ある魔女の一日 1.

 どうせ開店直後に人が来ることなんてないから、今日も十時を少し過ぎた頃に「open」のプレートを掛けた。開店時間は十時から五時まで、店の中だって魔法の店だということ以外はそこら辺の雑貨屋と大して変わらない。まあ店自体も本業じゃなく物を売ることをついでに開いているものだから掃除だってまともに行き届いてないし、暇つぶしみたいなものだけれど。

 埃っぽい店内にいつものように開店の準備を済ませるとカウンターから椅子を引っ張り出して腰を下ろす。それから帳簿も兼ねているスケジュール帳を開いて予定を確認する。今日は取引があるから昼過ぎには出かけないといけない。小杉さんの所に頼まれていたハーブと虫漬けの触媒を届けることになっている。その後は、特に予定はない。めんどくさいと思いながらも配達予定の触媒の用意をしようと物置代わりにしているバックヤードに向かう。店内の陳列棚よりは小綺麗にしている棚からラベルの貼られた瓶を探し始める。窓もなく棚にスペースを取られてぎゅうぎゅうに狭くなっている所だから電気を付けても薄暗さは残ってラベルを読み取るのも一苦労だ。今ではもうそれなりに慣れてしまってはいるけど。

「えーと、蛙のはらわた、二ヶ月の瓶は……ああ、これか」

 ラベルを確認して細長い大瓶を抱えるとカウンターまで持って行く。それからまた棚に戻って瓶を探す。頼まれていた触媒は三つだったからもう二つだ。これを運ばないといけないから骨が折れる。トンボ、蝶の羽根、バッタと虫を漬けた薬品の瓶のラベルを読みながら蜘蛛と羽虫の瓶を引っ張り出すと蛙の瓶と並べるように置いた。どれも業務用に使っている大瓶で、瓶の中にはぎっしりと虫が詰まり、薬品に漬けられている。

「あとはハーブで、ああ、ヒソップとカモミールか。カモミールはローマンね」

 帳簿からハーブの種類を確認するとまたバックヤードに引き返す。瓶を並べている棚とは反対にある棚からヒソップとカモミールが入っている壺を出し、カウンターまで持ってくると専用の箱に詰め替える。中々面倒な作業だけど、どうせ店に人なんて来ないから暇つぶしも兼ねてのいい運動になる。

 そうして大瓶三本に箱二つの配達セットができあがった。配達用の大袋に詰めてあるから後は運ぶだけだ。店内の時計を見れば配達時間にまだ一時間以上は余裕がある。配達用の伝票整理でもしておこうか。椅子に腰かけて伸びをするとカウンターの端によせていた伝票の束に手を伸ばす。

 受け取ったまま未整理の伝票を帳簿の上に広げ、収支や何やらを書き写していく。一応本業のことだからなるべく溜めないようにしてはいるけれど、元の性格がずぼらなせいかどうしてもそのままほっといてしまう癖がついていて、こうしてまとまってからでないと手を着けないことが多い。日付を見ていけば一番古いもので二十日前の物もある。こんなんでよくやっていけるよな、と自分でも呆れてしまう。けれどそれでもなんとか暮らしていけることに世の中もいい加減だなと思いもする。

 そうして伝票の整理を一通り済ませるとちょうどよく出発時間になっていた。帳簿を閉じると出かける準備を始める。カウンターの横にあるコート掛けから厚い生地のマントを取る代わりに巻き付けていたストールを引っかけ、普段来ている黒いワンピースの上に羽織る。マントと言っても袖があるのでローブと言った方が近いかもしれない。広がった袖を払うようにして横に立てかけてある箒に手を伸ばす。

「瓶三つは重いよね〜」

 二本立てかけてあるうちの柄の太い箒を取ると大袋を肩に掛け、伝票をポケットに突っ込むと店を出る。入り口のプレートをひっくり返して鍵を閉め、戸締まりを確認してから店の前の空き地まで歩いていく。すぐそこで飛んでもいいけど箒で飛ぶにはある程度開けた場所でないと危ない。自分みたいに鈍くさい魔女なら特に。

「よっこいしょ」

 箒の柄に大袋を引っ提げるとサドルに跨る。魔女が箒で飛ぶのはよくあるけど、まさかそのまま箒に跨るなんてことはしない。馬に鞍を着けないで乗るのと同じようなものだし、第一乗り心地が悪い。だから一般的な乗用箒ならみんなサドルが付いている。なくても空を飛ぶには支障がないけど、そんなことをしている人は少ない。

 柄を掴んだ手に意識を集中させて、魔力を箒に行き渡らせる。じわっとした感覚の後、箒が浮力を帯びて自然に持ち上がってくる。箒を手で持ち上げている状態から浮いている箒を掴むような感覚になって、浮力が増してくるのを待つ。少しもしないうちに箒は重さを感じないくらいに浮き上がってきて、頃合いを見て地面を蹴るようにして飛び上がる。地面を蹴った勢いでふわりと浮き上がるとそのままゆっくりと上昇を続ける。電信柱のてっぺんからさらに二、三メートルほど高さを取って電線に接触しないようにすると、軽く箒の向きを変えて進み出す。それから少しずつ加速して風を切って飛んでいく。今使ってる箒は配達用にいつも使っているもので荷物運搬ができるように馬力のあるものだ。でも馬力がある分スピードはいまいち出ないから小杉さんの店にはいつも十分かそこらかかる。一人用の乗用箒ならもっと早く着けるんだけど今日は荷物が多いから仕方ない。まあスピードが出ないといっても時速三十キロは出せるからそこまで遅いわけじゃないけど。

 それにしても大瓶を三つも下げていると少しコントロールがしづらい。自転車のカゴに重い荷物を入れて走っているのと同じような感覚といえばわかるだろうか。ちょっと柄を傾けるだけで大きく進路が取られてしまうし、バランスも危うくなる。配達用箒だからある程度の安定性はあるけど、やっぱり操作しづらさはある。自分は元から鈍くさい方だから操作のしづらさから加速しているといっても自転車くらいの速度しか出していないけど。

 進んでいくうちにバランス調整にも慣れてきて余裕も出てきたからちょっと下を見下ろせば、民家の屋根の上を通り過ぎるところだった。道路や地形を無視して一直線に進めるのも箒のいいところだ。建物の上だって迷惑をかけなければ自由に飛べるし、箒って便利な乗り物だと思う。車の方がいいって人もいるけど自由度だったら断然箒が一番だ。それに魔力しか使わないから燃料を気にする必要もないし、操作も手軽だし、だから未だに箒を使ってる魔女や魔法使いは多い。それに私は空を飛ぶこと自体好きだから車に乗り換えることもないだろうと思う。

 空を飛んだ時しか見られない景色はぎりぎり日常と非日常の境目にあって、空の広さや普段は見上げている建物を見下ろす感覚、そういったものを味わうのが好きだった。たまにだけど偶然カラスや雀なんかと一緒に飛ぶことだってある。そういう地面に足を着けているだけじゃできないことも体験できるのが空を飛ぶことの良さだ。

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