ある夏の日の 2.

 振り返ってちょっとだけ目を丸くする。一羽の黒いカラスがくちばしで窓をノックしていた。その辺で見かけるカラスと大して変わらない見た目だが、片足に小さな銀細工の輪を付けている。使い魔の証だ。もっと言ってしまうなら私の使い魔である。

「あ……、帰ってきてたんだ」

 それだけ口にして雑誌を置くと窓を大きく開け放してカラスを中に入れてやる。開け放された窓からちょんちょん飛び跳ねながら店内入ったカラスは我が物顔でカウンターの上に止まる。

「今回はどこに行ってたの?」

 カウンターの上に止まった自分の使い魔に話しかける。するとくちばしでカウンターを何度か突っついて、私の方を見た。

「西の方? また大雑把な答えだね」

 答えた使い魔の頭を撫でる。窓から入ってきた光が使い魔の羽をサファイア色に反射させしっとりときらめかせていく。カラスは黒い羽だけどよく見たら光に反射して宝石みたいに青みがかった色になったり色が変わったり、意外と綺麗な羽を持っているのだ。私がこの子を使い魔にしたのは他にも理由があるけど、私はこの羽が好きだった。

 魔女や魔法使いは大抵使い魔を連れている場合が多い。私もその例に漏らさず一羽のカラスを使い魔として飼っていた。使い魔といっても元々はごく普通の動物だ。ちょっと特別な契約をして、使い魔として使役することができる。使い魔になった動物は他の動物より長生きして、少しだけど魔力も持つ。意思疎通もできるから連絡手段に使ったりおつかいに行かせたりもする。最近のスーパーは使い魔での買い物を禁止しているところが多いけど。

 私の使い魔は誰に似たんだかどこか遠くに突然出歩いては何ヶ月も帰ってこないことが多い。基本的に私が放し飼いにしているのもあるけどこうして唐突に帰ってくることも往々にしてあるのだ。西の方としか答えない使い魔に息をつくとバックヤードから干し虫の入った袋を持ってくる。普段は触媒に使う物だけど、こうやってエサにすることもある。

「まあいいや。食事は済ませたの?」

 一応、と答えた使い魔に軽く相槌を打って店内の床に適当に干し虫を床にばらまいた。カウンターから軽く羽ばたいて降りた使い魔はばらまかれた干し虫をつつき始める。食べたといっても、おなかいっぱいってわけではないみたいだ。また椅子に座り込んでカウンター越しに使い魔が虫を食べる様子を見ながら頬杖を突いた。

「おっさん」

 カラスがきょろっとこっちを向いた。おっさんはこの子の名前。本当はオキザリスっていう名前なんだけれど、長ったらしいし自分が言うには少し肩肘張りすぎているような気もしたから、頭を取っておっさんと呼んでいる。

「で、何してたのさ」

 簡単な問いかけにおっさんはこつこつと干し虫をつっつく。別に声を出す事なんて必要ないから傍目から見て素っ気ないように見えるだけだ。おっさんの話すことを聞きながら頷く。意外と短くても色んな事に遭ったみたいだ。おっさんの土産話をこうして聞くのも段々と習慣になってきていた。

「で、その人は賭けに勝ったの?」

 答える代わりにおっさんは首を大きく縦に振った。そっか、と軽く返してまた虫をつつき始める様を見る。話を聞く限りではここから山を一つ二つ越えたところの小さな町にいたみたいだ。そこで宅配をする魔女に会ったらしい。飛ぶのがとてもうまくて見かけては一緒に飛んでたんだそうだ。そこから先は色々ややこしいから省くけど、その人の所に居候して帰ってきたみたい。迷惑、かけてなかったらいいんだけど。

「今度会いに行ってお礼しないとね」

 おっさんは無視して虫をつっつく。無視されたことに対してちょっとだけ口を尖らせた。

「何? 名前教えてくれたっていいじゃないの」

「それとも訳ありなわけ?」

 続けて尋ねてもだんまりを決め込むおっさんに溜息をついた。

「ちゃんと答えてよね、話になりゃしない」

 こっちから匙を投げて見せても食いつくことなく虫をつっついてるおっさんを見て今は食事が優先か、と軽く頷いた。それならちょっとくらい放っておこうか。カウンターの端に寄せてある白紙の伝票とボールペンを取り出すと店の名前と自分の名前を書く。書き終えたところでボールペンを軽く握って魔力を送った。水みたいにじわっと手からボールペンに魔力が滲んで、意思を持ったみたいに軽い力が入った。そのまま手を離せばボールペンは持ったときの状態のまま静止している。それから伝票も一撫でして紙がめくれる方向にくいっと軽く指で動かした。指を離してもう一度空中で指を同じように動かせば紙が勝手にめくれ上がって、また白紙の伝票が現れる。準備完了だ。こつん、と軽くボールペンの尻をつつくと、ひとりでにボールペンは動きだし自分の筆跡を辿るようにして先ほど自分が書いた字をそのまま書き出した。書き終えてボールペンが離れたところで紙がめくれ上がりまた新しい伝票が現れる。

 西日が窓からうっすらと差してきた。薄いオレンジ色の光が店内に入り込んで温かみはあるけどどこか寂しくなるような影を落としていく。カリカリと伝票の記入作業をし始めたボールペンから目を離しておっさんを見れば、ちょうど最後の干し虫に食いついているところだった。よかった、ちょっとばらまきすぎた気がしたけど食べかすを掃除する必要はないみたいだ。すると視線に気付いたのかおっさんが虫に食いついたまま低く唸った。

「帰る前にもらったビーフジャーキーがおいしかった? 残念だけどそういうの買う余裕はないよ、残念だったね」

 こっちだってそっちの健康を考えてエサを出してるのにそんなこと言われたって困る。単にケチってるところもあるけどそこは言わない。つまらなさそうな顔をおっさんがするもつーんとした顔で突っぱねてやった。

「売り上げなんて気にするくらいの店じゃないでしょ、わかってることは何度も聞かないの」

 不満を言うついでに店の経営状況にまで愚痴を叩いてくる。毎回帰ってくる度にするやりとりだけど否定のしようもない。お互い慣れているところもあるしちょっと遅めの挨拶の代わりだ。そう言えば、まだちゃんと言ってなかったっけ。もう一度おっさんに呼びかける。カリカリとボールペンの筆が進む音が聞こえる店内で、できるだけはっきりと言った。

「おかえり」

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