ご近所付き合い 1.
開店時間を少し過ぎたところでドアのベルが冴えない音を立てて開かれた。こんなに早くお客さんが来るなんて珍しい。カウンターから身を乗り出してドアの向こうの人影を見やった。
「いらっしゃいませー、あ、千秋さん」
私が千秋さんと呼んだ初老の男性はにこりと笑い返してきた。ジャケットにポーラータイ、スラックスを身に付けていて上品な雰囲気を漂わせている。
「こんにちは、少しくるのが早かったかな?」
「いえいえ、そんなことないですよ」
首を振って千秋さんにかぶりを振ってみせるとすぐに薬の準備を始める。
「いつもの薬でいいですか?」
「ああ、お願いしますよ」
薬品を置いてある鍵の閉まった戸棚の鍵を開け、中から赤い錠剤の入った瓶を取り出す。腰痛に効く魔法薬だ。おまけにリラックス効果も付いている。
「じゃあ一月分入れておきますね」
瓶をカウンターまで持ってくると千秋さんが薬を入れるための瓶を差し出してくれる。いつものようにそれに赤い錠剤を数えながら入れていく。
千秋さんは店の常連でいつも魔法薬を買いに来てくれる人だ。ロマンス・グレーのおじ様で、実は私が店を開いて初めてできた常連さんなのだ。本名は千葉秋彦といって本人から千秋と呼んでくれと頼まれている。あだ名で呼ぶのを最初は躊躇ったけれど今ではもう慣れっこになっていしまった。
そんな千秋さんは薬を入れていく中でにっこりと笑って見せた。
「やっぱりここの店のが一番効いてね、浅木さんの調合の仕方がいいからなのかな」
「そんな、レシピに書いてあるとおりに作ってるだけですよ」
謙遜してみせるも内心褒められて少し嬉しい。
腰痛の薬のレシピは師匠から教わったものでそれを元にして作っている。師匠のレシピならそのままでも十分効果を発揮することは請け合いだ。下手にレシピをいじるよりもレシピに沿って忠実に作った方が自分のやり方とも合っていていいのだ。
「そんなに謙遜しなくても私はこの店の薬が好きなだけですよ」
「ありがとうございます」
会計を済ませ、千秋さんを入り口まで見送ってからまたカウンターに戻る。なんだかんだ言って褒められるのは気分がいい。少し鼻歌を歌いながら雑誌のページをめくっていた。
そこに伝話がかかってくる。お堅い公式音からして業者からだろう。
伝話は伝気を使った通信装置のことで、かけてくる人によってその都度その人の性質に合わせた音が鳴る。公式音というのは一般的に公の場で用いられるもので主に仕事での事務的な連絡に使われる音だ。
受話器を取ると案の定触媒の業者からだった。
「あ、はい、浅木です」
「浅木さん、先週注文した触媒なんですが、これから引き取りに行きますがお時間空いてますか?」
「大丈夫ですよ、用意しておきますね」
「はい、それではこれから向かいますので」
手短にやりとりを済ませバックヤードから業者に注文を受けていた触媒を引っ張り出してくる。硫黄と水銀を七日間寝かせておいたエリキサの元とホムンクルス培養のための腐敗させた精液だ。いずれも魔女街で買ってきた材料を加工したものだ。こうして買ってきた原材料を触媒として加工し、販売するのが私の本業だ。店を開いているのは副業に近いといってもいい。本業の方で安定した収入が入る分、店の方は気楽に営業しているのだ。
三十分ほど経った頃に触媒の業者が来て注文されていた触媒を引き渡し領収書を渡す。引き渡しが終わったところでまたゆっくりとした時間に戻った。人が来ないからといってバックヤードの触媒を整頓していると入り口のベルがまた冴えない音を立てた。
「はいはーい、いらっしゃいま……」
バックヤードから出てきながら軽く言ったつもりが途中で言葉を詰まらせてしまう。その人は頭を下げてドアをくぐり、すぐ側のカウンターまで歩いてきた。真っ黒い髪に色白と言うよりは血色が悪いといった方がいい青ざめた肌、Tシャツにジーンズというラフな格好。
赤田さんだ。私は少し胸を高鳴らせながら話しかける。
「あの……」
「いつもの、餌をくれ」
朴訥な物言いにはいとしか答えられない。それだけ緊張してしまうのだ。逃げるようにバックヤードに戻ると干し肉の詰まった大瓶を引っ張り出してくる。それから赤田さんの顔色を窺いながらカウンター横に大瓶を置くと袋にせっせと干し肉を移し替えていく。
赤田さんも私の店の常連だ。どこからとも無くふらりと現れては消えるミステリアスな人で、密かに私が憧れている人だ。初めて店に来たときは来たのに気付かなくて驚いてしまったくらい存在感が希薄だったが、今は来てもすぐにわかるほど慣れてしまった。実際勘づくのはどこか浮世離れした雰囲気に惹き付けられているからなのかもしれないけど。私にとって赤田さんはずっと眺めていたい不思議な人だ。正体不明のそんなところがいいと言ったら友人には笑い転げられてしまったが。
赤田さんはいつも犬の餌を買いに来てくれる。飼っている犬は真っ黒い犬だというほかには特に話に聞いていない。どんな犬なのか気になるが、今はそれより餌の準備をする方が先だ。袋いっぱいに干し肉を入れるとカウンター横の計りにそれを置き重さを計る。
「三キロちょっとだから大体三千円ですね」
「……わかった」
会計を済ませた後、出ていこうとする赤田さんを呼び止めた。
「あの、これもどうぞ。犬用の骨です、いつもお世話になっているので……」
赤田さんは骨を取るとくるくるとあらためて、それから干し肉の入った袋にそれを突っ込んだ。
「……もらっておく」
「は、はいっ」
低い声でそう呟くと赤田さんはドアをくぐって出て行った。好意のつもりだったのだけれど気に入ってくれたようでよかった。まだ少しどきどきしている胸を撫で下ろすと今度こそちゃんとカウンターの席に着く。
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