第4話

「ただいま」

家に帰ると、エーファが台所に立って、夕飯の支度に取りかかっていた。

「おかえり、メロウ。レオノーラはどうだった?」

「どうもこうも………女の子ってあんな感じなの?」

疲れてしまった、といいかけて、エーファの責めるような視線を感じ慌てて口をつぐむ。

「貴方もゲシュペンストだけじゃなくて、他に友達を作るべきだわ」

「友達ならいるよ。ジーンもフェズも友達だ」

「男の子の友達もいいけど、女の子の友達って意味よ」

「別にいらない………夕食の手伝い、するよ」

「ありがとう。そこの鳥の毛をむしってちょうだい」

エーファに言われて、しめられたばかりの鳥の毛をむしる。この鳥はカザスが捕ってきた鳥だ。メロウももう自分の銃を持っていて、カザスと狩りにでかけることもあるが、命中率は悪く、家族を養っていけるほどの腕はまだない。まだ家にいて母親の手伝いをしていることが多く、やはり結婚は早計だったと思った。

「母さん」

「なあに?」

「レオノーラが、嫌いとか不満というわけではないのだけど、僕はまだ結婚したくない」

そう言うと、エーファはくるりと後ろを向き、微笑んだ。

「まだ、あなたは子供なのかしら。私が甘やかしたせい?」

「そうかな」

「16歳は立派な大人よ。でも、母さんが貴方を身籠ったのも18歳の時だったわ。もう少し、結婚を待ってもらえるよう、父さんに伝えてみるわね」

「うん、ありがとう」

問題を先伸ばしにしただけだったが、それでも母親からの言葉に、メロウはホッとした。


メロウは籠にワインとパンと昨日自分で捕って捌いたウサギの肉を入れて家を出た。アデリナが行きたいと騒いだものの、許すことはしなかった。森を歩き、1時間半かけてゲシュペンストの住む場所に到着する。しかし、いつもと空気が違って、当たりはしんと静まり返っていた。

「あれ、道を間違えたかな?」

そうは思うものの、4年間通い続けた道だ。間違えるはずがない。もう一度、目印の池に戻り、そこからまっすぐ雷に撃たれた木を探した。けれども、木どころか家すら見つけられなかった。昼過ぎに町を出たはずなのに、もう当たりは暗くなってしまった。

「おかしいなあ」

メロウは胸のペンダントを触れる。ちゃんと「鍵」は持ってきていた。一人の野宿は怖く、ここらには獰猛な野獣も多い。仕方がないので今日は町に戻った。


しかし、翌日も次の日もメロウがゲシュペンストの小屋にたどり着くことができなかった。メロウは焦った。これは「鍵」の効力が切れてしまったのではないか。ゲシュペンストの名前を呼んでみるものの、返事もなかった。

「ゲシュペンスト~!いるの?」

ゲシュペンストは夜になれば家からこの池の辺りまで見えるはずだ。それなのに、呼んでも返事をしないというとことはつまり、ゲシュペンストに何かあったのか、それとも捨てられたのか。メロウは、自衛のために持ってきた銃を握りしめて、池の淵に座った。

「………なんでだよ……会いたいよ……」

じわりと、目に涙が浮かぶ。会いたい。無事でいるのかを確かめたい。もしかしたら自分が結婚すると言ったから怒ったのかもしれない。ゲシュペンストが嫌がるなら、自分は結婚なんてしないのに。

「………あ、雨」

ポツリと雨が振りだした。雨音はだんだんと強くなり、メロウは昔、ゲシュペンストが父親に教えてくれた洞窟を目指した。池のすぐ近くにそれはあったが、随分と濡れてしまった。

「困ったな……」

雨は強く、風もふいてきた。数メートル先も暗くて見えない。こんな中、歩いて家には戻れなかった。初めての野宿になってしまうなと、メロウはため息をつく。ご飯はゲシュペンストに渡す用に持ってきているので大丈夫だったが、火種がなかったため火をつけられなかった。雨に濡れて寒いまま一晩を過ごさなくてはならなくなってしまった。


一人は怖かった。こんなにも怖いことをゲシュペンストは平気だと言う。


そんなの、嘘だ。絶対嘘だ。一人がいいと本当に思う人なんてこの世にいないはずだ。


「……寒い……」

悪寒を感じ、ぶるりと体を震わす。いつになく雨は酷く、打ち付ける音がうるさい。メロウは横になった。早く寝てしまった方がいい。

「ゲシュペンスト……どうしちゃったの……」

冷たい銃を抱え、体を丸ませる。メロウの目から一粒の涙がこぼれた。






(暖かい……)

ぼんやりと、メロウは思った。そして、靄のかかったように愚鈍な頭をなんとか覚醒させて、瞼を開く。目の前には見慣れた暖炉があった。ここは、ゲシュペンストの家だ。

「……ゲシュペンスト?」

「起きたのか?酷い熱だ」

後ろから声をかけられた。会いたかった男だった。メロウは上半身だけを起き上がらせた。濡れた服は脱がされて、メロウがいつも寝るときに使っている服を身にまとっていた。

「……ゆめ?」

「違う。洞窟でお前が倒れていたから連れてきた。薬だ。飲め」

渡されたのは器一杯の緑の液体だった。嫌々と首を降ると、昔と同じようにゲシュペンストが後ろからメロウを抱き抱え、無理矢理口にスプーンを入れてきた。

「ご、ごほっ、に、にがいっ」

「薬が旨いわけなかろう」

4年前と同じ台詞に、思わずメロウは笑ってしまった。嫌がりながらも、なんとか薬を飲み込むと、今度はスープを出された。珍しく、手の込んだジャガイモのポタージュだ。自分で飲めることくらいはできたが、甘えて飲ませてもらうことにした。ひとつひとつ、甲斐甲斐しく世話をするゲシュペンストの行動に、メロウを厭う気持ちは全く感じられず、メロウはほっとする。嫌われた訳ではなさそうだ。

「……良かった、会えて」

ゲシュペンストの器をもつ手首をぎゅっと握り締めた。

「ペンダントの、効果がなくなっちゃったみたいなんだ」

「……私が「鍵」の効力を無くした」

その告白に、メロウは心を抉られたような気持ちになった。

「………なんで?僕のことが、嫌になったの?」

「………会わない方が、いいと思ったのだ」

「どうして?」

メロウは責めるように、ゲシュペンストに食いかかる。ゲシュペンストは苦虫を噛み潰したように、視線を反らした。

「私は怪物だ。私と仲がいいと思われたらお前だけではなく、お前の家族に迷惑がかかる。お前を、失いたくなかったのだ」

「失いたくないから、離れようとしたの?」

「そうだ」

ゲシュペンストの気持ちもわかる。自分のせいで何かあったら、と思うと怖くしてしかたがない。そんなにも愛されているならと、メロウはゲシュペンストの首にそっと抱きついた。

「メロウ?」

「僕は結婚しない。結婚しないで、ここに住むことにする」

「な、何を言って………」

「婚約者のレオノーラと会ってきたんだけど、僕はゲシュペンストと一緒にいる方が幸せだ。こうして、側で寄り添ってくれたら、他には何もいらないんだ」

「………私は男で、子供は生めない。それに、見た目も怪物で…」

「子供なんて、僕は別にいらない。見た目だって怖くない。狩りの腕も、頑張って磨くよ。だから、側に居させて。ペンダントを元に戻して」

「メロウ……」

泣きそうな顔でゲシュペンストは「なぜ、言うことを聞かないんだ」と文句を言った。けれどもその言葉とは裏腹に、ゲシュペンストは大切なものに触れるようにそっと優しくメロウを抱き締め返した。


翌日の昼頃、メロウはベッドで目を覚ました。昨日の夜、ゲシュペンストの家に戻ってきたのが現実でホッとする。隣に男の姿はなかった。熱は下がり、体も調子がよい。隣の部屋に行くと、昨日持ってきたパンが用意されている。窓の外を見ると、雨は上がり、晴天が広がっていた。メロウが椅子に腰かけると、別の部屋の扉が開いて、ゲシュペンストが出てきた。そこはゲシュペンストの仕事場だ。いつもは扉なんてないが、不思議な力でゲシュペンストが通るときだけ開くようになっている。メロウは入ったことがなかった。

「おはよう、ゲシュペンスト」

「おはよう、メロウ。調子はどうだ」

「大丈夫。昨日、ゲシュペンストが飲ませてくれた苦い薬のおかげだね」

「そうか」

ゲシュペンストはそう言いながら、向かい合わせに椅子に座る。

「昨日の話なんだが……」

「明日から、ここに住めばいい?」

そう言うと、ゲシュペンストは目を見開き、ぱちくりと瞬きをした。

「本気だったのか」

「本気だよ」

「………結婚は……」

「しない。今日、レオノーラに正式に断りを入れてくる。僕はここに住む。ね、いいでしょ」

「よくない。お前は人間なんだ」

「ゲシュペンストだって人間じゃないか」

「私は化け物だ」

「化け物でも何でもいいよ。僕はここに住みたい。ゲシュペンストだって、僕がいても構わないでしょ」

ゲシュペンストは何を言おうか考えているようだった。とりあえず、とメロウはペンダントを首から外す。そして、ゲシュペンストの前に置いた。

「これを「鍵」に戻して」

ゲシュペンストは少し戸惑ったが、言われた通りにペンダントに小声で何かを呟く。ペンダントは一瞬淡い光を放ったが、すぐに代わらず普通のペンダントに戻った。

「………昨日、一晩中考えていたんだ。お前の記憶を、私の部分だけ消そうかと」

メロウは悲鳴をあげた。そんな酷いことを、よく考え付くものだ。

「やめて。そんなことしたら怒るよ。それに、ゲシュペンストの記憶を消したらこの4年の記憶がほとんどなくなってしまうじゃないか。そんなの辛いだろ!」

「そうか…そうだな」

ゲシュペンストは言ってみたものの本気ではなかったらしい。ほっとするのも、束の間、今度は「私の姿を認識しなくなるような呪術を……」と言いはじめた。メロウは慌てて、皿のパンをゲシュペンストの口に突っ込んだ。

「もう、怖いことばかり言うのはやめて!僕は今のままで良いんだよ」

「……」

ゲシュペンストは口の中のパンをモグモグと咀嚼しながら、眉を寄せた。こうなったら、本気でここに移住するしかない。早く家に帰って、荷物をもって戻ってこなければ。メロウはペンダントを再び身に付けた。食事を終えた後、メロウは自分のではなくゲシュペンストがいつも使用しているマントを被った。メロウも普通の青年に成長したが、それはブカブカで不恰好だ。

「それは私のだぞ」

「知ってる。前に「鍵」の役割りは、ゲシュペンストが力を込めたものか、愛着があるものって言ってたから。今のゲシュペンストは信じられないから、ペンダントよりこっちの方がいい」

「……わかった」

メロウはくるりと振り向き、ゲシュペンストに正面から抱き付いた。

「また、すぐ帰ってくるから。今度は、閉め出さないで」

「あぁ。待っているよ」

「それに、僕がいないと、生きていけないんじゃなかったの?」

それを聞いて、ゲシュペンストは思わず吹き出した。

「そうだったな。お前がいないと、私は生きることができない」

ゲシュペンストは笑いながら優しくメロウの頭を撫でる。メロウはようやく、顔をあげ、ゲシュペンストに笑顔を見せた。

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