第5話

***


「レオノーラとの婚約を破棄する?」

エーファが驚いた声を出した。家にいたカザスも、驚きを隠せない顔をする。

「彼女には悪いけど、そもそもまだ口約束だけの正式な婚約じゃなかったし」

「それは……そうだが……でも向こうは積極的で……」

「僕が悪かったって伝えて。レオノーラは何も悪くないよ」

結婚の話は数日前に持ち出された話だし、互いの家族しか知らない婚約だ。レオノーラもメロウとの思い出はないに等しいだろう。先日のデートでは何もなかったし、執着もないはずだ。カザスはうーんと唸り、それから「わかった」と頷いた。

「ただし、それは直接、レオノーラに自分で伝えろ。お前の気持ちが、彼女に向かないのは仕方がない。俺もお前くらいの時は、女より友人と遊ぶ方が楽しかった時期があった。ただし、別れを告げるなら自分で真摯に対応しなさい」

「…………わかった」

カザスの言うことも正しい。自分の気持ちのせいで、結婚を取り止めになるのだ。怒られてこよう、メロウは優柔不断な自分が蒔いた種の後始末に、ため息をついた。


レオノーラに連絡を取ったら、今日の夕方に会ってくれることになった。待ち合わせした町で、今日は白に赤い刺繍を施したドレスを着ているレオノーラがいた。この前に買ってあげたネックレスをつけている。

「メロウ、今日はどうしたの?そのマント、背丈に合ってないんじゃ………」

「ごめん」

会った瞬間、メロウは頭を下げた。きょとんとするレオノーラと目を合わせて、メロウはずっと考えていた言葉を口にした。

「君とは結婚できない」

「えっ?」

「君はとても素晴らしい女性だと思う。ただ、僕が結婚する気が起きないのが悪いんだ」

「ちょ、っと待って。私と結婚するって知ってて付き合っていたのよね」

「…父から話を貰ったときに、断れなくて受けてしまったけど、僕はまだ誰とも結婚する気はないんだ」

「騙したの?」

レオノーラがふるふると怒りで震えた。ただ一回会っただけだったから、すぐにわかってもらえると思っていたメロウは逆に驚いた。

「私、数日前から花嫁衣装作り始めたのよ」

「……ごめん。でも君は魅力的だから、すぐ他の相手が見つかる………」

「馬鹿にしないでよ!!!」

レオノーラはメロウの頬を平手で叩いた。エーファにすらあまり叩かれたことがなかったメロウは驚いて口をポカンと開ける。口の中を切ったらしい。血の味がした。

「ご、ごめん」

「最低っ」

レオノーラはメロウを睨み付けた後、くるりと背を向けてそのまま走り去っていった。周りで見ていた通行人が「痴話喧嘩は家でやんな」とヤジを飛ばした。


レオノーラがあそこまで怒るとは思っていなかったため、ショックを受けて帰宅した。エーファはメロウの腫れた頬を見て、心配はしてくれたものの「女心を弄んだ罰よ」と笑って氷嚢を手渡した。カザスも夜、寄り合いから帰宅して、レオノーラの親から罵倒を受けたらしい。

「ごめん、父さん」

「仕方ない。俺もお前の気持ちを考えないで、嫁が来ることに浮かれていたんだ。話も聞かない人間なんて、こっちから願い下げだよ」

「それともうひとつ怒られるかもしれないけど、僕、ゲシュペンストの家に住もうと思っているんだ。たまには帰ってくるつもりだけど」

そう言うと、カザスとエーファは真っ青な顔になった。

「おい、まさか……それは……」

「許さないわ」

エーファはメロウの顔を両手で包み込んで、じっと瞳を覗き混む。

「か、母さん、何?」

「洗脳されたりしてないわよね?」

「自分の意思だよ!」

慌てて嫌々と首を降ると、エーファは泣きそうな顔になった。隣でカザスが頭を抱える。

「もしかして、お前はあの男が好きなのか?」

「好きって?恋愛って意味?」

「そうだ……」

「それは違うよ……でも、ゲシュペンストと一緒にいると落ち着くんだ」

「レオノーラじゃなくて、男がいいの?同性への愛なんて神に許されることじゃないわ」

「違う違う。父さんも母さんも、僕はゲシュペンストとそういう関係じゃないって」

慌てて、否定はしたものの、二人の目からは嫌疑が晴れない。二人とも信仰深いのだ。神の意思に反することは許されない。ゲシュペンストのことは好きだけれども、恋人として愛しているかと聞かれたらよくわからない。もちろん嫌ではないが、まだ一緒にいると楽しいという幼い感情だ。

「なら、今まで通り、家から遊びにいけばいいだろう」

「そうなんだけど……」

結界から締め出されたという話は難しかった。幼い頃父にポロッとこぼしてしまったが、魔力を使った行為は簡単に受け入れられるものではない。10年前のラントゥルのようにゲシュペンストが殺されないように守らなければいけなかった。

「………ゲシュペンストをここに連れてきなさい」

「それは無理だよ」

カザスの提案に、メロウは首を降る。ゲシュペンストは町に出てくることはない。

「なぜ、無理なんだ?前から思っていたのだが、本当にあの男は人間なのか?なぜ一人で森にいるんだ?あの森は魔女の住む森だった。人間の、居心地の良い居場所ではない」

「人間だよ。ゲシュペンストは森の中でしかできない仕事だから、あそこに住んでるんだ」

「メロウ、やはり魔女に洗脳されているんじゃ……」

「違うよ、変なことを言うのはやめてよ。ゲシュペンストは家族に捨てられた可哀想な人間だし、僕は彼との友情が大切だ。それでいいじゃないか」

「よくない!!」

カザスは机をだんと叩いた。

「お前はまだ幼かったから知らなかっただろうが、ラントゥルは惚れ薬を使って、人間の男を誘惑していたんだ。その、ゲシュペンストが魔女じゃないとなぜ言える?そいつの仕事で何をしているかお前は知っているのか?」

黙ってしまったメロウを、エーファは慰めるようにぎゅっと抱き締めた。

「明日、教会にいきましょう。呪いを解いてもらうのよ」

「もう二度と、森へは行くんじゃないぞ」

メロウは、何も言えずにただ抱き締められていた。


ゲシュペンストの家に帰ることを諦めて、メロウは自室に入る。そしてこっそりと荷物をまとめた。明日は、教会に行くことになってしまったけれども、それが終わったら内緒で森へ行こうと思っていたのだ。教会に行ったって何も変わらないのをメロウは知っていた。自分は別に暗示や呪いをかけられているわけではない。ただ、ゲシュペンストと一緒にいたいだけなのだ。

「はあ」

ベッドに横になると、窓の外に白い影がうつった。気になって窓を開けると、一羽の白い鳥が首をかしげて停まっていた。

「誰?」

鳥が再び反対の方に首をかしげる。そして、中に入ってきたかと思うと、羽を広げ羽ばたいた。

「わ、何っ……」

羽が舞う中、一瞬にして目の前の鳥が少年の姿に代わる。メロウの知っている人物だった。小さい頃からたまにゲシュペンストを訪れる、恐らく人間ではない少年だ。恐ろしいほどの美形だった。

「ビアンカ」

「ごきげんよう、メロウ。お前が帰ってこないとゲシュペンストが寂しがっていたぞ」

「本当?」

すぐに帰ると言った。嘘をついてしまった。しょぼんとしているメロウに、4年前から変わらない姿のビアンカがクスッと笑った。

「君に、取引を持ち掛けに来たんだ」

「取引?」

「ゲシュペンストと一緒にいたいか?」

「うん」

「女になりたいか?」

「ううん」

「即答だな」

ケラケラとビアンカは笑った。そして、ポケットから小瓶を取り出す。その中には紫色の液体が半分ほど入っていた。

「いつもゲシュペンストから受け取っているこれは何だか知っているか?」

「知らない」

「これは、一般的に言う惚れ薬だ。これを1滴、人間に飲ませれば好きな人とくっつけさせられる。僕はキューピッドでね。それが仕事なんだよね」

「ゲシュペンストは貴方のことを悪魔と言っていた」

メロウは壁にかけてあった十字架を取り、握りしめる。ビアンカはまたケラケラと笑い「面白い」と言った。

「やはり、人間は面白いな。そんなもので、僕が怯むなんて思っているのか?まあ、いいだろう。今すぐにとは言わないが、もし君が僕を必要だと思ったときは名前を呼んで」

「どんなとき?」

「死にそうなときだったら嬉しいかな」

嫌な笑みを見せて、ビアンカはまた鳥の姿に戻る。そうして空へとびさった。その姿を見て、メロウはなんだったんだろうと首をかしげた。

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