認められたいこと 2.

「街で作ったものなんだよ」

 ペンダントを付けていた人はそう教えてくれた。街の珊瑚はあんなものばかりなのだろうか。僕はアトリエに飾ってある珊瑚を眺めた。珊瑚のペンダントとはまるで違っていた。同じものでも中身は全く違うもののように感じられた。僕の珊瑚もそれ相応の場所へ持って行けばあの人の見せたペンダントのようになるのだろう。けれど、そこまでして僕は珊瑚の姿を変えたくはなかった。僕はそのままの珊瑚が、秀でた部分も欠落した部分もまるごと抱えた珊瑚が好きだった。

珊瑚のことを考えるほど、僕の意識は街から遠のいていく。逆に言ってしまえば珊瑚を考えているとき以外は街のことしか考えていないのだ。それだけ、僕は街に囚われていた。

 僕は珊瑚に気を取られながらアトリエの隅に布をかけているキャンバスを取り払う。中には今描いている途中の絵が立てかけられている。街を題材にした絵だ。ひしめく民家、高層ビル、たくさんの店、そして絵描き。それら全部をごった煮にしてキャンバスにぶち込んでいる。勢いがあるといえば聞こえはいいが、ただがむしゃらに書き殴ったといった方が正しいのかもしれない。

 僕は街を思わずにはいられない。その衝動をキャンパスにぶつけた結果がこれだ。もう何枚も街の絵を描いている。そのどれもが勢いに満ち、そして美化されたものだった。出来上がる僕の街はどれも夢が一人歩きして、空想が踊っている。僕は結局何一つ本物は描けなかった。

 僕は油絵の具のパレットを持ち出すと珊瑚のランプがアトリエを照らす中で書き殴られたそれに筆を落としていく。この絵もまた、夢の一人歩きで作られたものだ。僕の頭の中の街だ。本物の街を何一つ知らず作り上げられた虚構の街だ。

 テレピンで溶いた絵の具を薄く塗り重ねていく。書き殴られた虚構の街が息づいて意思を持っていく。ひしめく民家に彩りが、そびえ立つ高層ビルに頑なさが、店には息遣いが、そして絵描きには生臭さが表れる。

 僕は時間を忘れて絵と向かい合っていた。ペインティングオイルでテレピンの上から色を乗せていく。にわかにざわめいていた街の一部一部が落ち着いてくる。しかし僕の中に溢れている街への思いは落ち着くことなど無かった。思いは揺らぐことなくしかし様々な形になって僕から溢れ出ていく。それは喜びであったり、執着であったり、怒りであり悲しみでもあった。

 次の日、僕はまたいつもの場所へ絵を売りに行った。描き散らした街の絵を持って。いつものように岩に絵を立てかけて、折りたたみの椅子に座って誰かが通るのを待つ。魚ばかりが通り過ぎて、人は誰一人通らなかった。静かな水の音だけが聞こえる中で、日だまりを遮り船が通り過ぎていった。

 太陽が昇りきってからようやく一人のお客さんが現れる。僕の絵をいつも見てくれる常連さんだ。常連さんは僕の絵を一通り眺めた後こんなことを言った。

「最近は街の絵ばかりだね」

 常連さんはそれからこう続ける。

「そんなに好きなら街に行けばいいのに」

 僕ははっとした。僕は街を夢見てはいたが街に行くことの算段は何一つ考えていなかった。

「隣の子は街に行ったのにね」

 隣の子とはずいぶん前に僕の隣で絵を売っていた人のことだ。ある日ここを出ていくと言ったきりいなくなってしまった。その頃僕は街を知らなかったから、隣の子がどこにいったかなんて知る由もなかった。街へ行ったのを知ったのはしばらくして常連さんに教えられた。

 常連さんはその頃から僕の絵を見て、よほど気に入ったものがあれば買っていく変わった人だった。僕と常連さんの付き合いは長い。

 その常連さんがなぜ君は街に行かないのかと問うても僕は行けないとしか答えられなかった。僕は海の底に縛られている。外れない鎖に縛られここから出られないのだ。外れない鎖は誰にも見えず、僕にしか切ることができなかった。そして、僕は鎖を切ることができない。

 なぜかと問われれば答えは一つ。僕が海にしがみついているからだ。僕は自分で自分を解放することができない。誰かが僕を海の外へ、街へと連れ出してくれる訳でもない。僕は自分で自分の首を絞めているのだ。それを知っていてなお僕は首を絞めるのをやめない。

 海から出ようともせず出してくれる人もおらず、僕は海の底に沈んでいく。本当は街なんて知らずに海の底にいるのが幸せなのかもしれない。意識しなくても海が自分の場所だと知っているからなのかもしれない。

 夕闇が辺りを飲み込んでいく中で今日も売れなかった絵をしまっていく。ずっと売れないでいると妙な愛着が湧いてしまうものだ。慣れた手つきで手に取った街の絵は、虚構と空想が混じり合ったどこにもない場所が描かれていた。アトリエへの帰り道、僕は囁きを聞いた。

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