第7話
それからしばらくは穏やかな時間が流れた。メロウは時おり実家に帰宅して、エーファに小言と食べ物を貰って帰ってくる。その愚痴を聞く時間が、ゲシュペンストは大好きだった。
ゲシュペンストの仕事は、ラントゥルに教わった知識で薬を調合することだ。調合した薬はラントゥルが生きていた頃からの得意先である『モノ』たちが欲しがる。それらは人間か悪魔か天使かゲシュペンストにもわからないが、欲しいと来る『モノ』に売って暮らしていた。
ゲシュペンストは赤子の頃に森の魔女ラントゥルに拾われた。一緒にいた時間は長かったが、彼女のことはよく知らない。生まれたときは人間だったらしいが、ゲシュペンストにとっては魔女だった。拾われたからといって親のように優しく育てられた訳ではない。ラントゥルは赤子のゲシュペンストを手のかからない年齢まで魔法で無理矢理成長させて、召し使いとして、奴隷として扱った。ラントゥルとってゲシュペンストは使役動物と変わらない存在だった。
そんな中、人間に恋をしたラントゥルは、その人間によって殺された。ゲシュペンストもたまに夢に見てうなされるほど、大きな魔女狩りだった。
ラントゥルが狩られたあの日ーーーゲシュペンストは異様な空気を肌で感じた。外を見ると、暗い森に幾人の松明が、まるで大きな蛇のように揺らめいていた。みんな、なにかを喚きながらラントゥルの小屋へと向かってくる。小屋へは結界が張ってあり、「鍵」を持っていないと入れないはず。にもかかわらず、人間たちは入ってきた。
ラントゥルは逃げなかった。扉を開けた男たちは、魔女だと罵り暴力を加えながら、彼女を捕まえて縄で縛った。ゲシュペンストは隣の部屋にいて、その集団の恐ろしさに震え上がった。そして、普通の人間くらいなら一人でも立ち射ちできるはずなのに、ラントゥルは魔法で抵抗せず大人しく捕まっていた。
あの時、壊れた扉の隙間から見たラントゥルは、いつも綺麗にしていた黒髪を乱し、いつも真っ赤な口紅を付けていた唇を青くし、悲壮な顔だった。それがゲシュペンストが彼女を見た最後だった。
見付かったら殺されると思い、ゲシュペンストは人間たちの隙を見て小屋から逃げ出し、森の中をひたすら走った。
途中、人間に見つかり追いかけられ、火矢で追い立てられた。頬の傷はそのときにつけられたものだ。幸い、雨が降ってきて、姿をくらますことができたが、その三日後、訪れた悪魔の使いからラントゥルが磔にされて火炙りで処刑されたことを知った。
ラントゥルの小屋は燃やされた。灰になった家の亡骸を前に、ゲシュペンストは膝を付いた。ようやく魔女から自由になれたゲシュペンストは、恐怖と言う概念を植え付けられた。
人間は弱い。弱いくせに怖い、ゲシュペンストはそう身をもって学んだ。
しかし、今、隣ですやすやと寝ているメロウは人間だ。
メロウの両親も、ゲシュペンストが姿を変えて会った時は、優しく迎えてくれた。もしかしたら、メロウのようにありのままでも迎え入れてくれるのではないかと希望を持ってしまった。けれども、ゲシュペンストはそこまで楽観的ではない。
それはゲシュペンストのただの願望であって、もし、ゲシュペンストが化け物だとわかったら、彼らも掌をかえて、自分を捕まえに来るはずだ。
「メロウ……」
メロウだけが、ゲシュペンストにとって、唯一のありのままの自分を受け入れてくれる人間だった。
森の中の孤独な化け物が、そんな子供を愛さないなんてことはできるわけがなかった。
「メロウ……私の、宝石……」
本当は宝箱に鍵を付けてしまっておきたい。外に出ないでこの家に閉じ込めたい。誰にも、見せたくない。自分だけのメロウでいて欲しい……ゲシュペンストはそうっとメロウの腰を抱いた。
「愛している」
その、赤い瞳には、メロウにはまだない情欲が浮かんでいた。
メロウが肉を焼いているとき、ビアンカが家を訪ねてきた。ビアンカはゲシュペンストからいつも通りに薬を貰う。そして、いつもはすぐに帰るのに、今日はメロウの側に来た。
「こんにちは、メロウ」
ビアンカは常に笑っている。この美少年は、メロウが出会ったときから外見は変わらない。成長というものが、ないのだろう。
「ゲシュペンストと一緒に、住んでるんだってね」
「うん」
「化け物と、一緒にいるのはどういう気持ちだい?」
「毎日が、楽しいよ」
そう言うと、ビアンカは目を輝かせて笑った。
「ああ、なんて君は愚かでおかしいんだい?僕はそういう人間が大好きなんだ!」
「ビアンカ、用がすんだら帰れ」
ゲシュペンストがビアンカから受け取ったものを隣の部屋に置いて帰ってきた。そして、軽く威嚇をする。ビアンカは気にすることなく、メロウの唇に人差し指で触れた。
「まだ、ゲシュペンストとは関係していないのか?」
「関係?」
「君はとっても美味しそうだからね。ゲシュペンストもそろそろ限界だろうに。まだ幼いメロウ、可哀想なゲシュペンスト」
「何を言っているの?ゲシュペンストは僕といて何かを我慢してるの?」
「ビアンカ、帰れ」
ゲシュペンストが本格的に怒り始めた気配を感じたのか、ビアンカは高笑いしながらその場で消えた。目の前で消えたのは初めて見たメロウは驚いて瞬きをする。
「消えた」
「……気にするな、メロウ」
「ゲシュペンスト、僕といて我慢してたり、嫌なことがあったりするの?」
メロウは肉を皿に乗せて、ゲシュペンストを見る。ゲシュペンストは眉を寄せて、少し考えた後、首を横に降った。
「ない」
「本当に?」
「ビアンカは悪魔だ。惑わされるんじゃない。やつの言うことは半分が嘘で、半分が悩ませることだ。お前をからかって遊んでいる。考えるだけ時間の無駄だ」
「………ゲシュペンスト、何か隠してるだろ」
「隠してない」
ゲシュペンストは、この話は終わりとばかりに背を向ける。メロウは焼き立ての肉を持ち机に向かうが、心の中ではもやもやが残った。
その深夜、ゲシュペンストがベッドの隣に入ってくる気配でメロウは目を覚ました。
「ん」
「起こしたか?すまない」
ゲシュペンストが布団をかけ直してくれる。そして、ポンポンとメロウの頭を撫でてくれた。気持ちがいい。メロウは目をつぶり、しばらくその大きな手のひらの熱を感じていたが、ふいに昼間のことを思い出し、目を開く。
「ねえ、ゲシュペンスト」
「なんだ?」
「今日の、ビアンカの話だけど……」
「…………」
「僕に、嘘はつかないで。何を我慢してるの?」
「その話は、忘れろ。大丈夫だ」
「僕が大丈夫じゃない」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない」
はぁ、とゲシュペンストはため息をつく。こうなってしまったら、メロウは納得するまでこの問答を続ける。頑固で子供っぽいのだ。ゲシュペンストはメロウの目を見て、言った。
「……私はお前を愛している」
「僕もゲシュペンストのこと好きだよ」
「お前の好きと、私の好きは少し違う。お前は私を見ても身体に触れたいと思わないだろ」
「そんなことないよ。抱きついたりするし」
「違う、だから……その……」
小さな頃から側にいた少年に、自分の欲情を伝えるのはとても恥ずかしい。それでも、可能性があるなら、受け入れて欲しいという気持ちが勝った。
「お前を抱きたい。逆でもいい」
「抱く?」
「男と女の交尾だ」
「僕もゲシュペンストも男だけど」
「知ってる。それでも繋がる方法はある」
ゲシュペンストはぐっとメロウの腰を抱いて、逃げないように腕の中に閉じ込めた。
「お前が、嫌がることはしない。流れで抱くのも嫌だ。お前が、もし本当に私を好きになってくれたら……許してくれるなら」
「………本当に好きだよ?」
メロウは首をかしげる。メロウとてセックスの知識はある。女性の股間に、自分にも付いてる男性器を挿入することだ。男同士でどうするのかは知らないが、ゲシュペンストができるというのであればできるのだろう。メロウは性欲が少ないのか、今まで夢精くらいで事足りていた。女の人の裸を見ても、あまり興奮しないことも理由だった。それよりも、狩りをして獲物を一人でとったり、ゲシュペンストに文字を習う方が楽しい。けれども、自分がいいよと言うだけでゲシュペンストの悩みがなくなるなら、してもいいと思った。
「してもいいよ?」
「……いや、ダメだ」
「僕がしてもいいって言ってるのに」
「メロウ、頼むから私を揺さぶらないでくれ。お前がそんなだから、私はいつも我慢しているのだ」
ぎゅっと抱き締められて、メロウはゲシュペンストの胸の音を聴く。トクトクといつもよりも早い鼓動を感じた。
「じゃあ、僕がしたいって思う日が来たら、してくれるの」
「……その日が、くれば、な」
ゲシュペンストのその消極的な答えに、絶対に来ないという意図を感じ、メロウは唇を尖らせた。
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