短編集

小野崎ともえ

人から相手にされないこと 1.

「決して見せてはいけないよ」

 そういわれて子供は風呂敷包みを渡された。子供は中に何が入っているかは知っているけれど、なんで見せてはいけないのかはわからなかった。

 昨日は雨が降っていたから、海ができていた。空は晴れていたけれど、水が引いていなかったから子供は黄色い長靴を履く。そしてお揃いの黄色い雨合羽を着ると、包みの他に首から小銭がいくらか入ったがま口を首から提げて、子供は送り出される。足首より上まで水に浸かる中で水をかいて歩いていく。駅から電車に乗るにはこの一本道をずっと歩いていかなければならない。水面は晴れ渡った空を鏡のように映し、まるでこちらが空の上に立っているかのような心地を覚えさせる。その水面を揺らし映る雲をかき消しながら子供は駅に続く一本道を歩いていった。遠く向こうには木造の駅舎が見え、駅舎の向こうには何もなく水平線が一本水面と空を隔てているのみだった。

 水をかきながら子供は駅舎へと歩いていく。ざぶざぶと水を切り歩く中で、道の遠くから舟の影が子供に向かってきた。浅い水底に器用に浮いたまま、水面を滑り水を切り裂く音が静かに子供の耳に入ってくる。子供の立てる大きな水音と舟の立てる静かな水音が交わり、舟は子供の横を通りかかった。その舟には妙齢の女性がバスケットを片手に乗っており、その舟の後ろの方には女性と同じ年くらいの男の人が船頭のようにして櫂を取っていた。女性はシフォン地の綺麗な花柄のワンピースを着ていて、風に裾が靡いて風を一層柔らかく感じさせた。

「あら、おでかけ?」

 女性は上品そうに笑いかける。子供がそうだと答えると男の人がはにかみながら言った。

「僕たちも二人でおでかけさ。今日は海ができたからね」

「ねえあなた、その包みには何が入っているの?」

 女性が子供に問いかけた。子供は言いつけの通りに見せられないと答える。

「残念ねぇ。そうだ、このバスケットの中身を教えてあげるからその包みの中身を見せてくれないかしら」

 そういって女性はバスケットを持ち出す。それでも子供は頷かず、包みを抱え込んだ。興味津々な女性に男の人が呆れたように話しかけた。

「ねえ、そうやって人のことばかり知ろうとするのはよくないよ。自分が持っているものが軽いものだからって、何でも人に見せて見せ合うのだって軽いことじゃないかな」

「でも、何を持ってるのかはみんなが知りたいでしょう?」

「だからって誰もが見せてくれるわけじゃないよ。ほら、早く向こうへ行かないと日が沈んでしまうよ」

 そういって男の人は櫂で水底のアスファルトをぐいと押した。子供と舟の距離がすうっと開けていく。

「君も気をつけるんだよ。誰が中身を知ろうとするかわからないから」

「私を悪いもの扱いするつもり?」

「そうじゃないさ。このバスケットの中身は君と僕だけ知っていればいいんだから……」

 男の人は最初子供に語りかけ、そして言い返す女性を窘める。その言葉は尾を引くように子供の背中のから向こうへ細く長く消えていった。子供はぽつぽつと立つ電柱にたまに気を取られながら歩いていく。十八本目の電柱を通り過ぎたところで駅舎の階段が見えてきた。駅舎は海ができても沈まないように他の場所より高いところに作ってある。子供は駅舎の階段を上り陸に上がった。

 駅舎は簡素な作りでホームも駅舎側と向かい側にしかない。それでもこの街では大きな方の駅だ。子供は乾いたコンクリートに長靴の足跡を残しながら入り口のすぐ横にある窓口へ向かった。

「百四十円です」

 子供のいる駅舎には券売機がないから窓口のおばさんから切符を買う。おばさんの言った金額だけがま口からお金を出すと、ちょっと背伸びをして窓口の小銭置きにじゃらじゃらと小銭を置いた。おばさんの指輪をした手が伸びてきて小銭をさらい、代わりに片道切符が差し出される。子供はそれを手に取ると駅員さんが立っているホームの入り口に向かった。

「一人でおつかい?」

 駅員が切符を切りながら何とはなしに聞いてくる。子供はそうだと頷いて、そそくさと駅員から逃げるようにホームへと出た。ホームは二、三人の影が立っているだけで他には誰もいない。子供の乗る電車は駅舎側のホームだ。向こうのホームは子供が生まれるずいぶん前から使われていない。なぜなのか子供は知らないし、誰かが教えてくれるわけでもなかった。

 子供はきょろきょろと辺りを見回す。ふとっちょの影がぬっと子供に近付いた。子供は慌てて影の横をすり抜けると影を遠ざけるように走った。そうして少し駅舎から離れたところで子供は風呂敷包みを抱えたまま雨合羽のフードを被る。影は追ってこなかった。子供は何度か離れた駅舎の入り口を見ながら少しずつぬらりと立っている影に近付いていく。ふとっちょの影は別の細身の影の隣にいた。子供から見れば奥の方にいる。また近付いて来やしないかと子供は少しおっかなびっくりに影へと距離を詰める。自分は小さいから電車に気付いてもらえないかもしれない。だから影と一緒に乗るのだ。

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