人から相手にされないこと 3.

 楽しげに話す女子高生が羨ましくて、子供は話しかけたくなった。しかしハリボテの街しか知らない子供には彼女たちの話に入る資格などなかった。話しかけてもあしらわれるだけだろう。そう思うと子供は彼女たちが怖くなった。

 子供は包みを抱えたまま辺りを見回した。自分の隣に新聞を読むおじさんがいた。そのおじさんに話しかけた。おじさんは新聞から子供に目を移すと子供の顔よりも長く包みを見た。それから一言、

「包みの中身を見せてくれ」

 といった。子供ができないと答えると、おじさんは新聞に目を落とし子供のことを見ようとしなかった。子供がおずおずともう一度呼びかけるも、おじさんはそれを無視した。

 皆子供より包みが気になった。だが見せない以上興味は失せる。子供は一人になった。電車の中で、子供は湧き上がってくる泣きそうな気持ちを噛みしめてそれを紛らわすように包みを抱きしめた。

 二つ駅を進んだ。新聞を読んでいたおじさんが電車を降り、子供の隣に影が座る。影は座席の向こうに見える景色を眺め、視線を落としはしなかった。子供は包みを周りに関係なく包みを抱え続ける。

 電車が動き出し、風景が変わっていった。水平線が彼方に見える中で水面にぽつぽつと家が浮かび、電柱が沈む前の道を指し示すように立ち並んでいる。空の色が翳り始め、ほんのり色付いた日差しが窓に差し込んでくる。影を薄めさせ人の影を落とすその日差しはどこか寂寥とした空気を孕んでいた。

 電車の中に子供を見るものはいない。いくつもの駅に止まり、幾人もの人と影が乗り換えていく中で、子供に目を向ける者はいなかった。女子高生達が降りた。結局子供は街への何もかもがわからずにただ遠くにそれを見つめるのみであった。子供に声をかけた影はいつの間にか消えていた。何回も繰り返された乗り降りの中で子供も知らないうちにどこかに降りていってしまったのだろう。

 子供の周りの景色はすっかり変わってしまった。乗り合わせた人と影は皆それぞれ別の誰かに代わり、電車に乗ったときに見た人々とは変わってしまっていた。ただ変わらないのは誰も子供に関心を持っていないことだけだった。暮れていく光が冷たい橙色でもって水面を舐めるように照らす。水の照り返しが電車に水面の光を映していく。揺らめく光をかき分け電車は進んでいった。水面はどこまでも続いている。影を濃くしていくその日差しを背中に受け、子供はうずくまったまま動かない。子供の長靴の先がうっすらと透け始めていた。しかしそれを気に留める者はいない。

 空の半分が欠けるように暗くなり、水平線に眩しく照りつける夕陽がそれを届かない光でもって照らそうとしていた。電車はその光と影の間を突っ切るようにして進んでいく。影はより一層濃くなり、電車に乗る人々に深く陰影を残していた。膝から下が消えてなくなった子供は包みを抱えたままただ通り過ぎる電柱をその目に映していた。

 もう降りられない。自分でそうしたのだからもう降りる必要もない。黄色い雨合羽が橙の光に色づけられ、ほんの少し騒がしい沈黙の中で子供は引き裂かれそうな心地に耐えていた。これでいいのだと、何度も自分に言い聞かせた。

 昼と夜の境目を電車は渡り歩く。徐々に乗り降りする人と影が減り、電車の中は閑散となっていく。夕暮れから夜が顔を覗かせ、帳を下ろすように空に覆い被さっていった。光を遮る帳にはぽつぽつと穴を開けたように星が光り、水面に映るまでもなく空の上に滴っている。黒く滑らかな水面を電車の明かりだけが照らしていく。さながら光る箱のようにぽつりと進んでいく電車の横を色とりどりのネオンが通り過ぎていく。居酒屋、レストラン、バーにカラオケ店。海に沈んだ街の灯りはいつも電車の側につく。この街の灯りは高い場所にあるから電車の走る線路にも光が届くのだろう。低いところにある灯りはくらげのように水底に漂っている。見えてはいるのに決して届かないその灯りは黒い海の中でほんのりと色付いている。水の中の星は空の星と同じく手には届かないものだった。電車の中には子供の黄色い雨合羽の背中が一つあるのみだった。

 電車はまた駅に止まる。開いたドアから入ってくる者も出ていく者もいない。ホームの灯りがもの悲しく辺りを照らす。降りておいでと子供を誘うかのように冷たい光の腕を伸ばしていた。その光は子供の黄色い雨合羽を照らす。エナメルのように雨合羽が光るも、子供は面を上げず、その光を無視した。

 ブザーが鳴り、子供を繋ごうとする光はドアに遮られる。これが最後だったかもしれない。けれども子供はまばらになった人と影に目を向けていた。包みが子供の背中越しにはっきりと見える。だからといって電車に乗っている者は何も気にしていなかった。夜の帳は水面と空の境界を曖昧にさせ、夜一色で世界を塗りつぶしたかのようにも見えた。どこまでが水面でどこからが空かわからなくなっている中、その境目を目指すように電車は水をかき分けて進んでいく。ホームに着く度に誰かしらが降りていき、電車から人が消えていく。人がいなくなる度に膨張する静けさに子供は飲み込まれていった。話をすることも、人を見やることもない。人の乗る電車の中でただ子供はそこにおり、人は子供を見ることも知ることもなかった。

 電車の窓には浮き出たネオンが変わらず窓越しに自分達を見せようと自己主張している。赤い光黄色い光紫の光青い光、星の光とは違う作り物が電車の中を照らしていく。透けた子供の背中をネオンの光が通り抜け、洒落た灯りを床に落とした。

 包みを抱えた腕も消えかけている子供にはそんな洒落た灯りなどどうでもよいものだった。あれは結局『街』に似ているまがい物でしかない。海に沈んでいて『街』などと呼べるものか。結局海にいることしかできないのが子供だった。この電車は街へは行かない。知っているけれど子供はそれに乗るしかなかった。

 この電車がどこへ行くかなんて端から子供は知らなかった。

 墨色の水面を滑り電車が終点のホームに入ってくる。ヘッドライトの光の先は闇の中に飲み込まれ、揺らぐ水面はホームの明かりを受けて鈍く光っていた。電車にはもう誰も乗っていない。ドアが開き、車掌が電車内を点検し始めた。誰もいない座席の上に風呂敷包みを見つける。

「なんだろう、忘れ物かな」

 車掌は座席の上に置かれた風呂敷包みを手に取った。思ったよりも重く感じる包みに車掌は首を傾げる。車掌は包みを開けることなく忘れ物が一つとただ数えた。

 子供の姿は消え、残った包みもただの忘れ物だ。子供を知るものはもういない。

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