第9話 それぞれの決別
事故から一か月。経過は順調で、リハビリも進んで周囲の人達に驚かれるくらい回復してきた。
研修で一緒だったあの二人も会いに来てくれて、まだ芳乃さんに会ってないと知ると心底驚かれた。
「俺たちが、先に会いに行っていいの?」
なんて聞いてくるから、
「怪我治してから会いに行くって言っちゃったんだよ。だから、芳乃さんの写真送って…。」
「え、和弘君。目がヤバイ。」
「会いたいのに我慢してるんだ。当たり前だろ。今日は、ありがと。二人が会いに来てくれて嬉しいよ。そのまま、仲良くいろよ。」
二人の幸せそうに笑う様に元気を貰った。
それでも、急な動きはやはり痛いし右側をほぼ使えない状態というのはかなりのストレスだった。そのストレスを吹っ飛ばしてくれるのが、芳乃さんの存在だ。
毎日メッセージのやりとりをしているし、時々電話でも話している。
もう会えないかもしれないと思っていた頃の自分に、心配するな、大丈夫だと伝えたい。
心配といえば自称親友の母さんが、芳乃さんの所へ遊びに行こうかな、などと言い出したことだ。怪我を治してからと約束した手前、早く会いたい気持ちを我慢してるのに。
「私、そんな約束してないもの」
なんてツラッと言うものだから、傍らで聞いていた父さんがため息をついていた。
今日もリハビリのために病院へきた。
病院を退院してからは、実家から通いやすい別の病院を紹介してもらって通っている。
元々運動をしていたから体力に自信はあったものの、この一か月ですっかり筋肉もなくなってしまった。俺でもたまに嫌になりそう。
芳乃さん、大丈夫かな。なんて思いながら訓練を始めると、リハビリ室には似つかわしくないミニ丈のワンピース姿が目に入った。
少し目線をあげて見てみると、そこに加恋が立っていた。
目が合ったが、訓練を始めたばかりだったのでそのまま続けることにした。
すべての訓練を終え、作業療法士さんにお礼を言いリハビリ室を出る。病院の受付まで進むと、待合室のソファーに加恋が座っていた。
俺を見つけて、早足でこちらにやって来る。
「久しぶり。前の病院、退院してたんだね。連絡、なかなか来ないから弟君にメールして教えてもらっちゃった。何で知らないのって驚かれたんだよ。」
「約束の事忘れていたわけじゃないけど、連絡しづらくて。ごめん。」
ちょっと早口で喋る加恋と、ぼそぼそと話す俺。なんとも気まずい空気が流れていく。
「少し、時間くれない?」
加恋の言葉に黙って頷いて、病院を出ると向かいにある喫茶店に入ることにした。
注文したコーヒーが運ばれてくるまで、お互い何も話さなかった。加恋は俺をじっと見つめていたけれど、俺は外の景色を眺めていた。
お店の人が離れたのを確認して、俺から口を開いた。
「連絡しないで悪かった。ちゃんと話さないといけないのに、ごめん。」
頭を下げて、次の言葉を待つ。テーブルの上にあった加恋の手がぎゅっと握られた。
「私、今も和弘の事が好きだよ。これからもずっと変わらない。私たち、本当にもうだめなの? どうして別れなきゃいけないの?」
顔をあげると、今にも涙があふれそうな瞳とぶつかる。
「俺、随分と前から加恋と付き合っている事に疲れてた。俺は教師の仕事が大好きなのに、加恋はそれを認めてくれなくて、すごく悲しかった。加恋はいつも私を見てって言うけど、俺のことは全然見てくれてないなって思ってた。」
「これから直すから、別れるなんて言わないで。もう一度やり直そう?」
「それだけはできない。」
低く、強めの口調できっぱりと拒否する。
「俺、今本当に好きな人がいる。だから、加恋とは一緒にいられない。」
「でも、その人のせいでそんな大怪我したんでしょ? それにあの人、和弘は私と一緒に居た方がいいって言ったのよ? だから私と居て? 別れるのなんてやめようよ。」
大きな瞳からぽろぽろと涙が落ちていく。
加恋の手がこちらに伸びてきそうなのを、テーブルの下に手を隠すことで辞めさせた。
途中まで伸ばした手がその場所から動かず止まっている。懇願するような目で訴えているが、俺は首を横に振った。
「この怪我は、俺があの人を守るためにできた怪我だ。それに、何を言われようと俺の気持ちが変わることはないよ。俺はあの人が好きで、ずっと一緒に居たいと思ってる。
俺はもう、加恋を大事にしたいと思えない。加恋の事が好きじゃない。一緒に居たくない。加恋が他の誰かと幸せになってくれるよう、祈ってる。さよなら。」
二人分のコーヒー代をテーブルに置いて席を立つ。石像みたいに動かない加恋を残して店を出た。
「はぁ…。」
しばらくため息が続いた。気にしてない風を装っていたが、やはり泣き顔を見るのは心が痛む。結構きつい事も言ったよなあ。
空を見上げて深呼吸をする。
いつもはバスだが、少し歩いて帰ることにした。松葉杖をつきながら歩いていると、スマホが震えた。すっかり存在を忘れていた。
画面をみると、母さんからメッセージが届いていた。
『今、病院の近くにいるんだけど。迎えに行く?』
えらくタイミングがいいなと思いながら、『お願い』と返信した。
「なに、なんかあった?」
後部座席に乗り込んだ瞬間にそう聞かれて、
「勘が良すぎだろ」と思わず口に出してしまった。
「で、何があったの?」
「加恋が病院まで来たんだよ。和彦が教えたらしくて。で、事故の前に会う約束してたのもあったから、さっきまで別れ話してた。」
「あらまあ、だからそんなぐったりしているんだ。和彦、彼女の連絡先何で知ってたのかしら。それで、ちゃんと話せたの?」
「納得は、してないと思うけど…でも、俺の気持ちは伝えられたつもり。」
「そう。お疲れ様。」
それだけ言って、車の運転に集中する母。
何だかんだ俺の事見ていてくれて、話せるってのはありがたいことだ。
流れる景色をぼーっと見ていると、芳乃さんに会いたくなった。声だけでも聞きたい。
「家に着いたら、芳乃さんに電話してみれば? 声が聞きたいって顔に書いてあるわよ。」
「はぁっ?! いっつう…。」
驚いた拍子に右足で助手席を蹴り上げ悶絶している息子をバックミラーで確認した母がケタケタと笑っていた。
********
リハビリから家に戻る途中で買った食材入りのエコバッグが邪魔で松葉杖が使いづらい。
リハビリよりハードなんじゃないかと思いながら玄関に到着した。
この家は祖父母と住んでいた家で、二人が亡くなった後孫の私が相続した。
古いけれど愛着があるし、手放す気は全くなかった。
やっとの思いで上り口に袋を置くと届いていた郵便物に目を通す。
ある一通の手紙の送り主を見て動きが止まる。
そこには、【玖木 香奈子】とある。
玖木さんの奥さん? ひとまず松葉杖の先を拭いて、食材を冷蔵庫へ入れリビングのソファーに腰かける。
暫く封筒と睨めっこをしていたが、意を決して封筒の上側を細くハサミで切る。
中身を取り出すと、二つに分けられた便箋と名刺が入っていた。
深呼吸をして、一つ目の便箋を開く。
『蒔田 芳乃 様
突然の手紙で失礼します。
玖木の妻で香奈子と申します。読んでくださり、ありがとうございます。
本来ならば直接出向いて謝罪すべき処ですが、弁護士の方と相談し、まずはお手紙を送らせていただくことにしました。
この度は、夫の満成が大怪我を負わせてしまい大変申し訳ございません。
夫は今、起訴され拘置所に居ます。裁判が始まれば恐らく刑が確定し、刑務所へ行くことになるだろうと言われています。
ここからは私事になってしまい大変申し訳ないのですが、夫との離婚を考えています。
刑が確定してしまえば犯罪者です。息子には父親が犯罪者であるというレッテルを張らせたくない。母として、出来る限り幸せな道を息子に歩かせてあげたいのです。
ただ、それでも満成さんは一度でも私が愛した人です。だからこそ、離婚が成立する前に損害賠償金をこちらからお支払いさせていただきたいと考えています。
この件に関しては、もう一人の被害者の方にもお話させて頂く考えです。
弁護士さんの名刺を同封させて頂きますので、お手数ですが連絡が来た際にはご対応を御願い致します。
最後に、満成さんから送って欲しいと手紙を預かっていますので同封いたします。
出来れば、読んであげてください。
長々と失礼いたしました。
玖木 香奈子』
ソファーに背を預けて、ふぅと息を吐く。
テーブルの上の名刺には○○法律事務所と記載があった。
実刑に恐らくなるだろうと刑事さんから聞いていた。
前に刑事さんが奥さんとうまくいっていなかったと言っていたけど、奥さんは玖木さんを本当に愛していたんだ。
なんと気丈な女性だろう。
便箋に書かれた綺麗な文字が痛々しくもあり悲しく見える。
何故か涙が滲んできて、天井を見上げた。
玖木の手紙を、読むべきだろうか。
いや、香奈子さんの為に読もう。
もう一つの便箋に手を伸ばす。
『蒔田 芳乃 様
この手紙を、読んでくれるだろうか。
読んでもらえなくても、今の時点では手紙しか手段が無いから、送らせてもらう。
まずは怪我をさせて、怖い思いをさせて申し訳なかった。
あの時の俺は、ただただ君に自分を認めてもらいたいだけで行動してた。
俺の親は、成績至上主義で俺の考えとかやりたいことなんて眼中になかった。
ただ認めて欲しくて、俺はずっと一番になる事しか考えてなくて。その為に、色んな奴らを蹴落としてきた。
大学に入って君と出会って、初めて温かさを知った。
君なら、俺に黙って付いてくる。俺のやりたいことを支えてくれるって勝手に思っていたんだ。
俺から君に、酷いことをして別れたくせに。
ずっと、忘れられなかった。何年経っても。認めて欲しいって思っていた。
教員研修の参加者を見て、その思いが爆発してしまったんだ。今の俺なら、認めてくれるだろうって考えたら、会いたくて堪らなかった。
馬鹿だよな、君が戻って来る筈無いのに。
君を見張っている間、知らない誰かと楽しそうにしている君に嫉妬したんだ。
認められるのは、いつも君の方。
気づいていたのに、見ないふりをしてきた。
周りの人間が俺に笑顔を向けるのは、現教育長の娘と結婚したからで俺を評価してる訳じゃないって。
でも、認めたくなかった。
君から電話が来たあの日、俺を想ってじゃなくて別の誰かを想って掛けてきたんだと分かって、決めたんだ。
戻ってこないなら、俺を認めないなら、誰かに取られる位ならって。
でも、二人が道路に叩きつけられたのを見た瞬間、怖くなった。
息子と香奈子の事をその時思い出したんだ。
二人に会えなくなる。俺の家族に会えなくなる、今度はそれだけしか考えられなくて。
本当に、馬鹿だよな。
香奈子と息子。また、自分のせいで大事なものを失うんだ。
失ってから大切なものに気づくとか、本当に情けない。
謝ったって、何をしたって許されないし許してもらわなくて構わない。
本当に、申し訳ありません。
俺は、どんな刑でも受けます。
やっぱり、君のやり方が正しいな。
周りにいる誰もが笑顔だから。
幸せになってください。
さようなら。 』
さようならのあとをよく見ると、『満成』の文字が消された跡が残っている。
さっき我慢した涙が遂に流れ出てくる。
和弘さんに会いたい。声だけでも聞きたい。
そう思っていたら、スマホが鳴った。
画面に『成川 和弘』の文字。
『芳乃さん? 今、大丈夫ですか?』
聞きたかった声が聞こえてきて、嬉しいのに言葉が出ない。
『あれ? 芳乃さん?! あれっ?!』
「…ぐすっ。和弘さん、ありがとう。物凄く、声が聞きたかった」
『えっ?! 芳乃さん、泣いてるっ?! だ、大丈夫ですかっ?! て、俺の声聞きたかったってホントですか? あっ! ちょっと母さん、やめろよ!』
和弘さんの声と一緒に冴さんが『泣いてる?! 代わりなさいよ!』と言っている声が聞こえる。
電話越しに聞こえる遣り取りに、何故だか笑わずにはいられない。
笑う度に疼く左側。
大切な人達の声。
あぁ、私はなんて幸せだろう。
大切な人と親友が居る。
これ以上に、今まで幸せを感じることは無かった。愛おしくて、また鼻を啜る。
「「芳乃さん? 泣かないで。」」
愛おしい二人の声が同時に聞こえてくる。
「ふふふ…。大丈夫です。じつは…。」
手紙の事を二人に話さなくては。
玖木君。
手紙をありがとう。
そして、さようなら。
呪縛から、解かれたような気がした。
愛されなかった、愛しても違っていた。
私は一人で生きていく運命だと、そう自分を縛り付ける呪縛。
相変わらず、スマホの向こう側はガヤガヤと忙しい。
「お話ししますね、二人とも落ち着いて。」
ピタッと静まり返る向こう側、
「玖木さんから、手紙が来ました…。」
多分私は、これから幸せに生きていく。
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