第3話

***


ゲシュペンストは夜の森を走っていた。


後ろを振り返ると、ゴウゴウとした明るい炎と煙が見えた。今まで住んでいた家が、音を立てて燃えているのだ。先程、ナイフで切りつけられた頬がピリピリと痛む。冷たい風は刺されているかのように寒かった。しかし、ゲシュペンストはこれは夢だと自分で理解していた。夢と言ってもこれは……育ての親である魔女、ラントゥルが捕まったときに、現実に起きた過去の記憶だ。

「………っ」

ハァハァと呼吸を乱し、ゲシュペンストは目を覚ました。


人間に追いかけられるのは、ゲシュペンストにもってとても嫌な記憶だった。あの日、ゲシュペンストは運良く暗闇に紛れて捕まらずにすんだ。魔女は、捕まって磔になったのだけれども。

「はぁ、はっ……は………」

ふう、と深く呼吸をし、ようやく上がった心拍数を落ち着かせる。そして、横を見るとメロウが可愛らしい寝顔を見せていた。起こさなくて良かったとゲシュペンストはほっと息を吐いた。


メロウが泊まるときはいつも同じベッドに寝ている。子供の頃は良かったのだが、大きくなって大人二人では寝にくいだろうと思う。けれども互いに別に寝ようとは言い出さなかった。隣に、生き物の体温があるのは心地がいい。ゲシュペンストはすやすやと寝ているメロウの前髪をかきあげた。そして、しばらくの間、メロウの寝顔を見ていた。

「…………結婚か」

先程、メロウが結婚をすると話していた。もう彼はそんな年なのだと、少しばかり寂しく思う。ゲシュペンストはメロウのペンダントに手を添える。これは、メロウと出会ったときに渡したものだった。ゲシュペンストの住む家には人間用に結界が張ってある。結界の中には、ゲシュペンストが自ら招くか、ゲシュペンストが力を込めた物である「鍵」を持っている人間しか入れない。4年前、森で迷子になったメロウたちを見かねて、ゲシュペンストは結界を緩め、カザスに洞窟の場所を教えてやった。場所を教えるだけのつもりだったのだが、結局のところ発熱しているメロウが可哀想になり、家に入れて介抱してあげたのだ。

「…………………」

ゲシュペンストは短い呪文を小声で唱えた。するとペンダントが一瞬淡い色で光り、また元のペンダントに戻った。今、ゲシュペンストはメロウのペンダントから力を解放した。これから、メロウがゲシュペンストの許可なく結界内に入ることはできなくなった。

「メロウ」

結婚するのであれば、自分はもう会わない方がいい。ほんの少し、他人と違うだけで、人間は普通の人間を、魔女や怪物と呼び集団で殺すことができる。ましてや自分は化け物だ。そんな怪物と仲が良いと疑われたら、メロウや家族はどうなるのか想像もしたくなかった。メロウを守るため、自分を守るため、ゲシュペンストは別れを選んだ。

「さようなら、私の可愛いメロウ」

大丈夫だ、一人は慣れている。そう自分に言い聞かせて、ゲシュペンストはメロウのおでこに口をつけた。


その日の昼過ぎに何も知らないメロウはゲシュペンストの家を出た。次は、自分が狩った肉を持ってくると言って、ゲシュペンストに別れのハグをする。そして、結界の外に出た。


ゲシュペンストはあえて別れの挨拶をせずに、その後ろ姿を最後まで見続けていた。


次の日、メロウは婚約者であるレオノーラと会った。年齢相応の可愛らしさを持った少女は、結婚の話に積極的だった。婚約者と結婚式で初めて挨拶する夫婦も多い中、メロウはレオノーラにその前に会いたいと提案したのだ。今日は町で買い物をし、ご飯を食べる約束だった。レオノーラは淡いピンクのワンピースを着ていた。

「ワンピース、可愛いね」

メロウがそう言うと、レオノーラは可愛らしくぽっと赤くなった。

「私が縫ったの」

「裁縫が得意なんだね」

「ええ」

当たり障りのない会話をしながら屋台を覗く。そこに、紫色の宝石の入ったペアのペンダントが売っていた。レオノーラはそれを手に取り、目を輝かせて言った。

「わあ、素敵」

「お嬢さんよくお似合いで」

売り主のおばさんはにこにことレオノーラを褒める。レオノーラは得意になり、つけて見せた。

「ねえ、これ可愛いわ。メロウもつけてみてよ」

「そうだね。似合ってる。でも僕は隣の赤い宝石のやつが素敵だと思う。僕はこっちをつけようかな」

メロウはペンダントの代わりに、赤い宝石を手に取る。ゲシュペンストの瞳よりは明るかったが、メロウの好きな色だ。それを見て、レオノーラは頬を膨らませる。

「ペアのペンダントだから二人でつけないと意味がないでしょう」

「そうかな。まあ、僕はペンダントを持っているから二つも要らないけど」

メロウはゲシュペンストから貰ったペンダントを握りしめる。その茶色い木で出来たペンダントは、彼の家に行くための大切な「鍵」でもあった。

「レオノーラ、気に入ったならそれひとつ買ってあげるよ」

「………いいわ、いらない。その代わりに隣の赤い宝石のネックレスを買って」

気に入ってそうたったのに、とメロウは首をかしげながら赤い宝石のネックレスの代金を支払う。店主のおばさんに「坊ちゃん、女心がわかってないねえ」と笑われた。


レオノーラとのデートは特に楽しくなかった。彼女は女性として可愛く魅力的だったが、メロウはアデリナと遊んでいた方が有意義な時間だったかもしれないとぼんやりと思った。結婚して一緒に過ごす時間が増えれば愛せるのかもしれないが、どちらかと言えば派手で明るいレオノーラとは性格はあわないと思う。別れの時、レオノーラは買って貰ったネックレスをつけて、微笑んだ。

「今日はありがとう。楽しかったわ」

「……うん」

「また、結婚前に会ってくれる?」

「……うん。あぁ、ねえ、もし僕たちが結婚した後に、4日に1回は外泊したらどう思う?」

そう聞くと、レオノーラは眉を寄せて嫌な顔をした。

「それって、浮気?他に好きな人がいるの?」

「違う。男の友達なんだけど、彼は僕が居ないと一人になってしまうんだ」

「そんなの、友達も結婚したらいいじゃない」

「結婚……」

ゲシュペンストが、他の女の人のものになる。そう思うと、胸が締め付けられるように痛かった。

「私の友達紹介しましょうか?」

「……いや、大丈夫。ありがとう」

「そう。とりあえず、結婚したら外泊はあまり許せないわよ」

レオノーラの束縛の強さにも、改めてこの結婚は難しいのではないかとメロウは思った。

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