第68話 ライラの執着
「やったっス!」
カカルが拳を握った。
「敵の攻撃が止んだみたいだな」
「でも大丈夫なの?敵味方ぜんぶなぎ倒しちゃって」
「砂嵐に飲み込んだだけだろ。こんなので死ぬ奴いねえよ」
「見えませんよう。もう少しつめてください!」
「アーデスあんた背高いんだから後ろに行きなさいよ!」
アンナの離れに移った面々は、水盤の回りに集まっていた。アンナが自分の水盤でカエムワセトが行ったリビアの様子を見る事が出来るというので、大急ぎで大移動したのである。
水盤の周りには押し合いへしあいしながら、カカル、ジェト、パシェドゥ、アーデス、テティーシェリ、ライラが水盤前に陣取っていた。その後ろにはラムセス二世やタ・ウィの団員と、ミリアムにネベンカル。加えて、移動途中で合流した王子たちが、隙間から覗きこむように水盤が水面に映し出す映像に注目している。
「押さないでください。集中力が乱れます!」
水盤の淵に指を添え自らの魔力を流す事で映像を映し出しているアンナは、横から後ろからぐいぐいと押され、倒れそうになって悲鳴を上げた。
「支えといてやるよ」
アンナの後ろにいたラムセス二世が、アンナを包むように両腕を前に出し、水盤が置かれている机に手をついた。ラムセス二世は抜きんでて背が高く、その懐に入るだけでアンナはすっぽりと隠れてしまう。ファラオ愛用のムスクの香りがアンナの鼻をかすめた。
「それにしても便利な道具だなぁ。遠くで起こってる様子が見れるなんて」
顔を寄せて感心したように言ったラムセス二世の声を耳元で感じたアンナが、その身をぎゅっと固くした。
次の瞬間水面が大きく揺れ、そこに映ったカエムワセトの姿がぐにゃりと歪む。
「あ!」
「集中力が乱れたっス!」
ジェトとカカルが水盤に向かって身を乗り出した。
「んもう、やぶ蛇~!」
「陛下!アンナ様に話かけないでください!」
続けて、アンナの集中力を乱した原因であるラムセス二世を、パシェドゥとライラが責め立てた。
「俺が悪いのかよ!」
良かれと思ってやっているラムセス二世は、責められている理由が分らず
「殿下がた。あれが天性の“女たらし”ですよ」
ヘレナが自分の横に行儀よく並んでいる、七番から十番の王子たちに珍獣を紹介するような口調で言った。
父親をスケコマシ扱いされた王子たちは、一様に何とも言えない複雑な表情を浮かべながら、曖昧に頷いた。
咳払いをしてから、アンナが言う。
「距離が離れていればいるほど、私の魔力も消耗します。無事にエジプト軍と合流した事も確認できましたし、一度休んでよろしいでしょうか」
アンナが水盤から指を離すと、画像が消えた。
ああっ!
と一同、玩具を取られた子供の様な反応で水盤に身を乗り出す。
しかしその水面には水盤の底以外、もう何も映っていなかった。水盤を覗きこんでいた面々は、諦めたように身を離した。
「アンナ様!私を殿下の元に送っていただくことはできませんか!?」
暫く水面を睨んでいたライラが、意を決したようにアンナに顔を向けた。
アーデスはとんでもない事を言いだした同僚に「馬鹿言え」と顔をしかめた。
ライラは魔術恐怖症である。魔術で生み出された怪物がうじゃうじゃいる戦場に行こうものなら、辿り着いた途端、失神してしまいかねない。
「お前な。あんな化け物だらけの所に行って何ができんだよ」
「そうよライラ。びっくり人間大集合みたいな戦場で生身の人間に出来る事なんてないわよ」
アーデスの苦言に便乗するが如く、独特な言い回しでカエムワセトが向かった魔術だらけの戦場を言い現わしたパシェドゥに、ジェトが眉をひそめる。
「なんだそのびっくり人げ――」「例え蟻一匹分の戦力だとしても、注意を逸らせる事くらいはできる!」
突っ込みかけたジェトの頭を押し潰し、ライラはぐいとアーデスとパシェドゥに向かって身を乗り出して主張した。
ま、魔術だって平気です!
続けて、明らかに強がりと分る態度でその場に居る全員に向かって豪語する。
ほお。とアーデスが疑いをたっぷり含んだ眼差しでライラを見た。
ライラは劣勢に追い込まれながらも、絶対に退くものかという強い決意の元、拳を握った。その手の中にはまだ、カエムワセトから預かった耳飾りと指輪がある。
「だって私は、殿下の傍にいなければ……」
俯き唇を噛んだライラは、カエムワセトが残して行った装飾品の硬い感触を右掌に感じながら、ぎゅっと目をつぶり言葉を溜めた。そして皆が注目する中、キッと眦に力を込めて顔を上げた彼女は、渾身の力で吠える。
「私は殿下のお傍にいなければ、生きている意味などないのです!」
ライラの咆哮が薄暗い部屋に響き渡り、その余韻の全てが石壁に吸収された頃。
まず、ティムールが「言い切ったな~」と目を丸くした。
「まあちょっと、痛い子だなとは思ってたけどね」
続いてダリアが困ったように指先で側頭部をぽりぽりと掻きながら言った。
そこからは次々と、ライラの強烈な執心ぶりに対し、それぞれがそれぞれらしい反応を示してくる。
「ライラ。息子を想ってくれるのは有難いが、お前もうちょっと自分ちゅうもんを持ったほうがいいぞ」
ラムセス二世は本気でライラの人生を案じた。
「そのうち墓まで同じ場所にしろとか言い出しかねねぇぞこれ」
「ちょっと迷惑っスね」
ライラの部下であるジェトとカカルは至極面倒くさそうに二人でこそこそと話した。
ヘレナの横に並ぶ王子たちは、「なんていうんだっけ、こういう人。ええと……」
「つきまとい?」「信奉者かな?」「押し掛け女房?」とライラにピッタリな表現を探そうとしていた。
他の者達も言葉には出さないが、各々、呆れや同情、憐憫等の心情が顔や態度に出ていた。
ライラの相棒に当たるアーデスにいたっては、これまでライラのカエムワセトに対するこじらせた執着心に散々振り回されてきただけに、もはや何も言えなかった。「あはぁっ」と泣いているのか笑っているのか分らない声を出して天井を見上げるのが関の山である。
劣勢な状況を打開するために恥を忍んで暴露したのに、むしろ余計に状況を悪くしてしまったライラは、後悔と羞恥心で燃えるように熱くなった顔面を両手で覆い「あああ」と呻いた。本当は今すぐこの場から脱兎のごとくに逃げ出したい気持ちである。
アンナが心底申し訳なさそうに「ライラ」と声をかけた。
「ごめんなさい。方法は分るのだけど、殿下の覚醒を手伝って私の魔力も残り少ないの。人一人送る力、今の私には……」
ライラの希望には応えられない旨を伝える。
ライラは「そうですか」と落胆した。しかし、すぐ別の可能性を思いついたライラは、今度は新しくカエムワセトの従者となった呪術使いの踊り子に顔を向ける。
「テティーシェリは呪術師なんでしょ!?殿下やアンナ様みたいに人を遠くに移動させることはできない!?」
必死の形相で迫られたテティーシェリは、どうでしょう……。とその華やかな顔を曇らせて思案した。
「呪術と魔術は似ているようで違います。呪術はあくまで呪文を操る
可能性はゼロではないが、期待するのは難しい。と肩を落とす。
「でもあんた、確か呪文を即席で作れるって言ってたよな?」
ぺル・ラムセスでの自己紹介を思い出しながら、ジェトがある可能性を提示した。
「護符とかって呪術の類だよな。あんたなら人を移動させる護符も作れるんじゃねえの?」
ジェトとカカルは一度、カエムワセトから渡された護符で姿を変えた事がある。変装、といった目くらましの類ではなく、別人に形を変える“変身”である。人の形を変えるほどの力が護符にあるのならば、人を移動させる呪術道具も作れるのではないかとジェトは考えた。
「災難よけ程度のものなら私も何度か作った事はありますが。けれど、そんな強大な力を持つ道具は聞いた事がありません」
弱腰になっているテティーシェリに、ライラが「お願いやるだけやってみて!」と懇願した。
「転移のからくりなら、私がお教えしましょう。その知識を元に、一度試してみては如何かしら」
「大丈夫、あんた天才だもん。きっとできるわよ」
アンナとパシェドゥに後押しされて、テティーシェリは暫く考えた後「分りました」と頷いた。
「私も殿下のお役に立つ為にここにいるのです。やれるだけのことは、やってみます」
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