第3話 人の良い王子

 ぺル・ラムセスは、以前はアヴァリスという名の港町だった。ファラオ、ラムセス二世はこの新都を壮大な建築が建ち並ぶ都市にしようと、多くの神殿を建設させ、更に街全体を、幸運を呼ぶとされているトルコブルーに装飾させた。


 古くから港町として栄えていた歴史もあり、この都は様々な物資や人種が行きかい、古都メンフィスとも、前都のテーベとも一味違った風情をかもしだしている。目抜き通りには石や日干し煉瓦で建てられた工房や店が立ち並び、その建物と建物の間には隙間を埋めるように露店が並ぶ。今現在も神殿や公共施設が建設中であり、まだ発展半ばであるこの新都の城下町は、今朝も煩いほどの活気に満ちていた。

 既にうだるような暑さの中、仕事を指示する声や呼び込みや値切り交渉が、そこかしこで飛び交っている。


 ジェトとカカルとカエムワセトは並んで往来を歩いた。三人が目指す王宮は街の中心部にある。ジェトとカカルが朝食を食べた繁華街からは、目と鼻の先だった。


 カエムワセトは、身につけている装飾品はシンプルな金の耳飾りと指輪だけ。普通に露店で買えるような頭巾を被り、刺し色といえばショールの蒼と茶色の腰帯。はたから見れば一見、どこにでもいる神官である。


 事実、カエムワセトは古都メンフィスのプタハ大神殿で神官も務めている。とはいえ、高官が当たり前のように身につける襟飾りも腕飾りも付けていない彼は、対面でもしない限り、王族だと分らないくらい風格オーラがなかった。


「なんかオイラ達、並ぶと友達にしか見えないっスね」


 幾分気持ちを持ち直したカカルが、幼さの残る顔を綻ばせ、何気に失礼な事を言った。だがカエムワセトは、家臣のそんな失言にも「そうだね」と喜んだ。自分に対し、『友達』という表現を使ったのはカカルが初めてだったからである。


「二人とこんな風に街を歩けるなんて、嬉しいよ」


 カエムワセトは、二人と歩む王城までの道を、心から楽しんでいた。

 そんな王子の姿を見て、仏頂面が標準装備のジェトの顔にも思わず笑みがこぼれる。


 とその時、三人の前に役人風の男が現れた。上質な白い腰巻と大きな首飾りを身につけた彼は、よく日焼けした褐色の肌の下から白い歯を見せてカエムワセトに微笑みかけると、両手を胸の前で合わせ軽く膝を曲げて、王族に対する挨拶をした。


「殿下おはようございます。聞きましたよ。アペピと闘ったってんですって?」


 カエムワセトは如才なく微笑み返しながら、やぱり捕まったか、と内心ため息をつく。

 最近巷で流れている噂のお陰で、街を歩くたびにこの話題を求められるのである。正直なところもういい加減面倒くさかったが、市民からの疑問には真摯に対応するのが王族の務めでもある。カエムワセトは今回も律儀に説明した。


「アペピと闘ったのは父と、私の武術の師匠ですよ。私が相手にしたのは、トト神が残した知恵の魔術書を大昔に守っていたという蛇の魔物です。私はアペピの姿すら見ていません」


「え? でも、装飾細工士の子供をアペピから御救いになったんでしょ?」


「救ったと言いますか……彼は既に死んでいましたので。魂を喰われそうになっていたところを阻止しただけです。彼はもう、ミイラになって墓で眠っていますよ」


「え? 死んだのは神官じゃないんですか?」


「はい。確かに私は友を二人失いました。二人とも優秀な神官でした」


「え? ええと……それじゃあ」


 どうにも噂と食い違う点が多いと感じたのだろう。彼は、次に何を聞いてよいやら判断に困った風に、顎をかきはじめた。


 これまで、カエムワセトからの返答を聞いた者は、大抵がこういった反応を示す。 カエムワセトは彼を助けるつもりで真相を伝えた。


「巷では、さも私が大手柄を立てたように噂されていますが、実際私がやった事は病死した子供の魂にちょっかいをかけていた大昔の魔物を屠っただけです。それに付随して神や魔物が姿を見せたので少々事が大きくなりすぎましたが、褒めそやされる様な事は、私は何一つしていません。仲間に助けられっぱなしだった上、大きな犠牲を払いました」


「はあ、そうだったんですか。それは……」


 ご愁傷様です。と、男は頭を下げた。それしか言えないよう仕向けられたからである。


 カエムワセトは憂いを帯びた表情で「どうも」と微笑んで返した。そして早々に「では」と会釈をして男の前を立ち去る。


 男は半ば呆けたように、足早に歩いて行く王子の背中と、それを追う従者二人の少年を見送った。


 魔物との戦いでカエムワセトを助けた仲間であるジェトとカカルが、先を急ぐ主の横に並ぶ。


「何もあそこまで卑下しなくてもいいんじゃないですか? あんただから解決できた一件だと思いますよ」


「そうっスよ。あれがきっかけでオイラ達、殿下の家臣になったのに。暗い話ばっかでつまんないっス」


 カカルが面白くなさそうに頬を膨らませた。


「ごめんごめん」とカエムワセトは苦笑った。


「ああでも言わないと、放してくれなさそうだったから――」


 大通りの広場にさしかかったその時、多くの人の歓声が聞こえ、カエムワセトは言葉を切る。


「あ? あれ何だろ」


 カカルが人だかりを見つけ、指をさした。

 野次馬精神を発揮したカカルが、一足先に走っていく。カエムワセトとジェトは、カカルに「こっちこっち」と手招きされるまま、人だかりに近づいた。


 と、集団の奥から一人の若い男の声が聞こえる。


「皆さん、ようこそお集まりくださいました! テーベで名を馳せた我ら旅芸人一座タ・ウィ! 遅まきながら青き輝きを放つ美しき新都ぺル・ラムセスにやってまいりましたよ~!」


 人々の頭に隠れて姿は見えないが、その男の声はよく通った。周囲がワッと盛り上がり、拍手が起こる。


 どうやら芸人が路上公演をしているらしい。


 旅芸人、という単語フレーズに興奮したカカルが「見たいッス! アニキ、肩車して!」とジェトにせっついた。


 ジェトは嫌そうに顔をしかめる。


 痩せてはいても、カカルは十三歳である。身長もジェトの肩ほどまで達する。それを肩車するのは、重労働である。ジェトは「殿下に頼めよ」と、できもしない提案を餌に、弟分の可愛い要求から逃げた。


 だがカカルは、ジェトの予想に反して、自分の主に向かって本当に肩車を求めた。


「殿下ぁ。おいら旅芸人て見た事ないんすよぉ。肩車してくれません?」


 キラキラした目でおねだりしてくるカカルに、カエムワセトは「え!?」と笑顔を固まらせる。

 ジェトも、ぱかりと口を開けて硬直する。


 しかし、カエムワセトは家臣からのお願いを断らなかった。暫く思案した後に、「おんぶなら」と妥協案を提示して、ジェトを更に驚かせる。


 妥協案に同意してカエムワセトの肩に掴まろうと後ろに回って両腕を伸ばす弟分と、少し身をかがめて家臣を背中に乗せようとしている主の信じられない光景を前に、ジェトは声にならない悲鳴を上げた。


「いやいやいやいや待て待て待て待て!」


 負んぶをやめさせようと、襟足で一本結びにされたカカルの髪を掴んで引っぱる。


「ホラもう行くぞ!」


 ジェトは、カメムシのように主の背中にくっついている弟分を引っぺがそうと頑張った。


「やだよう、見たい~!」


 カカルはごねて、カエムワセトの肩を放そうとしない。ジェトが「子供かお前は!」と怒鳴った。

 途端、カエムワセトが「あっ!」と声を上げて身を起こす。


 カエムワセトが予告なく起立したお陰で、カカルの手がカエムワセトの肩から離れ、カカルはどすんと尻もちをついた。「あいたっ!」と悲鳴を上げる。


「どうしたんすか?」


 ジェトがカエムワセトに訊ねた。

 カエムワセトは振り返ると、ぽかんと自分を仰ぎ見る二人の家臣に、すっかり忘れていた予定を告げる。


「乳母に子守りを頼まれていたんだった!」


 子守り? と眉を寄せたジェトが復唱する。


「なんであんたが、乳母のお手伝いを?」


 心底不思議そうにしているジェトにカエムワセトは、何やら用事があるとかで、と嫁の仕事を代行する夫のような理由を述べた。そして、このままだと子守りをすっぽかしてしまうから早く帰らなければ、と二人を急かす。


「え、いやまあ、分りましたけど。一つ聞いていいすか」


 ジェトはポリポリと右のこめかみを掻きながら、カエムワセトに質問の許しを求める。

 

 喰い逃げ容疑をかけられた家臣をわざわざ迎えに行き、家臣を負んぶして芸人の公演を見せてやろうとし、乳母から自分の子供でも無い子のお守りを頼まれている王子は、家臣からの求めに黙って頷いた。


 ジェトは「どうも」と一応の礼を述べた後、その三白眼で自分より頭一つ半ほど大きな主人を見上げてこう言った。


「あんたほんとに王族かよ?」



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