第19話

 最初のバスが到着してから三時間もすれば、祭りは盛況も盛況の大盛況だった。屋台にはそれぞれ行列ができているし、今日のために野外に作ったベンチと机、今日のために開放したいくつかの住居もすべてが人で溢れていた。フィナーレで使う予定の舞台の周りにも、進入禁止のロープのぎりぎりまで人溜まりが出来ている。下が芝生なので座りやすかったのだろう。

 想像以上の混雑で、不満が出るのではないかと新たな不安が生まれてはいたが、物珍しさもあってか、それほど不満を持った人はいないようで胸をなで下ろす。それどころか、訪問客同士で新たに仲良くなっている人もいるようだった。そういう人たちは野外に設置したクーラーボックスからジュースやビールを取り、祭りそっちのけで楽しんでいるようだった。苦笑したくなる気持ちもあったが、そもそも祭りとはそういうものだ。

 飲み物を屋台ではなくセルフサービスにしたのは大正解だった。ただ、どうしても管理が甘くなってしまう面はあって、常に目を光らせなければならない。現に、今もクーラーボックスの氷と飲み物が無くなりかけていた。

 私が号令をかけようとすると、隣の千花が鬼軍曹を思わせる出で立ちで声を張り上げた。


「輸送班!」


 人ごみを抜けるように小さな影が、クスクスと笑いながら駆け出してきた。そのまま子供たちは、私と千花の前に一列に整列した。子供たちは三人しか来ていなかった。残りはほかの場所で遊んでいるらしい。

 千花の目配せを受けて、内心照れながら私も声を張った。


「点呼!」


「一等兵!」


「二等兵!」


「三等兵! 以上三名です!」


 最後の一人はどこか誇らしげに言った。おそらく三等兵が一番偉いと勘違いしている。吊り上がりそうになる口角を必死に抑えた。

 笑いを堪える私の代わりに千花が言葉を続けた。


「クーラーボックスの物資が尽きそうである。至急、補給を求む!」


 子供たちは声を揃えて「ラジャー!」と叫ぶと、来たときと同じようにキャッキャと騒ぎながら駆け出していった。こんな感じで、近くにいる子供たちが屋台やクーラーボックスに食材を追加してくれているので、食材切れで焦ることもなく、なんとか祭りは回っていた。

 物資の補給は子供たちに任せて、また千花と巡回に戻った。


「んで?」


 千花がじとっとした目で私の顔を見た。直視しないように目をそらす。


「んで、とは?」


「はいはい、そういうのいいから。私何一つとして聞いてないんですけどー?」


「毎度質問するの遅くないか?」


「へー、忙しそうだったから待ってあげてた千花ちゃんにそんな言い方するんだ?」


 うっ、と言葉に詰まる。小さく咳払いをして素直に礼を言った。千花は「よろしい」と咲くように笑った。


「で? どういうことなの?」


「祭りって言ってただろ?」


「そういうこと聞いてんじゃなくなーい?」


 千花はまた悪戯っぽく笑い、肘で私を小突いた。言葉に詰まり、誤魔化すように頬を掻いた。


「お兄さんたち、屋台と一緒に写真いいですか?」


 横から聞こえた若い声に、「いえーい」と千花と同時にピースサインをした。ほとんど反射のようにポーズがとれるようになっていた。今日一日で数え切れないほどの写真を撮ったからだろう。そして、その写真は今も着々とインターネット上で拡散されているらしかった。その証拠に、途中参加用に用意したバスは第二便、第三便と途切れることなくやってきた。最初とは違って一台ずつ間隔をあけて出発してくれているらしく、バスが村の奥まで入ることはないので、祭りの参加者たちに危険が及ぶことはなかった。

 そして、村の端にはミニバンなどの少し大きめの車も止まっている。二十台くらいはあるだろうか。とうとう事態を嗅ぎつけてやってきたテレビ関係者たちのものだった。この騒ぎは何なのかと食い下がるように質問されたが、「最後にはすべてわかるので、それまでは祭りを楽しんでおいてください」と伝えたら、渋々ではあったがなんとか引き下がってくれた。


「まあ、いいんだけどね。楽しいし」


 千花がポーズを解きながら、朗らかな声で言った。追求が終わりそうなことにホッと息をついた。


「だろ?」


「うん。……あーあ、外の人が来るならお母さんたちも来たらよかったのに」


 千花は明るく言ったが、その声には隠しきれない寂しさが透けていた。

 村の人たちの家族を呼ぶというのは、私も考えた。だが、全員の家族を呼んでしまったら最悪収集がつかなくなる可能性もある。それに、子供たちが親のことを思い出してしまったら、再び悲しい思いをさせてしまうのではないか、という村人の意見があり、家族を呼ぶことは諦めた。村人は全員が同意し、全員が唇を噛み締めていた。会うことが目的ではないと、誰もがわかっていたのだろう。全員がその気持ちを飲み込んで伝えることを選んだのだ。


「宣伝がSNSだし、届いてなくても仕方ないよ。仮に宣伝を見たとしても、そこに千花たちがいるだなんて思わないだろうし」


 千花は何でもないことを話しているかのように、頭の後ろで指を組む。


「そうだよねえ」


「でも、きっと今日届くから」


 千花は私の言葉にまた表情を咲かせた。喜びをそのまま表現するかのように、私に顔を寄せる。


「そうだよね! こんだけ人が来てたらわかるよね! 元気な姿を見せられるだけで十分だよね」


 きっと届くよ。これはそのための祭りなんだから、と千花には聞こえない声で呟いた。




 膝の裏に小さくはない衝撃を感じた。

 驚く暇もなく、膝はその構造に逆らうことなく綺麗に曲がった。体は重力に引っ張られ、自ずと尻餅をつく。不格好に座り込んだ私にいくつもの無邪気笑い声が降り注いだ。


「……輸送班、上官への反抗は厳罰対象だぞ」


「げんばつってなに?」


「格好悪い格好でよくわかんないこと言ってるー」


「私たち輸送班じゃないよ! 情報班!」


 そんな班は作った覚えがない。まあ、輸送班も千花が言い出したことで、私が作ったわけではないのだが。そもそもなぜ情報班が攻撃行動を取るのか。制圧班とかの間違いだろう。


「誰に言われてきたんだ?」


 絶対にシゲさんだ、という確信を持って聞いたのだが、子供たちは「真美さん!」と声を揃えた。意外な名前に目を見開いた。


「真美さんが? 真美さんが俺に膝カックンをしてくるように言ったのか?」


「それは情報班の仕事じゃないでしょ!」


「それは制圧班の仕事でしょ!」


 制圧班もあるらしい。これは間違いなくシゲさんが作ったに違いない。


「じゃあ、情報班は何をしに来たんだ?」


「そろそろ花火の時間だけどステージの近くに行かなくていいのかって」


 ハッとして腕時計を見る。タイマーにセットした花火の打ち上げ時間までもう五分を切っていた。急いで舞台まで行かなくてはならない。予想以上に盛り上がっている祭りと楽しそうな千花に気を取られて、肝心なことを忘れていた。危うくすべてを台無しにするところだ。心の中で真美さんに深く礼を言った。


「えー、別に花火はここからでも見えるんじゃない?」


 千花が不服そうな声で言った。きっとこの空気をもっと中心で味わっていたいのだろう。だが、そういうわけにもいかない。


「ダメだ。千花も一緒に行こう」


「えー、ここでいいよ」


「ダメだって」


「そもそも何のためのステージなの、あれ」


 千花は本当に気乗りしないらしく、いやいやと駄々をこね始める。いよいよ、時間がまずい。


「花火が終わったら岸先生がダンスを踊るんだ」


 口からでまかせのひどい嘘だが、千花の興味は引けたようで、千花は微かに目を輝かせた。


「ほんと? 一人フォークダンスとかの可哀想な奴じゃないなら確かに見たいけど」


「ホントだ。岸先生がサンバのリズムに合わせてブレイクダンスをしながら縄跳びを飛ぶんだ。大学時代はそういうサークルに入っていたらしい」


 嘘に嘘を重ねた。岸に心の中で頭を下げる。頭の中の岸は憂鬱そうな顔でしっかりと踊りながら「別にかまわないんだけどね」と言った。この無礼な想像にもう一度頭を下げた。

 無理矢理な嘘で、誰が信じるのか、と我ながら呆れてしまうが、今回に限ってはこの嘘で間違いはない。疑いようもなく、この話は千花好みだった。

 案の定、千花はもはや隠しきることもできないほどに目を爛々と輝かせ、興奮しきった様子で言った。


「そんなの一番前で見なきゃいけないに決まってるじゃん! なんでそんなこと忘れられるの? ほら! 走って!」


 千花は私の手を取って走り出した。

 ぽかんとする子供たちに手を振り、引き連れられるようにして私も走った。すぐに体勢を立て直し、今度は逆に私が千花を引っ張る。千花は最初は驚いたようにバランスを崩したが、すぐに面白そうに大声を上げて笑いながら私の誘導に従った。

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