人から相手にされないこと 2.
子供は大人二人分ほどの距離を開けて細身の影の隣に立った。細身の影は微動だにしない。さっき迫ってきたふとっちょの影ももぞもぞと身じろぎするだけで歩いたり近付いたりすることはなかった。子供はまだ少し緊張しながらもホームに向かって立ち、線路を眺めた。駅舎は高く作ってあっても線路はそうではない。通ってきた道と同じく海に沈んでいた。駅舎側の線路のと向かいのホーム側の線路の間には深い溝があり、底が見えないほど深い青色に満たされている。たまにそこから魚が泳いで来て、ホームの線路の上をくるくると円を描くように泳ぎ回る。その魚はとても綺麗だが、決して捕まえることはできなかった。子供は魚のひれが羽衣のように水の中でたゆたうのを見るのが好きだった。捕まえてみたいと思ったことはある。しかし、釣り竿でも網でも捕まえることができなかった。釣り竿には端から引っかからないし、網の中に入ったと思ったらするりと通り抜けてしまうのである。子供は不思議でならなかった。なぜ捕まえられないのか聞いたことがある。
「夢を見ても夢をずっと捕まえておくことはできないだろう? それと同じ」
そんなまやかしのような言葉で子供の疑問は迷子になってしまった。それから子供は魚を捕まえるのをやめ、ただ眺めるだけになった。
鏡のような水面に風が吹くように静かな波紋が広がっていく。子供がホームから顔を出して遠くを見やると、電車がヘッドライトを照らしてこちらへ向かってきていた。波紋は広がり波へと変わる。静かなホームに水をかき分ける音が聞こえてくる。魚は皆逃げ出してしまった。
「まもなく電車が参ります」
駅舎の古びたスピーカーからアナウンスが流れた。子供は頭を引っ込めて電車が近付いてくる音と気配を感じ取った。そして間もなく水をかき分けて電車がホームに入ってきた。ドアが開き、人と影でまだらになった集団が降りてくる。駅舎の入り口にぞろぞろと切符を入れていく。疲れている男の人、足の速い影、楽しそうな男の子、無表情の女の人。わらわらと降りて電車の入り口が空いたところで子供は影の後をついていくようにして電車に乗った。
電車の中は降りてきた人達と同じで影と人がばらばらに乗り合わせていた。その乗り合わせた人達皆、子供の風呂敷包みが気になった。子供は空いていた座席にとんと座ると周りから注がれる視線から風呂敷包みを守るように自分の体で抱え込んだ。
「決して見せてはいけないよ」
言いつけ通り子供は誰にも見せないように体を丸めた。好奇の目線は止むことがなく子供に降り注ぎ、子供は居心地が悪くなる。それでも見せてはいけない言いつけ通り包みを抱え続けた。
電車が走り出しても子供は包みから体を離すことをしなかった。
「具合でも、悪いの?」
話しかけてきた影に違うと答える。
「どうしてそれを見せないの?」
見せてはいけないからと子供は答える。影は首を傾げて子供を見やり、変な子だと一言言ったきり電車の外に目を向けた。影の言葉を聞いた人達はまだ訝しげに子供を見やりながらもぽつぽつと子供から興味をなくしていった。
「見せられないものなら、知る必要もないね」
どこからかそんな言葉が子供の耳に届いた。どうしてか、子供はその言葉にひどく傷ついた。当たり前のことを言われたようでいて、誰かが確実に自分を見なくなるその言葉が子供の心にに割れたガラス片の如く刺さった。電車がごとごとと音を立てて進んでいく。進む度に人々の子供への関心は薄れ、子供の存在は希薄になっていった。
子供はつまらなく感じた。そして人恋しい気持ちになった。好奇の目を向けられていた時に戻りたいとふと思った。子供は顔を上げる。電車は果てなく広がる水面の上を走り続け、電車の中は乗ったときと変わらず人と影がまばらに乗り合わせていた。ただ違うことといえば、誰も子供に目を向けなくなっていたということ。ふと話し声が聞こえる。子供の座っている座席から少し離れた電車の脇に、何人かの女子高生がたむろして話していた。
「今度また街に行くんだー」
「いいな~、街行きのバスって高いんでしょ?」
「海がない山にあるんでしょ、いいなー行ってみたい」
自慢気に話す中で話を聞いていた一人が羨ましそうに言う。街の話は聞いたことがある。ここにはないものがたくさんあって、会えなくなった人とも会うことができるという。雨が降っても海ができない山という所にあるらしい。
「お前は街に行けないよ」
けれどもその一言で子供の街への道は閉ざされていた。興味だけが先走り、街のことを聞いて回っていた矢先にかけられた言葉だった。お前はここから離れられないと言われ、子供自身もそうだと思い続けていた。だから街への興味はどんなところかまでで切れていた。子供の知る街は見てくれだけで本物は何一つないハリボテの『街』だった。
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