第6話

翌日、メロウはエーファとアデリナと教会に行った。聖水に手を浸し、十字架にキスをして、特に何の変化もない息子に、エーファはほっとしたらしい。当然だ。メロウはゲシュペンストに何もされていないのだから。

「だから言ったじゃないか。僕は何も変わってないよ」

「そうね、良かったわ」

「それに、ゲシュペンストは人間だよ。訳があって、森にいるだけで、本当は町に出たいんだ……一人は寂しいから」

稀に、ゲシュペンストは町にしか売っていないものをメロウに頼むことがある。前に、一緒に買いに行けたらいいのにとぼやいたら「そうだな」と返ってきた。きっと、外見を気にして、外に出ないだけだ。


教会を出て、三人は露店に向かう予定だった。メロウはこっそり、母と妹の買い物から抜け出そうと計画を立てていた。

「アデリナの服の布を見に行くんだろう?」

「ええ」

「きっと長いから、僕、先帰ってるね」

「気を付けてよ」

アデリナの服を作るための布を選ぶエーファは優柔不断だ。長くかかるため、いつもメロウは他の買い物か、一人で家に帰っていた。その足で、家には帰らず森に向かう。このまま、行方を眩ますのもいいかなと思った。


「ゲシュペンスト、ただいま。遅くなってごめんね……あれ?いないの?」

ゲシュペンストの家に着くと、ゲシュペンストはいなかった。扉が、二つある。仕事中なのかもしれない。メロウは暖炉の前の絨毯に横になった。そろそろ春になる。ゲシュペンストは寒さに強いから、もう暖炉に火は入れないのかもしれない。うとうとと眠りに付きそうになったとき、ゲシュペンストが扉から出てきた。飛び上がって起きると、ゲシュペンストは少しやつれた顔で微笑んだ。

「おかえり、メロウ」

「ただいま。ねえ、大丈夫?疲れてる?」

「あぁ……夢見が悪くて寝ていないんだ。少し横になる」

「うん」

心配で、ベッドまで着いていく。

「添い寝、してあげようか?」

「いいのか?」

断られると思った冗談に、素直に答えられてドキリとする。いつも一緒に寝てるのに、意味のある添い寝は少し照れる。

「いいよ。何もやることないし」

「じゃあ、頼む。お前と一緒に寝るのは、心地がよい」

その言葉が嬉しくて、メロウは遠慮せずにベッドに潜り込んだ。



メロウが目を覚ますと辺りはとても暗かった。いつのまにか一緒に寝てしまったらしい。起き上がると、気配でゲシュペンストも目覚めた。大きなあくびをひとつして、そういえばとメロウは思い出したように言った。

「僕、家出してきたんだ」

「……どういうことだ?」

「だって、母さんも父さんもゲシュペンストの家に住むのはダメだって」

「それで黙って来たのか」

「うん」

ゲシュペンストは頭を抱えた。先程の具合が悪いせいではなく、何かを悩んでいるようだった。

「駄目だった?」

「駄目に決まってる」

「………ごめん。でも、ゲシュペンストに会いたいとか言われても、無理だから」

怒られてしゅんとするメロウを見て、ゲシュペンストはため息をついた。

「私が、お前の家族に挨拶すればいいのか?」

「うちに、来るの?」

「顔を替える」

ゲシュペンストはすっと自分の顔を掌で覆った。そして、下にずらすと、特徴ある顔が、普通の人間の青年の顔になった。角はなくなり、紅い目は茶色い目に、口の牙は八重歯のように、頬の傷だけは残っていた。メロウは悲鳴をあげる。そして、青くなりながらゲシュペンストの顔をペタペタと触れた。

「僕の好きな、角が……紅い目が……」

「………すぐ戻る」

ゲシュペンストは少し照れながら、もう一度同じようにして顔を替える。いつも通りの顔が現れてほっとする。

「すごいね、そんなことできたの?」

「あぁ、ただ長くは持たない。1時間……いや、半時だ。それ以上は難しい」

「大丈夫だよ、僕の家族に挨拶してくれるんだよね」

「あぁ」

「どうせなら女の子になってよ。そしたら一気に結婚の話もなくなるのに」

「体格を替える術は知らない。さあ、行こう」

ゲシュペンストは昨日メロウに奪われた自分のマントを羽織り、深くフードを被る。町の近くまで行ってから、顔を替える予定らしい。

「結界の外に出るのは何年ぶりだろうか」

「不安なら、僕が手を繋いであげるよ」

二人で出掛けることが嬉しいのか、メロウは上機嫌でゲシュペンストの手をとった。


町の近くに着いて、ゲシュペンストが人間の青年に替わる。メロウはゲシュペンストと堂々と町を歩ける嬉しさに足取りが軽かったが、家が近づくにつれて段々と気が重くなってきた。確実に、怒られる時間だ。

「遅くなっちゃった」

アデリナはもう寝ているだろう。家の扉をこっそり覗くと、リビングに明かりが着いていた。

「た、ただいま」

小声で挨拶をすると、すぐに「メロウ!!!!」とエーファの怒鳴り声が聞こえた。慌てて、ゲシュペンストの後ろに隠れる。ゲシュペンストもエーファの怒号に驚いて固まってしまった。

「貴方、何時だと思ってるの!!!どこに遊びに行ってたの!!!」

扉を開けたエーファは、鬼のような形相をしていたが、ふと、メロウが隠れている青年を見つけて少しだけ表情が和らいだ。

「あら、どなた?」

「母さん、ゲシュペンストだよ!」

「えっ、ええ?あなたが?」

エーファにとっても、驚いたことだったらしい。怒りを忘れてマジマジとゲシュペンストを見る。術はまだ完璧なはずだが、そんなに見られると緊張する。

「は、初めまして。ゲシュペンストです」

「あら、やだ、メロウ!!来るなら来るって言いなさい!!」

「だって怒るから」

「ったくもう。ごめんなさいね、ゲシュペンスト。来てくれてありがとう。会いたかったわ」

「ご挨拶が遅れてすみません。いつも美味しいパンをありがとうございます」

「いいのよ、さ、入って。メロウを助けてくれて、面倒見てくれてありがとう」

エーファはゲシュペンストに微笑んで、リビングへ通す。リビングでは、カザスがワインを飲んでいた。その横のソファーでアデリナが寝息をたてている。カザスはメロウを見て、にやりと笑った。

「メロウ、この言うことを聞かない坊主め。戻ってきたのか。そちらは誰だ?」

「ゲシュペンストです。こんにちは」

ゲシュペンストはカザスに笑いかけた。カザスは首をかしげ、思い出したようにあぁと目を見開く。

「あの時の………」

カザスはゲシュペンストと初めてあった時を思い出した。確か鋭い牙が怖かったのを覚えている。しかし、今目の前でにこりと笑う青年の口からは恐ろしい牙は見当たらない。暗闇の中、恐怖が増強して幻を見たのだろうか。

「数年前は、まだ森に来たばかりで、その、追い返してしまいすみませんでした」

「いや、あの時息子を助けてくれてありがとう」

エーファは棚からパイを取り出して、切り分けた。

「メロウが何も言わなかったからこんなもので悪いけど」

「いえ、結構です。もう家に戻りますから」

「僕も、一緒に戻る」

「メロウ!!貴方はまだお話があります」

「ねえ、母さん、大丈夫だよ。ゲシュペンストはいい人間だよ。僕もそろそろ独り立ちしたい」

「なにいってんの!人様に迷惑かけることのよ」

「いえ、私は……」

「大丈夫だよ、エーファ。好きにやらせとけ」

カザスは棚からワインを取り出し、ゲシュペンストに手渡した。

「君の仕事は?」

「薬を調合しています。主に漢方薬です」

「家庭は?君の年ならいるだろう」

「……故郷に婚約者がいます。体が弱くて、胸に疾患がありるんです。その病気を治すためにこの近くの森で薬の研究しています。治療薬ができたら、戻って結婚するつもりです」

「そうかい。なら、メロウにいろいろと教えてやってくれ。こいつは狩りがあまり得意じゃない。他に、得意なことを見つけてほしいんだ。メロウ、着いていってもいいぞ」

「父さん!」

「貴方!」

「エーファ、もうメロウも16歳だぞ。好きにさせとけ。だがな、あと2年したら、レオノーラでなくとも、家庭を持つと約束しろ」

「………うーん、考えとく」

メロウは母親からパイを手渡されて籠に入れる。最終的にカザスの考えに、エーファは文句しか言えないのだ。

「全くもう、そうやっていい父親面して!」

「落ち着け、エーファ。娘ならまだしも息子だ。強くせねばならない。可愛い子には旅を…って話だ。だが、メロウ、たまには帰ってきなさい。それに、ゲシュペンスト、今のところは君を信じよう。ただし、息子に何かあったら許さないからな」

「……肝に命じておきます」

ゲシュペンストは頷いた。エーファはまだ納得していないようで、プリプリと怒っていた。



両親から許可を貰い、メロウは鼻唄を歌いながら町を歩いていた。ゲシュペンストは疲れたのか、息が粗い。

「大丈夫?もう限界?」

「あぁ。あそこの影で戻していいだろうか」

「人通りも少ないから大丈夫だと思う。そのまま裏道を通って、森へ帰ろう」

暗い路地に入り、ゲシュペンストは顔を戻す。メロウはにこにこと笑いながら「やっぱりこっちの方がゲシュペンストの顔って感じがする」と腕に抱きついた。ゲシュペンストはフードを深く被り直し、ようやく肩の荷を下ろす。

「……婚約者の話、本当?」

「まさか、咄嗟のでまかせだ。私はいつも一人だった」

先程のゲシュペンストの婚約者の話を聞いたときから、メロウがそわそわしているのは知っていた。ほっとしたのか、メロウは穏やかな顔になった。

「母さんのパイ、美味しいんだよ」

「それは、楽しみだ」

笑うメロウを見て、つられてゲシュペンストも微笑む。夜の道、夜目が利くゲシュペンストも、メロウに意識を向けていたせいか、気付かなかった。



それを、影から見ていた人間がいたことに。



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