師匠の元へ 1.

 どこにでもある中堅都市の市街地のそのまた一角に、人からコソコソと隠れるようにして建っている店があった。ある魔女が毎日来るとも限らぬ客を待ち、開き続けているその店は今は「close」の看板を下げ、その横に一枚の張り紙が貼ってあるのみだった。夏の日差しに少しだけ色褪せた張り紙が、風に揺られてかさかさと音を立てた。


『誠に勝手ながら夏の終わりまで臨時休業させていただきます 店主』


 夏の日差しが眩しい。伝車に揺られ、少しだけ開けた車窓から流れてくる風を受けながら青く澄んだ空と眩しい緑の草原を眺めた。飛行機に乗って、伝車を何本か乗り換えて、一日に数えるほどしか伝車の通らないローカル線の、そのまた端の駅。私が目指しているのはそんな田舎というよりももっと遠い、自然に近い場所だった。伝車の中は、私と運転手以外誰も乗っていない。肩からかける大きな鞄を箒の柄に引っかけて自分の横にまとめて置いて、走行音以外は無音の車内でぼーっとしていた。流れていく森の木々と時たま広がる広い草原、それを隔てる深く青い空。青い空はどこでも同じものが見られるのに、どうして緑が加わるとこうも眩しく、心をほぐしてくれる景色になるのだろう。こうして遠くの田舎まで来るといつも思うことだ。もう一つ、それとは別にこの景色は懐かしかった。会いに行くのはどのくらいぶりだろう、考えると、まだ一年くらいしか経っていないことに驚いた。

 景色から目を逸らして数えていると、唐突に自分の膝に一羽のカラスが飛び乗った。

「おっさん」

 少し驚きながらも頭を撫でてさっきまで止まっていた荷棚を見上げる。忘れるところだった。会いに行くときは使い魔も連れて行くことを自分の約束にしてたんだっけ。忘れててごめんと内心謝りながら、おっさんに目を戻す。ゆっくりと黒い羽根を撫でてやればおっさんは満足そうに目を眇めた。普段根無し草で飛び回っている癖にこんな時ばかり甘えてきているのも変な気分になる。まあ、こんな時だからこそなのかもしれないけれど。

 終点で伝車を降りて無人駅の切符入れに片道切符を入れた。ここから先は箒で行くことにしている。肩に鞄をかけると箒に跨り、隣にいるおっさんには目で合図をする。ゆっくり意識を集中させて、深く息を吸った。魔力が箒の柄に集まる。そのまま流れ出した魔力は勢いを切らすことなく回転を始め、箒の重さを奪っていく。箒を持った手が軽くなり、浮力を得たところで首だけ動かしておっさんを見る。おっさんも準備オーケーのようだ。口の中で数を数える。

「いち、に、さん……!」

 それに合わせて地面を蹴った。蹴った勢いで一気に空に舞い上がる。小さな木造の駅舎がみるみる小さくなっていく。伝車がアリのように小さくもぞもぞ線路の上にいる様がよくわかる。そのままアリどころか米粒よりも小さくなって上を不意に見上げたら雲が流れていた。慌てて柄を下に向けて下降を始める。乗用箒は久しぶりだったからか、つい馬力を強めにして飛んでしまったようだ。異常な浮力で浮かんでしまった箒をなんとか制御して上がりすぎた高度を下げていくと、ちょうど適正高度でおっさんが羽ばたいて待っていた。元々鳥だから飛ぶのはあちらの方が一段どころか数段も上だ。ようやくおっさんと並んだところでほっとして一息つく。

「……何? 仕方ないでしょ、普段は配達用にばっか乗ってるんだから」

 おっさんの物言いに口を尖らせながら、小高い丘の方へ進路を向けた。

「それより、久しぶりなんだからちゃんとついてきてよね。この年になってまだ使い魔も十分に使えないのかーって呆れられちゃう」

 これから会う人のことを考えたらまた小言を言われるのかと思うと少し気が引けるけど、それよりも今は会いたい気持ちの方が強い。おっさんに行くよと一言だけ声をかけると、加速して目的の丘へと向かっていった。

 いくつもの緩やかな丘を越え、その人の待つ丘へと向かう。飛び越えていく丘は緩やかな弧を描きそれを飲み込むように次々に通り過ぎていく。青々とした草原を抜けて三十分ほど飛んで行けば目的の丘にたどり着いた。

 その丘はなだらかで、なめらかな曲線を描いている。そのてっぺんにはこんもりとした木々が生い茂っており、その中に佇むように一件の小屋が建っていた。

 その丘に茂った森を見下ろしながら高度を落として、丘の頂上すれすれまで降りてくる。一カ所草が禿げて土が剥き出しになっている部分に向けて箒の下部を下げ、地面と擦らせブレーキ代わりにするとどっと魔力を落として浮力を切る。そのまま流れるように着陸すると箒を担いで森の小屋へと向かう。

 おっさんは借りるよと一言言うと私の抱えた箒に舞い降りる。肩に乗らなくてもこれがいつものパターンだから特に気にすることもなく進んでいった。歩き慣れた道もこうして時間をおいて辿るとどこか懐かしさがある。緑に囲まれた獣道のような一本道。外からの光を適度に反射して照らし出される森の風景。涼しげな風がどこからともなく吹いてくる。

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