第17話

 時間は限られている。車谷が存在しない花を探している間、つまりはこの三週間がタイムリミットだ。やることは山ほどあったが、隠れながらも少しずつ作業を進めていたおかげで、設備に関しては余裕がありそうだった。

 パーツごとに小分けにしていた屋台を組立て、足りない分は並行して作成した。正直、シゲさんの大工としての技量には疑問を抱いていたのだが、どうやら私はまだシゲさんのことを見くびっていたらしい。シゲさんが木材に触れば、意思を持たないはずのそれらは、まるで自ら屋台になりたがっているかと錯覚するほど滑らかにその姿を変えた。素人であるはずの村の男たちは、シゲさんの指示通りに動いているだけで、熟達した大工を思わせるほどの腕前を見せた。中には、自分には大工の才能があったのだな、などとしみじみと呟く者もいて、笑ってしまった。

 細かいパーツの組立や、裁縫類は女性陣が担当していたが、それらも滞りなく進んでおり、このペースならば、二週間後くらいには作戦が実行できそうといったところだろうか。


「ところで修くん、これは何を作ってるの?」


 組立作業中の私に千花が言った。意外な質問に、思わず手を止めて聞き返す。


「いまさら?」


 釈然としない様子で参加していた千花だったが、一度もこの作業に関する疑問を口にすることはなかったので、誰かがうまく誤魔化したのだと思っていた。だが、どうやら千花はわけもわからないままずっと手伝っていたらしい。


「聞くタイミング失っちゃって」


 千花は照れくさそうに頭を掻いた。手が汚れていることは気にならないらしい。

 どう返すべきか迷った。始めの頃こそ、いつ聞かれるかと心を張り詰めていたが、千花から何のアクションもないので、いい答えが思いつかないことも相まってなかったことにしていた問題だった。私にしてみれば、忘れた頃に抜き打ちテストを出された状況に近い。

 黙りこくっていては余計に怪しまれると思い、とりあえず何でもいいから話そうと口を開いた。


「えーと、これは――」


「わかった! お祭りでしょ?」


「え?」


 千花の予想外に核心を突いた言葉に、心臓がヒュンと小さく跳ねる。千花は逆に私の反応が予想外だったらしく「え? 違うの?」と首をかしげた。


「い、いや、そうだよ。祭り。なんでわかったんだ?」


 この企画は、私が半ばやけくそで考えた「ガンガン葬祭」なわけで、千花の言ったことはほとんど答えに近い。どう誤魔化すか、それを考えるために大して出来の良くない私の頭はできるだけ思考を進めた。


「だって、屋台作ってるし」


 音が聞こえるのではないかというほどに高速で回り始めていた頭が、急速に回転数を落とした。そうだ、私たちは屋台を作っているのだ。祭りという発想が出ることはむしろ当然ではないか。

 顔を赤らめる私を、千花は不思議そうに見つめた。

 これ以上怪しまれないよう言葉を続ける。


「そっか、そう、正解! 祭りをします!」


「正解なのはさっき聞いたよ」


 千花が呆れ顔で私を小突くが、顎に手をやり、また小首をかしげる。


「でも、村人だけの祭りにしては屋台多くない? これじゃほとんど全員が売る側になっちゃうよ」


「それは、だって、その方が楽しいだろ?」


 頬を一筋の汗が流れるのを感じた。苦しい言い訳だ。最近はこんなことばかりな気がする。

 千花はじっと私の顔を見つめていたが、フッと花が咲くように笑った。


「確かに!」


 誤魔化せたらしい。多少千花の頭を心配しながらも、ホッと息をつく。


「私たちに思い出を作ってくれようとしてるんでしょ? ありがとね」


 呟くように言った千花の言葉は、優しく私に届いた。

 きっと千花がお礼を言ったことと、私がしていることは食い違っている。だが、それでも私はしっかりと千花に頷き返した。


「シロちゃーん! 電話なってるよー!」


 大声で私を呼ぶ声が、春さんの家から聞こえた。

 目で千花に許可を求めると、千花は表情と手で承諾してくれた。私も手だけで謝り、小走りで春さんの家に向かった。

 春さんの家に入ると、春さんと真美さんたち三人が裁縫作業をしていた。大きな布を部屋いっぱいに広げ、床はほとんど見えない。靴を脱ぎ、刺繍の邪魔にならない場所に乗った。


「ほい」


 涼子さんが私のスマホを差し出す。私は「ども」と軽く礼を言って受け取った。

 本当は外に出てから電話を取りたいところなのだが、いかんせんこの村では春さんの家のWi-Fiがなければ満足に電話もできない。仕方なくこの場で通話ボタンを押した。


「もしもし」


「もしもし、今時間大丈夫かな?」


 スピーカーから社長の声が聞こえたことは、呼び出し画面から予想できたことなので、特に何の驚きもなかった。だが、聞こえてくる社長の声は重く、言いにくいことを言おうとしている雰囲気がひしひしと伝わってきた。


「大丈夫です。どうされたんですか?」


 社長は一拍置き、謝罪とともに申し訳なさそうに話し始めた。


「人集めの件なんだけど、正直難航してる。個人的な知人に当たってはいるんだけど、内容を全部は話せない上に、場所が場所だ。都市部にいる人たちは、いい返事をくれないね。年も年だし、体力的にも遠出は歓迎されないみたいだ」


「そうですか」


 社長の言葉にも驚きはしなかった。

 予想通りの結果であり、驚く要素はない。ただ、予想通りの結果ということは、限りなく最悪に近い結果である、ということが問題だった。

 そもそもが、この作戦は人を集めなければ話にならない。できればマスコミが注目するほどに、最低でも人伝に話題が広がる程度には集客が必要だった。とはいえ、内容的に会社を使って大々的に、というのも難しい。小さな望みにかけて、社長に動いてもらっていた。その小さな希望が潰えようとしている。そういう話だ。


「まだ限界まで声はかけてみるつもりだ。……役に立てず申し訳ない」


「いえ、こちらでも手を考えてみます」


 脱力感を残しながら、通話を切った。当然のことではある。当然のことではあるのだが、予想に反してトントン拍子に事が進んできたせいで、麻痺していた。現実はこんなにも分厚くて、高い。


「やっぱ、人集めが問題かー」


 真美さんが軽い様子で口を開く。だが、その表情には隠しきれない影が伺えた。


「ええ。社長にずっとここに居てもらうわけにもいきませんし、それならと思って東京でツテを頼ってもらってたんですけど、やっぱり厳しいですよね」


 見通しの甘さを追求されるかと思ったが、非難の声が飛んでくることはなく、この場の皆が真剣に頭を悩ませてくれた。

 麻子さんの言葉を皮切りに議論が始まった。

 布を傷めてしまわないよう気を配りつつも、全員が座り込んだままで言葉を交わす。


「飛行船で宣伝とかは難しいよね。村の近くを飛ばしたら来てくれたりしないかな?」


「それじゃ、当日だと人を集めるには遅すぎるし、それより前だと早すぎる。政府に嗅ぎつけられちゃうわよ」


「涼子の言うとおりよ。そもそも飛行船なんてどうやって手配するの。唯一、手配できる可能性がある車谷さんは、私らが国外追放しちゃってるんだよ」


「えー、それは車谷さんの上司とか?」


「車谷さんの上司は、そんな簡単に話ができるような立場の人じゃないらしいですよ。仕事で使うかも知れないと思って直通の電話も聞いてみましたけど、高齢なのでスマホどころかガラケーさえも持っていないらしいです」


「そりゃ良くないねえ。老後こそインターネットが役に立つのに、もったいない話だねえ」


「その人はたぶんまだ老後じゃないのよ、春さん。でも、上司ってその人だけじゃないでしょ? ほかの人にお願いしたりとか」


「それが、機密事項なので、部署にはその上司と車谷さんだけらしいです。ほかの人は部署の存在くらいは知っていても、この場所のことすら知らないって言ってました」


「そっかー。まあ、飛行船を用意してもらっても意味ないんだけどね」


「ちょっと見てみたかったけどね」


「イケメン俳優とかをモデルにしてね!」


「話が脱線してきてます……」


 矢継ぎ早に紡がれた作戦会議も意味を成さず、奇妙な沈黙が流れた。

 実際のところ、手詰まりに思えてならない。アイデアの一つ目が飛行船になってしまうほどに、どうしようもない状況なのだ。大人しく、社長が奇跡を起こしてくれることを信じて待つしかないのだろうか。

 沈黙を破ったのは、つい口から出てしまったかのように、ポロっとこぼれた麻子さんの一言だった。


「SNSは?」


 また安直な案をと意見しようとしたが、いや待てよ、と思いとどまる。

 車谷は今海外にいるはずで、その唯一の上司はガラケーが使えないほどに機械やネット関係に疎い。それにSNSでなら、うまくいけば多くの地域の多くの人に情報を届けることができる。


「それは、もしかしたらいい案かもしれません」


 真美さんと涼子さんも同じ意見なのか、神妙な顔で頷く。

 麻子さんはそこまで考えて発言したわけではなかったのだろう、誰よりも驚いた顔をしていた。

 真美さんが難しい顔で、腕を組んだ。


「でも、SNSってそんなに簡単に見てもらえるもんなの?」


「さあ、俺もそんなに詳しいわけではないので」


 涼子さん、麻子さんも、私と同じようなものなのだろう。煮え切らない様子で首をひねった。

 てきぱきと針を動かしていた春さんが、その手を止め、ゆったりと口を開いた。


「いきなりは難しいねえ。フォロワーっていうのは急には増えない。初めは地道に増やしていくしかないんだよ。一定数を超えたら、そこからはグンと伸びるんだけどねえ」


 四人で一斉に春さんを見る。全員が同じことを考えているのだとわかった。

 見え始めた小さな火をかき消してしまわぬよう、おそるおそる尋ねた。


「ちなみに春さんはフォロワー何人なんですか?」


「え、私かい? 何人だったかねえ」


 春さんは動きづらそうな様子で、おもむろに立ち上がると、襖を開け、部屋の奥に入っていった。四人で顔を見合わせて、頷き合うと、慌て始めた心臓を刺激しないように、四つん這いで春さんの後に続いた。

 襖の向こうは、なんというか、予想とは随分と違った。老人臭さのようなものは一切なく、ひどく若者的な部屋だった。L字型のデスクの上には三台のモニターが並び、机のすぐ下に置かれたパソコン本体は様々な色に発光し、未来的な雰囲気を醸し出している。部屋を見渡すと、天井の隅にスピーカーらしきものも確認できた。とても還暦を超えた老人の部屋だとは思えない。床が畳でなければ、春さんの家にいるということを、私自身も忘れてしまいそうだった。


「今は七万人と少しだねえ」


 春さんの声に我に返り、おずおずと立ち上がり、春さんの操作する画面を覗いた。

 画面には春さんのSNSのページが開かれており、ポップな柔らかい文字で、春さんの過去の投稿が映し出されていた。趣味に関してや、今日の出来事などを投稿しているらしく、フォロワーからの反応も多いようだった。フォロワーの欄を見ると、確かに七万を超える数が表示されている。


「すごい! 春さん大人気じゃん! 春さんが宣伝したら人がいっぱい来ちゃうね! 問題解決だよ!」


 麻子さんが興奮冷めやらぬ様子で小さく飛び跳ねた。涼子さんが麻子さんの頭を軽く叩き、諌める。


「ちょっと、麻子。まずは春さんに宣伝に使っていいか聞くのが先でしょ」


「構わないよお。役に立てそうで嬉しいわあ」


 春さんは嬉しそうに目尻を下げた。

 目を見開いていた真美さんが、少し険しい顔を春さんに向ける。


「ねえ、春さん。教えて欲しいんだけど、このアカウントで宣伝したら、十分な人が集まると思う?」


 春さんは穏やかな顔をわずかに陰らせた。言いづらそうに口を開く。


「正直、厳しいかもねえ。反応はしてくれるかもしれないけど、来てくれる、となるとねえ。実際に来て欲しかったら、そういうことが好きな人のところまで届かないと意味がないのよ。……何かもっとインパクトがあれば、私のフォロワーからどんどん広がって、もっとたくさん、何十万人にも届くと思うんだけどねえ」


「インパクト……。自然の中で花火や出店、では足りませんか?」


「その宣伝を見た人は面白いと思うかもしれないけど、そこで止まると思うねえ。誰かに伝えたいと思うようなものがないと。特に若い子に刺さるものがいいねえ」


 全員で頭を抱え、唸った。

 春さんのアカウントで場所と内容を宣伝するだけでも、価値はあるとは思う。だが確かに春さんの言う通り、それだけで十分な人数が集まり、話題になるかは微妙なところだろう。ただ人を集めるだけではなく、それが世間に届くほどにまで広がってもらわなければ意味がない。せめて話を聞きつけた地元テレビ局くらいには来てもらいたいところだ。

 緊迫した静けさが場を包む。あと少し、あと少しなのに、その少しを埋める何かが見当たらなかった。

 春さんのパソコンが発する排熱音が、こちらを焦らすかのように部屋に満ちた。


「おーい! シロちゃんいねえか! ちょっと見てくれ! おーい!」


 窓の向こう側から、豪快で大きな声が聞こえた。誰の声かは考えるまでもない。

 私がため息を吐くよりも早く、真美さんが舌打ちとともに窓を開け放った。


「ちょっと、シゲさん。本当にうるさい。今、真面目な話を――」


 真美さんは不自然に言葉を止めると、言葉と一緒に動きも完全に止めた。どうしたのだろうか。不審に思い、私も窓に近づく。


「シゲさん、見せたいものは後で見ますから、今は大人しく――」


――目の前にあるものがなんなのか、すぐには認識できなかった。


 それが屋台であるのだと理解した瞬間に、この場に不釣り合いなほどの感動が溢れた。

 それは屋台だった。村人たちで作り上げた、簡素で、温かみのある。ついさっきまではそうだったはずだ。それが今では、様々な動物、人、木々に太陽、それらが美しく入り乱れる楽園に変わっていた。人や動物は、その表情だけで何を考えているのかまでわかるようで、木々に実る果物は今すぐ手を伸ばしたいほどに熟れている。この距離で太陽を見ているのに、目が潰れていないことが不思議でならなかった。

 もちろん、これはシゲさんの彫刻だとすぐに気づいた。それなのに、これが彫刻なわけがない、と脳よりもっと深いところで否定される。そういう作品だった。


「シロちゃん、これどうよ! 余裕がありそうだし彫ってみた! 良さそうだったら、ほかのも彫ろうかと思うんだけどよ」


 誰もシゲさんに言葉を返さず、場が静まり返った。またパソコンの排熱音が迫ってきたが、焦らされているようには一切感じなかった。

 シゲさんがおろおろとし始めたので、何か言ってあげなければ、と言葉を探した。だが、私が言葉を見つけるより早く真美さんが口を開いた。


「……シゲさん。これめっちゃいいわ」


 真美さんを皮切りに、私、涼子さん、麻子さん、それに春さんからの称賛が飛んだ。不安げだったシゲさんは自慢げに胸を張った。

 春さんは自分のスマホでパシャパシャと何枚も写真を撮り、撮った写真を人差し指でスライドさせながら満足げに眺めている。そのまま、しみじみと感じ入るように言った。


「いいねえ。これはどんな人が見ても感動するだろうねえ。実際に見れて嬉しいねえ」


 その瞬間にアイデアが沸いた。ハッと全員の顔を見渡す。ほかの三人も同じことを思ったようだ。


「春さん、これって誰かに伝えたいってなるし、直接見たいってなりませんかね?」


 春さんは軽く目を見開くと、すぐに顔を綻ばせた。


「絶対なるわねえ」

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