第15話
企画が通ったということは一応会社の正式なプランではあるが、こんな大きな企画をほかの社員に怪しまれずに実行することは不可能だ。そこで会社を通さず、秘密裏に行うことに決めた。もともと存在すらも怪しいような支店でのことで、なおかつ社長も味方だ。ばれることはないだろう。
とりあえず、物資がなければ始まらない。車谷に怪しまれない程度に必要な物資を依頼した。そうはいっても、屋台など必要なものはほとんど自作するつもりだったので、案外必要なものは少なかった。木材にするための木々は溢れるほどに周りにあるし、制作に必要な道具も重機を含めてすべてシゲさんが持っていた。車谷に見つからないように、部品単位に分けて作成し、隠した。
老若男女を問わず、皆で協力した。男性陣はもちろんのこと、村のお姉様方、更には子供たちも大変な戦力で驚いた。自分が何をしているのか理解しておらず、釈然としなさそうな千花と、思うように体を動かせず申し訳なさそうな春さん以外は文化祭のような雰囲気で顔を輝かせながら作業に当たっていた。
なので、持ってきてもらう必要があったものはほとんどが食料で、少しずつ食料を多めに依頼し、事務所の巨大冷凍庫に保管した。冷凍庫の容量にはまだ余裕はあったが、それでも十分とは言えない。そこで、祭りに不要な食品は宴会と称して数日がかりで村人で消費し、祭り用の食材のためのスペースを確保した。千花は突然の豪勢すぎる宴会に驚いていたが、楽しい雰囲気と酒で訝しむ気持ちはどこかに飛んでしまったらしく、間違いなくその場にいる人間の中で一番楽しんでいた。食料を消費するのは思った以上に大変ではあったが、その笑顔を見ると、決心してよかったと、準備の段階にも関わらず思ってしまった。
そして今日は対車谷の一つ目の関門に挑む。脇の下と額に嫌な汗がにじんだ。昨日の夜から息を吸えども吸えども、体に酸素が行き渡っている気が全くしない。
「シロちゃん、そんなに心配すんなよ。俺がうまいことやってやるからよ」
シゲさんが私の背を叩き、豪快に笑った。
「シロちゃんの不安は、シゲさんがいるせいのような気もするけどね?」
真美さんが、からかい混じりの冷ややかな目をシゲさんに向けた。
シゲさんが「そうなのか?」と子犬のような表情を向けるので、私は慌てて首を振った。
「いえ、十分頼もしいです」
今日は勝負の日。私一人では不安だと判断し、車谷の出迎えにシゲさんと真美さんも一緒に来てもらった。真美さんの冷静さは素直に心強かったし、シゲさんだって私の精神安定剤としては正常に機能している。
「シロちゃんがそう言うならいいんだけどね。――来たね。シゲさん、ちゃんとやってね。シゲさんが自然に言えたら、それが一番それっぽいんだから」
シゲさんは、真美さんの念を押すような言葉に、自信満々に「おうよ」と胸を張った。私はシゲさんのあまりに自信満々な様子に微かに不安を覚えたが、それを払拭する間もなく、ヘリは着陸した。
「……村の方々の手を煩わせるのは、極力勘弁していただきたいんですがね」
車谷が呆れたような声で言った。問題児を見るかのような視線がチクチクと胸に刺さる。私は心の中で何度も車谷に謝った。
「俺が頼んだから、シロちゃんを責めねえでやってくれや」
シゲさんが一歩、車谷に近づく。舞台で話しているかのような不自然な大声と、台本を読んでいるかのような棒読みに、車谷は怪訝な目を向けた。台本の一行目からシゲさんはこんな状態だ。不安がさらに高まる。
「比嘉さんもですか?」
「真美って呼んでよ。お気に入りの名前だからね」
「……はあ。真美さんも何か言いたいことがあって来たんですか?」
「いや、私もシゲさんと同じ用件よ。シゲさんがちゃんと言えるか心配でね」
真美さんは完璧だ。アドリブまで挟み込んでいる。シゲさんの不自然さが頭から消えてしまうかのようだった。真美さんの演技に励まされながら私も続いた。
「実はですね、シゲさんたちがどうしても欲しいものがあるらしいんですけど、流石に難しいと思って止めたんです。そしたら自分で頼むから同行させてくれと」
車谷の目が瞬時に鋭くなり、私を射た。予想してはいたことだが胃が痛くなった。
「それを判断することはあなたの仕事ではありません。大隈さん何が必要なんですか?」
「八尺玉が欲しくてよ!」
シゲさんは何かを宣言するかのように声を張り上げた。棒読みではなくなったが、声量が相変わらずおかしい。だが、車谷はそんなことが気にならないほどに面食らったようで、見たことがないほどに目を見開いていた。
「八尺玉ですか? かんしゃく玉の間違いではなくて?」
「おう! 八尺玉だ。それと打ち上げるための装置もな」
「……一応聞きますが、いくつ欲しいのですか?」
「たくさんだ。八尺だけじゃなくて、小さいサイズのもあってもいいな。種類もたくさん。柳が俺は好きだ。牡丹もきれいだよな」
いらぬアドリブを入れ始めたシゲさんに、心の中でやめてくれと頼んだ。ぼろが出る前に台本に戻ってくれと。
しかし、シゲさんはどこか自慢げな顔でふんぞり返っている。自分にもアドリブはできるのだとでも言いたいのだろう。真美さんの冷たい目線には、気づいていないのか、気づかないふりをしているのか。
冷静さを取り戻した車谷が簡潔に問いかける。
「……なぜ?」
「そりゃ、もちろん思い出作りよ」
車谷は数秒シゲさんの顔をジッと眺めたが、小さくため息をついて言った。
「なぜ打ち上げ花火なんですか?」
「盛大に思い出を作りたいと思ってな」
「それは村人の総意ですか?」
「もちろんよ。全員で話して決めたことに決まってる」
「でも、花火師を呼ぶこともできないわけで、何人かは打ち上げる側に回らないといけないですよね?」
「え? ま、まあ、そうだな」
「ちゃんと打ち上げができる保証もない」
「それは、あー、まあ、そうかもしれねえ」
「ただ、失敗するだけならまだしも、怪我をするかもしれないですよね?」
「それはー、可能性は、ゼロとは、言えないかもしれねえ……」
「皆さんに危険なことをさせるわけにはいきません。手持ち花火にするか、ほかのことで思い出を作ることはできませんか?」
シゲさんは車谷の正論の嵐にシュンとして、押し黙った。もう台本からもかけ離れてしまっている。失敗か、と私も内心項垂れた。
「車谷さん。あんたの言うことはよくわかるよ」
突然、言葉を発したのは真美さんだった。真美さんはどこか遠くを見つめるようにしながら、しみじみと話し始める。
「危険だし、馬鹿なことだ。いかにもシゲさんが考えそうなことだろ? でもね、私らはやりたいって言ったんだ。全員がだよ」
車谷は真剣な眼差しで真美さんを見つめた。真美さんは芝居がかった様子で、しかし誰もそうとは思わないほど自然に小さく息を吸い、続けた。
「私らは、馬鹿みたいな境遇で、馬鹿みたいな現状でしょ。あ、不幸だなんて思っちゃいないよ? 車谷さんたちが私らのために良くしてくれてるのはわかってるし、心の底から感謝もしてる。私らは幸せもんってことは間違いないね。でもね、やっぱり、馬鹿みたいな運命だから、馬鹿みたいなことをして、誰にも真似できないような、自分たちだけの馬鹿みたいな思い出を作りたいのよ。……それにどうせ死ぬのに、いまさら危険も何もないでしょ?」
真美さんはそう言うと優しく、そして寂しげに微笑んだ。
真美さんの言葉にいくらかの本心が含まれていることは明らかだった。真美さんの言っている嘘も、しようとしている本当も、結局のところは小さな抵抗なのだ。馬鹿みたいなことをしようとしている。自分たちのために。そのことに嘘はない。
車谷は考え込むように俯いていたが、決心したように顔を上げた。
「次回までに用意しておきます」
飛び去るヘリを眺めながら、三人でハイタッチを交わした。
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