第71話 テティーシェリの呪具

 アンナの占い部屋を出た面々は、西の離れを出たすぐ前の庭に移動していた。

 

 ミリアムとヘレナがアンナの指示の元、台所から持ってきた人の頭くらいの大きさの壺を、井戸からくみ上げた水で満たす。


「水に呪文を込めましょう。イメージは、先程お伝えした通りです」


 アンナはテティーシェリに、人が転移する仕組みをあらかじめ説いていた。


 アンナが集めた書物の一説によると、転移の方法は大きく分けて二つある。


 一つは、転移させる物体を一度無に近い状態まで分解し、目的地で再構成する方法だった。

 転移する物体が人間である場合、人体は5つの要素に分裂する。一つ目はバ―、二つ目はカ―生命力、三つ目はレン名前、四つ目はシュウ。そして最後に肉体である。この方法の特徴として、必要とする魔力は少なく済むが、肉体の分解が最難関とされており、工程を誤ると再構築が叶わないリスクがあった。また、目的地に確実に到達するには、分裂した肉体を導く為の物質も必要だった。


 二つ目は、偽扉ぎひを作る方法である。エジプトの墓には来世あの世からカー生命力が現世に供えられた水や食べ物を取りに来るための扉が描かれている。つまりあの世と現世を繋ぐ扉であり道でもあるのだが、それを作り、転移の道具として使用するというものである。今回、リビアの神官がドゥアイトを送る為に使った方法もこれだった。

 メリットは肉体の分解が不要な事。デメリットは大きな魔力を必要とする事と、水なら水、岩なら岩、というように、出口と入口は同じ要素で繋げなければならない事である。


 魔術師は本能的にこの二つのどちらかを使い分け、または併用する事で転移を可能にしているという。


 呪術師であるテティーシェリが使う方法は、一つ目の分解法だった。

 ライラをカエムワセトへと導く物は、カエムワセトが残していった耳飾りと指輪である。


「転移を実現させる呪具ができれば、世紀の大発明かもしれませんね」


 表面すれすれまで水が張られた壺を前に立ったテティーシェリに、アンナが冗談めかして言った。


「ぷぷぷ、プレッシャーをかかかぁけないでください!」


 極度の緊張のせいか、酷くどもりながらテティーシェリは答えた。

 続けてテティーシェリは、すっかり観客同然になっている仲間達に顔を向けると、これでもかというほど引きつった口元で注意する。


「あああんまり見ぃいないでくださいね!こここれ以上きき緊張するとかかぁらだが動かなくなりますので!」


 左手に持ったシストラム(ガラガラの様な楽器)が、小刻みに震える手に合わせてガシャガシャと雑な音を立てている。


 パシェドゥが「あーあ、久しぶりに上がっちゃって」と苦笑った。

 つい最近までテティーシェリのリーダーだったパシェドゥは、テティーシェリは本来上がり症で、慣れない舞台の前には過呼吸寸前まで緊張するのだと皆に説明した。


「あんた芸人じゃねえのかよ」


 今まさに過呼吸を起こしかけている踊り子を見て、ジェトは呆れる。

 見られてなんぼの芸人が『踊りを見るな』など。商売あがったりではないか。


「大丈夫だよ、一度踊り出したら取りつかれたみたいに平気になるから」


 何度もテティーシェリの上がり症に付き合って来たダリアが慣れた調子で言った。


 アーデスはテティーシェリの踊りを初めて拝める感激と、緊張に震えているその可愛らしさに打ち震えていた。


「やべえマジで惚れる」


 隣でぶつぶつ言いながら顔を手で覆い肩を震わせている戦友を見やったラムセス二世は、「大丈夫かよお前」と渋面を作る。

 長い付き合いだが、アーデスがここまで誰かに夢中になった様子を見るのはラムセス二世も初めてだった。


「まあ確かにいい女ではあるが……」


 シストラムを手にしたヌビア系の美しい踊り子を眺めながら、ラムセス二世は顎を摩る。


「しかしなんでかなー。俺は食指が全然動かねんだよなぁ」


 無意識下でテティーシェリが男だと見破った筋金入りの女好きは、まだ意識下にまで届いていない本能の決定事項に悩まされ、不思議そうに首をひねった。


 多様な視線を注がれながら、テティーシェリは胸に手を当てて何度か深呼吸を繰り返す。

 やがて幾分心臓の落ち着きを感じたテティーシェリは、覚悟を決めたようにその華やかな面ざしを引き締めると「では、いきます!」とシストラムを振った。


 シャン!


 先程のまでの雑な音とはまるで違う洗練された音色が、テティーシェリの左手から発せられた。


 テティーシェリの呪術は、実現させたい事柄を思い浮かべながら、身体が動くままに、声が出るままに舞い歌うという方法である。


 神殿の儀式でも使われるシストラムを鳴らしながら、テティーシェリは己の奥底から全身を満たし動かす力の流れに集中し、身を任せた。


 神に舞を奉納する巫女のように神秘的でありながらも、その伸びやかな四肢を振るう緩急の鋭い動きは、道行く者の視線を奪い立ち止まらせる一座の踊り子の踊りそのものにも見えた。また、シストラムが一際強く音を鳴らす時には、演武の如き迫力もあった。


 呪具を作っているテティーシェリの踊りは一言で言い表せない不思議なものだったが、この踊りが今まさに“何かを生みだしている”気配を、踊り手だけでなく見ている者にも感じさせると言う点は、ただ一つ間違いのない事実だった。


 その場にいる全員が声を発するのも忘れて呪術を使う踊り子の舞いに見入る中、踊り子はシストラムの音色を速めながらその音に合わせてその身体を何度も回転させた。

 壺の中の水面がゆらぎ、やがてテティーシェリの回転に合わせるように捻じれて浮かび上がり、宙で回り始める。


 テティーシェリは暫く自分と同じように回転する水を注視しながら舞い回っていたが、水の正面で回転を止めると右手を動かし、宙に浮く水を煉る様に円を描いた。


 回転していた水がテティーシェリの手の動きに合わせて球体となり、シストラムが鳴るとその音色を内に取り込み光に変えてゆくように、中心から太陽の様な輝きを放ちだす。


 水の球体を支えるように右手を伸ばし、左手のシストラムの音色を速めながら、テティーシェリは水の球体の内に魔力を刻んでゆく。

 そしてシストラムの音色が最高潮に達した頃、テティーシェリは音色をぴたりと止め、前に伸ばしていた右手を素早く横に引くと同時に落ちるようにしゃがみ込んだ。


 水の球体が支えを失った如く壺の中に落ち、零れた分を回りに撒き散らした。

 淵からこぼれ落ちそうなほどにたっぷりと張られていた水は殆ど零れてしまったが、壺の中には輝きを秘めた部分がほんの少し残された。


 静寂の中、テティーシェリがゆっくりと立ち上がる。


 ふう、と息をつくと、いつもの和やかな表情に戻った踊り子は、まず初めに、両手を強く握って見守っている赤毛の仲間に向かって艶やかな微笑みを贈った。


「完成しましたよ。ライラ」

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