ある夏の日の 1.

 蒸し暑い。肌に感じる湿気と気温にほんの少し顔を顰めてから、降り注ぐ日差しを見上げた。いつもは店の中に引きこもっているからあまり日に焼けるような事はしたくないのだけれど。半袖のシャツに日焼け止めの用の長手袋なんてしているから、余計に暑苦しく感じるのかもしれない。足元はサンダルにハーフパンツで涼しげにしている分ちぐはぐな格好だと思った。魔女だからって、いつも黒い服やワンピースみたいな服を着ているわけではない。別に制服なんてものでもないし、普段着で仕事をしてはいけないなんて理由もない。一応営業時間中もあってエプロンくらいはしているけど、見た目なんてそこら辺の雑貨屋とほとんど変わらないものだ。顔が日焼けしないかとひやひやしながら腕を上げて影を作った。

 こんな炎天下には風を捕まえて涼みたい。そんなことをふと思ったものだから、わざわざ店の屋根の上まで上ってきたのはいいが、いい風はなかなか見つからない。風は、時たま吹いてくる程度だ。風捕り用の縄を持つ手が汗ばむ。微かな残り風から風の吹く方向を見つけてその方向を見つめ続けるけれど、微風以上の風がなかなか吹いてこない。手っ取り早く強い風を捕まえるなら海辺まで行けばいいのだけれど、前に捕まえた風は強すぎて店の中を散々引っかき回していったから、少し気が引けていた。あとは、ちょっと遠出するには面倒だったから。大人しく海辺まで行って風を捕まえた方がよかったかな。じりじり照りつける太陽に辟易していると、不意に空気が変わった。微風がほんの少し強くなる。

「いけるかな……」

 そうぽつりと呟くと風に向かって両手で縄を張った。風は息を吸うように大きく太くなり、強さを増していく。肌で感じる風だけが頼りだ。神経を集中させて、風の強くなる一瞬を感じ取る。風は振り子みたいなものだ。ゆっくりと近付いて、一番下に来るときの速さが一番強くなる。その振り子に合わせて縄を縛ればいいだけ。風捕りの基本を反芻しながら強くなる風に合わせてゆっくりと縄で円を作る。頭の中で、振り子が揺れる。

 振り子が一番下まで来た一瞬、それを捉えるようにぎゅっと縄を結んだ。緊張で少しからだが強ばった。一呼吸置いてから縄を見れば、結び目からしっかりと風の気配を感じる。よかった、ちゃんと捕まえられたみたいだ。

 結んだ縄を持ってすぐに屋根の上から退散する。店の前に立てかけてあった梯子をゆっくりと降りて、額に滲んだ汗を拭った。風待ちで大分日に照らされていたから暑くて堪らない。しかもこの気温と湿度。涼むためにこんなに暑い思いをするなんて本末転倒かもしれないと思いながら店の中に入っていく。店の札は「open」のままだ。どうせ誰か来るわけでもないんだし、ちょっとくらい放っておいたって構わないんだ、私の店は。

 窓を開け放して風を入れていた店内は、日差しがない分少しは涼しかった。カウンターの自分の椅子に座って、まずは一休み。埃っぽい店内の換気も兼ねているから、吸い込んだ空気はいくらか清涼感を感じる。椅子にだらしなく座ったまま、先ほど風を捕まえた縄を見る。どの辺りで解放しようか。入り口だとすぐに風が逃げてしまうだろうし、店の奥だと余計な埃まで運んできそうだ。おとなしく真ん中にしようか。

 カウンターから椅子を持ち出すと店の真ん中に吊り下げてある、吊り燭台まで来るとその下に椅子を置いてゆっくりとサンダルを脱いで上る。風捕り縄の先を燭台の支柱の一つに結びつけて、位置を確認する。端から見たらただの縄がぶら下がっている状態で、一体これが何なのかわからないだろう。でも、これが一番お金もかからず涼しくなる方法なのだ。自分が知っている中では。

 支柱にくくりつけた縄の結び目を少しだけ緩めると、結び目の穴から細く風が吹き出してきた。まだ足りないかな。もっと結び目を緩めて、穴を大きくする。吹き出した風の勢いで縄がふわふわと揺れた。店内に心地いい風が吹き抜ける。窓から入ってくる風よりも勢いがあって涼しい。またカウンターに引き返して、店内を吹き回る風で涼む。今回はうまくいったみたいだ。この風だったら三時間くらいは保つだろう。どうせやることもないんだし、午後の昼下がりは適当に雑誌でも読んで過ごすことにした。カウンター横によせてある雑誌から適当なものを引き抜いて、ページを開く。『真夏は省エネ! 風捕りでナチュラル&エコに涼んじゃおう!』月刊雑誌Sorceresの目次にはでかでかとそんな事が書いてあった。

 そろそろ風捕り縄から風が抜けきって、窓から入ってくる風だけが涼みの頼りになってきた。じわりと戻ってくる暑さに息をついて、ページをめくる。週刊アルケミーの特集はいい加減見飽きてきた。羽虫触媒の作り方もそこまで専門的なことは書いていないし、最近は成り立て魔女向けに路線変更してきているようにも思える。それだけ自分が経験を積んだということだと思えばいいかもしれないけど、やっぱりもう少し専門書を買って勉強した方がいいのかもしれない。いい加減見飽きてきた方法や単語を意味もなく視線で辿っていると、カウンター横の窓からコツコツと固い物で叩くような音が聞こえてきた。

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