龍月譚

@kabuu

月の導き

 そこは世界の中心だった。

 夜闇の中で佇んでいるのが人だとわかるのは、白い満月に影が映っていたからだ。両手を広げ、胸の前で手を打ち鳴らす。幾枚の青い光を放つ葉が空に解き放たれた。

 その葉は風にのり波紋のように地上を覆うように広がった。


 数秒後、ひらりと一枚の葉が主の右肩に落ちた。世界中に広がり舞い戻ったその葉の一枚に息を吹きかけるとひらひらと西の方に飛んでいった。



 目を開け、ただ立っていた。

 これは夢だな。忘れるだけの夢。ハルオミがそう認識したと同時に暖かな陽光の下、ラベンダー畑に佇む少女の姿があった。『緑の長髪』を靡かせた少女が微笑みを向けると突風が吹き紫の花弁が舞った。細めた視界の先には青い海が広がっており、振り返った先では女性が墓前に花をそえていた。夕日に照れされた横顔は儚げで美しい。その女性と目が合うと、またも視界が暗転した。次に目を開けると石造りの建物に囲まれていた。視線の先には左手にバスケットを持った女性が子どもたちにパンを分け与えていた。

 緑色の瞳と目が合えば、また違う場所に立っている。

 聖像に祈りを捧げる姿も医師として患者を診る姿も。

 何度も違う場所で同じ面影の女性の姿を見る。

 (そろそろ、目が覚めるのか。)

 夢から覚める前に見るのは月下に照らされた天使の姿だ。白く輝きを放つ翼を広げ、金髪を靡かせている。逆光で表情は見えないが、全て彼女なのだとわかるのだ。

 覚えていることもできない彼女のことだと。


ーーー


 「ハァールー!おーきーてー!」

 揺さぶられてハルオミは現実世界に引き戻された。

 「・・・ユウマ?今日は早いな。」

 弟のユウマは今年で十二歳になるが、間延びした口調で年齢より幼く見られがちだった。母親に似た大きな瞳にボザボサ髪のハルオミが映っている。

 「何か目が覚めちゃった。卵焼き作ってー。ふわふわ、あまーいのっ!」

 「わかったから先に顔洗ってこい。」

 「ん!」

 バタバタと部屋から出ていくユウマを見送り、ハルオミはベッドから降りた。

久しぶりに頭が重い。だるさが取れていない。

 「ハルー!たーまーごー!」

 「わかってる。」

 ユウマに急かされ、ハルオミは伸びた前髪を無造作にかきあげキッチンへと向かった。

 

ーーー 


 大陸の西に広がる森は広く、深い。

 太陽光を遮るかのように鬱蒼としている様を侵入者を阻むようだった。

 森の最奥を上空から見ると満月を縁どったような円形の端に丸い湖が見える。遠目に見ると三日月に見える集落に『月の民』と呼ばれる少数民族が住んでいた。


 木漏れ日から柔らかな日差しがまばらに地面に降り注ぐ中、白を基調とした布地に月の刺繍の民族衣装に身を包んだ女性が丸木小屋の前で柔和な笑みを浮かべていた。 

 「気をつけていってらしゃい。」

 手を振る女性の視線の先には旅支度を終えた愛娘が二人。

 黒髪を後ろでお団子に纏めた少女、リオンは「行ってきます。」と右手を振った。視線だけで挨拶をした幼女カノンは足先までの長い髪と左耳上の大きな桜の飾りを揺らし先を歩き出した。

 二人の姿が森の奥に消えるまで母は手を振り見送った。最愛の娘達が旅にでたが不安などの心配はなかった。

 あの子達は月に愛されているのだから心配はいらない。

 「うふふ。帰って来るときはお孫ちゃんも一緒から?楽しみねー。」

 両頬を抑え、上機嫌ではにかみながら母はくるくると小躍りしていた。


 二人が目指す先は大陸の中央に位置するリントエーデル国。東西南北の貿易拠点となっている。その国は神の御遣いである龍の子を助けた一族が治めていた。



ーーー


 今朝は珍しくハルオミがユウマを訓練場まで送っていた。軍服を崩さずにきっちりと着用しているハルオミと違いユウマはお気入りのフードジャケットとダボッとした大きな長袖シャツに腰には黄色のポシェットを巻いている。

 「今日の卵焼きも甘くてふわふわで美味しかったー。ハルのご飯好きー。」

 「そうかそうか。そりゃ良かった。」

 「んっ!」

 ユウマが元気に左手を上げた。ハルオミは満足そうに数回頷く。

 「今日は1日中会議が入ってるから。訓練には俺は顔出せないが、夕方には迎えに来る。」

 「はぁーい。」

 「無茶な動きはしないこと。本番まで万全な体調を維持するのも仕事だ。それから、」

 「・・・ハルオミ隊長、一度執務室で資料を確認してもらいたいのですが。」

 呆れた部下がハルオミに声を掛ける。コーヒーブラウンの髪色に鼻のそばかすが年齢より幼く見える部下ーフェンーは盛大に溜息を吐いた。

 「え?ああ。じゃあなユウマ。あ、何かあれば必ず連」

 「ハルオミ隊長。時間がないです。」

 「ばいばーい、ハルー。」

 フェンに促されるハルオミをユウマは大きく手を振って見送る。これもここ『白龍王特別警備隊』では日常茶飯事な、見慣れた平和な光景である。


 隊長であるハルオミが訓練場を後にしてからも各々が木剣で訓練する者、武器の手入れをする者と自主訓練に励んでいた。

 「おい、ユウマは?」

 「さっき『まんじゅーう!』って叫んで城壁に向かってたぞ。」

 「またかー。」

 「3時間持ったならいいもんか。」

 「だなー。」

 ゲラゲラと野太い笑い声が訓練場に響き渡る。ここまでが常に一連の流れなのだ。


 そして笑いのネタにされているユウマは過保護な兄との交わした約束を綺麗に忘れ元気に駆け出していた。

 「ま・ん・じゅう♪」

 訓練場の壁を飛び越え、城壁も飛び越えて好物のまんじゅうを求めてユウマは城下町を目指した。


ーーー


 目的地であるリントエーデル国境付近にカノンとリオンは降り立った。

 警備兵の駐屯している外門を抜けると城下町に繋がる南門が見えた。旅人や行商人達の馬車の横をカノンとリオンはゆっくりと歩いていた。

 『ようこそ!神龍が護りしリントエーデル国へ!』

 色取り取りの旗には複数の言語が書かれており、どれも歓迎の言葉だった。

 深碧の瞳でカノンは青空に靡く旗を眺めていた。

 「お姉、読めるんですか?」

 リオンの問いかけにカノンは目線だけを動かす。

 「読解術かけてますから。」

 淡々と告げるカノンだが、他国の複数の言語を即座に読み取り理解する事などそう簡単にできるはずがない。

 「リオンもかけてるでしょ。」

 「私は言葉を話すだけで精一杯で二言語くらいしか読めません。」

 『月の巫女』と崇められる姉とは違うのだからそう簡単に高度な術が仕える訳ではない。

 先を歩き出すカノンに肩を竦めリオンは後を追う。

 「招待客の方は特別門を用意しています!どうぞこちらへ!」

 そばかす顔の青年が大きな声で石田畳で整備された通路に案内していた。

 「お姉、あっちじゃないんですか?」

 特別門の方を指さしたリオンにカノンは「あんなとこから行きませんよ。」と面倒そうに言った。

 「貴族が用意した屋敷に直通の門でしょ。あんなとこから入るなんて「私、魔力持ってますー。」て自慢げに言ってるようなもんじゃないですか。品がないです。」

 特別門に向かう者達を横目にカノンはその幼な姿に似合わない毒を吐いた。毒のついでだと舌打ちまでもする。

 「どうせ夕刻には向かわないといけないですし、それまでは市場で買い物しましょ♪」

 しかし直ぐに機嫌が治ったカノンの提案にリオンも頷いた。

 「そうですね。」

 十三年、この姉の妹をしているのだから気分屋の姉の切り替えの早さには慣れている。

 『城門外では護石の常備を忘れずに。今季のホリビス注意報3。』

 (・・・ホリビス?)

 ふと壁の張り紙にリオンは首を傾げる。

 「リオン!ボッーとしてると置いてきますよ。」

 「今いきますー!」

 パタパタとリオンはカノンのもとに駆け出した。

 

ーーー


 リントエーデル国城下町は賑わっていた。東西南北の中継地点であるこの国は多種多様な物流がある。人やモノ、交流も。

 「んっー!」

 好物のミルクまんじゅうを頬張り、ユウマはご満悦だった。トコトコとマーケット内を歩く。

 「ユー坊!甘ぇいちごあんぞ!」

 「むふっー!」

 顔なじみの八百屋の店主、ポポフに呼ばれユウマは黒曜石の大きな瞳を輝かせた。ふらふらと苺に釣られ八百屋に寄っていく。が、

 「おい、ユー坊!あっちで柄の悪い奴らが観光客に絡んでるぞっ!追い返してくれよ!」

 後ろから魚屋の店主、グエンにフードを引っ張られ、八百屋から遠ざかることとなった。まんじゅうをくわえたユウマはズルズルと八百屋から遠ざかっていく。

 「イチゴはまた今度なー。」

 「むぅー!」

 八百屋の店主が笑顔で手を降る。ユウマは眉を寄せて悲し気に苺に両手を伸ばしていた。



 「・・・人が、多い。」

 先程のルンルン気分はどこにいったのやら。幼い姿に似合わず、ギロリと睨みつけるカノンの表情は例えるならゴロツキの頭のようだ。

 「・・・仕方ないじゃないですか。一番栄えている国なんですから。」

 大陸の東西南北の中間地点なので人の出入りも激しいのは当然なのだが。煩わしいとカノンは視界を遮るように扇子を取り出した。

これほどの人が溢れているのを見るのは初めてのリオンは苛立つカノンと違い、人酔で少し気分が悪かった。足早に行き交う人の流れに視線が追いつかず、背負ったリュックがすれ違う人に当たる度に頭を下げる事数回。少し休みたいと思う。

 「・・・お姉、荷物も下ろしたいし、まずはステイ先に行きません「嫌です。」

 姉の即答は疲弊したリオンの言葉を遮った。

 「貴族の屋敷になんていきませんよ。」

 「だって、招待客は4代貴族の屋敷へお越し下さいって。」

 「別にお越ししなくてもいいでしょ、綺羅びやかな世界ってボクに合わないんですよねぇ。っていうか、気が変わりました。他人がいるとゆっくりできそうにないです。」

 「・・わかりました。ならどこかで一休みして宿探ししましょう。」

 折れたのはリオンだった。言い争っていてもこの我が強く、我儘な姉には敵わないのは知っている。人の多さに苛立っている今は何を言っても聞く耳持たないだろう。無駄な労力は使わないに限る。

 「そうしましょう。きっと変わった食べ物があるでしょうしね。その後は雑貨もみたいですし。」

 姉は買い物続行は確定らしい。2人ははぐれないように互いに手を握り、屋台を探すことにした。


    ドンッ


 「ああぁ?!」

 わざとらしくドスを利かせた大男と隣で睨みつける男達。腰には剣を刺しており、手には酒瓶を持っている。背中に背負ったリュックがすれ違った際に当たったのか、リオンはすぐさま頭を下げた。

 「・・・あ、すい」

 「なんですか?」

 下から睨んでくる幼女に男たちは蒸気した顔を見合わせる。予想外の反応だからだ。

 「なんだ、しつけのなってねえ、ガキンチョだなぁ。」

 「それはそっちでしょうが。出会い頭に酔っ払いが「ああ?」とか因縁つけるなんて。そんな一昔前の脅迫がこの国での流行りですか?お粗末ですねぇ?」

 「お姉!」

 しゃがみ込み、リオンがカノンの口を抑えたが、相手の逆鱗に触れたのか空気は変わらない。むしろ悪化しているのが男たちの握り拳からもわかる。

 「ぶつかったらごめんなさいダローが!おお?!」

 「ごめんなさいっ!」

 しゃがんだままリオンは声を出した。

 「何で謝るのですか!」

 「謝って済んだらいいじゃないですか。」

 納得がいかないカノンにリオンは懇願する。これ以上、トラブルを大きくしたくない。謝罪し、リオンはカノンの手を取る。

 「おぉ、ちょっと待ちなよ。」

 リオンが謝ったことに男たちは一旦は引きかけたが、連れの男が肩に手を置き耳打ちし、視線をリオンに向けた。

 「民族衣装、黒髪。西側の奴だよな。」

 ニヤついた視線にリオンの体が強ばった。これまでに向けられた事のない、嫌な視線。

 「そのゲスな目で妹を見るのはやめなさい。ぶち殺しますよ。」

 尖った氷柱を纏わせ、カノンが言い放った。睨み上げる瞳は軽蔑と虫けらを見るそれだった。

 「ああ?!」

 「人が多いとこ、嫌いなんですよね。こんな輩がいるから。」

 ため息と蔑視。愚かだと鼻を鳴らす様は年齢にそぐわない。その態度が男たちの逆鱗に触れている。リオンは周りに視線を送るが、誰もが目を反らした。関わりたくないのは当然だ。どう見ても喧嘩なれしている相手に声などかけれるはずもない。

  (どうしよう。)

 カノンの肩に置いた手に力が入る。正体を隠したいと言ったり、相手を挑発したりとカノンの行動は滅茶苦茶だ。男たちが近づいてくる。足音が止まり、男たちの影がリオンとカノンに被さった。リオンは目を見開くだけだった。

 「ねーぇ?暴れてるのおじさん達?」

 男たちの背後から間延びした、少年の声が響く。振り返った男達の後ろにいたのは黄色のポシェットを持った小柄な少年。

 「なんだ、こい」

 一人の男が吹っ飛ぶ。それは見事にリオン達の後ろ、人が離れたぽっかりと空いた空間に。地面に倒れた男はピクリとも動かない。

連れの男もあんぐりとしている。

 「オレね、イチゴ食べられなかったんだ。とっても甘くて美味しいのにぃー。」

ポシェットのベルトを握りしめ、ユウマは腰を捻った。遠心力で重みを増したポシェットがチンピラの顔にヒットする。二人の男がのびていることを確認し、ユウマはフンと鼻を鳴らした。好物のイチゴが食べれなかったのが余程悔しかったのか、拗ねたユウマの一撃はいつも以上に重かった。

 その様子をリオンとカノンはぽかんと見ていた。



 「ありがとうございました。」

 誰かが通報していたのか、伸びた男たちはあっけなく警備兵に連行された。助けてもらった感謝でリオンはユウマにペコリと頭を下げる。

 「うん!」

 礼を言われたユウマも満更でもない様子で頬を赤めうなずいた。

 ぱわぽわとしたユウマからは大柄な男を殴り飛ばしたとはとても思えなかったが目の前で見たのだから信じるしかない。本当に世界には色んな人間がいる。

 「それでは。」

 もう一度、頭を下げリオンとカノンは背を向けあるき出す。その後ろをユウマはとことことついてきた。一定の距離を保ち、ついてくる。カノンが立ち止まり振り返るとユウマはにこーと笑って立ち止まった。

 「・・・なにか?」

 煩わしいとカノンが睨みを効かせるがユウマはきょとんと首を傾げた。

 「なにか?」

 問いかえしたユウマにカノンは小さな拳を震わせ怒鳴った。

 「用がないならついて来るなってことですよ!」

 「お姉、落ち着いて。」

 どうどうとリオンがカノンを諫める。

 「用事ぃ?はないけど。」

 用事はないと即答するユウマに短く細いカノンの堪忍袋が切れた。

 「だったら、ついてく「あのね、オレ、2人に付いて行ってもいぃ?」

 怒鳴ったカノンの言葉にユウマの間延びした声が重なる。

 カノンは怒りの矛先を見失い口を開けたまま固まった。リオンも緑の瞳を見開いている。

 「ね?」

 にこにことユウマは笑っている。体を左右に揺らし、顔色を伺っているようだ。

 「このボクの話を遮るなんていい度胸ですね。・・・いいでしょう。」

 不敵な笑みを浮かべ、カノンはユウマを見上げた。そして、ユウマの顔を指差す。

 「とことん、今日は遊んであげます!」

 「やったー!」

 両手を上げてユウマは嬉しさを表すと、

 「オレはユウマ!ハルの弟っ!」

 と自己紹介を始めた。カノンが無言だったのでリオンが変わりに答える。

 「私はリオン。こちらが姉のカノンです。」

 「姉ぇ?」

 ユウマはキョトンと首を傾げ、膝に手をついてカノンと視線を合わす。そしてカノンとリオンを交互に見た。

 「カノンより、リオンが大きいよ?」

 「そうですね。でもボクが姉です。」

 姉のプライドなのか、強気のカノンにリオンは嘆息する。誰が見ても、幼女を姉とは思わない。

 「妹よりお姉ちゃんが小さいの?」

 「姉が妹より小さいと変ですか?」

 少しの間のあと、そーなんだー。とユウマは一言呟いた。考えるのはあまり得意ではない。

 そして2人の切り替えの速さにリオンはついていけないでいた。屈託ない笑みを浮かべカノンと話すユウマをリオンは驚きを隠せずに眺めた。あの人間嫌いな姉と他人が、しかも会って数時間の子が会話を続けている。

 「だいぶ変わった子。なのかな?」

 類は友を呼ぶとはまさにこのことだろうと東の国の言葉をふと思い出した。

 「今の時間の美味しいものはパン!焼き立てが食べられるよ!」

 「え?」

 カノンとの会話が終わったのか、自然と自身の右手を握ったユウマにリオンは驚いた。カノンの手も既に握られている。

 「オレ、クリームパン好きー!」

 「・・・えっと。」

 初めて異性としかも村人意外と手を握った。振りほどけなかったのは村の子供達と雰囲気が似てるからなのかとリオンは思った。戸惑うリオンの視線を端に映したカノンが足を止める。

 「遊んであげるからまずは荷物をもちなさい。」

 顎でリオンを指す。これ?とユウマはリオンからリュックを受け取り背負った。「初めて背負ったー」とはしゃぎユウマはもう一度2人の手を握った。



 ユウマ行きつけのパン屋はマーケットから少し離れた場所にあった。パンを購入するとお店の前のベンチにユウマ、カノン、リオンと並んで座った。

 「クリームあまーい!ふかふかー!」

 好物のクリームパンに超絶ご満悦のユウマをカノンは白い目で見る。リオンは苦笑するするしかなかった。

 「ねー!美味しいでしょ?」

 「とても美味しいです。」

 リオンの返答にユウマは更に嬉しくなったようだった。というか、あの聞かれ方と笑顔では「美味しくない」とは心ある者なら言えない。

 「・・・。たしかに美味しんですけど、ね。」

 先程の熱も覚めたカノンはユウマのテンションについていけなくなったようで黙々とパンを食べ続ける。「暇なら少しは役に立たせよう」とのカノンの見立ては甘かったようだ。無料案内人の選択を失敗した。と失礼な事を考えながらクリームパンにかぶりつく。

 「パン食べたらどこ行く?ハルもりゅーえんまでは忙しいから、オレ一人でつまらなかったの!だから、散歩ばっかりしてるー。あ、あと、東と北の道には動物が沢山いてね、」

 パンを食べながら、しかも器用に咀嚼・嚥下しながら話し続けるユウマにカノンがピクリと肩を震わせた。それにリオンが反応する。

 「ユウマ?食べ終わってからお話しましょうか?」

 「うん、わかったー!」

 素直にパンを食べることに集中したユウマにリオンは胸を撫で下ろし、こそっとカノンに耳打ちする。

 「短気は損気ってお父に」

 「あの男の話はしないで下さい。」

 カノンの恨みが籠もった刺す視線をリオンに送るがリオンは慣れているので気にしない。

 「それはごめんなさい。」

 直ぐに謝罪したリオンにカノンは大きな口を開け、残ったパンを全て放り込んだ。

 そんなカノンにリオンは嘆息し、パンを食べ進める。

 せっかくの美味しいパンなのに、気分は最悪だ。これも姉の人間嫌いと短気な性格のせい。怒りが他人に向くより、身内である自分に向く方がまだ後の始末が楽だ。

 「パン食べたよ!」

 にっこーと笑顔向けたユウマにはカノンの自己中心的な理不尽言動も届かなさそうだと感じた。なんというか、他人の心に入っていくのが上手いようだ。

 ほっとけない気にさせるのもこの子の魅力だろう。

 「あ、ユウマ」

 リオンの指がユウマの頬に優しく触れた。甘い匂いとあたたかなぬくもり。パチっとユウマの黒曜石の瞳の中にリオンが映る。翡翠の瞳を細めリオンは微笑んだ。

 「クリームついてました。」

 こういうところも目が離さない。

 拭ったクリームを見せるとユウマは「ありがとー」と無邪気に笑い、クリームのついたリオンの指にぱくついた。

 「へぇ?!」

 「おいしいーね!」

 赤面するリオンにユウマは無邪気な笑顔を向けていた。

 「・・・あんたらいい加減にしなさいよ。」

 頭上でいちゃつく2人をカノンは黒いオーラを放っていたが、無邪気なユウマのぽわぽわとした幸せオーラに相殺されていた。



 「そういえば、正門に貼られていた『ホリビス注意報』ってなんですか?」

 照れて手を引っ込めたリオンが話題を変える。

 「ホリビスは変な怪物だよー。」

 「怪物注意って事ですか?」

 端的に答えたユウマにリオンの疑問が更に膨らんだ。

 「この国では人に害意を与える魔物、妖、異形の類を『ホリビス』と称しているようですね。」

 カノンが説明を付け加える。

 「あ、だから護石を装備って書かれてたんですね。」

 合点がいったリオンにカノンは頷いた。

 「結界がこうもザルなら招待客以外も入り放題でしょうし、ね。」

 ぺろりと指についたクリームを舐めカノンは呟く。龍の国は神の恩恵を受けし国と聞いていた。魔術と武術が備わる、誰しもが移住したいと望む国とだと。

 「シュッツシエールが不足してて、護石もこうとーしてるってハルが言ってたー。」

考え込んだカノンの隣でユウマは足をぶらつかせている。食べ終えて手持ち無沙汰のようだ。その幼い行動にカノンが嘆息する。

 「少しは落ち着きなさい。」

 「ハルにもよく言われるー。」

 ニコニコとユウマは笑って答えた。

 「あの、しゅっ?てなんですか?」

 聞き慣れない単語にリオンがユウマを見る。

 「『シュッツシエール』って言いにくいよね!オレも最近覚えたんだよー!」 

 検討違いな返答を満面の笑顔で返すユウマにリオンは再度聞き返せなくて「・・・そうですね。」と気遣った笑みを向け頷いた。

 「で、『シュッツシエール』ってなんですか?」

 リオンに代わりカノンがユウマに問う。

 「えっと、ユ、あ、違った。・・・あ!魔法使いの事っ!」 

 適した言葉が見つかりユウマはぱぁと明るくなった。

 「魔術が使えるって事ですね。」

 教えてくれてありがとうとリオンが微笑むとユウマは更に笑顔になった。子供が母親に褒められて嬉しくてたまらないというように。

 「りゅーえんもね、優秀なシュッツシエール探しで開くの。りゅうーおーの為に雇うんだってー。」

 褒められて上機嫌のユウマが話を続ける。カノンはその話を眉間に深いシワを刻んで聞いていた。

 「ぁ。これ、話しちゃダメだったかも。誰にも言わないで、お願い。」

 両手を合わせてユウマが頭を下げる。リオンはカノンに視線を移し判断を委ねた。カノンは頷くだけで何も言わなかった。

 「大丈夫ですよユウマ。内緒にしますから。」

 優しい声音のリオンにユウマは顔を上げた。少し目元が潤んでいる。

 「ありがとー、リオン!」

 「ひゃっ!」

 感極まってユウマがリオンを抱きしめた。座っていたリオンはすっぽりとユウマの身体に収まった。

 「ユウマ、あの」

 「絶対に軍の話はしちゃっダメって言われてたのに、うっかりしてたー。誰にも言わないでね、約束だからね!」

 念を押すユウマにリオンは赤い顔で何でも頷いた。

 「ふふっ。貴重なお話ありがとうございます。」

 ニヤリと口角を上げてカノンが笑った。とても幼女らしい笑みとは言えない悪意を思わせる笑みだった。

 「そのカノンの笑い方、ハルが幹部のおじさん達にするのと似てるー。オレ、あんまり好きじゃないー。」

 「・・・ユウマ、そろそろ離してくれると嬉しいです。」

 ボソボソと喋るリオンの声はユウマには届かなった。暫く抱き締められたまま、リオンは忙しなく動く心臓を右手で抑えるしかなかった。

 

 ーーー


 国王の住む龍王宮はリントエデール国の北にある。龍王宮の側には国のシンボルでもある古城が聳えていた。

 龍王陛下に謁見するにはそれなりの手続きが必要だが、特別警備隊のハルオミには無用だった。そう、特別なのだ。

 城の最奥、神聖なる龍の間に続く扉はいつ見ても荘厳だとハルオミは思う。特に天井に描かれた5つの龍の姿は目に焼き付いて離れない。今にも動き出し、頭上を優雅に舞いそうな程に。

 「白龍王陛下。特別警備隊長ハルオミ。ただいま参りました。」

 「入ってよい。」

 扉の向こうの澄んだ声にハルオミは息を飲んで「失礼します」と告げた。

 銀の長髪を後ろに纏め玉座に腰掛ける白龍王の姿は神々しく輝いている。ハルオミは膝を付き、頭を垂れ白龍王の言葉を待った。

 「宴の準備は万全か?」

 「はい、つつがなく進んでおります。」

 「そうか、期待しているぞ。」

 「必ずやご期待に添えます。」

 「ハルオミ。」

 白龍王の声音が変わった。それは一騎士に向けるものでなく、どこか温かみがあった。

 「今回の宴で最高の魔道士が見つかればお前の願いも叶えてやれるかもしれない。」

 「・・・勿体ないお言葉です。私の望みは白龍王陛下に仕えることだけです。」

 ハルオミの返答に白龍王は「そうか。」と静かに告げた。

 (叶えてやれるかもしれない。か。)

 耳に残っている白龍王の言葉にハルオミの口元には無意識に自嘲の笑みが漏れていた。


ーーー


 「でね、こっちに機織り屋さんがあってー、あっちはガラス細工売ってるんだよー。」

 ユウマはニコニコと指を指しながら話を続ける。「この国の事が知りたい。」とカノンが話すとユウマは2人の手を取り道案内を始めた。カノンは身長差から早々に手を解いたがリオンはされるがままで今も手を繋いだままだ。あまりにもユウマが楽しそうに話し続けるものだから三時間程付き合っている。日も暮れてきたのでそろそろ宿を探さないといけない。

 「ユウマ、私達行きたいところがあるんですけど。」

 「行きたいとこ?」

 立ち止まってユウマが首を傾げる。

 「宿を探してるんです」

 「宿?どこ?」

 きょととするユウマにリオンはクスリと吹いた。反応が幼いのが愛らしい。一生懸命説明しているが語彙力が少ないところはカノンと正反対だ。

 「どこにあるかはこちらが聞いてます。」

 疲れたと地べたに座り込んだカノンにユウマは更に首を傾げる。

 「だからぁー、宿はどこぉ?」

 間延びした口調と理解力の低さ、疲れからカノンのイライラ度が上がる。

 「それを聞いてるんですっ!」

 「どこか言わないとわかんない!」

 バチバチと火花を散らす二人は互いの主張を譲る気はないようだ。やれやれとリオンは肩を落とす。リオンはなんとなくだが、ユウマが言いたいことがわかっていた。

 「私達、今日初めてこの国に来たんです。知り合いもいなくて。宿を知っているなら教えてもらえると助かります。」

 リオンの説明にユウマは納得したようだった。予約した宿を探しているのではなく、空いている宿を探しているのかと気づく。

 「予約してないの?ならないよ。」

 至極当然のようにユウマは言った。

 「ないわけないでしょ?」

 「ないもん。予約してないと入れないもん。予約するか、広場のテントで野宿だもん。」

 呆れて馬鹿にするカノンに「むっー」とユウマが頬を膨らませる。

 「えっと、とりあえず宿があるところに行きたんですけど。」

 二人の間に入り、リオンがユウマに声をかけた。噛み合っているようで2人の会話は噛み合っていない。

 「でも絶対ないよ?こっちから遠いし。」

 「行かなければわかりません。この世に絶対はありません。」

 ツンとそっぽを向くカノンにユウマは唸る。

 「うっー!ないもんっ!ホントだもんっ!」

 「ユウマ落ちついて、ね?お姉もこの国のことはユウマの方が詳しいんだからプンプンさせないでくださいよ!」

 「・・・プンプンって貴女ユウマをいくつだと思ってるんですか。」

 カノンに一喝するするとリオンはユウマに向き直り、手を握った。

 「宿のある場所、教えてください。」

 翡翠の瞳でお願いされる。普段とは違う、お願いの仕方。ユウマとは手を握っていたこともあり、リオンも自然と普段子供達に接するようにしてしまった。

 「うん、いいよ!」

 ニコッと笑うとユウマは握った手を上下に振った。

 「わっ、わっ!」

 「リオンのお願い聞くー!」

はしゃぐ二人を横目にカノンは面倒そうに座ったままだ。

 「ここから遠いのでしょ。もうボク歩けません。第一、面白いものがあるとここに連れてきたのはユウマですからね。」

 初対面なのにこうも気が合い触れ合っている。相性も良さげだ。

  (・・・リオンの方もうっかりやさんですね。)

 二人の恋の成り行き?に興味はないがイチャイチャを見るのもうんざりだ。

 「じゃあオレがカノン抱っこするっ!いこいこっ!」

 「はぁ?」

 まるで人形を扱うようにユウマはカノンを抱き上げた。先程までの拗ねた様子はなく、上機嫌である。

 「・・・切り替え早いとか、忘れっぽいとか言われるでしょ。」

 「うん、よく言われるー。」

 嫌味すら通じず、カノンはユウマの肩に担がされた。何を言っても通じないとカノンは左手で頭を抱えた。

 「リオンもいこっ!」

 ユウマの左手がリオンに伸びる。リオンはうなずいてユウマの手を取った。



 「うちはもう満室だよ。」

 「あー。いっぱいだ。悪いねぇユー坊。」

 「二、三日は予約でいっぱいだ。他当たりなと言いたいけど、どこもいっぱいじゃないか?広場のテントも満杯だろ?」


 行く宿、行く宿と全て断れた三人の前を木の葉が円を描き舞う。

 「ね?言った通りでしょ。」

 ほらねとユウマが無邪気に笑う。その視線の先ではカノンが小さな体を震わせていた。

 「ありえない!一番栄えている国で宿が見つからないなんて!貿易の中間地点でしょ、ここはっ!」

 口から火が飛び出そうな勢いのカノンはぶつける先のない怒りを吐き出した。

 「だからだよー」というユウマの言葉も耳に入っていない。

 「ここに来る人は商売とか観光が目的だから長期滞在が多いんだー。宿は予め予約するし、1日とか2日なら広場のテントで寝るよ。」

 文化の違いですねとリオンはしみじみ思った。

 「仕方ないですよ。きちんと調べなかった私達が悪いし。」

 これなら大人しく主催者側が用意した屋敷に向かうだろうとリオンは思っていたのだが、

 「野宿します。」 

 「ええっ!?」

 即決したカノンは今夜のねぐらを探そうとキョロキョロとあたりを見渡し、最初に行ったパン屋あたりがいいですかね?と呟いている。

 「寝袋なんて持ってきてないっ!それに危ない!」

 「一晩くらいいけます!」

 リオンの正論をカノンは何故かガッツポーズで返した。

 「どうしてステイ先を嫌がるんですか?!」

 「金持ち嫌いなんですよ。」

 「はぁ?」

 フザけた理由にリオンの声が裏返る。入国前と話が違う。気紛れにも程がある。

 「寝袋いるの?オレ、持ってこよーか?」

 のほーんとしたトーンでユウマが会話に参加する。ニコニコと問いかけるユウマはまるで主人を喜ばそうとしている子犬、親の期待に答えようとしている子供のようだった。役にたち褒められたくて仕方がない、というような。

 「倉庫に3つくらいはあるし。何色がいい?黒と青と赤と、」

 「3つもいらないですよ。」

呆れるカノンにユウマは指折り数える。

 「オレとリオンとカノンで、みっつー。」

 「なんでユウマも野宿するんですか?家に帰りなさい。」

 腰に手を当て、カノンが更に呆れる。リオンも困ったように笑うしかなかった。

 「リオン達が野宿するならオレも野宿するー。」

 「子供ですか。」

 「お兄さんも心配するから、ユウマは帰った方が良いですよ。」

 ね?とリオンに言われユウマは唇を結んで俯いた。

 「ヤダ。オレも野宿する。なんでダメなの?一緒にいたいのに。オレの事イヤなの?」

 眉を寄せたユウマは今にも泣いてしまいそうだった。どう声を掛けていいか迷ったリオンはそっとユウマの頭を撫でた。

 「ううん。嫌じゃないの。あのねユウマ私達が言いたいのはね家族が心配してるからお家に帰ったほうが良いと言ってるんです。」

 ユウマは一瞬顔を上げリオンを見上げる。リオンの微笑みに込み上げる感情が追いつかずギュッと抱きついた。

 「ユ、ユウマ?」

 「イヤだ。一緒にいたいもん。」

 柔らかい感触に心地よい鼓動が聞こえる。甘い匂いに優しい声。懐かしいような感覚にユウマは目を閉じておもいきり息を吸った。

 「・・・今日のリオンは大胆ですねぇ。」

周りの視線に耐えかねたカノンが面倒臭いように言う。

 「お姉勘違いしないで下さいよ。」

 頬赤らめ慌て、リオンはユウマから離れようとしたが、ユウマはリオンの胸に顔をうずめたままだ。幼い子供のように。

 「ユウマ、いい子ですからね、今日はお家に帰りましょう?また明日会えばいいじゃないですか。」

 段々とユウマに対する口調が子供に向けたものになっていく。イヤだとユウマは駄々っ子のように首を左右に振った。

 「お兄さんも待ってますよ?」

 「オレ、もっと2人といたい。いつもはこんな我儘言わないよ?でもなんかわかんないけどリオンと離れたくないってすごい思うんだ。」

縋るユウマにリオンも返答に困った。言葉も見つからなかったが、速る鼓動を抑える事もできない。

 「は?なんですかそれ。プロポーズですか?」

 「ぷろぽーず?」

 「お姉!」

 カノンの言葉にリオンは恥ずかしさのあまり大きな声が出た。

 「マジか、ユウマ!」

 聞き慣れた声にユウマが顔を上げた。そこには腹を抱えてニタニタ顔の癖っ毛の青年が軍服を着て立っている。

 「ヴィントぉ?」

顔を上げたユウマにヴィントはひーひーしながら人差し指をさした。右耳のラピスラズリのピアスが夕日を浴びて愉快だと笑うように光っている。

 「なぁに?」

 「お前こそ、公衆の面前に何してるだっての!隊長が見たら卒倒する案件(笑)」

 リオンとカノンに目をやりヴィントは面白いものを見たと息できなくて死ぬと言った。

 「えっとぉ、見回りぃ?」

 こてんと首を傾げるとリオンの胸に頬が乗った。

 「んなことより、どうした?どうして女に抱きついて縋ってるわけ?ん?困ってんだろ?泣きそうだぞ?お前が悲しむと隊長の士気が下がるんだよねー?ほらほら話してみ?」

 人助けと言うより、興味本位感が半端ない聞き方の軽さ。早口で捲し立てられたユウマは聞き取れた事だけを素直にヴィントに話しだした。

 「あのね、オレ、今日は三人で寝たいんだけど、」

 「まさかの3P」

 「?」

 きょとーんとするユウマとリオンにヴィントはスベったと感じたが笑いが止まらない。あの真面目な、人生全てを弟の成長にかけている兄貴がどんな顔をするのか想像するだけで笑いがこみ上げる。

 「宿も満室だから、オレも野宿するって言ったらダメって。それで困ってる。」

 「花茶屋は空いて、いだっ」

 黙れとカノンがヴィントの右脛を蹴り上げる。

 言葉足らずなユウマと会話が成り立つのは長い付き合いのある者だけだ。こほんとヴィントが咳払いする。

 「ってか、野宿なんてブラコン隊長が許すわけないしょ。」

 「3人でやってみたいことがあるの。」

 「え、やっぱ3P、いでぇ!」

 カノンのケリが今度は左脛に当たる。

 「オレね川の字で寝てみたい。ヴィントがこの前言ってたやつ。」

 「かわ」

 「のじ?」

 リオンとカノンがぽかんとしたが、ヴィントは「それでか」とうんうんと頷いた。

 「なら手っ取り早くユウマんちに泊めればいいんじゃね?」

 「!」

 左足をさするヴィントにユウマはぱっと明るく笑顔になった。

 「そっか!オレん家にいこ!」

 満面の笑顔でユウマはリオンを見上げる。その笑顔にリオンの頬が赤くなった。ユウマの頭を撫でるリオンに代わりにカノンが呆れながら答える。

 「タダなら良いんじゃないですか?それに何より無害で問題ないですし。」

 確かにとヴィントも頷いた。

 カノンの了承にユウマははち切れんばかりの笑顔になった。こうも庇護欲を刺激する存在をリオンは知らなかった。

 「やったね、リオン!」

 「そうですね。」

 可愛さのあまりリオンはユウマを抱きしめた。ユウマも嬉しくて抱きしめ返す。

 「リオン、何度も言いますがここ路上ですよ。」

 もう止められないかとカノンは嘆息する。仕方ないから妹の恋を応援してあげよう。心の中でカノンは決意する。

 「あ、そうでした!あまりにも可愛すぎて。つい。」

 我に返ったリオンがユウマから離れた。ユウマは名残押しそうにリオンを見つめる。その様子を見てヴィントの笑い声が大きくなる。

 「もうだめだあー!ついに、ユウマに彼女がっ!ひひっ、ぜってー、寝込むって、ちょ、ユウマお前、いひ、ひひひ、ふっ、俺の仕事増やしちゃあかんってー!」

 「不愉快な笑い方ですね。」

 五月蝿いとカノンが2度めの右脛を蹴った。

 「問題解決したー。ありがとねーヴィント。じゃあねー。」

 痛みに悶えるヴィントにユウマはブンブンと手を振った。

 「切り替え早っ!負傷兵を見捨てるのかよ?」

 「えっと、ご武運を?」

 「ぷはっ!使い方(笑)」

 敬礼したユウマとヴィントのやり取りがカノンのツボに入った。

 「この漫談サイコーですね!」

 パチパチと拍手するカノンにユウマは「褒められたー」と無邪気に喜んだ。


 ヴィントと別れた頃には日は既に落ち、夕闇がせまっていた。帰路に着くユウマはご機嫌で童謡を歌っている。もちろん、リオンの手を握りながら。

 「あるぅひー♪森の中♪くまさんにぃ♪出会った♪花咲くもぉりぃの道ー♪」

 「選曲がガキですね。」

 はーと呆れカノンはユウマのダボダボの服の裾を引っ張った。

 「あの男とはどういう知り合いですか?」

 「ヴィントの事?ハルの部下でね、特備隊の副隊長だよ。」

 「軽薄そうな男でしたね、彼。」

 カノンの評価にユウマは「ヴィントは皆にそう言われてるー。」と答えた。

 「城下町の見回りはオレもたまにするけどね、オレは花街入れないからヴィントがしてくれるんだ。」

 昼から巡回と称し、ただ遊んでいるだけだろうがとカノンは内心毒吐いた。カノンが言葉を続けようと口を開く前にリオンが会話に入ってきた。

 「へぇ花街?素敵な名前ですね。」

 「大人しか入れないんだってー。なんでだろーねー?」

 「それは残念です。」

 ユウマとリオンの会話にそういえば村ではこの手の書物は父が厳重に管理していたなとカノンは思い出した。適齢期までは純粋培養などとなんと罪な躾だろうか。

 「うん。大人になったらリオンとカノンも一緒に行こ。」

 「お茶屋さんも楽しみです。」

 「オレ、お団子好きー。あわあわ茶も好きー。」

 「気乗りはしませんけど、興味はあります。」

 2人が考えていることは、色とりどりの花に囲まれて菓子を食べるということだろうと理解してカノンはため息を吐いた。現実を知るにはもう少し先だろう。

 城下町から離れた北の空に一筋の星が流れた。



ーーー


 会議は午前午後に分けて行われた。会議後に訓練場により執務室に戻ると、未決済の書類をフェンがテキパキとさばいていた。ハルオミの姿を認めるとフェンは安堵の表情になった。ヴィントが戻ってこなかったかと察する。

 「ご苦労様。今日はもう上がっていいぞ。」

 明日も招待客の案内を行うフェンを気遣い帰宅を命じた後、ハルオミは残りの書類を持ち帰ることにしていた。午後の会議が長引きもう日が暮れている。ユウマには日が暮れる前に家に帰るように話しているから家に帰っているはずた。

 今日の夕飯は何にしようか、確か魚があったな。野菜も少しはあった。そろそろ氷石の補充もしなければ。買い物は宴が終わってからでいいか。

 口元を抑え黙り込んだハルオミにフェンは帰り支度を済ませ、執務室を出る事にした。

 ハルオミが定時後に考え込むのは夕食のメニューだと部下達は知っていた。そして質が悪い事にその間は全く話を聞かない。龍王特別警備隊長の優先は常に弟なのだ。

 「そういえば、今日の訓練。ユウマ逃げたようですよ。」

 「は?」

 「そう、報告がありました。」

 誰の話しも耳に入らないが、弟の名だけはしっかりと聞き取れる。ある意味でヤバイだろうとフェンは思っているが、尊敬できる上官なのだからその事は胸にしまっている。

 「お先に失礼します。」

 そう言ってフェンはハルオミを残して執務室を出た。

 

 ハルオミとユウマの自宅は龍王宮殿から少し離れた林の中にぽつんと建っていた。軍寮でなく、平屋にしたのはユウマと暮らすのに丁度良いと考えたからだ。

 ハルオミが自宅に着くといい匂いがした。それに話し声も聞こえる。ハルオミは怪訝に思いドアを開けた。

 「ただいま。」

 「ハルっ!きてきて!」

 「なんだ一体、」

 玄関に入るなりハルオミの右手をユウマが引っ張りリビングに向かった。このテンションなら訓練を抜け出した事は忘れているだろう。どう説教しようかとハルオミが模索しているとユウマが勢いよくリビングのドアを開けた。

 「ねぇ!ハルが帰ってきたぁー。」

 ユウマに引っ張られハルオミもリビングに入る。

 「お邪魔してます。」

 「こんばんわ。キッチンお借りしてます。」

 見慣れたリビングのソファで新聞を広げる幼女と食卓テーブルに料理を運ぶエプロン姿の少女。

 「・・・ん?」

 呆けたハルオミは状況を理解してない。

 「今日ね、三人で川の字で寝るんだー。」

 ニコニコと上機嫌のユウマにハルオミは更に言葉を無くした。十二年、ユウマの兄をしてきた。脈絡ない言葉も理解できたのだが今回は不確定要素が多すぎてついていけない。

 「あ、ハルおかえりなさい。」

 思い出したように話すユウマにハルオミはもう一度「・・・ただいま」と返した。



 「ボクはカノンです。数日間、宜しくお願いします。」

 幼女が新聞から顔を上げ簡潔に挨拶をした。続けてエプロン姿の少女もキッチンから出てきて頭を下げる。

 「私はリオンです。宿泊中は家事等のお手伝いをさせて下さい。」

 「・・・ハルオミです。ユウマの兄です。」

 今だに状況は飲み込めていないが、現実を受け入れるしかないのは事実。互いの簡単な自己紹介が終わるとハルオミはテーブルに並んだ料理を眺めた。食卓に並べれた料理はどれも手が込んでおり、食欲をそそるものばかりだ。根菜と白身魚のスープをメインにトマトとチーズの乗ったサラダ。

 「これ全部リオンちゃんが作ったのか。」

大したもんだとハルオミが感心する。

 「リオンでいいですよ。お口に合うといいのですけど。」

 「オレも手伝った!レタス洗った!」

 サラダを指差すユウマにハルオミは「偉い偉い。」と褒めた。

 「椅子、2脚だけです?」

 食卓に料理が並んだ事を確認し、ピョンと椅子に飛び乗ったカノンの手にはすでにフォークとスプーンが握られている。

 控えめで大人しそうなリオン。他人の家になのに遠慮なく振る舞うカノン。対象的な姉妹だな。それがハルオミの第一印象だった。

 「もう一個あるよー。」

 折りたたみの簡易椅子を持ち上げユウマがニコニコしている。個でなくて脚でしょ。とカノンがぼそりと呟く。

 折りたたみ椅子も急な来客、主に部下用だ。ふぅむとハルオミはカノンを見た。

 「カノンちゃんはこっちだな。」

 「!」

 カノンを抱き上げたハルオミは簡易椅子に座るとカノンを膝に乗せる。

 「何のまねですか?」

 子供らしくない低音でカノンが呟く。慣れた手付きの対応が癪にさわる。弟が弟なら兄も兄だ。

 「あまり座り心地は良くないが我慢してくれ。それじゃあ、温かいうちに頂こうか。」

 「そうではなく、」

 「いっただきまーす!」

 両手を合わせて元気いっぱいに挨拶するユウマにカノンの抗議はかき消される。この兄弟は他人に対しての距離感が近くないか?

 「いただき、ます」

 カノンと目を合わせないようにリオンは一瞬視線をそらしスプーンを手にした。

 「んまぁー!」

 「ホントだ、うまい。」

 喜んで食べているユウマとハルオミにリオンもほっと安堵の笑みを零した。

 「お口に合って良かったです。」

 「リオンはお料理も上手ー!」

 パクパクと食べるユウマにハルオミの目元も緩む。

 「そういえば、ユウマは2人とどう知り合ったんだ?」

 「んっとね、魚屋のおじちゃんに引っ張られて行ったら2人組のおじさんが『おおっ!』とか大声出してたから殴ったの。その後にカノンが遊んでくれるって言ったから一緒にパン食べたんだ。それからガラス細工屋さん行ったの!でね、宿が満室だからお家に一緒に帰ってきたんだー。」

 「概ね間違ってはいません。」

 ユウマの言葉にカノンはただ頷いた。今の説明で理解できたのかリオンはハルオミを見る。伝わっていないなら補足しようと思っていたが、

 「そうだったのか。二人共怖い思いをしてしまったんだな。」

 あの説明で伝わるとは流石ユウマの兄である。

 「狭いが部屋は余っている。寝具もあるしこんなところで良ければ滞在中は自由に過ごしてくれ。」

 リオンとカノンの姉妹は観光で訪れており、暴漢に絡まれていたところをユウマに救われたらしい。ユウマが我儘を言って二人を家に泊めることになったのは話に流れで理解はできた。

 「わぁーい!これで川の字で寝れるねー。」

 ニコニコ顔のユウマにハルオミは「んん?」となった。

 「川の字?」

 繰り返したハルオミにユウマは無邪気に「うん!」と頷いた。

 「・・・部屋も余ってるし、何も2人と一緒に寝なくてもいいだろ?」

 「オレ、絶対真ん中がいい!」

 そのポジションは譲らないらしいユウマにハルオミは嘆息する。その様子をリオンは力ない笑みで見ていた。

 「川の字ならカノンちゃんが真ん中じゃないか。」

 「??」

 首をかしげたユウマにただただ、3人で眠るだけだと大方誰か(ヴィントあたり)に吹き込まれた知識だとハルオミは察していた。

 「絶対嫌です。」

 話題に上がったカノンはハルオミの膝でスープを啜りながら即答した。

 「なんでぇー?」

 「ユウマ寝相悪そうですもん。」

 プハッとスープを飲み終えたカノンはペロリと唇を舐めた。カノンに取り合ってもらえないならとユウマはリオンの方を向いた。

 「ねぇ、リオンも川の字が良いよね?」

 ね?と同意を求めるユウマにリオンは言葉を詰まらせた。うるうると瞳を潤ませて見上げている。この庇護欲を掻き立てられる表情で見つめられたら断るはずがない。先程からユウマの可愛さに当てられているリオンには答えは一つしかなかった。黒曜石の瞳が潤み目元に涙が溜まっていく。唇を結んで返事を待っているユウマにダメとは言えない。

 「・・・いいですよ?」

 「やったぁ!」

 両手上げてユウマが喜んだ。

 「末恐ろしい子ですね。」

 リオンを陥落させたユウマの手腕にカノンは称賛した。

 「いや、だから部屋は余ってるから。ユウマもリオンを困らせるな。」

 リオンが不憫に思えて助け舟を出したように見えたハルオミだが、強くは言えていない。部下が言ったように極度のブラコンのようだなとカノンは評価した。

 

 

 夕食後、ソファに腰掛けカノンは「う~ん。」と小さな手を空に伸ばした。背伸びし、肩を回した後、新聞の続きをと手に取った。

 ペラリと捲ると『龍宴』の文字がすぐに目に入る。

 (まさか、国王特別警備隊長がお兄さんとはね。)

 今日の訓練逃亡について、ユウマは別室でハルオミに(優しめの)説教されている。食後に慌ただしい兄弟だと思う。 華奢な体躯のわりに暴漢を殴り飛ばした日中のマーケットの事も頷ける。この平屋も城近くの静かな場所にぽつんと建っていた。兄弟二人で住んでいるにしては広さはあるし、家具もそれなりの物。それなりの『特権』というものがあるらしい。

ちらりとリオンに視線を送る。リオンは夕食の片付けをしていた。宿泊代の代わりにと家事を率先している。

 「楽しそうですねぇ。」

 カノンの呟きにリオンは皿を洗う手を止めて振り返る。

 「だって、お湯が使えるんですよ?食器も変わった物ばかりですし見てて楽しいですよ。お姉も洗います?」

 「嫌ですよ。めんどくさい。」

 こんな事で文化の違いを感じ楽しめるなんて純粋に羨ましいものだとカノンはテーブルの新聞を手にした。

 「そういえばお姉。」

 「なんです?」

 新聞に視線を落とすカノンにリオンはエプロンで手を拭きながら近づき隣に腰掛けた。そしてそっと耳打つ。

 「いいんですか?宮殿近いですけど。」

 リオンが何を言おうとしているかカノンにはよくわかっていた。

 「問題ないですよ。あの兄弟見てると警戒するのが馬鹿らしく感じるでしょ。それに貴女、ユウマを好いてるじゃないですか。ボクが呆れるくらいに。」

 「好いて、好い!?」

 真っ赤になりあたふたと手を動かすリオンの姿に 

 「初恋の自覚無いんですか?」と意地悪い笑みをカノンが浮かべた。

 「リオンちゃん、カノンちゃん。」

 「ひゃいっ!」

 返事をしたリオンの声が裏返る。その声にリビングに入ってきたハルオミがギョッとなった。

 「何かようです?」

 冷静に返答したカノンにハルオミは手にしていた物を差し出した。

 「・・・着替えなんだが、新しい服はこれしかなくてな。」

 顔を両手で覆ってリオンは首を左右に振っている。挙動不審だ。

 「・・・何かあったのか?」

 「ああ、ほっといてもらって結構です。で、これは?」

 無遠慮に袋を開け、カノンは中身を引っ張り出した。綿生地で厚みがあり触り心地が良い。

 「軍で支給されている襦袢だ。」

 「・・・襦袢。」

 「ユウマのサイズならリオンちゃんにも着れると思って。」

 言葉を無くしたカノンにハルオミが続ける。

 「カノンちゃんに合う服は無いからタンクトップの肩部分を縛って長さを調節したんだがどうかな?ワンピースみたいで可愛いと思うんだが。」

 タンクトップを掲げたハルオミにカノンは変態を見るように顔を歪めた。ドン引きだ。

 「もちろんちゃんと新品だから!しかも、それなりに厚みがあるし、機能的だっ!」

慌てて弁解するハルオミにカノンはそこじゃねぇと心中で悪態を吐いた。

 「・・・わざわざ気遣ってくれてありがとうございます。(棒)」

 着替えはもちろん用意していた。この親戚のおじさんのような世話焼きっぷりに本当に子供が好きなのだと伝わる。

 「ユウマの奴が2人に迷惑掛けたから、これくらいはしないと。」

 ハルオミが苦笑する。整った顔立ちに高身長。申し分ない役職。周りの女性が放っておかないだろうに本当に勿体無い。とカノンはハルオミを哀れんだ。

 「え?迷惑なんて!迷惑ではないですが可愛すぎて困るくらいです!」

 「確かにユウマは可愛いすぎて困るんだよな。・・・訓練抜け出しても本気で怒れないからな。」

 この二人のユウマ至上主義もいい加減にしてはほしい。

 「今日はユウマがサボってくれて助かりましたよ。」

 このままでは話が進まないとカノンがきっぱりと答えた。

 「ユウマが助けてくれたので私達無事でした。大事にもならずに本当に感謝しています。」

 「今回は上手くやったんだな、良かったよ。」

 優しげに目を細めるハルオミからは安心と満足感が伝わってくる。

 「ユウマはわかりにくいが良い子なんだ。滞在中は仲良くしてくれ。」

 「もちろんです。」

 リオンはにっこりと返事をした。

 「それでは、」

ぴょんとソファから降りるとカノンはハルオミに近づいた。

 「面倒みますから交換条件です。この国の歴史書や現代書あります?城下町のゴシップ誌でも構わないですけど。」

 幼な姿に似合わない高飛車な物言いをするカノンにハルオミの視線が下がる。白の民族衣装はサイズが合ってないようで、無理に小さな体に巻き付けているようだ。

 「お姉っ!ここは村じゃ無いんだから、ハルオミさんへの態度は改めて!」

 「人に合わせる人生なんてつまらないですよ。」

 他部族との関わりあまりないが、姉が妹より年下な異人は初めて聞く。双子が先に生まれた順で上が決まる国もあれば、後に生まれた子を上とする地もあるとか。

 他の者達の生活環境に部外者が口を出すのは争いの種にもなりかねない。

 この時期に国に来るのであれば宴参加者の連れかとも思ったが、二人に知り合いはいないようだし、参加者に子供はいなかったはず。

 逡巡した後、ハルオミは頷いた。

 「そうか、カノンちゃんは本が読みたいんだな。」 

 「ボクらの事は呼び捨てで結構、ハルオミさん。」

 「わかった。なら俺もハルオミでいいよ。リオンもさ。」

 そうハルオミに言われたがリオンは手を振り必死に否定した。

 「そういうわけにはいきません。目上の方には敬称をつけないと。」

 「ならお義兄さんと読んだらいいんじゃないですか?」

 律儀なリオンをカノンが茶化す。

 「お姉!からかわないでよ!」

 「あはは。こんな可愛い妹が二人もできたら嬉しいな。」

 さすが、あのユウマの兄である。そして意味を履き違えている。

 「んもう、聞いてますか??!」

 「はいはい、聞いていますよー。」

 怒れるリオンをスルーしてカノンがリビングを出て行こうとハルオミの前を横切る。

 「?」

 ふわっと体が宙に浮いたのにカノンは眉を差寄せた。

 「こぉーら、相手を怒らせたら『ごめんなさい』しないとメッだ。」

 「・・・は?」

 抱き上げられたカノンは今日一番の深いシワを眉間に刻んだ。ハルオミに悪気がないのはわかっているし、この姿ならばそういう対応をされることも知っている。この姿を利用することもあるのだから仕方ないのだが。

 この兄弟は小さい子供を見ると抱き上げる癖があるのか?と疑わずにはいられない。だいたい、初対面の大人に急に抱き上げれたら泣く子供もいるはずだ。

 悶々と思考を巡らすカノンの眉間にはシワが寄る一方だ。睨みつけるカノンにハルオミは微笑むだけだった。左手にカノンを抱え直し、ハルオミはカノンの眉間に人差し指を置いた。予想外の行動にカノンの瞳が見開いた。

 「可愛いお顔が台無しだぞ?」

 ムニムニとまるでマッサージするようにカノンの眉間を指圧する。

 「ほら、可愛くなった!」

 満足気に笑うハルオミにカノンの瞳は開いたままだ。次第に耳に熱が集まるのを感じる。こんな扱いされたことがない。屈辱と感じる。いや、違う。屈辱ではない。この、気持ちはなんだろう?

 「失礼ですねボク最初から可愛いんですけど!」

思わず出た言葉にカノン自身が驚愕していた。この場で「可愛いです。」なんて。そんな事を言えばこの男は。

 「うんうん、可愛い可愛い。」

 そう返すに決まっているのに。

 高い高いと持ち上げられ、赤面した顔を隠せずにカノンは唇を噛んだ。

 「あ、こら。そんな強く唇を噛むと血がでるぞ。皮膚が薄いんだから。」

ハルオミの視線が己の唇に向いている。その視線に体が熱くなる。

 「あー、もう!離しなさい、このブラコンっ!」

 「カノン、あぶないっ!」

 ジタバタ手足をばたつかせるカノンを落とさないようにハルオミはカノンを抱きしめた。

 「落ち着けって。」

 カノンの小さな背中をハルオミの大きな掌が撫でる。

 「!!?」

 「よしよし。」

 されるがままになってしまったカノンは小さな拳を握りしめていた。なんだこの状況は。

 こんな風にされたのは初めてだ。どう対応していいかわからない。読書好きのカノンはこれまで色んな書物を読み漁った。恋愛小説の中でならこんなシチュエーションもあるだろう。その時、主人公達はどうしていたかも把握しているのだが、実際にされる側になると一瞬頭が真っ白になりわからなくなった。

 「ハルオミさんてすっごい。」

 ユウマも距離の詰め方がエグかったが、ハルオミはそれ以上のようだ。なんせあの高飛車で唯我独尊の姉が赤面し黙っている。

 「ハルは子供好きだからねー。子供の扱いはお手なものなんだよー。あ、お湯湧いたよ。お風呂どーぞ。」

 炎石をカッチと鳴らし火花を弾かせたユウマはにこにこしている。お風呂を沸かしたから褒めてほしいというオーラを出していた。

 「ありがとうございます。お先にいただきますね。」

 「んっ!」

 「リオン、ボクも入ります!」

 体を起用にくねらせハルオミの手から飛び降りたカノンは「髪を洗ってください。」と言った。

 「タオルはお風呂の近くの棚にあるよ。」

 ハルオミが用意した服を手にリオンはぺこりと頭を下げカノンとリビングを出ていった。

 「ユウマもあれくらいの時期は一緒に風呂に入ってたな。懐かしい。」

 「そーだね。」

 「・・・もう大きいもんな。」

 「うん?」

 しみじみと昔を思い出すハルオミにユウマは素っ気なく返した。あれだけカノン達と一緒に川の字に寝たいと騒いでいたのに、自身との風呂に興味は無いらしい。ユウマの成長に少しだけ寂しさを感じているハルオミにユウマは首をかしげた。

 「ねー、りゅーえん終わったらみんなで温泉いこー。混浴ってみんなで入れるってー。」

 ハルオミの腕を掴み強請るユウマの姿は可愛今らしいが話している内容は可愛くなかった。

 「・・・ヴィントから聞いたのか?」

 「うん。前にヴィントが『混浴サイコー!』って言ってたから聞いたら、みんなで温泉に入って背中流し合いっこして、泡で遊ぶってー。」

 「・・・。もうわかった。ユウマ、ヴィントとの話をリオンにすると嫌われるから絶対するなよ。」

 「え!?ヤダ!うん、もうしないっ!」

 黒曜石の瞳を見開き、ユウマは何度も頷いた。

 「良い子だ。ヴィントは俺が叱っておくからな。それからヴィントから聞いた事は俺に報告してくれ。」

 「うんっ!わかった!」

 『ヴィントを叱っておく。』『リオンに嫌われる』と静かに言ったハルオミにユウマ素直に従い力強く頷いた。ユウマの成長に異性関係が必要な事はハルオミも理解している。一般市民と家庭環境が異なっている中でユウマの思春期にどう向き合っていくか兄としてハルオミは模索中だった。大切な事程、ユウマには慎重に伝えなければと常に考えている。

 「・・・。」

 頭を抱えたハルオミにユウマが「ハル、さんぴーって何?新しいピーナッツ?」と聞き、更にハルオミは頭を抱える事になった。



 リオン達が入浴を終えるとユウマはバタバタと浴室に駆け出した。「じゃんけん勝ったー!」と相変わらずカノン達にはわけのわからない事を言いながら。


 「・・・。」


 ブスッと不機嫌なままカノンは悶々としていた。ホントにわけわからない兄弟。人間嫌いのカノンにとってこのユウマとハルオミの兄弟は初めてであう人種だった。育った村にこんな輩はいない。これまで読んだ書物にも該当する人物像はない。

 村の掟で「生涯伴侶となるもの以外に肌を見せてはいけない。触れさせてはいけない」という昔からの決まりがある。今ですら時代遅れだと笑う者も出てきたが、頭の固い長たちは律儀に子供に教えこんでいる始末だ。押し付けるだけの掟が嫌だし、知識欲が人一倍強いカノンは村を出たいと常々思っていた。今回の「神夜の暗示」はちょうど良いと思っていたし、それを口実にリオンを連れ出せたのも良かった。村を出るだけではリオンは躊躇しただろうし、リオンを残して村を出ようとはカノンは思わなかった。自分が居なくなれば無理に跡を継がせられると知っていたからだ。人間なんて、力があれば利用するし、それが身体潜在的な力の差ならなおさらだ。

 人間に限らず、魔族でもそうだ。だからカノンは力あるモノが嫌いなのだ、昔から。

 「カノンにはまだこっちは難しいから、これとかどうだ?」

 テーブルに積まれているのは「神さまと龍の子」というタイトルの絵本だった。それを無視してカノンは経済誌を読んでいる。声を掛けて来た人物がこの苛立ちの張本人。しかも入浴を終えたカノンの髪を自然な流れで拭いている。痒い所に手が届く・・・というのだろうか。

 「貴方、慣れてらっしゃいますね。」

 「ユウマのもやってるからな。」

 慣れた手付きで髪に残る水分をタオルで吸い取る。それが心地よいなんて絶対に言わないとカノンは決めていた。

 「あまり手を焼くのは教育上よろしくありません。」

 「そうかもなぁ。でも、濡れたまま寝て風邪を引かれる方がもっと手がかかるからな。カノンもしっかり拭かないと。」

 真剣に受け止めていない返しにカノンは会話を続けるのが馬鹿馬鹿しいと感じた。穏やかに、間延びした話し方はユウマに似ていてやはり兄弟だと思った。

 「お風呂終わったー!リオンと服お揃いっー!」

 ドタドタとリビングに掛けてくるユウマの声にハルオミがクスリと笑ったのが顔を上げずともカノンには伝わった。

 「カノン、まだ髪乾かないのー?」

 「長さと量があるんですよ。」

 「カノンが終わるまで自分で拭いてろ。」

 「はぁーい。」

 手を上げて返事をしたユウマはガシガシと髪を拭き始めた。雫が飛びっているが本人は気づかない。

 「確かに、あのまま寝たら枕ビショビショで風邪ひきますね。」

 「だろ?」

 「ちゃんと教えたらいいのに。」

 「教えてるんだが、中々できなくてな。いつかできるといいなとは思うけどな。」

 それが教育上良くないってことなのに。

 特別警備隊長に任命されるということはかなり頭は切れるだろうに。どうしてこうも弟に激甘なのかとカノンは思った。

 「お茶を入れたんですけど、」

 「何チャー?!」

 ポットとカップをリオンが運んできた。リオンの声にすぐさまユウマが反応する。

 「少し冷まして飲むー、氷入れてー!」

 民芸用品の龍の絵が書かれたカップにお茶を注ぐと、リオンはユウマの後ろに回った。

 「そんなに力強くしなくても大丈夫ですよ。」

 バスタオルでユウマの頭を優しく包むように軽く押さえながら拭き取る。

 ユウマは顎下を撫でられる猫のように気持ち良さそうに目を閉じた。そんなユウマの姿にハルオミの手の動きが鈍くなる。 

 「リオンも面倒見が良いんですよねぇ。母性が強いといいますか。」

 「あはは。そうだなしっかりしてるもんな。これまでユウマの近くにいない子だ。」

 「ボクの周りにもあんな失礼な子いませんでしたよ。」

 「それはすまなかったな。ユウマにはきちんと言い聞かせるよ。」

 ハルオミは全て肯定する。それがカノンは気に入らなかった。

 「貴方何でもかんでもはいはいしてますけど、ご自身の意見とかないんですか?」

 カノンが真っ直ぐにハルオミを見上げる。ハルオミは目を丸くした。

 「え、ユウマの事もリオンの事もホントの事だろう?」

 「あ、もういいです。」

 確かに本当の事なのだが。これまで弁明や虚偽、言い訳ばかりを聞いていたカノンは初めて会う人種にどうしたもんかと頭を悩ませた。


 その晩はユウマの希望通り四人で川の字になり寝た。リオン、ユウマ、カノン、ハルオミの順だ。

案の定と言うべきか、ユウマとカノンは直ぐに寝入った。リオンは少し緊張していたが、ユウマの安心しきった寝顔を見ているとなんだがホッとして目を瞑ることができた。



 夜が深まり三人が寝静まったのを確認し、ハルオミは静かに布団から離れる。リビングを出る前にきちんとユウマとカノンの布団を掛け直すのを忘れずに。


 自身の部屋に入ると炎石を弾き、ランプに入れる。ポウと明かりが灯った。持ち帰った仕事を少しは処理しようと鞄から紙束を取り出す。半分程処理を終えたところで肩を回し、伸びをした。

 「・・・ふぅ。」

 小さく息を漏らし、ハルオミは頭を抱えた。思い返すのは本日行われた軍議の事だ。


 『龍宴とは、優秀な魔道士を一箇所に集めての品評会ではないですか』

 議会場でそう口火を切ったのは王弟赤龍派のダ家だった。ダ家は王弟に取り入れられようと手段を選ばない貴族で有名だった。花街での黒い噂も絶えない。そんなダ家当主のマエダが雄弁に高らかに講説を述べることができるのも王弟の力が大きい。

 昨今は現龍王、白龍から遠ざかる貴族も出てきた。

 争いを好まない、自由と平等を愛する白龍王を腑抜けだと言い出す者まで出てきている。自己の利益を優先し、他者を搾取する者はどこにでもいる。身近にいるのだが、被害に合わなければ野放しのままなのだ。

 「マエ・ダ様、言葉が過ぎるかと」

 気持ちよく語っていたマエダの言葉をハルオミが遮る。マエ・ダはハルオミを睨みつけた。上流階級の侮蔑は慣れているハルオミは気にせず続けた。

 「現白龍王陛下のお力で我々は安寧を享受できているのです。」

 「時代は変化し続ける。仲良しごっこが永遠に続くと思っておるのか。民のことを思うならば軍備強化は必須。現にシュッツシエールは不足しているではないか。」

 「私は貴殿の空想に賛同しかねるだけ。戯言は屋敷で行ってもらいたい。現龍王は争いを好まない。」

 凄みを利かせたハルオミにマエ・ダがたじろいんだ。「この野蛮人め。」プライドがそう言わせたのか吐き捨てるとマエ・ダは不愉快だと壇上を降りて会場を出ていった。

 世界で一番無駄な時間だとハルオミは思う。招待客を物扱いする発言にこちらも不快なのだ。

 貴族の会議など参加したくないが立場上参加しなければならないし、こんな劣悪な環境に部下を代理で参加させるわけにもいかない。

 「はぁ。」

 ハルオミの口からは二度目の溜息が無意識に吐いた。

 「真面目ですねぇ。」

 「!」

 いつの間にか部屋に入っていたカノンが机の端を掴み、つま先立ちをして書類を覗いている。

カノンが部屋に入るのに気づかないくらい、集中していたのだろかとハルオミは驚いた。

 「トイレです。」

 黙っているハルオミにカノンはそう言った。

 「トイレ・・・・。一緒に行くか?」

 「貴方ホントにド変態ですか?」

 一人行くのが怖いのかと思って声をかけたら「変態」と言われた。言われ慣れていないハルオミにとってはかなりのパワーワードだ。

 「我慢は良くないからトイレに行って来なさい。」

 ショックを隠ししつつ、カノンを諭す。諭されたカノンはムッとなる。

 済みましたよ。と呟きカノンは椅子を引っ張るとハルオミの机と椅子の間に小さな体を滑りこませた。やれやれとハルオミはカノンを抱き上げ膝に乗せる。

 「良い子は寝ないと大きくなれないぞ。」

 「既にいい女ですから。」

 即答のカノンにハルオミは黙る。紙面を小さな掌で抑えているカノンの旋毛を視界に入れ、ハルオミは黙った。暫くぼんやりとしてていると小さなくしゃみが聞こえた。

 「もう、遅いし寝ようか。」

 風邪を引く前にとハルオミはカノンを抱え直した。その仕草にカノンはランプを取り、蓋を開けてフッと息を吹きかけ火を消した。吐息で炎石の火を消せるのは体内に魔力を持っているからだ。

 「ありがとう。カノンはすごいな。」

 「こんなの朝飯前です。」

 簡単に行っているが、ハルオミが炎石の火を消すとなると、魔力の籠もった扇子で仰ぐか、専用の水を垂らさなければいけない。

 「寝る前に月がみたいです。」

 窓から入る月明かりをカノンが指差す。ハルオミは抱いたカノンと窓に近づく。

 「みえるか?」

 「窓開けて下さい。」

 「風邪ひくぞ?」

 「大丈夫でしょ、貴方焚き火みたいにあったかいですから。」

 「・・・。」

 言葉を無くしながらもハルオミはカノンを片手で器用に抱き、窓の鍵を開けた。夜風が室内に入り込む。サラサラと葉が擦れる音が聞こえる。

 「綺麗な月だな。今日はいつもより大きく見える。」

 真っ直ぐにハルオミは月を見上げた。

 「な、カノンもそう思うだろ?」

 目線をカノンに落とすとカノンは目を瞑っていた。静かに月明かりを浴びるカノンの横顔に重なる面影。

 (・・・彼女は、)

 「うあっ!?」

 ハルオミの腕の力が抜ける。驚いたカノンは咄嗟にハルオミに抱きつく。

 「危ないじゃないですか!」

 ギッとカノンが睨み上げる。

 「抱くならしっかり抱きなさいよ!ユウマでもできるんですけど!?」

 カノンが怒りから驚きの表情に変わる。そしてそっとハルオミの頬に触れた。ハルオミに伝わるのは小さな掌からの温もり。カノンの大きな瞳がハルオミを気にかけている。

 「・・・ぁ。」

 「貴方、随分マヌケな顔になってましたよ。まるでお化けでも見たみたいな。」

 カノンの小さな手にハルオミはそっと自身の手を重ねた。

 「・・・大丈夫だ。不安にさせて悪かった。」

 カノンを抱く腕に力を込める。

 月明かり明かりが2人を照らす。

 さわさわと夜風がカノンの長髪を撫でた。

 「ん?」

 ギュッとカノンがハルオミの頬を抓った。

 「ボクは心配してません。」

 「そりゃ、悪かった。」

 「そのすぐ謝るのもやめて下さい。情けない。」

 鼻先に小さな指を指しカノンはハルオミを見上げ喝を入れた。「はい。」と頷くハルオミにカノンは「よし。」といつも通りに鼻を鳴らした。


ーーー


 龍王宮内を黒衣を纏った魔導師が歩く。歩くという表現は些か変だった。音がしない。まるで浮遊しているようだ。進む度に壁から吊り下がったランプの火が付き、離れるときえていく。

 ある扉の前で止まる。扉に触れる事無く、思い扉が開いた。

 「白龍王。宴参加者は皆国内にお越しになったようです。」

 「・・・そうか。」

 玉座に腰掛けた白龍王が答える。

 「魔力の強いあるシュッツシエールもおりますでしょう。もうすぐ、陛下の望みも叶いましょう。」

 白龍王はただ黙って宮廷魔導師・ユタを見つめていた。

 「謎の多い、『月の巫女』も見つけ出してみせます。」

 頭を垂れるユタに白龍王は静かに告げた。

 「先代の為し得なかった『龍の顕現化』。私の代で成し遂げたい。」

 その言葉にユタは顔を上げた。

 「黒の兄弟は宴中は城に近づけてはいけませぬよ。シュッツシェールが集まる中であの兄弟は危惧すべき。」

 「心得ている。」

 白龍王の言葉にユタは部屋から出ていった。静かな玉座で白龍王は小さく息を吐いた。

 頭上では5匹の龍が円を描き飛んでいる。

 黒の兄弟を近づけるな、か。

 ユタの言葉を反芻する。

 「・・・悲しいが、私には必要なのだよ。」

 その呟きは誰にも届かなかった。


ーーー 


 今晩も月が白く輝いている。

 北の山から流れた川はリントエーデル国の西側に向かって流れている。月明かりに照らされた清流がボコンッと湧き上がった。だが直ぐに先程の川の姿に戻った。月明りに照らされ、煌めく水面に。変わったのは息絶えた魚たちが下流に流れ始めたことだけだった。


ーーー


  ふわふわにやわらかくて

  あまーい匂い

  少しぬくいくらいがちょうどいい

  今日のまんじゅうはいつもより大きい♪


 「いっただきまぁーす!」

 いつもより大きく口を開けたところで、鼻がむずがゆくなった。

 「ぶぁっくっしょんっ!!ぁれ?」

 ユウマがくしゃみをすると手からまんじゅうがこぼれ落ちた。

 「待てぇ!」

 転がるまんじゅうを追いかけ手を伸ばす。

 「取ったぁ!」

 右手にしていたまんじゅうが消えて、なめらかな糸が手に握られている。なんだろうとユウマは糸の束を引っぱてみた。


 「いっっだっ??!」

 「ぶっ?!」


 糸を引っぱったら右脇腹に痛みが走った。

 (なに?なに?なに?何もされていないのに、お腹が痛くなった?!)

 ユウマが左右を見渡し混乱しかけたとき、

 「何すんですか?!」

 怒声で黒曜石の瞳がパチリと目が覚めた。

 カノンの髪を引っ張り、蹴られたのだとユウマが気づくのはハルオミが起こしに来てからだった。


 「うぅー。」

 朝食を終えても脇腹の痛みは消えない。痛みに耐えられず、漏れるうめきはカノンに向けられたが、カノンは自業自得だとそっぽを向いている。

 「ユウマー、明日の」 

 「お腹いたいー。」

 軍服に着替えたハルオミにユウマはテーブルに突っ伏したまま答えた。最後まで話しを聞きたくないとダダを捏ねているようにも見える。

 「明日は龍宴なんだ。警備の配置の確認もあるだろ。今日は軍に顔出すんだぞ。」

 「お腹いたいから行きたくないー。」

 訓練拒否の言い訳になっていないとハルオミが呆れる。

 「カノンに蹴られたくらいで情けない。」

 1回の蹴りが何だと言うのか。ハルオミなど、昨晩顔は蹴れるわ、鳩尾にかかと落としを受けた。急所も狙われたが当たる寸でで悪いと思ったがタオルケットでカノンを簀巻きにした。そうでもしないと寝れないと感じたからだ。簀巻きにしてからはすやすやと大人しく寝てくれたのが幸いだ。

 「めっっちゃくっちゃいたっかった!っていうか、いたい!」

 強調するように溜めて、現在進行形で叫んだユウマにハルオミはため息を吐いた。

 「お姉が力いっぱい蹴るから。」

 「覚えてないです。」

 寝ぼけたユウマだけのせいではない。カノンは倍にして返すことをリオンはよく知っている。そして絶対に謝らないことも。

 テーブルに顎を乗せるユウマにリオンはしゃがみ込むと脇腹に手を当てた。

 「いたいのいたいのとんでいけー。」

 微笑むリオンをユウマはきょとんと見ている。

 「もう痛くないでしょ?」

 リオンにそう言われ、ユウマは頷いた。

 「うん、いたくない!すごい、リオンすごい!なおった!」

 立ち上がり、左右に腰をひねるユウマをリオンは「良かったです。」と笑う。

 その様子を顎に手をやり眺めるハルオミにカノンは眉一つ動かさずに言った。

 「あれ、一応治癒魔法使ってますからね。貴方にはできませんよ。」

 「え?あ、ああ。」

 図星を突かれたハルオミが少し慌てる様子をカノンに肩を落とす。その呆れ方はどう見ても六歳児のものではない。

 こんな時のカノンがハルオミは少し苦手だった。

 「ユウマ、訓練場に来ないなら今日は南石の確認頼むぞ。」

 「はーい。」

 右手を上げるユウマにハルオミは機嫌が治ったかと笑う。つまらなさそうにカノンは新聞を眺めた。そんなカノンの頭をハルオミはぽんぽんと撫でる。

 「もう今朝の事は許してやってくれ。」

 「別に怒ってないです。っていうか、腹の痛みも治ったのなら訓練に参加させたらどうですか?明日は特別な日なのでしょう。甘やかすだけが教育じゃありませんよ。隊長としての示しも部下につかないでしょ。」

 「帰りは遅くなるから3人共気をつけて外出するんだぞ。」

 小言を遮りカノンの頭を撫でる。この大きな手のひらがなんともくすぐったい。

 優しく見つめる視線もこそばゆい。特別視されてきたことはあってもこんな風に大事に見られたことはない。

 ホントに変な兄弟。不思議な兄弟。

 ボクを惑わせるなんて、魅せるはずの僕を。

悔しい。何の勝負かはわからないが、悔しいのだ。全てをさらけ出しても勝てないようで。

 ふとある種の言葉がカノンの脳裏を過ぎる。認めたくない、感情だ。

 「もぉっ、子供扱いしないでくださいっ!」

 「うぉ、すまん。」

 カノンが勢い良く頭を振った事で反射的にハルオミは手を引っ込めた。

 「カノンは子供じゃんかー。」

 そう一言呟いたユウマにカノンは殺気だった視線を向けた。 



 天気が良いので、家事を先に済ませたい。とリオンが話したので、ユウマはリオンの手伝いに張り切った。洗濯にリビングの掃除。リオンが移動すればユウマも後ろからついて来る。一緒に行えばリオンは微笑んでユウマを褒めた。褒められるのが嬉しくてユウマは更に頑張った。

 そんな二人を遠めにカノンは数冊の古書に目を通していた。

 「お昼はミレのとこ行こーね!」

 何の脈絡もなく、ユウマが急に言い出す。リオンが首を傾げる。

 「みれ?」

 「町でお店やっててご飯が美味しいのっ!」

 ニコニコと話すユウマにリオンは昼食の事だと気付く。

 「リビングのゴミを纏めたら出かけましょうか。」

 「んっ!」

 ご機嫌のユウマにリオンも微笑み返した。無性に世話を焼きたくなる兄のハルオミの気持ちもこんな感じなんだろうかとリオンは思った。

 「お姉もそれでいいですよね。・・・お姉?」

 ソファに居たはずのカノンが居ない。

 「カノンかくれんぼ?」

 ユウマも首を傾げた。

 「終わりました?」

 リビングのドアを開けカノンが顔を出した。

 「カノン見っけー。」

 「ケンカ売ってるんですか?いいですよ、高価買取中ですから。」

 ユウマに指差されカノンはギッと睨みつける。

 「お姉、お昼はミレさんのお店に行きましょう。」

 「ご飯が美味しいんだー。」

 珍しく断定的に話すリオンをカノンはジッと見つめる。

 些細な事でも伺いを立てていたのに。こうも変わるのかとカノンは感心した。これも無邪気なユウマのおかげかと。

 「では行きましょう。」




 城下町の市場は今日も大盛況で、人で溢れている。龍宴の前日でもあり、城下町に近い南門前は混雑していた。臨時で南門に仮設テントが張られている。

 「おー、ユー坊!めんこい娘連れてるなぁ!これかぁ?」

 八百屋のポポフが小指を立てた。

 「めんこー?これぇ?」

 相変わらずきょとーんと真似るユウマにおじさんはゲラゲラ笑った。

 「からかいがいもねーやっ!」

 どうやらユウマは顔が広いようだ。行く先ざきで声を掛けら可愛がられている。

 「ユー坊!ちょっと手伝っておくれ!」

 酒樽を荷台に乗せるおばさんがユウマに声を掛けた。

 「はぁーい!リオン達はちょっと待っててー!」

 駆け出すユウマをリオン達が見送る。残された二人に八百屋の店主が試食用のりんごを差し出した。

 「これでも食べて待っててくれ。ユー坊は有名人だからさぁ。」

 「ありがとうございます。」

 「ボク、イチゴがいいです。」

 「おおっ!さっっすが、ユー坊の連れだっ!!」


 店主が艶がよく大粒のイチゴをカノンの小さな手のひらに懐紙と共に乗せる。

 「おいくらですか?」

 あたふたとリオンがポンチョの下のから財布を取り出す。

 「気にしなくていいよ!つけとくからね。」

 「え?」

 それだけ言うと店主は他の買い物客の対応に行ってしまった。呆けるリオンに店員のおばさんが「大丈夫だから」と笑いかけた。ここでたち止まっていては他のお客さんの邪魔になると感じたカノンが苺を頬張りリオンのポンチョの裾をくいくい引っ張る。リオンはおばさんに頭を下げて八百屋から離れた。


 買い物客の邪魔にならないよう、端でユウマを待ちながらリオンは市場を眺めた。初めてみる景色は戸惑うこともあるが刺激的だった。初めて見るもの、匂い、異国の文化が混ざりあい、共存している国。国民も笑顔でとても幸せそうだ。

 確かに村にいれば味わなかった感覚だ。

 初めは多少の村を飛び出したことに多少の罪悪感はあった。

 あったけれど、


 「リオン、カノン!お持たせー!」

 戻ったユウマにリオンはカノンの分としてもらったりんごをユウマに見せる。

 「はい、ユウマ。」

 「あー、んっ!」

 まるで雛のように口を大きく開けたユウマにリオンに爪楊枝に刺した一口大のりんごを食べさせた。

 「街なかでですよ、あんた達」

 カノンの言葉は二人には入っていない。昨日、ユウマに抱きつかれリオンも気にならなくなっているようだ。下心が一切なく無邪気に甘えて来るのだからかわいいことこの上ない。

 「美味しいですか?」

 「うんっ!」

 ユウマの幸せそうな笑顔をみるとほっこりする。これもリオンには初めて感じる感情だった。


 

 「ミィレェー!ご飯っ!」

 古風なカフェのお店にカラコロと来店の鈴がなる。

 「これ、ここは家じゃないんだよ。それから私はミランダだ。いつになったら人の名前を覚えるんだぃ。名前を間違えるのは失礼だと何度も言ってるだろ。」

 店に入るなり、ユウマは女の主人のミランダから口早に説教されていた。恰幅の良いミランダの説教中にもユウマは「ごはんー。」と言った。いつも通り効果がないと察したミランダは嘆息する。

狭い店内は遅いランチを楽しんでいる観光客でテーブル満席だ。

 「カウンターに座りな。」

 「わかったー。リオン、カノンこっちー。」

 「おや。今日は可愛い娘を連れてきてたのかい。いらっしゃい。」

 リオンとカノンをカウンターにユウマが案内する。

 「おすすめはなんですか?」

 カノンに聞かれたユウマは「オムライスとクリームパスター」と答えた。

 「ではボク達はその2つを。」

 「オレはー、オムライスー。」

 「オムライス2つにクリームパスタだね?鶏肉や豚肉は大丈夫かい?」

 ミランダの問にカノンは感心する。流石は多種多様な民族が行き交う場所だと。観光客相手との食の宗教トラブルは戦争のきっかけになることもあるのだ。

 「鶏肉でお願いします。」

 「あいよ、少し待ってな。」

 厨房に入るとミランダはすぐさま調理を開始した。

 手際良く調理を進めながらカウンター席のユウマ達に方へ話しかける。

 「名前を聞いてもいいかい?私はミランダだ。しがない定食屋の女主人さ。」

 ミランダはその体躯に合った豪快な笑みを向ける。

 「優しいのがリオンで、怒りんぼがカノン。」

 そう紹介したユウマにミランダがボールでユウマの頭を叩いた。

 「いたぁーいっ!」

 「女の子にそんな紹介の仕方があるか!ほんっとにあんたら兄弟は女心をわかっちゃいないねっ!女泣かすなって言ってるだろっ!特にアンタは無意識に言葉で傷つけてんだからそこを理解しなっ!」   

 「・・・うぅ、リオンごめんね。」

 「リオンちゃんじゃない、カノンちゃんに、だっ!」

 「カノン、ごめんなさい〜。」

 「別に気にしてませんよ。ボクは寛大な心の持ち主ですから。」

 「・・・え?」

 涙目で素直に謝ったユウマをすんなりと許したカノンにリオンは疑いの目を向ける。今朝の事を考えるとどこに心の広さがあったのか気になるところだ。


 「二人はこの国には観光でかい?」

 「そんなもんです。」

 「そうかいそうかい。良い時期にきたもんだ。この国は珍しい物が沢山あるからね。ゆっくり見るといいよ。」

 「昨日ユウマに少し案内してもらいました。」

 リオンが答えると、ふふんと得意げなユウマにミランダが珍しいと意外な顔をした。

 「そりゃ、びっくりだ。ユー坊、きちんとお仕事したんだね、きちんと案内できたかい?観光街や博物館、特産品。ああ、あんたの好きな展望壁も有名だね。」

 「・・・」

 得意げな顔から固まったユウマにミランダが呆れる。

 「国の事なんて教えられるわけないですよ。『美味しいものがあって、みんな良い人ー』ってしか言わないですからね。人口や面積を知っているかも怪しいところです。」

 「やっぱり。」

 やれやれと手を上げて盛大に呆れを見せるミランダにユウマは「できるもん!」といった

 「リントエーデル国は龍王が治める国で、色んな人がたくさん来るから、経済が回って、お金が入ってきて、気候も良くて、・・・美味しいのがたくさんある!」

 「それは歴史じゃないだろ。情けないね。」せめて人口くらいは覚えなとミレンダに言われ、ユウマはうっーと唸った。



 ミランダがオムライスとクリームパスタをリオンとカノンの前に置いた。ふわふわ卵とケチャップ、彩りのキャベツにミニトマトが乗っている。ユウマはリオンの前に置かれたオムライスをジッと見ている。

 「どうぞ?」

 その視線にリオンはクスクス笑いオムライスをユウマの方に寄せる。

 「わっ、いいの?」

 パァとユウマが笑顔になった瞬間、

 「これ!あんたのはこっち!少しくらい待てないのかぃ!」

 オムライスをユウマの前にドンとおいた。勢いでミニトマトがはねた。

 「ミレこわーい。」

 抗議をしながらもユウマはすでにスプーンを握っていた。

 「いただきまーす。んまー。」

 パクパクと食べ始めたユウマにリオンは余計なことをしてしまったかとバツが悪そうに眉を寄せた。余計なことをしてしまってユウマがミレに怒られてしまった。

 「あの、」

 「さっさと食べなさい、リオン。」

 「そうそう冷めないうちに食べな食べな。」

 隣のカノンも口周りにクリームを付けて食べている。リオンはとまどいながらもスプーンをとる。

 「いただきます。・・・、美味しい!」

 目を見開いたリオンにミランダが満足そうに頷く。

 「ね、おいしいでしょ?」

 にこにことユウマも満足げだった。


 3人が食事を終えた頃には客はまばらになっていた。

 「おいくらですか?」

 リオンがポンチョの中から財布を取り出す。

 「お代はユー坊につけとくよ。な?」

 「うん。」

 「え?でも、」

 八百屋でも同じことを言われた。困ったリオンにユウマは普段通りに返事する。

 「この年でツケなんて相当ですね。」

 カノンの嫌味にミランダが違う違うと手を振った。

 「この子は財布を無くすんだ。置き忘れるっていうのかい?首から下げてても無くすもんだからハル坊がツケにしてくれて頼んで回ったんだよ。」

 ま、外商でなければ2人のことはよく知ってるからね。問題はないよ。とミランダは豪快に笑った。

 「警備隊長殿も大変ですねぇ。」

 「ホントだよ。毎日毎日弟の世話ばかり。良い娘を紹介しても弟が成人するまで面倒見ると断るばかりだ。一時期は女に興味がないのはあっちかと噂もあったよ。本人は必死で否定していたけど、浮いた話もないからね。」

 やれやれと肩を落とす。

 「ねぇ?リオンちゃん?この際だからあんたハル坊の嫁に来ないかい?この国じゃ女の結婚は早いんだ。私が見たところそれくらいだろ?どうだい?ハル坊は顔は良いし、金はある。唯一のこぶつきだけど、懐いてるし問題ないと思うがね!」

 ずいずいと押されたリオンは返答に困る。どこの部族のおばさんはこの手のお世話をしたいようだ。身近な子だと尚更熱くなるらしい。

 「あの、うちのとこでは、姉より先に嫁に出るのはご法度なんです。それに両親にも相談しないと。」

 「そりゃ、親御さんに話しないといけない。しかしもったいないねぇ!じゃあ、お姉さんに話てもらえるかい?リオンちゃんのお姉さんなら美人で器量も良いだろうし。」

 「・・・ええ、話してみますね。」

 ちらりと視線を横にいるカノンに移し助けを求めたがカノンは無言でお茶を啜っている。

 「ミレ達のお話長いねー。」

 「ま、考えてもいいですけどね。」

 「なにを?」

 カノンから返事がないので興味がなくなったユウマはスイーツメニューを見ている。

 「ミィレー!ミルクアイス食べたーい!パイン乗せてー!」

 「ボクはプリンをお願いします。あ、この黄金卵の特別プリンいいですね。生クリームトッピングで。」

 カノンがユウマに便乗し注文したのはスイーツで一番高く店の人気商品だ。ちなみにオムライスの3倍の値。

 「カノンちゃんは見る目があるよっ!希少鶏の黄金卵プリンは1日3個限定だ。すぐに用意するからね。リオンちゃんは何にするんだい?」

 そうミランダに問われては断りきれず、リオンはスイーツの中で安いアイスを選んだ。

 「抹茶アイスでお願いします。」

 「毎度ありっ!」

 るんるんと厨房の中に引っ込んでいくミランダは上機嫌だ。

 「オレもプリン食べてみたいー。一口ちょーだい。」

 「嫌です。」

 「ずっこいー。ねぇリオンは抹茶一口くれる?」

 お願い?と手を合わせたユウマにリオンは「いいですよ。」と苦笑した。

 「ありがとー。オレのミルクもあげるねー。カノンにはあげないもん。」

 「いりませんよ。」

 「ほんとに仲良いねぇ。ユー坊も賢い妹ができて良かったじゃあないか。」

 ミランダが3人分のスイーツを持って奥から出てきた。

 「心外です。ボクの方が姉です。」

 「そーだよー。カノンみたいな厳しい妹やだよー。」

 「・・・あんたら息ぴったしだよ。」

 そこじゃないだろうとミレンダもリオンも思ったが敢えて突っ込もうとはしなかった。


 ミランダの店を出ると既に日差しが柔らかくなっていた。

 店から出てのユウマの足取りは何故か重い。

 「ユウマ眠いでしょ?」

 横からリオンに覗かれユウマはうんと頷く。

 「どこかでお昼寝したいですね。」

 空を見上げ話すリオンにユウマはもう一度うんと頷く。普段なら食後はその辺の広場のベンチや樹の下で昼寝をしている時間帯だ。

 「昼寝の前にユウマ言われたことありませんでした?南の結界石の確認。」

 服の裾を引っ張られ、ユウマはうんと答えた。あっちーと南の方角を指差した。


 東西南北の門の中で南門が長く高さもあった。入国した時は気付かなかったが上には大砲が等間隔に設置されている。

 「立派ですね。」

 結界石に異常がないか確認しユウマはうんと頷く。眠気で半分は聞いていない。

 「城下町が近いから南門は大きいんだ。ゆーじの時、国民の避難の時間稼ぎができるようにって。」

 「の割には結界石は一つですか。」

 成人女性の拳代程の水晶が壁に埋め込まれていた。水晶は濁り、表面には小さなヒビがいくつか入っていた。きちんと効果が出ているか怪しいものだ。住民避難優先が聞いて呆れる。魔族が数十匹で攻めてきたら結界は1時間と持たないのではないかとカノンは思う。

 「シュッツシエールが殆ど赤いのについちゃったから。」

 「赤いの?」

 「王様の弟。オレ、赤いの大嫌い。」

 初めてみる嫌悪にユウマの満ちた顔。嫌そうに目を細めたユウマにリオンがどうしてと聞いた。

 「オレ達にすっごい意地悪なんだ。」

 「権力争いに国民を巻き込むのは愚王ですよ。ユウマは後ろ向いてなさい。」


 ?を浮かべながらも素直にユウマはカノンに背を向ける。

 ふわっと風が足元から吹き上がる。

 なんだろうと気になり振り返ろうとしたユウマの頬をリオンが両手で包んだ。

 桜の花びらの中でリオンが微笑んでいる。

桜の香り。癒やされる緑色の瞳。柔らかく暖かなぬくもり。

 視覚、嗅覚、触覚が包まれる時間。

 更に眠気が増幅される。意識が溶けるような感覚にユウマはぼっーとリオンと目を合わせていた。

 「さ、いきましょ。」

 透き通る輝きを取り戻した結界石の周りに文言が浮かんでいた。それを確認し、カノンは満足げに目を細めた。

 カノンが長髪を揺らしユウマとリオンを横切る。

 「あそこの木陰で少し休みましょうか?」

 日差しの中をリオンが笑う。ユウマは頷いてカノンを追う形で歩きだした。思い出したように立ち止まり、振り返る。光を放つ結界石を見て「目視で確認!」と呟く。

 木の下ではリオンが膝枕をしてくれた。リオンの子守唄と葉の擦れる音が心地良くてユウマは深く深く眠りについた。



 軍会議が終わり、訓練上へと続く回廊をハルオミは歩いていた。

 「隊長!」

 フェンに呼ばれハルオミは足を止める。

 「どうした?」

 「あの、警備用の装具が足りなくて。あと、急遽警備の増員希望者が」

 申し訳無さそうに話すフェンに事を察したハルオミは眉間に深いシワを刻む。

 「ヴィントに対応させてくれ。」

 リントエーデル国には騎士階級が存在する。

 新兵、国内外警備の下級騎士「ルリッター」。城内警護の中級騎士「ラジャン」。貴族警護の上級騎士「アヒェント」。そこから更に出生でランクが「A 」「B」と分けられる。上級騎士で貴族ならば「AA」。特備隊隊長のハルオミは上級騎士だが貴族出身ではないので「A B」と言った具合に。

 ヴィントはラジャン階級で弁が立つ。貴族相手にも物怖じしないので舐められることもなく、逆に貴族から疎まれている。本人もその環境を「ゲーム」感覚で取られており、メンタル面は鋼だ。

 「そのヴィント副隊長ですが。」

 言いにくそうなフェンにハルオミは「またか」と嘆息する。胸ポケットから取り出した紙束にサラサラと署名をすると、ペリッと一枚切り離した。

 「ほら『花街通行証』。」

 「あ、ありがとうございます!」

 90度以上、足におでこがくっつくんじゃないかという勢いでフェンは頭を下げると急ぎ足で去っていた。

 フェンを見送りハルオミは奥歯を噛んだ。

 直前になってこんな子供じみた嫌がらせで足の引っ張りあい。こんな時に思う、力が〈権力〉が少しでもあればと。


 回廊に吹風は生暖かい、不快な風が吹いていた。



ーーー


 ハルオミが一時帰宅できたのはユウマ達が夕食を済ませしばらく経ってからだった。

 「ただいま、」

 「おかえりー。」

 「おかえりなさい。」

 「おかえりなさい。夕食先に済ませました。ハルオミさんの分は温め直しますから先にお風呂に。」

 三者三様の出迎えに自然と笑みが溢れる。

 「何から何までありがとう。でもすぐにでないと行けないから悪いな。」

 ユウマの頭を撫で、ハルオミはリオンとカノンに向けてて話した。

 「あら、そうですか。ですが少しお話したいんですけど。」

 ぴょんとソファから降り、カノンか緑色の瞳で真っ直ぐにハルオミを見上げた。

 「ユウマに相手してもらうといい。」

 ぽんぽんとハルオミがカノンの頭に手を乗せる。

 「ユウマじゃ話になりません。」

 腰にさした警棒を小さな手でしっかりとカノンは握った。

 「明日は大切な仕事があるんだ。失敗しないためにも準備をしっかりとしないといけない。終われば時間もとれるだろう。そしたらこれまでのお礼も兼ねて好きなもの買いに行こう。この国は海の向こうの品々も置かれているし、希少な魔導石も見ることができるぞ。カノンが気に入る本も見つかるかもな。」

 疲労の滲んだ笑みでもどことなく安心感がある。なんて不思議な男なのか。こうやってこれまでもユウマを諭してきたのだと思う。

 ジッとハルオミを見上げる。ずっと違和感を感じていた。他人等気にする事なかったのに。

 自身の直感に賭けよう。小さな拳を決意でギュッと握る。

 黙り込んだカノンが理解したのだと思ったハルオミは腰を伸ばしたが、

 「?」

 ぐいっと更に強い力で警棒を引っ張られる。

 「疲れてる時には良い案など浮かびません。リフレッシュも仕事の効率化には必要なこと。」

 「・・・確かに。」

 一理あると顎を擦るハルオミにカノンは得意げに鼻を鳴らす。

 「せっかく帰ってきたし風呂に入ってから出ようかな。」

 「でしたら夕食はお弁当箱に詰めておきますね。」

 直様リオンがハルオミに声をかける。本当に周りをよく見ているのだと感心する。

 「できれば片手で食べれるものだとだと助かるよ。」

 「そのように。」

 「お手伝いするっー!」

  頷き、腰にエプロンを巻いたリオンの隣にユウマがちょこちょこと近づく様子にハルオミは笑った。


 「ボクも一緒にお風呂はいります。これ、リラックスできます。」

 浴室ではカノンが替えのシャツを脇に挟み、小さな手に乗せた匂い袋を見せた。ハルオミがリビングを出たときに姿が見えなくなったのは着替えを取りに行っていたようだ。

 「なら一緒に入るか。」

 カノンなりに気を遣ったのかとハルオミは嬉しかった。どこか一生懸命な姿も微笑ましい。

 「カノンはユウマと違っておりこうさんだな。」

 「当たり前です。ボク、すっごく偉いんです。」

 両手を腰に当て得意げにカノンは鼻を鳴らした。



 「気持ちいいですねぇ。」

 「だなぁ。」

 プカプカと匂い袋が湯船に浮いている。湯気から花の匂いが漂う。

 (二人で湯船に浸かるなんて久しぶりだな。ユウマもこうやって背中を預けてきたなぁ。)

 カノンは遠慮なくハルオミに持たれてリラックスしている。カノンの頭に巻いたバスタオルは髪の量がある分、大きく重そうに見える。急いで軍部に戻らないといけないはずなのについつい湯船に浸かったのはカノンが一緒だからだ。

 「そんなに急がなくてもある程度の準備は終えているのでしょ?」

 時に鋭い言葉を投げかけるカノンにハルオミは感服する。どうしてこうも相手の考えを見抜けるのかと。

 「念には念を入れないと。龍王主催の宴だからな。」

 パシャと気合入れるように掬ったお湯を顔にかける。

 「この国は龍の加護を受けた国ですよね。永遠の平和と安寧が約束された。」

 「ああ。龍神の恩恵を受けし王に治める地だ。」

 「これまでの龍王は皆男性なんですね。女王は居ないのは何故ですか?」

 純粋な疑問と言うより、探りを入れるようなカノンにハルオミは間を開けて笑った。

 「龍の力は代々男児に引き継がれるんだ。その理由はわからない。」

 カノンは何も言わずに新緑の瞳でハルオミを見上げていた。

 「カノンは勉強熱心で好奇心旺盛だな。それに難しい言葉も沢山知っている。ユウマも見習ってほしいくらいだ。」

 カノンの言動が大人びていて話しやすい事もあり時たまカノンが子供だということを忘れてしまう。

 「知らないことがあるのが気持ち悪いだけですよ。」

 「そっか。」

 不意に笑みを向けられ、カノンは気恥ずかしさを感じた。

 「そういえばカノンはどんな神様を信じているんだ?」

 「癒やしの女神様です。リオンの治癒を見たでしょ?」

 ユウマのみぞおちを治していたことか。相手に対して治癒を行えるとは二人の潜在能力は高いのだろうとハルオミは推察する。

 「ボクの生まれた村では『許嫁』が勝手に決まれれるんです。自由に恋もできないなんて嫌です。」

 小さな両拳で水面を叩く。カノンのその拳からは苛立ちや嫌悪が感じられた。こんなに小さいのに色々と我慢してきたのだろう。ハルオミは黙って聞いていた。

 「だから、ボクは自分で好きな人決めようと思ってるんです。」

力のこもった声にカノンの意思の強さが伝わる。

 「・・・自由に好きな人と、か。そうだなそれがいい。」

 「でしょ?!」

 「あぶねっ!?」

 勢いよく振り返ったカノンの頭をハルオミが抑える。危うくまとめた髪が崩れ湯船に浸かるところだった。 

 「でも条件もありますよ。」

 「条件?」

 より優れた相手を決める為に必要な事と理解はしていても気分の良い響きではない。

 「ボクだけを愛してくれること。ボクに釣り合う外見であること。家事育児が得意であること。頭はそこそこ良くて構いませんが、それなりの収入は必要ですね。ボクは必要時以外なるべく外出はしたくないので、外面良く社交的な方がいいです。あとは」

 「・・・そんな奴いたら是非お目にかかりたいな。」

 カノンの厳し過ぎる条件にハルオミは苦笑した。

そんな外見内面完璧な男なんて居るわけがない。

 「なら鏡見たらいいんじゃないですか?」

 「鏡?」

 「お目にかかりたいのでしょう?旦那さん候補は貴方ですよ。」

 「俺?」

 瞳を丸めたハルオミにカノンは満足気に頷いた。

 「ミランダからも高物件だと伺いました。」

 にんまり笑うカノンは年相応には見えない。

 「・・・。そういう見られ方は嫌だな。」

 「貴方、中身ブラコンですから家庭を大事にしてくれそうだし。」

 「・・・。ブラコン。」

 影でそう言われているハルオミはぐうの音もでない。

 「それに『契り』前に異性と寝るのはタブーです。一緒の湯船に浸かるなんて持っての他。だから責任取ってくださいよ。」

 最後の語気を強調するカノンにハルオミはうーんと唸った。

 「そうなのか。知らなかったとしても悪いことしたな。」

 民族間で考え方や独自の掟があるのだから、そのような決まりがあるのも頷ける。だが、カノンの方から入浴はついてきたのだからそこは弁解の余地があるようにハルオミは考えていた。

 「でも一番はそこまで貴方が嫌じゃ無いって事です。だから、ちゃんとお嫁さんにしてくださいね。」

 真っ直ぐな瞳はどこか少しだけ気恥ずかしそうに揺れていた。

 「最初は変な男だと思っていましたけど。第一印象が悪い方が気になったりしますから。」

 照れ隠しで付け加えた台詞が更に愛らしさを増す。

 「ならカノンが大きくなったらお嫁さんになってもらおうかな?」

 苦笑し、ハルオミは承諾した。こんな熱烈な求愛は初めてだ。

 「絶対ですよ!」

 ハルオミの返事に幸せそうに笑ったカノンにハルオミも笑い返した。

 子供が父親に「将来はパパと結婚するー」というのと同じ感覚だとハルオミは簡単に考えていた。カノンが成長するのに十年はかかるだろう。そうなれば自分はおじさんだ。そもそも子供の頃の約束等忘れているだろう。その瞬間だけ幸せならそれもいいだろうとユウマを基準にハルオミは安直に受け流していた。



 入浴を終えたハルオミにユウマがお弁当を渡す。ユウマお気に入りのハンカチに包まれた弁当は温かい。

 「オレもリオン手伝った!ハルの好きな鮭入れた!あとねあとね、炎石砕いて欠片一緒に入れたの。リオンが保温効果があるって。」

 「そうか、ありがとな。」

 頭を撫でるとユウマはもっとしてほしいというようにハルオミに擦り寄っていく。

その様子をカノンが面白く無さそうに見やり、ソファに飛び乗った。バサリとバスタオルが緩み、濡れた髪が落ちる。

 「そうだユウマ。カノンの髪拭いてやってくれ。」

 「カノンも一緒に入ったの?」

 「そうですよ。」

 「え?!」

 キッチンからリオンが驚いた声を出す。リオンの驚きようにカノンの話が真実だとハルオミは納得した。。

 「リオン、ココアお願いします。ユウマ、丁寧に乾かしてくださいよ。」

 驚くリオンにカノンは平然と指示を出した。

 「じゃ行ってくる。今日は早めに寝るんだぞ。明日の集合時間は覚えてるな?」

 「お昼の鐘が鳴ったら!」

 「よし。」

 「約束はきちんと守ってもらいますからね。」

 ユウマの返事に頷いて出ていこうとするハルオミの背にカノンが声をかける。

 「約束?」

 カノンの言葉に直ぐに反応したのはユウマだった。

 「この仕事が終わったらボクとハルオミは結婚するんです。」

 「えぇ?!」

 今度はリオンが驚きの声をあげる。

 「あはは。カノンが大きくなったら、な。」

 そう言ってハルオミはでかけた。

 リオンは驚き固まったままだ。

 「カノンはハルと結婚するの?」

 普段と変わらず、きょとーんとしながらユウマがカノンに聞いた。カノンは得意気に鼻を鳴らす。

 「ええ。ユウマのお姉さんになるんですよ。」

 「お姉さん?じゃあオレもお姉って呼ぶの!?リオンと一緒っ!」  

 「呼び名はこれまで通りカノンで結構。結婚したらみんな家族になりますね。」

 「家族?やったー!」

 ご機嫌なユウマと違い、リオンは言葉を失ったままだ。

 「ユウマ。これだけは覚えておきなさい。世界には特殊な能力を持つ者がいます。その中でもボクが一番だということを。」

 「カノンが一番?」

 「ええ。ボクが一番です。何かあればボクのもとに来なさい。義弟特典で助けてあげますよ。」

 傲慢な物言いも子供ではどうも滑稽に見えるものだ。特に、両手を腰に当て、胸を張る姿など。

 「わかったー。」

 ユウマは素直に返事をした。カノンが一番♪カノンが一番♪と繰り返すユウマにカノンは頷く。

 「リオン、ココアまだです?」

 未だに微動だにしないリオンにカノンはココアの催促を求めた。まさか本当にお昼の話を実行しようとしているのか?いや、姉は指示されるのが何よりも嫌いなはず。??とプチパニックになっているリオンにユウマは?を浮かべ「オレもココア飲みたいー。ミルクいっぱい入れてー。」とねだった。


 今夜は雲が多い。白い光を放つ月の姿は見えることはないが感じる事はできた。

 窓枠に腰掛け雲の隙間から地上に届く月光をカノンは全身に浴びていた。

 「ユウマは寝たのですか?」

 空を見上げたまま問われ、ドアの近くにいたリオンは「ええ。」と頷いた。月光浴中のカノンが振り向かないことを知っているのでそのまま話を続けた。

 「お姉、ハルオミさんのこと、本気で?」

 リオンの不安気な声がハルオミの部屋に響いた。勝手に出入りしている事からカノンがハルオミを相当気に入っているだとわかる。

 「もちろん。」

 カノンは微動だにせず、普段の声音で答えた。幼い音に芯のと通った、不思議な声で。

 「あの兄弟ね、無茶苦茶なんですよねほんと。」

 雲が月から離れていく。

 「これまでも感情を逆なでした輩は迷わず潰したもんですけど、あの兄弟は違うんですよ。弟は純粋培養、というか無知な愛されキャラ。そのくせに容赦がない。兄は人望のある軍人の強度のブラコン。ねぇ?村にいては出会うことのない輩ですよ。」

 月の輝きがます。照らされたカノンの影が長く伸びる。

 「ねえ、リオン。神夜様は何故牛車で月と地上を往復したのでしょうね。馬の方が速いのに。」

 神夜様の話をする時、カノンの考えはリオンにはわかならない。ただ、寂しげに話すのだ。

 「それは女神様である神夜様が長く民に姿を見せるように。」

物心ついた頃から父からそう聞かされていた。

 「ボクには月にも地上にもどちらにも居たくなかったと思うんです。だから、力だけを我々の残して消えてしまったんだと。幾千と受け継がれるように。途絶えぬように。・・・自身を苦しめた者たちへの復讐する者が現れる事を祈っていたのかもしれない。」

 吐き捨てたカノンにリオンは何も言わなった。『月の巫女』であるカノンは神夜の暗示である導きを受ける事ができる。そんなカノンの神夜様の解釈が違っていた。父や村人、昔から受け継がれている民話とは違う、哀しい結末の神夜様。

 リオンは月に照らせるカノン背中を見つめる。小さいけれど、大きな背中。

 「ボクはね、咲く場所は自分できめます。たとえ灼熱の砂漠でも、太陽の光が届かぬ深海だって。気に入ればそこで咲き誇ってみせます。愛する人も自分できめます。」

 ようやく振り返ったカノンの表情は逆光でわからない。ただ、自身のことを言われているのはわかった。カノンはもうしばらくおきているらしかったのでリオンは先にリビングに戻る事にした。

 タオルケットの中ではユウマが丸まって寝ていた。

 『十六になる迄は神夜様の教えを守り無垢でいなさい。貴方は姉のカノンと違い姫なのだから』

 父の言葉は未だに難しくよくわかっていない。わかるのは姉に比べて力が弱い事。民を導く力は無く仕えるしかできない事だ。

 将来は複数の夫を持ち、神夜の血を絶やさぬように子を産む事を求められる。

 (お姉はそれはまるで家畜だと言っていた。)

 カノンが『妊娠しにくい体になったのは血が濃いからでしょう。こんな事を続けていればいつか月の民は滅びます。』と父と言い合いになる場面は何度も見ていた。

 激怒し、怒鳴り散らすカノンを父は反抗期の延長、月の巫女の慢心だと捉えていた。カノンの力が強くとも、長の父にら逆らえない。いずれカノンも村の掟に従うしか無いとリオンは漠然思っていた。リオンも姉がそうなるなら自分もいずれはと思っていた。けれど、今日。カノンは自身の花婿を決めたと言った。きっともう、村に帰る気はないだろう。

 (そもそも。あの引き籠りのお姉が旅をするなんて言い出した事に意味があるはず。お父と離れたいからだけじゃない。)

 カノンの行動から探ろうとするが、肝心な事は上手く隠し説明する事はない。時期をみて、ぽろっと世間話程度に話すので質が悪い。

 「・・・うぅ、んん。」

 呻き、ユウマが寝返った。何度も左右に寝返っている。まるで母親を探しているようだ。リオンが隣に横になると寝返りが止まる。安心したようにピタリと止まる。そしてぬくもりを探すようにすり寄ってくる。最後は胸に顔を埋めるのだけど、リオンは嫌ではなかった。子供達の世話に明け暮れていたリオンは赤ちゃんが母親の鼓動を聞いて安心するのを知っている。

 ユウマの寝顔は普段より更に幼い。

 「・・・まんじゅうう。」

 好物のまんじゅうの夢をみているのか幸せそうでリオンの目元が自然と緩む。

 数秒前まではモヤモヤとしていたが、ユウマと一緒に居ると幸せな暖かな気持ちになれる。

 この国に来てユウマに逢えた事には感謝しなければ。ユウマの寝息が心地よく、リオンも深く眠りについた。


ーーー


 

 軍執務室月が照らす。淡い光のなか、時が経つ。

 執務室は簡素なもので古びた机と椅子のみだ。その中でハルオミは地図を眺めていた。

 国軍上層部は王弟の息がかかった貴族ばかりだ。白龍王直属の特別警備隊と言っても人材、予算確保も全てハルオミが取り行っている。ハルオミが現王の忠誠心と国民たちの安全を守るため。そしてユウマの為に作った部隊だからだ。

 これからの為にも現政権を維持しなくてはいけない。それには王の力を補助する優秀なシュッツシェールとの契約が必要だ。

 白龍王に仕える魔導士は前王の側近だった者と龍に中立な者だけ。

 考えてもなるようにしかならない。頭ではわかっているのだが、何故か今回は拭えない。

 地図面から顔を上げると月がガラス越しに輝いている。 

 もうユウマは寝ただろうか。母親を知らないユウマにとってはリオンとの出会いは良かったのかもしれない。カノンとも兄妹のようなやりとりは刺激的だろう。感慨深く薄っらと笑みが浮かんだ。ユウマが楽しければそれでいい、幸せならそれでいい。

 行き詰まったり悩み過ぎるとついついユウマの事を考えるのが昔からこれがハルオミの切り替え法だった。


 【偽善振るな災いのお子よ。】


 鼓膜に直接響いた嗄れた声音にハルオミは顔を上げた。執務机を挟んだ場所に立つ、黒衣を纏った老婆。背中を丸め、杖を持ち暗がりに佇む姿は不気味以外の何者でもない。

 「・・・ユタ。」

 喉の奥からハルオミは声を絞り出す。ユタはこの国最古の中立な魔導士だ。

 黒衣から覗いた腕は棒きれのように細かった。震えながら右手にした杖でハルオミを指す。

 【他人を救い、救われようなどと思うな。お前にその権利はないぞ。お前は現龍王陛下の恩情で生き長れているのだ、お前の命は白龍王の為のもの。】

 魚が水上に上がり息するようにパクパクと口を動かす。距離からして普通では聞こえないはずだが、ハルオミの耳には嫌というほど鮮明に響いていた。

 【決して忘れるな、お前の存在意義を!】

 ぎょろりと瞳には込められた憎悪がハルオミに向けられる。

 目が合った。瞬間、視線の先には誰もいなかった。代り映えのない、慣れた室内があるだけだった。

 けれど、ハルオミの鼓動は嫌に早く、血流は体内を焼き尽くさんばかりに熱くかけめぐっていた。

 忘れない、忘れるわけがない。生きている限り決して忘れない。

 ハルオミの額から流れた汗が頬つたい、ぽたりと広げていた地図を濡らした。それは黒い滲みとなり、広がっていった。




 今朝も城下町は大盛況だ。宴がすめば街に有能な魔道士と知り合いたいと人々が集まっている。基本的にウェルカムな国なのだ。


 ユウマとリオンは城壁にかけれていた梯子を登り、その上を歩き城下町を見下ろしていた。ここが有名な展望壁らしい。様々な露店が並ぶ広場や独特な壁の建物が並び、一見統一感がないように感じる街並みだが、見慣れてしまえば意外と味がある。

 「宴が終わればもっとすごいよ。美味しいのいっぱいだよ。」

 にこにことユウマはリオンに言った。

 「本当に素敵な国です。」

 纏めた髪を止めている大きなリボンが風にひらひらと揺れる。微笑みを浮かべ城下町を眺めるリオンの横顔をユウマはじっと見つめた。

 「ユウマ?」

 「リオンはほんとーに綺麗。絵画みたい。」

 「えぇ?!」

 相変わらず突拍子も無い事を口にするユウマにリオンは驚き、「綺麗」という言葉が頭を過る。頬に熱が集まる。

 「オレね、「可愛い」とか「綺麗」とかよくわからなった。子供は可愛い。大人は綺麗。そんな感じと思ってた。でもね、リオンを見てると、可愛いのに綺麗でなんで?って思うの。」

 屈託ない笑顔で話すユウマにリオンは恥ずかしさのあまり俯いた。

 「・・・ありがとう、ございます。」

 「へ?」

 「・・可愛いのに綺麗って言ってくれて。」

 「ホントの事だもん。」

 ユウマの笑顔に嘘偽りは感じられない。本心だと伝わる。それがユウマの魅力だ。

 「ユウマも可愛いですよ。」

 「一緒だね!」

 差し出されたユウマの右手をリオンは握る。温かい温もりに優しい笑顔。心が満たされる。そう、リオンは感じていた。

  

 それからも二人は他愛ない話をしていた。

 「西の村ってどこにあるの?」

 ユウマの疑問にリオンは西側の森を指さした。

 「あの辺ですね。」

 「木しか見えないねー。」

 「ふふっ。森の奥ですし、結界が張ってあるので見つけらないと思いますよ。」

 「そっかー。」

 「村は森の中なので周りは緑一色です。湖が太陽光を反射して輝いていて。日差しも柔らかいです。気候的には住みやすいと思います。ただ、」

 「ただ?」

 黙り込んだリオンをユウマが覗き込む。真っ直ぐな黒曜石の瞳。

 「決まり事が多くて息苦しいかもしれませんね。」

 ユウマはきょとんとした後に「そうなんだー」と無邪気に笑った。

 「オレ、この国が好き。決まり事もあんまりないからー。リオンにも好きになってほしいな。」

 鮮やかな街の景色にも色褪せるようなユウマの笑顔がリオンの瞳に映る。

 秩序維持のルールはあるだろうが、ユウマがそれを決まりと捉えてなければ無い様な物だ。ルールと認識せずにこれまで社会に馴染めていたならハルオミの教育が良かったのか苦労しているかのどちらがだ。城下町での関わりを見ていると、前者だとリオンは確信していた。

 「はい。好きになります。」

 「やったー!」

 素直に喜ぶユウマの姿が可愛い。何でも肯定したくなる。ふと、村の子供達が気になった。

 西の方角に向いてリオンが指を組み、瞳を閉じた。?を浮かべたがユウマだが直ぐにリオンの真似をする。

 「お願い事したの?」

 「ええ。両親と村の子達が元気でいますようにって。」

 「りょーしん。」

 こてんと首を傾げたユウマにリオンがはっとなる。そういえばユウマは兄のハルオミと二人暮らしで親はいない。バツが悪そうに口を結んだリオンにユウマはいつものように答えた。

 「オレ、親ってよくわからない。ハルしかいなかったから。それに、わかんなくてもいいかなって思ってる。」

 「そうなんですね。」

 リオンはユウマの言葉をただ、受け止めるだけしかできない。2人の育った環境は違うのだから。

 「でもリオンがお願いするってことはきっといい人なんだね。みんな元気だといいね。」

 「はい。」

 それだけしか笑顔のユウマに返す言葉が見つからなかった。

 「二人共ささっと降りてきなさい!」 

 カノンが下から声をかける。ユウマは「はーい。」と返事をしてリオンの腰に手を回した。

 「え?」

 戸惑ったリオンにユウマはニコニコと笑ったままだ。

 「せっーの。」

 「ちょっと、まってぇえ?!」

 ユウマがこの壁を飛び降りるのだと察したリオンは力いっぱいにユウマにしがみついた。



 「城内部には結界が貼ってありますが、その周辺の結界は?魔導士も警備に?」

 「魔弾を装備するから結界はいらないって言ってた。」

 難なく着地したユウマは腰が砕けたリオンを右手で支え普段通りにカノンの問いに答えた。

 未だにバクバクと心臓は動いて、表情も青いままのリオンに気付いていない。

 高さ30メートル程の壁から飛び降り、平気な顔をしているユウマも信じられなかったが、淡々と話を進めるカノンもリオンは信じられなかった。

 「・・・結界がいらないねぇ。」

 結界は術師の力量にもよるがある程度の魔物を拒む事ができる。しかし、外からの魔力攻撃を弾くと同様に内側の魔力攻撃も弾かれてしまう。迎撃時の魔弾の効力が相殺されるということだ。魔導士の張る結界は基本魔力に反応する。しかし、魔力を持たない人間や動物達はその中を通る事ができる。魔族以外の侵入者の事を考えたその為の実弾装備だろう。だが、国の一大イベントにしては装備が脆弱すぎるとカノンは感じていた。

 「そんな支持を誰が?」

 「赤いの。」

 難しい顔のままのカノンの問いにユウマは嫌そうに顔を歪め即答した。

 「龍が守る国だから問題ないって。みんな言うんだ。変な大人ばっかり。」

 ユウマの言う「皆とは」国で権力のあるも者達だろう。思ったよりも内政は荒れているのかもしれない。ふぅむと腕を組み考え込んだカノンの隣でユウマも腕を組んで見る。

 「真似するんじゃありませんよ。他には知っていることは?」

 「他?」

 「警備の配置や装備です。」

 仕事だろうと呆れるカノンにユウマはああと言う。

 「それはあとでハルから聞くから知らない。」

 「呆れた。それで警備が務まるんですか?」

 「それは大丈夫。これ持ってるから。」

 腰に下げたポシエットからユウマは銃を取り出した。ユウマには合わない、厳つく、重量もあるものである。初日のチンピラはこれで殴れらたのならかなりのダメージを受けたことだろう。

 「警備以外は弾は抜いてるけど。」

 「見せてください。」

 カノンが小さな手を伸ばした。ユウマは迷って、ダメといった。

 「ハルに誰にも触らせたらダメって言われてる。怒れられるからダメー。」

 「見せたなら触ってもいいじゃないですか。」

 「危ないから触らせたらダメって言われたけど。見せたらダメって言われてないもん。」

閉まったユウマにカノンはそれ以上は何も言わなかった。

 

 リーン、ゴーン、リーン、ゴーン


 正午の鐘が響く。ユウマはハッとなった。相変わらず顔に出やすい。

 「あ!オレ、行かなきゃ!」

 慌てたユウマにカノンが落ち着けと服の裾を引っ張る。

 「はいはい、深呼吸ー。」

 ユウマは素直にカノンの指示に従う。

 「ユウマ。」

 「ん?」

 ユウマは落ち着付き、普段と変わらずのんびりとしていた。

 「手を出して。」

 「うん?」

 首を傾げながらも素直に両手をリオンの前にだした。ふわりと包んだ両手を離すとひらひらと緑の花びらが舞った。

 「おっー!魔法だー!初めてみたー!」

 瞳を輝かせ声を上げるユウマにリオンが微笑む。

 「怪我しないように、お守りです。」

 「わっー!ありがとー!」

 花びらはユウマの手に触れると溶けるように消えた。

 「でもオレ怪我なんてしたことないよ?」

 「それでも。持っていてください。」

 懇願するリオンの気持ちをユウマが気づくことはない。いつもと違うとだけ感じていた。

 「ではこちらはハルオミに。」

 カノンの小さな手のひらには一輪の桜があった。ふわりと舞ってユウマの手のひらに落ちる。リオンのときと違い、溶けることなく形が残っている。

 「これはハルの分ー。」

 両手で覆いユウマはいってきまーすと駆け出しかけ、思いだしたように足を止めた。

 「そーいえば、リオン達はこれからどうするの?夕ご飯は?」

 「ボクらは龍宴に参加するんですよ。だからしっかり警備してくださいね。」

 不敵な笑みでカノンが告げる。

 「そっかー。じゃあ、終わったらお迎えに行くねー。」

 ユウマは龍宴を国の一行事にしか認識していなかった。自分からは知ろうとしないが、教えられたら聞くくらいの程度だ。

 「お城のお刺身美味しいのっ!食べれていいなあー。オレね、マグロ好きっー!ネギトロー!」

 「はいはい、わかりましたわかりました。ユウマの分も食べてきますから安心なさい。」

 「うん、わかったー。じゃあいってきまーす。」

 言いたい事だけ伝えたユウマはハッとなった。慌てて銃を仕舞う。

 「ユウマ、気をつけてね。」

 これまで黙っていたリオンが不安気な瞳をユウマに向ける。ユウマな普段通りにっこり笑った。

 「うんっ!気をつけるっー!」

 パタパタと走り去るユウマの姿を見送りカノンはリオンに言う。

 「ボク達も準備しましょうか。」

 「はい。」

 右の人差し指と親指を弾くとひらりと一枚の葉が宙に舞ったその葉を指に挟む。

 カノンの後ろを歩き、リオンは顔を上げた。

今日は晴れている。今宵の月はきっと綺麗に見えるはず。薄っすらと青空に浮かぶ月にリオンは祈りを捧げた。


 リントエーデル国は国軍と特別警備隊からなる。国軍は国境付近と国内の治安維持を担っており、。特別警備隊の主な任務は現国王である白龍王の警備である。軍は王弟である赤龍王が最高責任者であり、貴族から成り立っているので機能はしていない。

 宮廷の敷地内、多くの使用人達の横をユウマは器用に駆け抜けた。

 「ハァールー!」

 ぎぃと錆びた蝶番が金属音が響く。

 「ゆっくり開けろと言ってるだろーが。」

 言葉とは裏腹に穏やかな口調のハルオミの表情に疲労が浮かんでいる。

 「肩で押したから勢い余ったー。」

 上官の執務室に体当たりで入る不届き者など、懲罰房行きは確実だが、ユウマ自身に軍に所属している意識はなく、兄の手伝いの延長のようだから仕方がないかもしれない。

 「これ、カノンからハルにお守りー。」

 ニコニコ笑顔のユウマはハルオミに手を出すように言う。手のひらに落とされたのは一輪の桜の花だ

 「・・・これは。」

 「オレもリオンにもらったよ。緑色の花びらでキラキラしてたー。お守りだって。」

 街で見る桜と違い、淡い光を纏っている。術の掛かった花だ。桜の花をハルオミは胸の内ポケットに閉まった。

 「さてユウマ。今回は二班だ。ヴィントの下について東側を警備。」

 「はぁーい。」

 「俺は西側の警備にあたる。」

 「西側?」

 繰り返したユウマにハルオミはどうしたと聞く。

 「ん、なんでもない。オレは東ねー。」

 普段と変わらない間延びした返事にハルオミは安堵した。精神面の崩れは無いようだ。

 「服、着替えろよ。」

 「ヤダ、動きにくいんもん。」

 そう言ってユウマは執務室を出た。毎回のやりとりだ。

 戦闘に関してハルオミがユウマに言うことは何もない。本気になればユウマは自身より強いだろうと確信している。その類まれなる戦闘力がいずれ本人を苦しめることをハルオミは未だに告げられていない。

 「ハルー。」

 ユウマが戻ってきたことにハルオミは忘れ物かと考えた。

 「どうした?忘れものか?」

 「んー、ちがう。あのね、」

 ユウマは少し俯いた後にハルオミに抱きついた。

 「ユウマ?」

 「ギューッてしてから行く。」

 「あはは、そうか。」

 腰に抱きつくユウマを抱き締めて笑うハルオミにユウマも笑う。

 「じゃあ、気をつけるんだぞ。」

 「うん、気をつけるー。リオンもね、気をつけてって言ってたの!だから絶対気をつけるっ!ハルも気をつけてねっー!」

 「ああ。」

 「仲が良いのはいいんですが・・・。」

 扉前ではフェンが報告のタイニングをミスったと一人反省をしていた。



 夕暮れ時でも城下町は賑わっていた。多文化が混ざり合う市場はそれぞれの地域の特色を更にだし彩られていた。皆、明日のお客様の準備だ。

 上級魔道士ともなれば貴族が接待するのだが、魔道士は風変わりな者が多いので街に降りてくることもある。どこから噂は流れたのか、女性の魔道士の招待が多い分、街には観光での男性客も多かった。

 国内治安は貴族が統括しているのだが、結界石に頼ることが多い。


 東門の最上階でユウマは膝を抱えて空を見上げていた。段々と東に夜が降りてくる。東の山の向こうには海というのがあるらしい。絵本でしか見たことがない海の中では魚が泳ぎ、昆布が生えているらしい。

 (お魚は好き。昆布ってどんなだろう?緑でうねうねって聞いたけど見てみないとわからないー。)

 むーと考え込むユウマの背に小石が当たる。

 「一大事だっよん、ユウマー。」

 一大事と言うには緊迫感が感じられない。声の主は副隊長のヴィントだ。

 「うんー?どうしたのー?」

 「魔封弾が足りなさそー。」

 「えー?足りないー?」

 周りの部下たちは2人ののんびりした会話に脱力感が漂った。

 そもそも、これまでこの龍の国を落とそうとした者はいない。天罰が当たるのだ。

今日も何事もなく、終わるだろうと感じていた。


 150メートルの高さからユウマは器用に飛び降りる。

 「魔封弾は各自に配ってー。ライフルと実弾用意しといて。今日の風、気持ち悪いー。」

 普段と変わらずに語尾を伸ばすユウマにヴィントもうんうんと頷く。

 「そーなんすよっねー。弓も今回は支給されないし。火炎とナイフはくすねたんすっけど。」

 「ハルのとこは足りてるのー?」

 「うんにゃー、どっちかってとこっちより少ないかも。西側は木が多いし、隠れるとこ多いからライフルめんどいだよねー。火炎放射器使いたいけど怒られるし。川が流れてるから俺はいけるとおもうけどなー。」

 「ふーん。じゃあ、オレ終わったらハルのとこいくね。」

 「りょーかい。実弾どんくらいほしい?装填する奴必要?」

 「ひつよー。えーっと、500くらい?」

 「ざんねーん。430しかないでーす。」

 「じゃあ430ー。」

 世間話のような感覚で会話を終了したユウマは軽々と塔に登って配置に着いた。

 「集合~。」

 ユウマが戻った事を確認し、ヴィントが手を鳴らした。それを合図にヴィントの前に部下が集まる。

 集まった部下の顔ぶれにヴィントは眉をよせた。

 「え??俺、今日は子守と介護任されたの?」

 前にいた最前列の古株のガシャコに声をかける。ヴィントより、二回りも年配のガシャコは白髪混じった短髪をガシガシとかき、不快げに話した。

 「バイトだと。日給3000リー。」

 「宴のバイトが3000リー?!やっす。下級遊女4時間!?」

 「ヴィント。隊長いたら6時間説教コースだぞ。」

 例えが下品だとガシャコが嗜めるとヴィントは面倒だと表情を歪めた。

 「依頼したのは貴族の息子たちで龍宴での警備に参加した実績が欲しく、人数合わせのためにそこらの少年達を安くで雇ったらしい。」

 がジャコの説明にヴィントは「はー」とわざとらしい溜息を吐き座り込む。

 「んっだよ。だからフェンも居なかったわけかー。」

 「名簿に目を通さないお前さんが悪い。」

 「・・・子守りと介護かー。」

 もう一度繰り返し、ヴィントは盛大に溜息を吐いた。そんなヴィントにがジャコが一枚の紙を差し出す。差し出された紙には班編成と警備内容が簡潔に記載されていた。

 貴族の息子連中が名が自身の班にだけ入っている。ヴィントとガジャコのやり取りを少年達は申し訳無さそうに顔を歪める者、悔しそうに拳を握る者と反応様々に眺め聞いていた。

 「ユウマー。」

 「なぁーにー?」

 ヴィントに呼ばれ、ユウマがいつもより大きな声で警備塔の上から返事する。

 「下で処理しやすいように、全部頭ぶち抜けー。兄貴の尻拭いよろー。」

 「??はぁーい。」

 素直に返事をしたユウマにヴィントはもう何度目かのわざとらしい溜息吐いた。

 「ったく。おっかしいと思ったんすよね。隊長が何も言わないなーって。東側が安全パイってことかよ。」

 ゴチるヴィントにガシャコは豪快に笑う。ユウマとヴィントが同じ場所に配置されるのは滅多にない。

 「年寄と貴族の息子、お前とユウマだぞ。」

 「あーあー、サボってるのバレてたからなぁ、ちゃんと給金分は仕事しろってことか。ユウマとも意見一致したし。今日何かあるよなー、絶対。」

 だるいなぁとヴィントは背中を伸ばし、指示を出した。

 「今日は魔封弾と手袋は絶対装備。」

 「おうよ。」

 「死体は一箇所にまとめて。」

 各自装備を行った後、ガシャコは近くにいたグシトウと少年達に短剣と手袋配り歩いた。

 気の良いオジさんのようなガジャコと違い、坊主頭に右目に眼帯をしたグシトウに少年達は震えながら短剣を受け取っていた。

 「んじゃ、配置についてー。あ、キャン爺はユウマのサポート宜しくきゃーん。」

 「ヴィント!年寄りに階段上がらせるたぁ、どういう了見じゃ。」

 「年寄りだからの後方支援しょー。今日は俺が偉いんだから散った散ったー。」

 犬を追い払うように手を振るヴィントに古株達はぞろぞろと持ち場に去っていく。

 国を挙げての一大イベントというより、近所の夏祭りのような緩い空気が流れる。集められた少年たちがポカンと立ち尽くしている。そんな少年達に向き直り、

 「3000リーでこんな仕事させられて損だよなー。」

 哀れみでも侮蔑でなく、淡々とヴィントが告げた。少年達は目を丸くし、黙ったままだ。

 「上からだろうが下からだろうが、ぜーんぶユウマが狙うからさ。一応こっちで処理するけど動いてたから迷わずこの短剣で心臓をぶっ刺す。余裕あんなら目ん玉を深く刺せば脳みそまで届くからそっちがいいかもな。」

 簡単に説明を受けた少年達は手のひらに乗った震える短剣をじっとみていた。

 「何か聞きたい事は?無ければガジャコ達についていって。」

 話しを締め括るとヴィントはユウマと同じように塔の上を目指して跳躍し登って行った。

 取り残された少年たちは暫くその場を動けずにいた。


ーーー


 龍王宮殿内は綺羅びやかだ。集められた魔道士達も能力を誇示すよう、派手に魔道具で着飾っている。

 (・・・場違いすぎるような。)

 シャンデリアから降り注ぐ人工の光は魔道具に反射し刺激の強い光に変わっていた。人光が苦手なリオンはクラクラと目眩を感じていた。

 「食べないと損しますよ?」

 そんなリオンを気にも止めずカノンは欲求のまたまスイーツを皿に山を作っていた。一口で頬張るカノンの図太さが羨ましい。

 「魔導師さんてたくさんいらしゃるんですね。」

 世界中から集まったであろう魔導師達はそれぞれの力を誇示するように魔具で身を固めていた。魔力を込めた宝石を身に付ける者もいれば、大鎌を背負っている者もいる。これは傍観するだけでも刺激的だとリオンは思った。

 宮廷魔導士、しかも龍王付きの魔導士となれば権力も名誉も財も全てがついてくる。しかも、世継子が居ないのであれば上手くいけば正妃になれる可能性すらある。最悪、王弟付きでも構わない。下衆い企みの渦を感じカノンは嫌気がさしていた。

 「まぁ、雑魚ばかりですけど。」

 相変わらずの姉にリオンはため息しかでない。ため息しか出ないのはリオンが現実を見ていないからだ。ユウマ同様、リオンもまだまだ幼いのだ。

 「それより、上を見なさい。」

 貴賓席の中央に銀髪の人物が座っている。隣にはウォーターブルーの髪色の小柄な女性がいた。少し離れたところに赤髪青年が座っている。数名の魔導女に囲まれているのでよく顔は見えなかった。

 「銀の長髪の方が現龍王でしょう。隣の女性は王妃ですね。赤の長髪は王弟。」

 ケーキを飲み込みカノンは話続ける。リオンは黙って聞いている。

 「リントエーデル国は5匹の神龍の恩恵を受けています。」

 「5匹?他の方は?」

 「さぁ?その時代に生まれ落ちないかもしれませんし。慈悲と叡智の象徴である白龍王が国を治めているなら安泰でしょう、何も心配はいりません。」

 リオンがほっとする。 

 「ただ、王弟は赤龍です。2番めに強いと言われる龍です。この国の未来を思えば王位につくと事はご辞退願いたいですね。」

 「2番めですか」

 「白龍と赤龍、黄龍が王位につくことがおおいですね、生まれる確率が高いのでしょう。前王は赤龍王のようですし。その前は黄龍」

 「あと一匹の龍さんは?」

 「黒龍。破壊を司る龍ですよ。」


破壊

 さもあらんと口にし、フォークでフルーツタルトを刺して口に運んだ。

 「この龍の記録だけ無いんですよね。何故か。」

 ケーキをフォークで刺しては口に運び、飲み込んでは話し続ける事を繰り返すカノンにリオンは感嘆する。

 「でもお姉そんな事いつ調べたんですか?」

 「簡単ですよ。」

 ぽんと小さな手に書物を出す。カノンの手に握られた書物にリオンは首を傾げた。

 「この本は?だいぶ古そうだですけど?」

 リオンに見せるとカノンは直ぐに本を消した。

 「ハルオミの部屋にあったのを借りたんです。」

 にんまりと目元を緩めるカノンにリオンは借りたのではなく許可なく持ち出したのだろうと頭を抱えた。

 ふと視線を上げると龍王へ謁見しようと入れ替わり立ち替わり、魔導士達は挨拶をしていた。

 チラチラと赤い髪の毛が人影の間から見える

 「次はチョコケーキ食べましょ。あ、ボクらは挨拶なんていきませんから。」

 「お姉、何しにきたんですか?」

 「美味しいものを食べにきたんですよ。ユウマも言っていたでしょ?」

 何を聞くのかと眉を寄せるカノンにリオンはため息しか出なかった。


ーーー


 「あーあ、ボンキュボーンな姉ちゃんいねーかなー。」

 無理に謁見の列を終わらせた王弟のエンジュはだらしなく腰かけていた。両腕を頭の後ろで組んでいる。

 「エンジュ様、お仕事中ですよ。」

 グラマラスなボディが自慢のミラーが妖艶な笑みを浮かべ、エンジュの肩に手を回した。その手付きにウェーブの赤髪から覗く赤い瞳が細まる。

 「ボンキュボンな姉ちゃんはここに居たのかー。」

 「そうですよ。一生貴方様の隣に居ますわ。」

 現王が隣にいるというのに、気にせずに濃厚なキスを交わす王弟のエンジュに気を取られることもなく、兄の現龍王のケンシンは会場内を見渡していた。隣に座る龍王妃も眼下に向ける微笑を張り付けたままだった。

 「兄貴、こんなんいつまでやんだよ。もうお開きにしようぜ。」

 開始してまだ一時間と経ってはいない。そんなエンジュをケンシンは一瞥した。

 「公式行事も真っ当にこなせないのならそれでもいい。次はハルオミを参列させる。」

 ハルオミの名にエンジュがカッとなる。

 「ああぁ?!なんであの野郎を!?」

 「ハルオミは分をわきまえることができ私に忠誠を誓っているからだ。」

 正面を見据え、続けた言葉にエンジュは奥歯を噛んだ。

 「お前は自由にするといい。私にお前を拘束する権限はない。」

 突き放す物言いにエンジュは拳を握ったが、黙りこんだ。エンジュの付き人のペトラがシャンパンの入ったグラスを手渡すとエンジュは勢いよく煽った。

 (ああ、忌々しいあの兄弟。いつか殺してやる。兄の方は楽に死なせてやるものか。)

 憎しみを込めて。


ーーー


 西門配置についたハルオミは目を閉じていた。

 ユタがやって来た夜、地図に黒いシミが浮かびあがった。その地点がここだった。ユタは禍いを運ぶ魔導士だ。

 (何も起こらず、無事に終われば良いが。)

 ゆっくりと瞼を上げハルオミは周辺に見渡した。

 『ホリビス』は謎が多い生命体でる。黒魔術の副産物との説が有力だがある種の個体は繁殖も行えるらしい。空を飛ぶモノも居れば、海底に引き摺り込むモノもいる。一番厄介なのはにおいに敏感で人を襲い、血肉を喰らう事だ。狼の様な牙にゴリラの腕力には人間は勝てなかった。なので、「護石」の需要が高いのだ。

 「隊長、東に飛行系が。援護向かいますか?!」

 「いや、ここを離れるな。東は大丈夫だ。ユウマとヴイントがいる。」 

 慌てて報告に来たフェンにハルオミは落ち着くようにとゆっくりと話した。

 東側には部隊最強の2人を配置したので問題はない。あの2人なら息が合い的確に処理できるだろう。

 「南北はどうだ?」

 「異常ありません。」

 (南の護石はユウマに確認させたし、北は藍玉国との境だからホリビスもそう簡単に侵入できないか。)

 ふぅとハルオミは息を吐いた。腰に下げた剣に触れる。

 暗い木々の間からサラサラと川のせせらぎが聞こえる。ぼこっと不自然な音をたてながら。空では月が煌々と輝いている。



ーーー


 「ひーふーみーのー。いっぱいきたー?」

 敵が攻めて来たというのにユウマの暢気さは変わらなかった。突如として夜空に現れた異形の影を指差し数え、その多さに途中からは数えるのを諦めた。そんなユウマの頭に顎を乗せていたヴィントは面倒臭そうに立ち上がると塔の下にいる部下に声をかけた。

 「各員、戦闘配置ー。って言っても空からじゃあなー。落とさないと処理できないし。じゃ、ぶち殺そーか。」

 「はぁーい!」

 敬礼の代わりと言わんばかりにユウマは右手を高く上げる。ヴィントは階段を降りるのが面倒だと先程のユウマ同様塔から飛び降りた。

 「キャン爺、弾お願いねー。」

 「任せとけ任せとけ。」

 ほのぼのと話すユウマにキャン爺は黄色く、欠けた歯を見せ笑った。ユウマもニコッーと笑って体格に合わない、ライフルを空に向かって構えた。



 同時刻、西塔付近にも異変が見られた。星空を塗りつぶし蠢きながら迫ってくる物体にフェンは息を呑み凝視していた。

 「なんだ、あれ・・・。」

 部下の動揺が一瞬で伝播する。

 「護石の魔力は!?」

 西塔近くにいる部下にハルオミは声をかけた。壁面に埋め込まれた護石の輝きを部下は慌てて測定した。

 「・・・38ですっ!!」

 「38・・・。」

 予想外の数値にハルオミは舌打つ。2日前の数値は「57」だった。急激に数値が下がっていた。


 ーバッチィ!


 不規則な形に気味悪く蠢め続けるモノが結界にぶつかる。光と火花が飛び散り閃光が走った。

 「初めてみるけど、マジでキモいな。」

 「にしてもすげぇ。ホルビスは入って来れないぞっ!!さすが龍の国っ!」

 歓喜する部下を他所にハルオミはホリビスを凝視したままだ。そんなハルオミにフェンは不安を感じていた。

 「おいっ!興味本意で結界に近づくなっ!距離をとれっ!!」

 嘲る部下達にフェンは大声を出した。ハルオミが近くに居る事もあり部下達は渋々と下がり始める。

 黒煙が濃くなり、結界全体に広がっていく。

 ーバチィッ!!

 ぶつかる度に閃光が走る。一瞬の光の中に

 ーべたっ

 ぬるりと粘着質な耳障りの音が上空から響く。

 「ひっ!」

 部下の1人が悲鳴を上げ後ずさった。

 張り付いているのはニタリと笑みを浮かべた奇怪な人間の上半身だった。

 卑しい笑みと視線が合い、ゾクリとハルオミの体に悪寒が走った。

 (ヤバイ!)

 ぐりんっと遠のくホリビスにハルオミは無意識に軍刀の柄を握った。

 「退避だっ!下がれっ!」

 ハルオミが叫ぶと同時に破裂音が響いた。降り注ぐ虹色の小さな欠片。そして、黒い霧に視界が奪われた。

 

ーーー



 「!」

 小さな両手にチキンを持ち、齧り付いていたカノンが急に顔を上げた。

 「お姉?」

 「今、気持ち悪くなかったですか?」

 カノンの口の周りについた油をハンカチで拭いながらリオンが答える。

 「食べすぎなのでは?」

 「まさか。この歳で胃もたれなんて。」

 ありえないと嘆息するカノンだが、テーブルの端から料理を見境なく食べ続ければ胃もたれもするだろうとリオンは思った。


ーーー


 東の空に銃声が響く。

 ーパンッ、ドスッ

 ーパンッ、ドスッ

 


 「いっやー、気持ちぃースね、ホント。」

 発射音が鳴れば撃ち落とされ、地面に叩きつけられるホリビスを眺めヴィントは感嘆の声を上げた。少年達は皆この信じられない光景が現実か夢かわからずにいた。空から魔物達が次々に地面に落ち叩きつけられる。

 「これで、終わりっ!」

 最後の一匹を撃ち落とすとユウマはライフルを投げ置き、すぐに塔から飛び降りる。

 「こら、物は大事にしろっ!」

 キャン爺の怒声にユウマは「はーい。」と生返事をしヴィントの前に降り立った。

 「おっ。ユウマー、おつかれちゃーんー。」

 「ん。ハルのとこ行ってくるっ!」

 「うぃ~。」

 急に目の前にユウマが現れてもヴィントは驚く様子は無かった。逆に近くにいた者達が驚き小さな声を出していた。あっという間にユウマの姿は見えなくなる。

 「さぁーて。後片付けするかー。」

 ヴィントの号令に部下たちは現実に引き戻された。互いに顔を見合わせ少年達はヴィントの後ろをついていく。少年に中年男性が声を掛けた。

 「あ、そだ。ホルビスの体の一部を証拠としてもって行こうなんて考えるなよ。あれ毒だぞ。一生、苦しみたくないだろ。」

 少年はごくりと唾を飲み込み頷いた。

 

 

 器用に木々の枝を伝いユウマは東塔を目指していた。

 (わけわかんない、変な感じ。嫌な気分。ハルにお話したいっ!)

 うまく言えない、ぞわぞわする。お腹の中が、下がぐるぐると気持ち悪い。

 『焦り』と『不安』

 2つの感情が入り混じり、複雑にユウマの中で渦巻いている。初めて感じる感覚にユウマは戸惑っていた。

 城壁を飛び越え宮殿前に出るといくつかの待機馬車が数台見えた。

 「お馬さん、貸してっ!」

 「は?」

 腰かけていた操縦者がユウマの姿を捉えるより早く、ユウマは馬と乗車部の紐を切り取り馬にまたがっていた。

 「お馬さん、ハルのとこに連れてって!!急いでっ!」

 手綱を握ると馬は西の方に向けて走りだした。

 「な、なんだっ?」

 唖然となった操縦者の男の後ろには不安定な乗車部のみが残されていた。


ーーー


 土埃で視界が奪われる。

 視界が曇る前に見えたのは飛び散るガラス片と白い閃光。


 宮廷魔導士シュッツシェールの張った結界石が壊された。


 一瞬、夢かと思った。だが、鼻をつく腐臭はフェンに現実だと突き付けていた。

 「あっら〰?情けないのねぇ、これで龍の護衛が務まるのかしらぁ?」

 野太い、耳障りな声が上から振ってくる。吐き気と頭痛で体が動かない、脂汗が止まらない。軍服の襟元を押さえ呼吸をしようと口を動かす。フェンは両目を見開いていた。

 破られるはずがない結界が壊された。降り注いだ異臭を吸い込んだ気道が焼けるように熱くなった。 

 そして呼吸ができなくなった。

 誰もが死ぬのではないかと感じていた。

 「弱い弱い。弱いのは食べるだけ無駄なのよー。だって、なんの身にもならない。」


 (・・・。弱い?食べる?)

 痛覚が麻痺し、頭がぼんやりとする。フェンは蹲ったまま、身体の力が抜けていった。全身の筋肉は早く、口の端から唾液が流れる

 

 空気が切れた。新鮮な空気が肺に流れる

 「っ!」


 「フェン無事か?!」

 「・・・隊長?」

 「これを持って走れ。」

 ハルオミは胸ポケットから御守りの桜の花を取り出し、フェンの手に握らせた。淡い光が強くなる。それと同時に体が軽くなり息がしやすくなった。

 「すぐにこの場を離れろっ!誰も近づけさせるなっ!」 

 「・・・はい、」

 フェンは頷くと立ち上がった。体が軽く力が入る。

 早く、早くこの場を去りたかった。声をかけた上官の顔をまともに見る事も出来ずにフェンは足を動かし、走りだす事ができた。

 フェンが去った事を確認し、ハルオミはホリビスに向き直る。

 「ほほっ。弱い弱い。弱い者は逃げまわる〜。捕まえておいしく食べる〜。」

 ゲラゲラと笑い恐怖心を煽るソレをハルオミは見上げた。

 (これまで対峙したホリビスとは比べ物にならない大きさだ。しかも言語を使えるとは。)

 異臭を放ちゆっくりと近づくソレは息を吸い込み、勢い良く空に黒い煙を吐き出した。

 瞬間、ハルオミはその煙に剣を振るった。真っ二つに切り裂かれ霧散していく。

 「あら?」

 訝しむソレはまたも煙を吹き出す。しかし、煙は地上に降り注ぐ前に切り裂かれていた。

 「あらあら。やるじゃない。弱いのにあなたは美味しいそう。」

 剣を構え直し、ハルオミはホリビスを睨みつけた。

 今の状況では何人で戦おうと被害でるのはわかっていた。それなりの準備はしてきたが、まさか新種が現るとは想定外だ。中堅の部下を連れてきたが、得体の知れない煙を吸わせるわけにはいかない。

 「良い男の体をなめるの好きなよねぇ。噛み砕いては芸がない。舐めて溶けてこそ上品な食し方。」

 不釣り合いなほど長い舌を蠢かせる姿は巨蛇を思わせる。ホルビスは近づいて来る。草木が枯れ、干からびた葉が落ちていく。

 これは毒?

 「美味しそうなら追いかけるー。こっちからいくわよー。」

 喋り続けるそれにハルオミを腐臭を漂わせながら近づいてくる。のろりと近づいて来るのは恐怖心を煽るようだった。

 前を見据えハルオミは剣を構え直し、それに向かった。体をひねり、振り切ったが、どうも手応えがない。

 「あららら、どこを狙ってるのかしらーん」

 もう一度、振り抜く。空気を切っているようでダメージを与えられていない。

 「あらあら。いひひっ」

 下卑た高笑いも続く挑発も苛立ち、焦りが募るばかりで敵のペースだ。

 (落ち着け、これとは相性が悪い。)

 深呼吸し、ハルオミは柄を強く握り直した。

 (下半身には剣での攻撃は効かない、ならば狙うは上半身か。)

 瞬時に分析を行い、ハルオミは低く構え直した。土を蹴る。目前で下から振り上げる。

 一瞬、笑みが見えた

 それは、両手を伸ばしていたのだ、待っていたかのように。

 振り上げた切っ先は敵の体を、皮膚を切る。手応えがあった。

 それでも口元を釣り上げているそれ。瞬間、剣の重量の変化に気づいた。

 (軽い?)

 「食べる前はいただきます。」

 体が前のめりになったと感じた時、粘着質な、黒い血が降りかかった。

 至近距離で浴びた返り血はハルオミにベッタリと付着し、異臭を放ちながら熱を持っていた。

 「っ!」

 熱いと感じたときには左肩の感覚はなく、激痛が走っていた。手にしていた剣が滑り落ちる。剣先は溶けて使い物にならなくなっていた。

 「ホーッホッホッホ!いいわ、いいいっ!唾液で悶える格好〜!たまらないたまらないぃぃい!」

 愉悦に入り、叫ぶそれが苛立つ。しかし、見誤った自身にも腹が立つ。

 「動けなくなったら、頭から?腕から?それとも足?旨味の詰まったお腹は最後にもぐもぐしないとー。」

 確かに左腕の感覚はない、体全体が徐々に侵食されていくようだ。武器もない。だとしても

 「ふふ」

 敵の地雷を踏んだようだった。それでもハルオミは不敵に笑った。

 (ああ、まただ。情けない。いつまで同じ事を繰り返せばいいのか。)

 「わらう。楽しい。私も楽しいわー。けけけっ」

 目を細め笑うホリビスの目は暗く濁っていた。

 

 ーバシュッ

 銃声が響いた。敵の右腕が破裂した

 ーバシュッ

 次に左腕が明後日の方向に飛んでいく

 「いったいわね、あら?」

 簡単に頭部が胴体と離された。


 「ハルッ!大丈夫?ハルッ!」

 よろめいたハルオミの体躯を支えたのは泣き出しそうにクシャクシャになったユウマがいる。

 「・・・ユウマ、か」

 普段から口にしているはずなのに、必要な時に音にならないなんて

 やはり、まだ、自分は死なないようだ。自嘲が漏れる。

 意識が途切れた。

 「ハルッ!ハルッ!ねぇ、ハルってばっ!」

 倒れたハルオミを揺さぶるが返事がない。

 嫌な、もやもやが大きくなる。押しつぶされそうな感じ。

 不快な感情にユウマはどうしていいかわからなかった。これまで、困ったことがあれば助けてくれたのはハルオミだ。そのハルオミが怪我で意識を失ってしまった。

 どうしよう?誰に聞いたらいいの?


 『何かあればボクのところに』


 ハルオミを抱き上げようとした時に、異臭が鼻をついた。傷口に触れた袖の布が解れていく。

 戦闘服は魔糸の特殊繊維で織られている。それが溶けているのだ。何の加工もだれていない布などすぐに溶けるだろう。


 「うれしいわぁ、前菜が豊富で。あなた達からは美味しそうな匂いがする。聖女の前にお美味しくいただくわー。」

 飛ばしたはずの腕は煙中から再生されていた。頭も黙々とはえ、やがてもとに戻る。

 「全部消さないとダメなのかな?」

 無表情で振り返ったユウマの瞳は底のない闇のように黒かった。感情が見えない、虚ろな黒。


 「ちいさいのを先にたべ、」

 パンッ

 「でも、肉が無さ」

 パンッ

 「はなしを」

 パンッ

 「このクソガ」

 ザクッ!


 喋り続けるホリビスにユウマは躊躇なく引鉄を引き近づく。射程内に入るとホリビスの喉にナイフを投げ刺した。ゴボッと体液が流れだす。

 「腕も頭も飛ばしてー、ナイフも刺した。魔具は効いてるみたい。だったらー、」

 瞳孔を開いたまま、ブツブツとユウマ唇を動かす。


 装填し、シリンダーを回す。無表情のままユウマは近づいていく。傷口から毒煙を撒き散らし、体が徐々に再生していく

 「無駄だってわかんねーのか、このガキはぁははは!?」

 振り絞った雄叫びは耳障りで飛び散った唾液がユウマの皮膚を焼く。唾液が付着したことに笑いが込みあがった。

 「かかった、かかった!お前も!あの男と同じように!溶けて死」

 笑いがこみ上げた敵の頭上にユウマは高く舞った

 「早く死んで。」

 月を背にした姿に怪しく光る金の瞳

 見惚れた瞬間に体が動かなくなる。絡め取られたのが体だと気づいたときには肉に糸がくいんこんでいた


 「いくら傷つけてもムダ」


 糸を巻き取る音が聞こえる。

 肉片が飛び散った。毒煙が膨らむ。

 ユウマは迷わずに全弾打ち込んだ。

 途端に、空気が変わる。

 薄れ消えゆく毒煙の中、悠真の姿だけが夜闇に浮かんでいた。


 「痛っ!」

 突如として腕に走った激痛にリオンは腕を抑えた。異臭を放ち皮膚が焼けた。

 「見せなさい」

 袖を捲り、患部に触れる。カノンが手を翳すと淡い光が患部を包む。

 「毒ですね。溶解系の。」

 滲んだ汗も引き、少し楽になる

 「・・・ユウマに何かあったかも。」

 「リオン、水を用意なさい。」

 不安気に呟くリオンにカノンは指示を出すと閉ざされたホールの扉を見た。扉の上には結界石が呪文の中をクルクルと回っている。

 魔道士内の術の相殺だとしても室内に結界を張るなんて優秀な宮廷魔導士が聞いてあきれる。この場で術を解くのは得策ではないとカノンは判断した。

 「開けてください。」

 正攻法でいくかと、固く閉ざされたホールの扉に向かう。そこには着飾った警備兵と宮殿魔導師がいた。

 見上げてカノンが言う。警備兵は笑った。

 「お嬢さん、眠いのかい?しかし、終わるまでママのとこで待っていなさい」

 「ここでおもらししてもいいなら我慢しますが。」

 何故か上から目線で話す幼女に皆が笑う。

 「早くママのとこに行きなさい。」

 (ホントに漏らしてやろうか。)

虫けらをみるように見上げたが、どうも迫力がでない。

 生意気だと思われるのが落ちだ。

 扉を無理にこじ開けようとも考えたが、外側から幾重にも結界がはられていた。防犯対策といえばそれまでだが、カノンには上級魔導士を探す為の小賢しい罠に思えたのだ。 


  ダン、ダン

  ピッシ


 窓ガラスに小さなヒビが入った。何事かホール中の視線が集まった瞬間、黒い影が近づき、


 ガッシャン!


 窓ガラスが室内に飛び散った。

 会場がどよめき、数名の体術系魔道士は攻撃体制を取っていた。その中に降り立ったのは暴れる馬を手綱で押さえたユウマだ。

 「カノンッ!カノンッ!」

 馬上からユウマは張り裂けんばかり叫んだ。

 「どこ?!ハルが、ハルがぁ!!」

 「ユウマ!」

 小さな体で飛び跳ね駆けつけるカノンの姿は人混みの中でも直ぐに見つけることができた。安堵からユウマの目元が緩む。

 「カノン、あのね、ハルの体みてっ!」

 「馬から下ろしますよ、リオンッ!」

 「はいっ!」

 すぐさまカノンの指示に2人は従う。ざわざわとした空間、視線が三人に向かう。


 「ゆっくりとおろしなさい。・・・布を噛ませたのは良い判断です。」

 打撲や擦り傷は複数あったが、馬上で運ばれたのだからそれは仕方ない。

 「うん。でもね、ハル、起きないんだ。」

 「意識が無いより、ある方がいいですね。まずは痛覚を。」

 「おい貴様らッ!神聖な場でなにをしているか!」

 警備兵が剣を抜き怒鳴り散らす。

 「うるさい。あっちいって。」

 ユウマが睨む。カノンとリオンは処置の準備を進めていく。

 「お前らこそ、わかっているのか。目障りだ。」

 王弟が貴賓席から言い放った。王弟の言葉に気を良くした警備兵たちが強気で出てくる。

 「赤龍殿のお言葉だ、さあ、たて、でろ!」

 「あっちいけって言ってるッ!」

 ユウマが叫ぶ。空気が震えた。

 ふーふーと肩で息をするユウマはまるで威嚇しているようだった。

 「ユウマ、クズと遊んでないで手伝いなさい!」

 カノンの声でユウマ頷いた。激昂した兵士がユウマに掴みかかろうとした、瞬間。

 警備兵は後方の壁に勢いよくぶつかっていた。

 会場の誰もが声を失っている無音の中。拡げた扇子越しに氷のように冷たい深碧の瞳が睨んでいた。

 「邪魔をするなと言っているでしょう。」

 その場を支配したのは幼女。パンと扇子を閉じると打ち4人を中心に結界を貼った。


 「結界の中で更に高度な結界を張れた?」

 事を静かに見守っていたケンシンが呟いた。

 「おい、警備兵!何してる!捕えろ!」

 「待てエンジュ。」

 白龍王の静止にエンジュが声を荒げる。

 「あ?!」

 怒りで殺気立つをエンジュの前にユタがスッと現れる。

 「赤龍殿下。陛下に敵意を向けるのはおやめ下さい」

 そう言いユタはホールに視線移す。そこには傷ついたハルオミが横たわっている。エンジュはチッと舌うつと振り返り幕の中に消えた。

 「エンジュ様、お待ち下さい。」

 その後をお付きの魔道士ミラー達が追いかけた。


ーーー

 

 ハルオミの左腕は手首まで毒に侵食されていた。左上半身にも広がっている。

 「ハル、ハル。」

 「ユウマ、大丈夫だから。お姉を信じて。」

 リオンの声にユウマは頷いた。そしてカノンに視線を移す。

 「ではいきますよ。」

 デカンタを振り上げ、ハルオミの全体にかける

キラキラと光り降り注ぐ雫が溶けるようにハルオミの体に吸収されていく。同時に眉間にシワが寄った。

 「っ」

 「ハルッ!」

 歓喜の声をユウマが上げた。

 「ぐっ、うっ」

 ユウマの声に応える様なハルオミにユウマの表情が曇っていく。

 「よし、ひとまずはいいでしょ。」

 「いいの?痛がってるよ。」

 「表面の毒は浄化しましたが、体内の毒はまだ残っています。ユウマ、両膝に乗って、足首を押さえなさい。リオンは右腕を。足で関節を抑えて。折っても構いません、生きていれば治しはできますからね。」

 安心感のあるカノンの言葉に2人はうなずいた。

 ハルオミの体にまたがり、カノンは静かに微笑む。


 「全く。大事な弟に心配かけるなんて兄の自覚が無いんじゃないですか?」

 デカンタに残った少量の水を口に含み、カノンはハルオミの頬を触れた。左手で桜の髪飾りを外す。 

 そして、口付けた。

 

 淡い光とともに桜吹雪が舞った。桜吹雪から現れたのは肩までの髪の美女だった。白い肌と黒い髪、新緑の瞳を持つ者。


 誰もが噂でしかないと思っていた存在。

 『月の巫女』


 突如として現れた存在に会場内は静まり返っていた。

 


 「いたのか、本当に。」

 立ち上がり、ケンシンが呟いた。その隣で龍王妃のジェンシャンも目を見開いていた。

 「月の、巫女。」


ーーー


 痛みが引いたのかハルオミから苦痛の息が漏れることはなかった。

 「噴水に運びましょう。月下の方が良い。」

 「うんっ!」

 パッとユウマの顔が綻ぶ。

 「ユウマも怪我してますからね。後で治してあげますよ。」

 「わかったっ!」

 ハルオミを抱き起こし、肩に抱きかえる。しかし、身長差があり、引きずる形になってしまう。反対側からリオンが支える。しかし、バランスが悪い。

 「あなた達、僕の旦那ですよ、丁重に扱いなさい。」

 「はぁーい!」

 意味も理解せずにユウマが返事にする隣でリオンは顔を真っ赤にしていた。

 三人の背にカノンは息を吐いた。ざわつきだした会場内に蔑視の視線を向ける。それは貴賓席にいる王族も含めてだ。カノンはホールを出る前に結界石に手をかざした。そのまま手を握ると結界石にピシピシと無数のヒビが入る。カノンがホールを出ると結界石はボリンと砕けた。


 宮殿の外に出ると待機していたであろう西側警備の部下達が集まっていた。

 これまで対峙してきたホルビスは違っていた。恐怖で我先へと逃げ出した。恥ずべき行為だが、死への恐怖が勝ったのだ。

 「・・・すいません。隊長は、私のせいで」

 小柄を更に強張らせて桜の花を見せた。ユウマ一瞬、固まったが、うーんと唸る。

 「悪いと思うなら、ハル噴水まで運んで。」

 「え、あ。はいっ」

 「お前らもっ!」

 ぷくっと頬を膨らませるユウマに隊員たちが我先にと動き出す。

 「ていちょーにあつかえー。」

 カノンのセリフを真似、ユウマは指示をだした。


 その様子をカノンは観察するように眺めていた。組織として幼稚すぎると思いながら。


ーーー


 星明かりの中に白い月が輝いている。神夜様が見守ってくれている。

 宮殿前にある噴水は月灯りを反射し煌めいていた。

 「本当にいいんですか?」

 「ええ。噴水の中に浸からせちゃってください。」

 戸惑いながらもフェンはカノンに言われた通りに噴水の中にハルオミを座らせた。

 「ご苦労様です。では、始めますよ。」

 目を瞑り、カノンは両手を広げた。ふわりふわりと桜の花が空中に現れ、舞いだした。

 夜のはずなのに、暖かな春の空気が流れている。

 「おっー!」

 空中から現れる桜にユウマは感嘆の声を上げる。

カノンが両手を合わせると、桜の花は一つにまとまっていく。それをカノンは噴水に、ハルオミに振らせた。水面に桜が光を放ち浮かぶ。

 「しばらく浸かれば傷も完璧に治りますよ。人体の70%は水分ですからね」

 「そーなんだー。でも、寒くない?」

 「温めのお湯程度ですから風邪は引きません。」

 カノンの言葉にユウマは噴水に近づき、バシャバシャと水の温度を確かめた。

 「ほんとだ!冷たくない!」

 「今は治療中なんだから遊ぶのはあとにしなさい。」

 「はーい!」

 ハルオミの無事にユウマの不安もなくなったようだった。ニコニコと笑っている。

 「あっ!カノンおっきくなってる!まほー!?」

 今更な質問だとカノンは感じたが、それだけ余裕が無かったのだと察する事にした。

 「これが本来の姿です。子供とは一言も言ってないでしょ。」

 呆れるカノンの隣でユウマは上機嫌だった。そんなユウマの姿が嬉しい反面自身の力の無さにリオンは胸が苦しかった。言葉数の少なくなったリオンをカノンは一瞥する。

 「ユウマ、傷見せなさい。治しますから。」

 「うんっ!」

 リオンの胸が痛くなった。カノンが子供の姿のときにはユウマはこうも素直だったか?自身にくっついていたのに。

 「あ、の」

 嫌だと思ったら声が出た。

 「ユウマの傷は私が見ますから。お姉はハルオミさんに集中してください。」

 「そ、ですか。ならお願いします。」

 見透かしたカノンの視線は居心地が悪い。逃れるようにリオンはユウマに笑顔を向ける。

 「ユウマ、左腕見せて。」

 「んっ!」

 にこーとユウマは左腕を出す。リオンは優しく触れる。

 淡い光が手を包んだ。

 「あったかい。気持ちいい」

 目を細めるユウマにリオンは嬉しくなる。

 「それより、リオンはどうしてオレが左手怪我してるってわかったの?まるでハルみたいっ!」

 幸せそうなユウマにリオンは目を瞑って答える。

 「お守りが教えてくれたんですよ。それより、痛くなかったですか?」

 「うん。カノンが言うまで気づかなかったから。全然痛くなかったぁー。」

 「良かった。」

 安堵したリオンに目と口を開いたまま、ユウマは黒曜石の瞳を輝かせた。

 「心配、してくれるの?」

 「もちろんです。」

 「わぁあー!ホントに?嬉しいっ!ありがとっー!」

 満面の笑顔にリオンも釣られて笑う。

 「ちっちゃいときに『大事だから心配する』ってハルが教えてくれたんだ。ヴィントもフェンもミレも。だからオレもみんな大事!リオンも大事!あ、カノンも!」

 付け加えたようにユウマがいい、ユウマは内緒にして、カノンが知ったら怒るーと口をパクパクさせた。リオンはおかしくて目尻に涙を浮かべ笑った。


 「フェン〜。」

 後処理を大方終えたヴィントが怠そうに中庭にやってくる。ヴィントの姿にフェンは直様駆け出した。

 「護石が割れたって聞いたけど、どゆこと?」 

 状況説明を求められ、フェンは口篭った。

 上官の指示に従って「退避」した。その後の事は知らない。

 「なになに?複雑な感じ?じゃ後でいいや。それより、あの生足のチャンネー誰?」

 沈むフェンにヴィントが鼻息荒く聞いてくる。フェンはポカンとなった。

 どうして、こんな人が副隊長なんだろう。

 「ふざけないで下さいっ!隊長が、ハルオミ隊長が負傷したんですっ!・・・俺のせいで。」

 感情的になり、フェンはヴィントの胸倉を掴み睨み上げた。

 「・・・ハルオミ隊長が、もし、・・・」

 「ぷっ。」

 表情を歪ませ、睨み上げるフェンにヴィントは吹き出した。

 「何言ってんだ、フェン!」

 可笑しいと笑いだすヴィントにフェンは固まった。この状況の何が笑えるのか。

 「あの隊長が死ぬわけないだろー!」

 あひゃひゃとひとしきり笑いヴィントは目元に溜まった涙を拭った。

 「それに俺らの仕事は怪我してなんぼっ!死人が出ないのが珍しいっての!」

 ヤダー、ウケるー!と笑っている。

 「もっかい学校行くかぁ?」

 「行きませんっ!!」

 どういう神経しているのか。怒りだすフェンをヴィントは指差しからかった。



 ユウマとリオンの様子をカノンは目を細めて見守った。部下たちも上司を心配し、中庭に集まってきた。カノンは胸の前で手を合わせた後、月明かりを浴びるように両手を広げた。すると、夜空に桜の花が溢れ出した。突然視界に飛び込んだ桜は淡い光を纏い、浮遊している。

 「きれぇー。」

 キラキラと舞う花は確かに幻想的で美しい。ユウマは瞳を輝かせ、舞う花を追っていた。

 「♪」

 リオンが歌を歌う。歌詞の無い、音だけの歌。異国の不思議な歌に呼応するように桜花はクルクルと回りながら部下たちの体に触れては消えていく。

 「?痛みが引いた?」

 「俺も・・・。」

 部下たちは困惑していた。貴族のみが受けることの許されていた治癒魔法を一兵士が目の当たりにしたこと信じられなかった。

 「ヴィント副隊、皆の傷が治ってます!」

 興奮するフェンにヴィントは冷めた目で桜を見ている。

 「見ればわかるっての。ってか。いいなぁ治癒魔法。羨ましいわー。俺、怪我してないから花にスルーされてんだよね。」

 「怪我をしてないことは喜ぶべきことでは?」

 フェンの口からツッコミが出たことで、ヴィントはフェンの頭を押さえつけ、髪をワシャつかせた。先程まで面白いくらいに隊長と言いながら狼狽していたのに。ツッコめる余裕もでてきたようだ。

 


 「そろそろいいですかね。」


 袖を脱ぎ、カノンは月光を全身に浴びた。神々しく、女神のように映る。

 ブーツを脱ぎ、ゆっくりと噴水の中に入る。

 ハルオミの呼吸も整い、熟睡しているようだった。

 「起きると面倒そうなんでちゃちゃっと済ませますか。」

 悪戯のように口元を緩める。

 ちゃぷちゃぷと近づき、座るハルオミの前に立つと当然のようにカノンは跨った。

 胸元に桜の文様が浮かび上がる。

 右手て水をすくい、月に掲げる、水面がキラキラと反射する。

 左手で両胸を持ち上げ、谷間を作るとかざした水を貯める。


 甘い匂いと淡い光が漂う。2人を包む空気だけが違う。笑みを讃え、カノンはハルオミの頭部に右手を回し引き寄せた。溜めた水と桜の模様が重なる。ハルオミの唇が触れる。

 「契約完了ですね」仕上げと言わんばかりにカノンはハルオミの首筋を白い指でなぞる。

 「今度こそ、約束を守ってもらいます。」

 愛おしく抱き締めカノンは囁いた。それは女神の祝福を受けたかのような儀式に見えた。


 月明かりが地上に降り注ぐ。

 蒼い夜が全てを包む


 月に映る桜花は柔らかな風に乗って運ばれていた



ーーー


 『お前の弟だそうだ』

 使い古された布に包まれ、木箱に入れらていたのは俺の弟なのだという赤ん坊だった。必要な物だけを置いて大人たちは出ていく。錆びた金属音を響かせ、鉄扉が閉まる。ガチャリと鍵がかかった。

 悲しいと思えなかった。憎いとも思わえなかった。ただ、嬉しかったんだ。

 ようやく会えた。彼女が命を賭けて産み落とした命に。黒い瞳の目元は彼女に似ている。

 小さな手を握って思ったんだ

 このぬくもりに生かされているのだと。


 「・・・。」

 うっすらと視界に色が戻る。見知った天井に、両手に温かな温もり。ハルオミはぼんやりと宙を見つめた。

 「・・・部屋?」

 意識がはっきりしてくると、体に力が入らない事に違和感を感じた。右手も左手も動かない。視線を左右に動かすと無意識に口角が上がった。

 「すぅ、すぅ。」

 「んー。」

 右側にはユウマが、左側にはカノンがぴったりとくっついて寝ている。これでは動けないはずだと苦笑が漏れた。

 「気づきました?」

 椅子に座っていたリオンが執務机の水差しとグラスを持ってきた。ハルオミは2人を起こさないようにゆっくりと体を起こす。

 「お体の具合はいかがですか?」

 「無事なのが夢みたいだ。」

 グラスを受け取り苦笑するハルオミにリオンもにこりと微笑んだ。

 「こいつを残してまだ死ねない。」

 眠るユウマの頭を撫でる。ふにゃーと気持ちよさそうにユウマの表情が緩む。

「そうだ、俺を治してくれたのはリオン・・・か?」

 ぼんやりとした記憶の中には自信に満ちた女性の姿だけが残っている。白の服に肩を出し、胸元を開いた服をきていた、勝ち気な雰囲気の女性。

 「・・・違いますよ。」

 ハルオミの問いにリオンは小さな声で否定した。

 「そうだよな。リオンはあんなイケイケな感じではないし。」

 「・・・あ、はい。」

 乾いた笑みのリオンにハルオミは不思議そうに見ていた。髪を下ろしているせいか普段とは違い幼く見える。

 「あの、差し支えなければ構いません、ホントに無理に答えなくていいんですけど、・・・。」

 「?」

 急に畏まり改まったリオンにハルオミは首を傾げた。

 「病み上がりのハルオミさんに聞く事ではないかも知れませんが、・・・ハルオミさんの好みの女性を教えてもらってもいいですか?」

 確かにこの状態で聞く事でない気がする。気遣いができると感じていたリオンも子供っぽいところがあるとハルオミは感じた。

 「・・・そうだな、」

 そうハルオミが返事し、数分。言葉に詰まったのかハルオミは黙った。口元に手を当て考え込んでしまったハルオミにリオンは申し訳なくなる。

 「大丈夫ですっ!忘れて下さい。変な事聞いてすいません。」

 慌ててリオンはグラスを下げ部屋を出て行った。

 今まであまり考えた事がなく、はぐらかしてきた問いにどう答えるべきか迷ってしまった。右隣で寝ているユウマの頭を撫でる。

 「ふにゃぁ。・・・ハルっ!ハ、ル?」

 勢いよく飛び起きた目の前には穏やかに笑むハルオミの姿があった。力が抜けユウマは倒れ込む。

 「よだれ、ついてるぞ。」

 うつ伏せで顔を隠すユウマにハルオミは笑う。

 「いいもん、オレ、頑張ったもん。あの変なのちゃんと倒したよ、みんな無事。」

 「ああ、頑張った、ありがとう。ユウマのお陰で助かった。」

 「へへっ。」

 照れたユウマにハルオミが頭を撫でる。ユウマは強請るようにハルオミに擦り寄っていく。

 「ボクも頑張ったんですけどぉ?」

 いつの間にか目覚めたカノンがジト目で睨む。ハルオミはカノンの小さな頭も撫でた。

 「そっか。ありがとな。」

 「ハル!カノンすごいんだよ、桜がぱぁーっといっぱいでね!」

 ユウマが両手を広げて説明する。カノンは得意げに腰に手を当て鼻を鳴らした。

 「ふふん。だんなを助けるのは妻として当然です。」

 「そうそう、オレ、おとうとっ!」

 「そっか、そっか。」

 両サイドのテンションをハルオミは上手くかわす。明らかに遊びの延長だと思っている。

 「顔洗ってご飯にするか。」

 「はぁーい。」

 元気に返事をし、ユウマは洗面所に向かう。


 「ケガ、すぐに治しますからね」

 チュっとハルオミのほっぺにキスをしてカノンもぴょんとベッドから飛び降りた。ふわりとカノンから香ったのは昨夜嗅いだ甘い香り。吸い込んだと同時に左の首筋に熱を感じた。

 「??」

 妙な違和感を拭うようにハルオミは首筋に触れた。ぴょんとベッドから飛び降りたカノンの機嫌はよく、桜の髪飾りが揺れている。


 

 上機嫌で鼻歌を歌いカノンはリビングに向かった。背中を丸め大きな溜息を吐くリオンの隣に並ぶ。

 「お姉?おはようございます。」

 「おはようございます。」

 挨拶を交わすとリオンは朝食の準備に取り掛かる為エプロンを手にした。

 「そう落ち込む事はないですよ。恋愛に疎いだろうとはわかってますから。」

 カノンの言葉にリオンは先程の会話は聞かれていたのだと気付く。

 「とにかく、攻めあるのみですね。」

 カノンの瞳はやる気に満ちていた。

 「貴方は自分の事を気にしなさい。中途半端に温情をかけるのは貴方の悪い癖です。」

 「・・・はい。」

 お節介だとカノンに遠回しに告げらリオンは反省した。

 「とりあえずは朝食食べてから考えますので用意して下さい。」

 一体、何の準備だと言うのか。自らで自身の存在をバラしたというのに。しかも、あんなに派手に。ウキウキと鼻歌までも歌いだすカノン。何が何でも居座る気だとリオンは思った。当事者のハルオミはままごとの延長だと思って真剣に取りあってないというのに。

 けれどカノンが残るなら一緒に残りたいとリオンは思っていた。ユウマと一緒にいたい。


 バシャバシャと洗面台を水浸しにしながら顔洗うユウマの後ろに白衣を纏った老婆が立っていた。

 「ユタ?」

 老婆にユウマはにっこりと笑った。御伽話に出てくる優しい魔法使い。ふくよかな姿はまるで人生に満足していると体現しているようだった。久しぶりに会えたことにユウマも上機嫌になる。

 「ハルも無事で、ユタにも会えたー。いいことばっかりだね!」

 心からそう思っているのだろう、曇りのない笑顔のユウマにユタもニコニコと目尻にシワ寄せて笑っている。

 「そうだよ。いいことばっかりさ。ユウマは幸せかい?」

 「うん!」

 

 満円の笑みを向けた先にユタの姿はもうなかったが、ユウマは大満足だった。なぜだか分からないが、小さい頃から良いことがあると「ユタ」が現れた。なので、ユウマはユタが幸せを運んでくれていると思っていた。


 怪我をしたハルオミに変わり昨夜の片付けはヴィントとフェンがしてくれるはず。今日は散歩はお休みして1日家で4人でゆっくり過ごしたいな。リオンと洗濯をしたあとはシフォンケーキを焼いてってお願いしよう。カノンとオセロをして、ハルと昼寝しよ。その後は、

 今日の予定を大雑把に組み立てユウマはリビングに向かう。ユタが言った通り、良いことばかりなのだから。

 「そーいえば挨拶まだだった!おはよー!」

元気にリビングに駆け込むユウマを優しい笑顔達が迎えてくれる。



 


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