第6話 目覚めから二日目
「話が出来るまで回復されて本当に良かった。それにしても、災難でしたな。」
初老の男性がベッドの隣に腰かけて話しかけてくる。隣には立ったままメモを取る若い女性。
事故の詳細を聞くために刑事さんがやって来ていた。
朝、目が覚めてから色んな検査をして異常がないと判断された。午後には一般病棟の個室の部屋に移された。
少し疲れてはいるものの意識ははっきりしているので、少しだけでもと刑事さんたちが話を聞きに来た。
「事故の加害者は玖木満成で間違いないですね? 目撃者からも、玖木の車で間違いないと証言を得ています。玖木とは、どういったご関係で? 男女のご関係?」
初老の男性が探るように私を見る。女性の方が軽く咳ばらいをして、男性を睨む。
「え? これもダメか?」
女性の方が頷く。頭をぽりぽり掻きながら、
「しかし、何とも遣り辛い世の中になりましたな。ええと、加害者とは?」
「大学時代の同期で、当時は付き合っていました。最近、連絡が来るようになって寄りを戻そうといったことを。私は拒否していました。
玖木さんから届いたメールなどのデータは全てスマホに取ってあります。ずっと、私をつけていました。昨日、昼に話し合おうと連絡して、向かう途中でした。」
「スマホを一度、お預かりしても?」
頷いて、横に置いてあったスマホを渡す。
「では、お借りして直ぐにお返しします。」
「あの…。玖木さんは…。」
「まだ見つかっていませんが、時間の問題でしょう。事故に対しての被害とストーカー被害について届を出されますか?」
事務的な声で話しては来るが、心配そうな顔で女性の方が語りかけてくる。
「少し、お時間いただけますか。ご家族の事を考えると」
「ストーカーした挙句、二人も轢き殺そうとした殺人犯を庇う必要ありませんよ。」
「おい、それこそ警察官として言う言葉か。」
女性が手帳をぐっと握りしめる。
この女性の言うとおりだ。
私だけでなく、和弘さんまで巻き込んでいる。これ以上の事が起こらない様にしなければ。
「やはり、届け出の件すぐにお願いできますか? よろしくお願いします。」
女性の顔が一気に凛々しくなる。
「了解しました。直ぐに手配します。スマホの件、鑑識さんにお願いしてきます。」
一礼して、病室を出て行った。
「すみません。お騒がせして。あいつ、入ったばかりで、まだまだ青くて。ただ、ここだけの話、玖木は奥さんとうまくいっていなかった様です。奥様の父親にも、プレッシャーを掛けられていたようですな。」
俯いている私に、また頭を掻く。
「でも、それは蒔田さんと関係ない事です。絶対に、捕まえますから。」
椅子から立ち上がって静かに病室を出て行った。
暫くすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ。」
そう答えると、ドアが開いて女性が入ってくる。お人形さんみたいで、とても綺麗な人。
「あの…。どちら様ですか?」
私を睨んだまま、立っている。
「もしかして、かず…成川さんの…」
すごい勢いで、こちらに歩み寄ってくる。
「和弘に何してくれたのっ! 何で、あんたみたいなおばさんと。あの日、ずっと連絡待ってたんだから。絶対に許さない! 和弘は私と一緒に居るのが一番いいんだから!」
「私も、そう思います。」
入院着の襟を掴まれ、睨む瞳を見つめながら答える。驚きの表情に変わる。
「あなたの様に可愛らしい人と、幸せになって欲しい。成川さんは、とても情熱的な教育者です。あなたが支えになってくれたら、それこそ素敵なことです。」
「私は、教師の和弘は嫌い。」
「なぜですか?」
「だって、和弘には私だけ見ていて欲しい。
私だけを見て、好きだって言ってほしい。他の人間を見ているなんて嫌。」
「それでは、成川さんが笑えなくなります。」
思わず、自分の思いを声に出す。
あんなに教育に対して誠実に取り組んでいるのに、否定をされるのが悲しくて。
彼の大好きな部分を認められないなんて、それこそ悔しくてたまらなかった。
今度は、私の方から睨み返す。
入院着を握りしめる手が、ふるふると揺れる。右手が斜め後ろに引かれたのを見て、静かに目を閉じた。
「加恋ちゃん、何しているの。」
聞いたことのない女性の声が聞こえた。
瞼を上げ入口を見たが、加恋さんの体に隠れて見ることが出来ない。
「手を放しなさい。その人を傷つけることは、私も、和弘も許さないわよ。」
「おかあさん? どうして?」
振り向いた体が硬直する。入院着を掴んでいた手が、離される。
和弘さんによく似た大きな瞳の女性が見える。昨日、手を振ってくれた人。
「どうしてですか?この人のせいで和弘は」
「確かに、彼女に関わって事故に遭ったかもしれない。」
「だから、この人がわるい…」
「ずっと前から、すれ違っていたのよね。」
「いいえ、そんな事ありません。土曜の夜だって会う約束してたし、それに…」
「和弘から電話で、あなたと別れたって聞いていたわ。もう、何年も和弘の口から加恋ちゃんの話を聞いてない。」
小さな背中から『そんな…』と呟く声が聞こえるが、納得できないと顔を上げる。
「でも、お母さんはこんな年の離れた人と和弘さんが一緒に居るのを納得できるんですか? 和弘には、私がいます。」
言い終わると、小さな背中がハァハァと苦しそうに息をしている。
和弘さんのお母さんが、口を開く。
「和弘と加恋ちゃんの二人の間の事だから、今後どうするかを決められるのはあなた達だけ。けれど、和弘がずっと苦しそうな顔をしているのを見ているのは辛かったわ。和弘が加恋ちゃんと別れて、他の人と前に進みたいと思うなら私はそれを受け入れるつもり。」
最初は、加恋さんに。途中からは、私に目を合わせて語りかけてくる。
「もう、自由にしてあげてくれないかしら。お願い。」
そう言って、頭を下げる。
力なく華奢な体が歩き出す。ふらふらと揺れる体が扉の外へ消えた。
二人きりになって、沈黙が訪れる。
けれど、伝えなければ
「今回は、大事なご子息に怪我を負わせてしまい大変申し訳ございません。」
曲げられるだけ腰を曲げて頭を下げた。
「ちょ、だめよ。腕と脚もそんななのに。」
そう言って、体を持ち上げてくれた。
近くで見つめると本当に瞳がよく似ている。
「蒔田芳乃さんよね? 初めまして、和弘の母です。大変な目に遭ったわね。」
「そんな…、大変なのは息子さんの方です。私を庇って大怪我を。」
「でも、あなたは息子を守ってくれた。林先生から聞いたの。あなたが和弘を守ったって。体の怪我は確かに酷いけど、それより脳に損傷がないことが幸いだったって。その左腕で守ってくれたのね。ありがとう。」
何も言えなくて、俯く。
「電話で話していた時、隣に居たのはあなたよね。」
思わず、顔を上げる。満足げな笑顔。
「やっぱり。そうだと思ったわ。あの時の和弘の声が本当に楽しそうで。ここ何年も聞けてなかったの。生徒さん達との話をする時だけは笑顔になるけど、それ以外となると無感情っていうか。研修でいい出会いがあったんだって、直ぐに思ったわ。」
カラカラと気持ちのいい笑い声が響いているが、ふと思い出したように
「私ったら、大声で笑っちゃった。」
と言って、もう一度私を見つめる。
「さっきの話、私は本気よ。和弘とのこと。」
「いえ、私はあくまでも教師仲間であってそういう関係では…」
「そう? でも、あの子一度決めたら頑として譲らないから。あなたが思っている以上に、突っ込んでくるかもしれないわよ?」
「あ、思い当たる節はあります。」
「え? 何したの、あの子。」
研修初日にコンビニへ買い物に行こうとした時、猛ダッシュでエレベーターに飛び込んできた話をした。
「あ、そっちの突っ込んできた話? ホントにやっていたなんて、あの子らしいわ。」
目尻に滲んだ涙をすっと指先で拭うと、優しく微笑んでくれる。
「芳乃さんと話していると、何だかほっとするわ。和弘もそんなあなただから好きになったのかもしれないわね。」
また、何も言えなくなる。
「それに、芳乃さんから和弘と似た何かを感じるの。不思議ね。懐かしいような、よく知っている何か。」
その言葉に、はっとする。
『母さん』と微かに和弘さんが囁く。
ドアをノックする音が聞こえて、「そろそろ帰ろう」という声。
声の主に頷いて私の右手をぎゅっと握る。
「また、来るわね。」
ほほ笑んで、和弘さんのお母さんは帰って行った。
ベッドの上で、これからの事を考える。
好きだという気持ちが、また私の中に蘇るなんて思ってもみなかった。
玖木と別れたあの日から、自分は一人でなくてはいけないとそう思って生きてきた。
実際、誰かと繋がりかけて奪われそうになっている。私は、これからも一人だ。
決めた事なのに、寂しくてたまらない。
夕方、食事が終わった頃。二人の刑事さんが再び病室を訪れた。
「玖木満成を、先程逮捕しました。」
初老の男性からの第一声はこれだった。
思っていた以上の速い展開に、驚くことしかできない。
「あの、どんな様子ですか?」
「詳しく言えませんが…、殺意があったことだけは供述し始めています。」
「そう、ですか。」
「スマホお返ししますね。これだけ沢山の履歴と、車のドライブレコーダーからもストーカーしていた様子が残っていますから、そちらでも立件できそうです。」
女性の刑事さんが、柔らかく笑ってくれる。
「ありがとうございます。逮捕してくださって、少し安心しました。これからの事も、宜しくお願いします。」
頭を下げ、顔を上げると。何故か二人とも笑顔になっていた。
小首をかしげると、二人の刑事さんがしゃんと背筋を伸ばす。
「それでは、我々はこれで。」
二人が帰ると、一気に力が抜けてしまった。
玖木が捕まったと聞いて安心した気持ちと、これからまだまだ長い時間関わることになるのではないかという不安が押し寄せる。
全身が、微かに震える。
目を瞑って、何とか呼吸を整える。
そうしているうちに、疲れもあって眠ってしまっていた。
目が覚めると、病室の天井が見える。
スマホの画面を開けば、朝の六時。
ぐっすりと眠ったせいか、頭もはっきりしているし体も昨日よりはましだ。
ただ、やはり腕と脚が固定されているせいで動きが制限されている分痛みがある。
バキバキと体を捩じり、痛みを堪えて体を伸ばす。
そういえば、昨日は和弘さんが居る場所に行かなかった。いつもなら、真っ直ぐにあそこへ行くのに…。
ふと、違和感が浮き上がる。
無理やり掌を引き剥がしたあの時から、和弘さんの声が体から聞こえてこない。
和弘さんのお母さんが来ていた時の、あの一度きりだ。
思わず、胸に右手を当てる。
『和弘さん?』
強く心で呼んでみても、反応はない。
考えてみれば、自分の無意識の領域なんて行ったことない。
行くはずがない、無意識だから。
そこへ行く唯一の手段を、私が無くそうとして引き剥がした。
私は、間違った選択をしたかもしれない。
林先生が、私に声を掛けるまで病室に入ってきた事すら気づけなかった。
嫌な予感が溢れて思わず、
「先生、和弘さんの容体はどうですか?」
私の勢いと言葉に少々驚いている。
迷っている表情だったが、
「実は、昨日の夜からバイタルが少しずつですが、下がり始めています。」
その言葉に、本当に時間が迫っていることを実感する。早く、行かなければ。
呆然とする私に先生が声を掛ける。
「蒔田さん、成川さんにお会いになりますか?
「そのことで、出来たら成川さんのご家族とお話し出来ないでしょうか。どうしても、聞いていただきたいお願いがあります。」
機会は、この一回しかない。
絶対に、和弘さんを目覚めさせる。
しばらく迷っていたが、
「分かりました。」
と先生が頷いて、病室を出ていった。
もう、後がない。
右手で、心臓の辺りに触れる。
「和弘さんの声が聞きたいです。顔が見たいです。」
そう呟きながら、右手の掌を見つめた。
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