノンの言ったとおーりだ。)

 むぅうう。と頬を膨らませユウマは空を睨みつけた。

 (各々で考える。忘れ物はない。リオンの御守りもある。)

 腰に巻いたポシェットを触りどうしょうか考える。

 「ユウマや。」

 振り返るとユタが立っていた。白のケープにミレに近い体型。にこやかで優しい笑顔に刻まれる皺。

 「こっちにおいで。」

 手を振る姿は安心感がある。

 「うん!」

 ユウマは笑ってユタに駆け寄った。



 宮殿の回廊を三人は歩いた。ユウマに『大丈夫』と言ったもののリオンの表情は強張ったままだ。

 「リオン、しっかりしなさい。既に術中ですよ。」

 敵陣に入り込んでいるのだと注意するカノンにリオンは前を向いた。


 龍の間は大きな扉があり、左右にシュッツシェールが立っている。前回のシュッツシェールと違い、若く豊満な身体を見せ付けるような黒衣にカノンはフッと鼻で笑った。それがシュッツシェール達を煽った。扉がゆっくりと開く。


 中央に開けた空間があり、少し盛り上がっている。儀式用の舞台のようだ。

 正面には現龍王のケンシン、白龍王妃のジェンシャン、赤龍のエンジュの姿があった。エンジュの付き人であるミラー、ペレス、ベネットの姿もあり既に防御壁が張られている。

 「はぁー。こう見えてボク人見知りなんですよねー。」

 やれやれとカノンが肩を落とす。

 「七人は流石に多いか。」

 カノンの大袈裟な仕草にクスッとハルオミが小さく吹き出した。カノンは眉を寄せて辺りを見渡し、ハルオミに降ろすよう促す。

 ハルオミはカノンの指示に従い地面に膝をついた。

 「頑張りますからね。」

 ハルオミの頬に小さな手で抑え、額にキスを落とす。

 その様子に壇上から高笑いが響いた。

 「なんだあれっ!!」

 笑う度に揺れる赤髪のウェーブ。赤髪から覗く赤い瞳にリオンは硬直した。

 (・・・なんで、)

 笑い続ける赤髪の青年の姿にリオンは言葉を失った。

 (・・・ハルオミさんにそっくり。)

 白龍王の隣に座る王弟。長髪と目の色が赤い事以外はハルオミにそっくりだ。弟のユウマより似ている。

 ただ、嘲る笑みは似ても似つかない。

 「リオン、行きますよ。」

 カノンの声にリオンはハッとする。カノンは気にしていない様子だ。ハルオミもリオンの様子に苦虫を噛み潰した顔だ。

 壇上に近付く前にカノンは髪飾りを外す。桜を纏い凛とした立ち姿に周りの人が息を飲んだ。

 月の女神、神夜の末裔。

カノンが中央に立つ。白龍王と龍王妃は軽く礼をした。左隣の赤龍王は面白く無さそうに頬杖をついている。

 「白龍王。私は全てを叶えたい。その為に龍の顕現が必要ならば月の巫女として力を貸しましょう。」

 ぽぅとカノンから光が発せられる。淡い光は月灯りを連想させる。


ーカシャン!


 「!?」

 ハルオミの前に杖が振られた。

 呪符がハルオミを囲むように上下左右の空間に浮かんでいる。まるで空間に貼りつけられているようだ。

 「大人しくしていろ、凶事の子。」

 ギロリと左右のシュッツシェールに睨まれる。ローブに記された紋様の『赤龍』にハルオミは舌打ちした。リベラにガルシア。宮殿内で何度か見た事があったエンジュお付きのシュッツシェールだ。

 「もう一度閉じ籠りたいなら刀を握れ。」

 「もっとも、次は地下牢だがな。」

 結界の中に閉じ込められたハルオミは睨みつけるしかなかった。



 壇上のカノンは両手を広げている。桜の花が円を描き増えていく。

 リオンも指を組み、祈りを捧げていた。勿論、ハルオミの異変には気付いていて気にはなっている。しかし、邪魔されるであろう事はカノンから事前に聞いていた。

 (・・・大丈夫、大丈夫。)

 不安をかき消すようにリオンは何度も心の中で呟いた。


 桜の花は円を描き増えていく。

 それに呼応するように、ケンシンから白い光とエンジュからは赤い光が筋となり導かれている。

 天井に描かれた五匹の龍の元に流れていく。

 エンジュも身体から発られる赤い光に驚いていた。

 「・・・何だこれ。」  

 「これは・・・。」

 己自身から流れでる白い光にケンシンも目を見開いている。

 「龍の力が解放されているのです。」

 ユタが白龍王の前に出て流れを見ていた。


 ケンシンが頭上に視線が向いている中で、エンジュはハルオミを見た。

 結界の中、黒い靄がハルオミを包んでいる。

 「くっくっ。」

 その無力な姿に笑いが込み上げる。



 桜が舞う中、白い光と赤い光が上を目指す、そして。


 眩い閃光から、二匹の龍が姿を現した。巨体を揺らし優雅に空中を泳いでいる。

 全員の視線を二匹の龍、白龍と赤龍に向けられた。

 「・・・。あれが。」

 驚きながらもケンシンの胸は高まっていた。ジェンシャンも目尻に涙を浮かべた。

 

ーキィイイン


 甲高い音が頭上に響く。それは超音波のように響いた。

 「!?」

 赤龍が口を開け、牙を向けている。明らかに敵意をむき出しにしている。

 「・・・威嚇しているのか。」

 ケンシンはエンジュに視線を向ける。エンジュは薄ら笑いを浮かべていた。

 「巫女の身体を奪っての実体化。それが顕現化らしいぜ?」

 ケンシンは眉間に皺を寄せた。二匹の龍は様子伺うように空中を漂っている。中央ではカノンが桜を飛ばし続いけている。ハルオミが居る結界の中は黒く染まっていた。

 「エンジュ、今回は勝手は許さんぞ。」

 釘を刺す兄にエンジュは肩を竦めるだけだった。



 靄で視界が悪い。ハルオミには結界外で何が起こっているの視認できない。

 ただ、龍が現れたのはわかっていた。自身の身体から溢れる黒い気が結界内で充満しているのだから。

 (・・・一体、何をしようとしているんだ。)

 『護って下さい』

 『力を貸してください』

 そうカノンは言っていた。龍の顕現に自身が必要だと。シュッツシェールの知識量は一般人を遥かに凌ぐ。さらに世の理を知る者が多い。勘の良いカノンの事だ。それなりに気づいているはずだ。

 (・・・気付いているから、待っているのか。)

 苛立ちにハルオミは奥歯を噛み締めた。



 頭上では獲物を狙うように赤龍が泳いでいる。白龍も隙をうかがっている。カノンは両手を広げ無防備な体制だ。

 

 『己の身体を器として龍を産み落とす。それが龍降し。白龍王が望んでいる、顕現化です。その間はボクのサポートを。』


 その隣でリオンは祈り続けていた。


 カノンが簡単に説明したのはリオンに気を使ったからだ。自分なら問題ないと。

 初めての儀式。まして異国の地で行う為、土地との相性も左右される。不安でしかない事なのにカノンは弱さをみせない。そんなカノンをリオンは尊敬している。

 桜舞う中、リオンはハルオミに視線を向ける。ハルオミは結界の中に閉じ込められしまった。

 神夜様のお告げは絶対だ。その宿命を背負ったカノンがようやく、心許せる相手と出逢えたのだから、妹として協力したい。

 (・・・大丈夫、きっと大丈夫っ!無事に終わるっ!)

 リオンは更に祈りを捧げた。


 二匹の龍が現れてから宮廷魔導師であるユタは白龍王の側を離れていない。

 「想定外です、白龍王。」

 ユタの声にケンシンは眉を寄せた。

 「巫女様の器に二匹も龍が入れば彼女は飛散してしまう。」

 「・・・。」

 エンジュが狙っていたのはこれかとケンシンは苦虫を噛み潰した。

 ハルオミの前で巫女姫を潰す事。巫女姫が居なくなればケンシンにとっても打撃だ。

 しかし、今この状況ではどうする事もできない。見守る事のみだ。ジェンシャンがケンシンの腕を掴む。不安気な瞳が見上げている。

 ケンシンはジェンシャンの身体を自身の方に引き寄せた。

 

 桜が周りを取り囲んでいる。神経が研ぎ澄まされ、敏感になっていく。極限まで月力を高めないといけない。何が起こるのかカノンにもわからない。

 (皆が幸せを願うように、僕も幸せになるんだ、今度こそ。)

 カノンは深く息を吸い込み、吐き出す。

 (・・・今度こそ幸せにする。)


ーゥオオオオッ


 赤龍が雄叫びを上げた。カノンに向かって突き進んでいる。


 「っ!?」


 カノンの前でリオンは両手を突き上げた。衝突音が、衝撃波が起こる。

 白龍王達のいる場所まで波打つ衝撃波にハルオミの周りに貼られた呪符が2枚が飛び散った。

 結界小さな隙間が出来、黒い気が流れ漏れる。視界が開け目の前に広がる光景にハルオミは言葉を失った。


 「・・・これは。」


 赤龍がカノン達を飲み込もうと口を開け襲いかかっている。

 上段に視線を向ければ白龍王の表情硬く、王弟は笑っていた。

 ハルオミと目が合うと更に歪な笑みが深くなる。


 「っう、うう。」

 歯を噛み締めリオンは耐えた。力を抜けば喰われる。

 赤龍の後方では白龍も構えていた。


 『赤龍は短気らしいので、こちらの準備が整うまで待つか。』


 カノンが呆れながら言っていた事を思いだす。

結界が破れないと知ると赤龍は離れた。赤い鱗を見せて泳いでいる。

 そしてまた、急速に降下してきた。しかも、今後は白龍も一緒だ。

 二匹の龍が迫ってくる。今はまだ、実体は無く、空気のようなモノだが、巨体なのは変わらない。恐ろしいのだ。

 「っ!!」

 勢いを抑えようとリオンは桜の花びらを飛ばした。二匹の龍にまとわりついただけで勢いは変わらない。

 (・・・大丈夫っ!)

 両手を前に出した。ジリジリと龍が迫ってくる。

 (・・・大丈夫、大丈夫っ!)

 リオンは何度も心の中で唱える。


ーオオォオッ


 (・・・怖い。)

 赤龍が巨体をうねらせ結界にのし掛かる。眼前に近付く牙に恐怖でリオンは顔を背けた。

 「リオンッ!集中しなさいっ!!」

 カノンの怒号が響く。


ーダンッ!!


 足元に衝撃音が響く。

 体は痛くない。

 「?」

 リオンはそっと目を開けた。


 「大丈夫?リオン。」


 目の前にユウマが立っている。


 「・・・ユウマ?」


 ユウマはニコッと笑うと視線を上げた。


 「こくりゅーが護ってる。」


 三人の周りを囲む黒い鱗。

 「・・・黒龍?」

 驚きでリオンの瞳が見開かれる。緑の瞳に映るユウマは笑顔を見せている。


ーォオオォオオオオ


 ユウマ達を護るように蟠を巻く黒龍の姿に赤龍は牙を見せた。白龍も唸りを上げている。


 ケンシンもエンジュも言葉を無くした。

 

 「・・・ユウマか。」

 「あのガキッ。」

 ギリリっとエンジュが唇を噛んだ。兄の方を結界に閉じ込めたが、弟が現れた。

 (・・・アイツも邪魔だな。)

 黒龍に護れているユウマをエンジュは恨めしく感じた。

 ユタの視線は天井に描かれた五匹の龍を見上げた。

 「おそらく、天井裏に潜んでいたものと・・・。」

 放出された気は天井に描かれた絵に向かっていた。ユウマが潜んでいたとしても、気は放出されるはず。予め、術を施していたのだろう。

 「・・・巫女姫は何を考えているのか。」

 まるで傀儡だ。ユタはカノンの手のひらで転がされている気がしてならない。


ーォオオッ!!


 ユウマ達を護りながらも、黒龍は牙を見せ攻撃態勢を取っていた。赤龍、白龍は手出しが出来ないようで黒龍から離れていく。それをカノンは見逃さなかった。


 「さぁ、きなさい黒龍!」

 「離れてはならぬ、白龍!」


 カノンとユタの叫びは同時だった。





 ユウマがリオンの前に降り立った時、カノンは確信していた。あとは、やり切るだけだ。

 「さぁ、ここからが正念場ですよ。心しなさい。」

 カノンの声にユウマとリオンは頷く。

 (・・・ハルオミ、信じてますよ。)

 その言葉だけはカノン口にしなかった。


ーピリッ


 3枚目の呪符が飛んでいく。ハルオミから放たれた黒い光は既に黒龍に流れていた。

 「・・・ユウマ。」

 黒龍の顕現。黒龍が三人を護っている。

 あの、黒龍が。


 この光景は明らかな龍王への反逆だ。極刑に値する。ユウマを助けないといけない。だが、ユウマは大事な人を護る事を選んだ。その邪魔を出来るわけがない。

 「・・・。」

 約束、兄として交わした約束。


 「さぁ、きなさい黒龍っ!」


 カノンが叫ぶと黒龍はカノン目掛けて突き進んでいく。カノンは桜の花で黒龍を包みながら、自身の体に受け入れた。

 頭が、胴体が、尾が。

 カノンに吸い込まれていく。

 その様子に赤龍と白龍は雄叫びを上げ、我先にとカノン目掛けて降りてくる。


 「だめぇ!入ってくんなぁ!!」


 銃身を盾にユウマが両手を伸ばす。

 バチバチと衝撃波が走る。

 リオンも両手を伸ばして桜の花弁を飛ばした。


 「重いぃ〜。」

 普段と変わらないユウマにリオンの緊張がほぐれる。先程と違って、花弁は赤龍、白龍に張り付いては動きを封じていた。

 (うん、良い調子!)

 ようやく、満足できる術が使える。やはり隣にユウマが居るとちがう。


 「・・・、2人とも、踏ん張りなさいよ。」


 大量の汗を流し、カノンが膝をついた。腹部を抑え、息が荒い。

 「お姉っ!?」

 「カノン!?」

 呼吸をする事さえ、苦しいのか、呼吸が乱れている。

 「リオン、カノンをっ!」

 「うんっ!」

 リオンが離れると、ユウマに掛かる負荷が一気に増した。

 「ぐぅう、」


 「お姉っ!大丈夫ですか!?」

 カノンの肩に手を置くと氷のように冷たく、肌もいつも以上に白かった。

 「・・・リオン、ユウマの、サポートを」

 一語一語区切り話すカノンの姿を弱っているカノンをリオンは知らない。

 「でもっ!」

 痛みがすこしでも和らげばとリオンはカノンの腹部をさする。カノンは苦痛に負けずに笑みを作った。

 「・・・。陣痛、みたいな物、ですかね。形成される、まで、時間が、・・・かかる。リオン、僕は大丈夫だから、自身のやるべき事をしなさい。」

 カノンに腕を掴まれリオンは頷いた。


 「マジでムカつく。」

 黒龍の姿にエンジュの苛々は止まらない。

 「早く喰っちまえよな。」

 繰り広げられる抵抗にエンジュは白龍王をみた。

 「これこそ、立派な反逆罪だなぁ、兄貴ぃー?」

 愉しげなエンジュにケンシンは視線だけを動した。

 「どの口が言っている?」

 エンジュはニタニタと笑っている。

 「実体が無いなら、ある方を排除すればいいな。」

 エンジュにミラーが弓を手渡す。受け取るとエンジュは防御壁をすり抜けそのまま着地した。

 「ケンシン様。」

 ユタの声にケンシンは二匹の龍に視線を移す。隣のジェンシャンがケンシンに寄り添う。

 「静観するしかあるまい。」

 ケンシンは静かに告げた。



 「くぅうっ!痛いっぃぃいっ!!」

 攻撃を防いでいる事にユウマは限界を感じていた。

 赤龍の口が開けられている。

 銃を撃ちたいところだが、実体のない龍には通用しないから防御に徹しろとカノンにいわれていた。

 「痛い、いたいっー!!」

 痛みで不機嫌になるユウマにリオンの右手が触れる。

 「リオン?カノンは?」

 「月の加護が、」

 「ダメッ!」

 ユウマがリオンの声を遮る。

 「リオンが痛いのもイヤッ!!」

 そうユウマが叫ぶが実際はかなり苦しいはずだ。

はらはらと赤龍に付いていた花弁が落ちている。リオンは花弁を飛ばしたが、まとわりついていない。

寸前で燃え落ちてしまっている。

 「何か、さっきより重たいの。だから、ダメっ!」

 必死のユウマにリオンは頷いた。両手を翳すと花弁が吹き荒れた。赤龍の重みが半減している。

 「ユウマの気持ち、嬉しいです。でも、私もユウマが痛いのは嫌。だから、半分こしましょう。」

 「ありがとう・・・ぁっ!赤いのっ!?」

 微笑んだリオンの背後に弓を構えたエンジュの姿がユウマの視界に映る。

 「リオン!桜いっぱいっ!」

 ユウマの声にリオンは幾枚もの花弁を放出した。渦を巻き舞う花弁が放たれた矢にまとわりつく。

 エンジュは舌打ちと2本目の矢を取り出した。先が赤く光っている。魔具だ。

 (次は無理っ!防げない!)

 「リオン、オレの後ろにっ!」

 ユウマはリオンの前に出ようと身体を捻ったがリオンが首を横に振る。

 「ユウマは赤龍に集中してっ!」

 ユウマが怪我を負えば、ユウマが放出している気が弱まる。そうなれば、赤龍に喰われてしまう。

 「・・・でも、でもぉ!」

 このままじゃダメだ。泣き出しそうに顔を歪めるユウマにリオンは微笑んでいる。

 前からは赤龍が迫ってくる。横からの矢は今の状態のユウマには防げない。後ろのカノンの様子も気になる。リオンが指を組んだ。『祈り』だ。

 (無理、一人じゃ無理っ!!)

 ユウマの中で焦りが増していく。感じた事のない感情の波にユウマ自身、どうしていいかわからなかった。漠然と襲ってくるものが嫌で不快で。

 ユウマは声を上げるしかなかった。


 「ハルっ!お願い助けてよっ!!」


ーユウマの事、お願いね。約束よ。


 もう、会えないと分かっていた。愛しさを教えてくれた人との約束。


 ハルオミの中でこれまで抑えていたものが弾けた瞬間だった。



 放たれた矢はユウマを狙っていた。

 しかし、ユウマに届く事はなかった。二つに分かれ、地面に落ちる。


 「・・・てめぇ。」

 エンジュの憎しみを宿した赤い眼の先には

 刀を構えたハルオミが立っていた。

 「殺してやる。」

 ミラーが薙刀をエンジュに投げる。受け取るとエンジュはハルオミに向かっていた。


ーガキィッ!!


 刃先がぶつかり合う音が響く。

 「ここで死ねやぁ!」

 「黙れっ!ユウマを狙いやがって!!」

 ハルオミの怒りも限界だった。

 この現実が腹ただしい。一体、何が目的なのかもわからない。

 「るっせぇなあ!更に短くなるだけだろうがっ!テメェも此処で一緒に死ねっ!」

 薙刀を振り翳すエンジュにハルオミは受け止めた。


 「んもぅ、ハル遅いぃ〜!」

 ハルオミが矢を斬り落とした事でユウマにも余裕が戻ったようだった。

 組んだ指を解き、リオンは銃身を掲げるユウマの手を掴んだ。

 「一緒に頑張りましょう!」

 「うんっ!」

 赤龍を見据えたままユウマは笑顔になった。一気に放出される気に赤龍が押され始める。


 「ユウマッ!無茶するなっ!」

 「余所見してんじゃねぇぞ、クソ野郎っ!」

 エンジュが薙刀を振り回す。怒りの感情に動きが呼応している。受け止めながらハルオミは考えを巡らせていた。 

 ユウマが「攻」でハルオミが「守」。

 カノンの表現は的を得ている。

 (もっとちゃんと伝えるべきだった。)

 こうなる事なら兄としての責任を果たすべきだった。『普通』に拘らずに。

 (この仕事が終わったら絶対にユウマとの時間を作ってやるっ!)

 左首筋に熱が走る。身体が軽くなったようでハルオミはエンジュに刀を向けた。


 「イキがんじゃねぇよ、さっさっと死ねっ!」


 薙刀を自在に扱うエンジュにハルオミは受け止める。防戦一方だ。

 エンジュを攻撃するに薙刀をどうにかしなければない。しかし、薙刀には魔力が込められておりそう簡単に切り落とせそうに無かった。


 ジリジリと後退する。

 赤龍の衝撃波を背中に感じる。

 (・・・頼むぞ、ユウマ)


 エンジュが近付く度に赤龍の力が強くなっている。

 「もう、ちょっと、あとちょっとぉ。」

 前を見るユウマにリオンも必死に手を前に翳した。

 「リオン、オレが「今」って言ったら、カノンのとこ行って。」

 「・・・え?」

 こんな時に訳が分からないとリオンは思った。

 「信じてっ!!」

 赤龍から視線を外さずユウマは前を見ていた。



 「さっきの勢いはどうしたこらぁ!簡単に死なせねーぞ、テメェはっ!」

 エンジュの動きが大きくなっている。大振りに振るう薙刀がハルオミの頬を掠めた。

 「・・・貴様も簡単になんぞ死ねんがな。」

 エンジュの中で切れた瞬間だった。

 「るっせんだよ!」

 突きを繰り出す薙刀をハルオミが避ける。

 ハルオミの死角からナイフが飛んで来た。

 「!?」

 それはエンジュの髪を切り裂いた。

 エンジュが前を向くとそこには銃を構え飛びかかろうとするユウマの姿があった。



 エンジュの怒りに呼応するように赤龍の牙が伸びていく。差し迫る牙にビギビキッと結界が揺れた。

 「今っ!」

 ユウマが叫んだリオンはカノンに覆い被さるように身を屈めた。

 目を瞑りリオンは衝撃に耐えようとしていた。

 「・・・やっと、ですね。」

 カノンが目を細めていた。安堵の表情に見える。リオンが振り返るとそこには刀で赤龍を止めるハルオミがいた。

 「ハルオミさん?」

 いつの間にハルオミが?

 リオンとユウマ2人ががりで保っていた結界。ハルオミは右手だけで赤龍を抑えている。

 ハルオミは2人に近付き、膝をついた。小さくなった分、結界の強度が増した気がリオンにはした。

 「・・・どうして?」

 「適材適所だ。」

 ハルオミが顎で指した場所ではユウマがエンジュと対峙していた。


 無表情に銃を撃ち、ナイフを投げるユウマにエンジュは防戦一方だった。

 「くそっ!」

 薙刀を振るうが難なくかわされる。すばしっこい動きがおちょくっているようでエンジュを苛立たせた。

 「切り刻んでやるっ!」

 ユウマ目掛けて振り下ろされた薙刀は

ーピンッ!

 ワイヤーで絡め取られていた。

 「・・・オレ、あんたの事大嫌い。」

 ユウマは漆黒の瞳を見開いてそう言った。

 「・・・俺もだ、泥棒野郎。」

 口角を上げたエンジュにユウマはワイヤーを握る手に力を加えた。 



 「・・はっ。」

 冷や汗が止まらず、苦しむカノンの腹部にリオンは手を当て続ける。カノンの痛みを分け合う事はリオンには出来ない。和らげ、励ますくらいしか。

 「お姉っ!しっかりっ!」

 陣痛みたいなもの。体内に宿しての実体の構成。どれだけの力を、命をすり減らすのか。

 「・・・、リオン。そんな顔するんじゃありませんよ。」

 自分の方が苦しいはずなのに、カノンは微笑を浮かべた。

 「貴女とユウマが頑張ったから、この程度なんです。」

 リオンの目には涙が溜まっている。リオンの手を掴み、カノンはハルオミを見上げた。

前だけを、赤龍の力を受け止めているハルオミにカノンは続けた。

 「・・・まだ、かかります。最後まで護ってくださいよ。」

 「わかってる。」

 何度その言葉が聞きたかったか。苦痛の中にも嬉しさがある事をカノンは初めて知った気がした。


 ハルオミに支えられているカノンの表情には安堵が見える。信頼している事がリオンにも伝わる。

 チーム戦だとカノンが言っていた意味がわかる気がする。ならば、自分も出来る事をしよう。リオンはカノンの痛みが少しでも和らぐように手に治癒力はを集中させた。

 

 どれくらい経ったのか。それは突然だった。


 「リオン、手を、・・・離さないでっ!」

 カノンが語気を強め、リオンの手を掴んだ。カノンの腹部から黒い光が飛び出し、リオンの手をすり抜け上空に放たれる。


 「・・!」

 球体は光を放ち浮いていた。

 誰もが見上げた先で、光が弾けた。


 「キュー!」


 現れたのは目が大きく、耳の大きな生き物だった。黒の毛並みには艶があり背中の羽根をパタパタと動かしている。大きな尻尾の愛らしい姿はぬいぐるみのようだ。


 「キュ〜!」


 それは直ぐにユウマの元に降り立った。目の前でふよふよ浮いている。


 「わっー!何こいつっー!」

 「キュー!」

 興味深々のユウマに、それは頷くとくるくると飛んだ。


 ケンシンも黙っていた。

 もしや、あれが。

 「実体化した龍の姿です。」

 ユタが結界を解いた。

 「黒龍か・・・。」

 ぼそり呟いたケンシンからは表情が消えていた。



 ユウマの近くを楽しそうに飛び回る生き物にハルオミは茫然とした。

 いつの間にか、赤龍と白龍は消えている。

 「あれが、貴方達に宿っていた黒龍です。」

目を細め、カノンはぐったりとしながらも答えた。

 「・・・あれが?」

 まるで子供が抱く人形のように見える。

 「リオン、ユウマをここに。」

 「はいっ!」

 弱々しいカノンの声にリオンは頷いた。

 カノンの背をハルオミが左手で支える。

 生命力を、月力を全て持っていかれたようでカノンはぐったりとしていた。

 「ねぇ、」

 「あまり、喋らない方がいい。」

 そのストレートな気遣いにカノンは苦笑するしかなかった。


 「あははっ!こくりゅー尻尾振ってるー!」

 「キュー!」

 笑いながらも、構えを解かずワイヤーを緩めないユウマにエンジュはイライラとした。

 「マジで死ねっ!」

 エンジュの怒り呼応し、薙刀の刃先が赤く染まっていく。

 「あっつ!」

 ユウマは右手のワイヤーを緩めた。刃先が熱をおびている。

 エンジュが構え直した時、

 「キュー!!」

 黒い炎を吐き出した。眼前の炎にエンジュは咄嗟に薙刀を前に構える。

 「エンジュ様っ!」

 護符が3枚、エンジュの前に飛んでくる。

 三重の結界が貼られた。

 が、炎の勢いは止まらない。

 1枚、2枚と黒炎に燃やされる。

 「ベネット、ペレス!」

 ミラーが叫んだ。

 今度は左右から7枚の札が飛んで来た。重なった結界が燃える。

 「くっ!」

 最後の結界は破壊された。火の勢いは止まらない。

 「ユウマッ!!」

 リオンが叫んだ。

 「リオン?」

 「キュ?」

 ユウマが振り返ると黒龍も一緒に振り返る。


ードンッ!


 エンジュは後方の壁に吹き飛ばされていた。ミラー、ベネットが集まり、エンジュを抱えていく。


 「ありゃ?」

 その様子にユウマは?を浮かべる。

 「お前がやったのー?」

 「キュッ!」

 踏ん反り返る黒龍にユウマはパッと明るくなった。

 「すごいすごーい!」

 「キュー!」

 上機嫌のユウにリオンは言葉に詰まった。意識を背けなければ、黒炎はエンジュの全て燃やしていた。


 「・・・お姉が呼んでます。」

 「カノン?」

 「キュッ!」


 ユウマと黒龍の息はぴったりだった。



 あの小さな黒龍の体から出た黒炎にケンシンは言葉を無くした。

 「何と言う事か。」

 ユタが被りを振る。

 「あの者達の処分は如何が致しましょう?」

 ユタの言葉にケンシンは口を動かした。口角が引き攣っていた。

 「面白い事を言うな、ユタよ。」

 ユタは頭を垂れた。

 (処分?そんな事できるわけがない。)


 禍々しいあの黒い炎が自身に向けられるともわからないのだ。



ーーー



 黒龍が吐き出した黒炎にハルオミは固まった。まさか、もう一度見るとは思わなかったのだ。

 「・・・うっ。」

 カノンが弱々しくハルオミの服を掴む。

 ハッとなりハルオミはカノンを見る。

 とても苦しそうだ。早く休んでもらわなければ。

 「医務室へ急ごう。」

 カノンはフルフルと首を振った。

 「・・・・、・・。」

 その細い声が聞き取れずハルオミは耳を近づけた。

 「ぁ・・の、・・。」

 「すまない、聞き取れない。もう一度。」

 ハルオミが促すとカノンはハルオミの首に手を回し、耳元で囁いた。

 「・・・貴方の、部屋。」

 今度ははっきりと聞き取れた。

 カノンと目が合う。桜色の唇がゆっくりと動いた。

 「ベッドまで。」

 グイとカノンは力を振り絞りハルオミを引き寄せた。

 唇が触れる。離れないとせがむような口付けだった。

 首筋に熱を感じる。抗えないと悟る。


 君を離さない


 また、声が頭に響く。


 「あっー!ちゅーしてるー!」

 「キュー!!」


 ユウマと黒龍が指差す。

 リオンは顔を真っ赤にして立ちすくしていた。


 「あ。」

 ハルオミが顔を上げた時には遅かった。

 キラキラとしたユウマと目が合う。

 「いいなー、ちゅー!」

 「キュー!」

 ユウマの横に黒龍がふわふわと飛んでいる。ユウマの感情に呼応するように同じ仕草をしている。

 「オレもしたいー!リオンとちゅー。」

 「キュー!」

 チラリとユウマと黒龍が振り返る。リオンは赤面して、両手を振った。

 「なっ!?そんな、ダメですよ!ダメっ!!」

 顔を背けるリオンにユウマの眉が下がる。

 「ダメ、なの?」

 「キューゥ?」

 黒龍もしょんぼりとする。触覚?が下がっている。

 「今はダメですっ!!」

 そう言うのがリオンは精一杯だった。


 「ユウマ、黒龍。」

 カノンが静かに2人を呼ぶ。

 「カノン!だいじょーぶ?」

 「キュー!!」

 カノンの声に2人は近付く。

 「・・・よくも、邪魔しましたね?」

 カノンは静かに呟いた。

 「う?」

 「キュ?」

 同時に同じ方向に首を傾げる。

 「・・・これはね、ただのキスじゃなかったんですよ。分けてもらってたんです。この人の体力。」

 「は?」

 初耳だとハルオミがポカンとした。

 「貴方達、全回したら覚えてなさいっ!勝手に黒炎を使った事も含め容赦しませんからねっ!!」

 カノンの剣幕にユウマと黒龍は背筋を伸ばした。

 「ごめんなさいいー!」

 「キュウゥー!」

 ユウマと黒龍は何度もぺこぺこと頭を下げる。

 「今回ばかりは許しませんっ!家に帰ってお湯を張りなさいっ!」

 「はいっ!」

 「キュ!」

 ユウマと黒龍はわたわたと駆け出した。リオンはカノンとハルオミにペコリと頭を下げてユウマの後をおう。


 「ったく。・・・ホントに。」

 呆れて嘆息するカノンにハルオミは笑った。

 「元気になって良かった。」

 その笑みはユウマに見せる笑みに似ていた。カノンの胸が熱くなる。

 「・・・まだ、体は動かないんです。連れて行って下さい。」

 恥ずかしさや達成感、疲労が入り混じる複雑な気持ちの中カノンは両手を伸ばす。

 「わかった。」

 ハルオミに抱き抱えられ、カノンはふぅと息を吐いた。

 「帰る前に、これを白龍王に届けなければ。」

 掌から桜の花を出す。息を吹きかけると宙を舞い、白龍王の元に飛んでいった。

 「力が戻れば次は白龍の顕現を。約束は果たしますよ。」

 そう言ってカノンは目を閉じた。桜の花が白龍王の元に届く。ハルオミは会釈し、踵を返した。



ーーー



 「むっかしー♪むっかしー♪うーらしまぁわぁー♪たすけたかめにぃつれられてぇ♪」

 「キュ♪キュ♪」

 「りゅうぐうじょーにいってみれば♪」

 「キュキュ♪」

 カノンに叱られた事は応えてないのか、ユウマは歌を歌い機嫌が良い。黒龍の機嫌も良いようだ。

 その隣をリオンは静かに歩いていた。


 『龍の顕現化。魔力を実体化する事で肉体からの分離を行う。それには強い龍を最初に降ろす必要がある。僕達を護ってくれる龍を。』


 カノンは始めから黒龍を降ろす事を考えていた。

 終わってみれば謎だらけだ。

 破壊を司る黒龍を先に降ろしたことも。

 王弟がハルオミに似ていたことも。


 『あれが、貴方達に宿っていた黒龍です。』


 そう、カノンがハルオミに言っていた言葉も。

 最初に聞いておくべき事だらけじゃないかとリオンは思う。ユウマに聞いてみようと思ったがこの手の話をするとユウマは首を傾げるだけな気がしてやめた。

 「リオンッ!手出して!!」

 「キュ!」

 ユウマと黒龍の金眼がリオンを捉える。

 「うん。」

 無垢な笑みでユウマがリオンに手を差し出す。リオンはその手を握り微笑んだ。


 無事に終えて良かった、と。











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龍月譚 @kabuu

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