第 話 託児所扱いされる王子

「こんのクソ馬鹿どもおっ!!」


 王城の門を潜った途端、ジェトとカカルは赤毛の女上官にどやされた。


 スリに遭った部下を、仁王立ちで待ち構えるように迎えた親衛隊隊長のライラは、すぐ傍に敬愛する第四王子がいるのも構わず、不甲斐ない部下二人を、飢えたライオンも逃げ出しそうな形相で怒鳴り散らす。


「盗賊のクセにスリに遭うなんて、どんっだけ間抜けなのよ! 一から修行しなおして来い!」


「足洗えっつったのお前だろーが!」


「上官に口ごたえするんじゃないの!」

 

 生意気な部下の左頬に、礼儀に厳しいライラの豪快なビンタが炸裂した。


 すっぱーん。という小気味良い音と共に、ジェトの身体が横にふっ飛ぶ。そしてそのまま地面に転がったジェトは、目を回してノびてしまった。

 軽い脳振盪を起こしたようだ。


「おーおぉ。お前もとうとうやられたか」


 アーデがジェトを見下ろし、のんびりと言った。アーデスは、ライラと共にカエムワセトの帰りを待っていたのである。


 アーデスも経験済みであるライラの張り手は、鍛え上がられた兵士でも数分は立ち上がれない強烈さで有名であった。

 生意気なジェトがライラの張り手をくらうのは避けられないだろう、とアーデスは予想していた。だがしかし、まさかその第一回目にお目にかかれるとは思っていなかった。アーデスは、軍隊のシゴキに慣れていない新米隊員に同情しながらも、その見事なノビっぷりに「ブッ」と堪えきれなかった笑いを漏らす。


 続けて彼は、「ライラ、そのくらいに」と、カカルに盾にされながらお仕置きを中断させようと頑張るカエムワセトに、「おいワセト」とぞんざいに呼びかける。


「お前な。訓練すっぽかすんじゃねえよ」


 午前中に武術訓練を予定していたカエムワセトの武術指南役アーデスは、訓練に間に合うようファラオの所要を手早く済ませ、急ぎ足で主の執務室に戻った。しかし、そこにカエムワセトの姿がなかったので探しまわっていたのである。

 運良く城門前でメラメラと怒りを燃やしながら部下達を待ち構えているライラに出くわして事情を聞かなければ、今でも城中探している所であった。


「すまない。すぐに支度をするから。でもその前に――」


 アーデスに謝罪したカエムワセトは、武術指南の前に第十王女の乳母との約束を果たさなければ、と子守りの旨を説明しようとした。

 

 その時、遠くから「殿下~」と女性の甲高い呼び声がする。

 城内からの下り階段から、ヌビア系の乳母が走り下りて来るところだった。彼女は右の小脇に第十王女のピプイと、その反対側に自分の息子を抱えている。


 八歳の女児と九歳の男児を抱えているにも関わらず、軽い足取りですべての階段を下りきった彼女は、そのまま休む事無くカエムワセト達に走り寄ると、荷物の様に抱えていた王女と息子を下ろした。

 少々切れ気味の息を整え、「よかった。ここにいらしたのですね!」と安堵したようにくしゃりと笑う。


「どうかしたのか?」


 訊ねたアーデスに、彼女はにこりと微笑むと「ええ。子供達を少しの間預かって頂く約束でして」と王女と息子の頭に手を置いた。


「はあ」


 曖昧に返事をしたアーデスが、カエムワセトを見て無言の確認をする。


 頷いて、乳母との約束を肯定したカエムワセトは、「おにいさま~」と腹に顔をこすりつけてきた第十王女を抱き上げた。


「この子たちなら十分大きいし、訓練をしながらでも大丈夫だよ」


 と、子守りをしながらの武術訓練を提案する。


 任されたのは、王子王女および乳母の子供達の中でも比較的大人しく聞き分けがいい二人である。

 アーデスは、乳母の息子を抱き上げながら「はあまあ、いいっすけどね」子守りを承諾した。


「ああ、よかった!」


 乳母は心底ほっとした表情を見せると、先程下りて来た階段に向かって腰を捻り、口元に手をあてた。


「皆さーん! いいですってよー!」


 城の建物に向かって、大声で誰かを呼ぶ。


 間もなくして、蜂の集団が巣から現れるように、数人の乳母とその子供達と王子王女が城内からわらわらと出て来た。そして、あっという間にカエムワセトとその武術指南役を取りかこむ。


「え? え? え!?」


「おいおいおい、どういう事だこりゃ!」


 現状をよく把握できていない子守り役二人に向かって、五人の乳母たちはニコリと微笑む。


「では、お昼が過ぎた頃に戻りますのでお願い致します!」


 神殿の壁に描かれた色鮮やかな絵のように、見事全員が同じ姿勢でお辞儀をすると、彼女達は幼い子供達を残してバタバタと立ち去ってゆく。


「まだやってるかしら」


「歌うたいの男性がとても素敵らしいわよ」


「きゃあ、楽しみだわ~」


 めいっぱい急ぎながらも跳ねるスキップするような足取りで城の門を潜ってゆく乳母たち。カエムワセトとアーデスは、それを見送りながら大勢の子供に囲まれながら茫然と立ち尽くす。

 乳母たちが残していった会話の内容から察するに、先程大通りで人だかりを作っていた旅芸人が目当てらしいが――。


「おいワセト。どうすんだこれ」


 王子王女達を呼ばわりしたアーデスは、「あたちもだっこ」と別の妹に腰帯を引っばられている主に、怒気を孕んだ声でこれからの方針を問うた。


 奸智に長けた乳母たちの計略にまんまとはめられた人の善い第四王子は、最年長九歳、最年少一歳の子供達に群がられながら「どうするといっても」と心底困った応答をする。


 子供は十人。しかも一番下はまだ、石と食べ物の区別すらつかない幼子である。


「乳母たちが帰って来るまで面倒をみるしかないよ、アーデス」


 カエムワセトは訓練の延期を要求した。


「託児所じゃねえんだぞ」


 アーデスはぼやきながら、後頭部をガリガリと掻いた。だがその間にもしっかり反対の手で、一歳の王女が砂をむんずと掴んで口に入れかけたのを阻止している。

 口では文句を言いながらも面倒見の良い忠臣の様子を見たカエムワセトは、くすりと小さく笑った。


「やられちゃったスねぇ、殿下」


「俺らも手伝いますよ」


 子守りが得意なカカルと、兄貴分のジェトが助太刀を申し出てきた。

 思ってもみなかった有難い戦力の登場に、カエムワセトとアーデスの顔がぱっと明るくなる。

 だが、その希望の光は赤毛の親衛隊隊長によって呆気なく打ち消される。


「駄目! あんた達は今から弓の訓練でしょ!」


 ジェトの後ろ襟と、カカルの一つ結びの髪を掴んだライラは、二人を練兵場へ連れて行こうと引っ張る。


「ライラ、そんな殺生な!」


 アーデスが情けない声で、ライラに手を伸ばす。しかし、ライラにもどうしても譲れない事情というものがあった。


「すみません、殿下。やっと練兵場を借りられたんです。失礼いたします!」


 上官として新米部下を鍛える責任があるライラは、子守りを手伝い主からの感謝を得るよりも、野犬同然の新米隊員の訓練と躾を選択しなければならなかった。

 己の使命に忠実なライラは、申し訳なさそうな表情でカエムワセトに深々と礼をすると、ギャンギャン吠えるジェトとカカルを練兵場まで引きずっていった。


「おい。どうすんだこれ」


 同じ文句を使って、アーデスが再びカエムワセトに訊ねた。だがその声は、先ほどよりも泣き声混じりで若干情けない。


「そうだな。とりあえず、午前と午後の予定を入れ替えるよ」


 子守りは臨機応変が基本モットーである。

 カエムワセトは午後に予定していた書簡の整理を午前に前倒し、アーデスとの訓練を午後に変更した。


「そういうわけだから、私の執務室へ移動しよう」


「はいはい。さあみんな~。お兄様の執務室まで遠足でちゅよ~」


 子守りを引き受けたのはカエムワセトで、アーデスではない。

 しかし付き合いの良いアーデスは、十人の子供達をカエムワセト一人に押しつけて逃げるという発想を出さなかった。主同様、人の善い中年男は、半ば自棄やけになりながら、一歳の王女を腕に抱えて、子供達の引率をはじめる。

 カエムワセトはほっとした表情を作ると、アーデスの後ろに従った。

 

 だが、この時二人は、その選択が間違いである事にまだ気付いていなかった。

 大量の巻物やパピルス、筆記用具、その他の書記道具が溢れた空間での子守りは、まさに地獄と呼んで相応しいものだったのである。

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