第64話 人払いの理由

「覚醒すると何が起こるんですか?」


 仲間達が隣の部屋を出て行く足音を聞きながら、カエムワセトがアンナに訊ねた。

 浴室は湿気取りの窓が大きく開いており、部屋と言うよりは半屋外、といった造りである。

 アンナは自分も装飾品を外し、それを端のテーブルに置きながら「さあ?」と返した。


「私にも何が起きるか分りません。人払いをしたのは、あの方々に聞かれたくない話をあなたにしようと思ったからです」


 その言葉に、カエムワセトは眉をひそめる。


「話、とは?」


 隣の部屋に居た者たちは、信用に足る人物ばかりである。その彼らにすら聞かせたくない話とは、一体何なのか。

 訝るカエムワセトに、アンナは決意を固めるように一度大きく呼吸をした。

 吸気と共に持ち上がった胸が元の位置に落ち着いた頃、両の目でまっすぐにカエムワセトを見る。


「リラという少女の事は、ライラ殿から教えて頂きました」


 アンナは、リビア軍に囲われていると思われる魔術師の少女について、ライラから一通り聞いたと告白した。

 カエムワセトは、そうですか。と返した。

 ええ。と申し訳なげに、アンナは一度視線を落とした。下腹部の前に添えた両手を結んでから、再びカエムワセトを見つめて先を続ける。


「魔術師が群れを嫌うのは、殿下もご存知かと思いますが……」


 前置きしてから、アンナは本題に入った。


「魔術師が孤独主義なのは、実は己の身を守る為でもあります。大切にしている者がいなければ、そこに付けこまれる心配もありません。『一切の執着を捨てよ』。魔術師は魔術師の親から、そのように教わるそうです。そして、その親とも早々に縁を切ります。お互いを守るために」


 私が何を言おうとしているか分りますか。とアンナは問いかけた。しかし、すぐに瞼を伏せた。出来る事なら自らは口にはしたくない、という思いが伝わる。


 カエムワセトは何も答えなかった。自分が知らず知らずのうちに犯してい過ちに気付き、愕然としていたのである。

 カエムワセトは、魔術師が孤独主義なのはだと思っていた。放浪癖があり、ひととこに留まらないのも、衣類や装飾品に興味を持たないのも、魔術師特有の性分の様なものなのだろうと。

 ふらりと現れてはいとまを告げず消える距離感。不要とばかりに床に転がされたサンダルや装飾品。心の内を悟らせない薄い微笑み。ただの個性だと受け止めていた浮世離れしたリラのそれらには全て、確固たる理由があったのだ。


 何故もっと深く考えなかったのだろう、と自分の愚かさを呪った。魔術師が一個師団を容易に滅ぼせる力を持つ事も、それを利用したいと考える人間がいる事まで把握しておきながら、何故あと少し、考えを掘り下げなかったのか。


 カエムワセトが返事を返さなかったので、アンナは先に進む為に口に出すしかなかった。


「彼女の弱味はあなたです。カエムワセト殿下」


 言い終えるとアンナは苦しげな面持ちで俯いた。


 アンナは、リラとカエムワセトとの関係と、今回リラの身に起こった出来事を勝手に水盤で見た事を詫びた。そして、カエムワセトにとっては非常に辛い現実を告げる。


「相手はリラに、あなたを人質にとっていると偽の情報を与え、彼女に拘束する隙を作らせました。そこからは疑いを抱く余裕すら無いほどの拷問を与え思考を奪い、命令に従うだけの兵器としました。彼女は今、敵国の将が命ずるがまま、エジプト軍を攻撃しています」


 やはり、自分が夢で感じていた全身の痛みはリラが負わされた傷の痛みだったのだと確信した。リラは壊れゆく精神の中で、必死にカエムワセトの身を案じ、助けを求めていたのである。

 カエムワセトは例の悪夢を見た最初の日を思い出した。兄ラメセスがぺル・ラムセスに帰還する10日ほど前である。

 半月前。半月もリラは苦しみ、助けを待ち続けている。


「リラはずっと、夢で私を呼んでいました」


 リラの身に何かが起きていると感じながらもダプール奪還に気持ちを奪われ、結局は無視し続ける形になってしまった。

 ぺル・ラムセスに居た時から夢を見続けていたというのに、リビアに向かうどころかどんどんリラから遠ざかった自分の愚行を恥じる。


「殿下だけの責任ではありません」


 うな垂れ自分を責める青年に、アンナは優しく声をかけた。


「これは彼女自身が、あなた方との絆を望んだ結果です。そもそも人同士の絆を望む事の、どこに悪があるのでしょうか」


 ですが――


 とアンナは続けた。


「正気を失った魔術師は危険です。元に戻れない時は、貴方の手で息の根を止めてやるのも優しさかもしれません」


 どうなさいますか。アンナは問いかけた。


 アンナの見立てでは、リラの精神は既に壊れている。ならば、やはり覚悟は必要なのだろう。しかし――

 カエムワセトはそれでも腹を決められなかった。


「分りません。その時に考えます」


 弱々しくそう答える。


「そうですね。今はそれでいいと思います」


 アンナは頷いた。


 その時が来れば、否応にも答えを出さねばならないのですから。


 最後にそう結び、辛い告白を終えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る