第63話 覚醒

「殿下は非常に希なケースですが、類似した事例が文献に残されていました。その者は他者の魔力を体内に取り込み、己の魔力の限界値を上昇させたといいます。殿下の場合は、死亡した神官二名の魔力が授けられた事で同じような現象が起きたのでしょう」

 

 ライラの呼びかけで、ラムセス二世をはじめ、カエムワセトとその部下達は城のある一室に集められていた。

 どこなく全体に湿り気のある狭い部屋の中で肩を寄せ合うように並ぶ面々の前で、アンナはカエムワセトの身に起きた変化について説明した。


「イエンウィアとパバサか……」


「誰それ?」

 

 カエムワセトの口から出された人物の名前に、彼らと面識のなかったパシェドゥが質問した。

 

 プタハ大神殿の神官だったんだよ。と、アーデスが答える。


「リラの話じゃあ、死んだ後ワセトに魔力を譲ってくれたそうだが」

 

 パシェドゥが へえ~。と感嘆した。死んでもそんな事できるのね。と死後の世界の存在を証明する事象に対し、興味深げな反応を見せる。


 死後の世界である『オシリスの審判(冥界の神オシリスの前で生前の悪事の告白を行う)』や『イアル野(天国)』は古来より言い伝えられてはいるが、実際に見て来たという者はおらず、正直半信半疑だったパシェドゥは「やだ。じゃあアタシ、アミメト(アヌビス神のペット)に心臓食べられちゃうのじゃない」と青くなった。


「食われるのは嘘をついた時だけろ」


 アミメトが死者の心臓を食らうのは、死者が己の罪について虚偽の申告をした時のみである。

 自身も伝承には疎いアーデスだったが、明らかに間違って記憶しているパシェドゥに訂正した。


「だって自分の悪事なんて全部覚えてらんないもん」

 

 とパシェドゥ。


 裏稼業を生業にする彼は、拳を口元に当てておろおろとすると、盗みから詐欺、殺人まで自分が犯してきた悪行を、指を折りながら数えだした。そして悪事と悪戯の線引きすら怪しくなってきた彼は、


「ねえライラ、寝てる人の顔に落書きするのって悪事に入る?」と隣のライラに訊ねた。


「黙らないと私が今すぐオシリスの元に送るわよ」


 我慢の限界に達しかけていたライラが最後通告よろしく、話の腰を折った男に唸るように脅しをかけた。心なしか、潤沢な赤毛が逆立っているようにも見える。

 

 脅し文句の中に本気を感じ取ったパシェドゥは、「あら怖ぁい」と冷や汗を流して押し黙った。


「でも、私はまだ枯渇した魔力を取り戻せていないんです。今の自分の状態が魔術師と同等なんて、とてもじゃないけど思えません」


 カエムワセトはアンナの話を半ば信じられない思いで自分の胸に手を当てた。

 魔物との戦いで、すっからかんになったと感じた自分の魔力は、自覚している限りまだ七割程度しか回復していない。神官のように既存の呪文を使ったり、杖を蛇に変えるなど多少の魔術も可能だが、万物を自在に操る魔術師と同等の魔力が自分の身に宿っているとは思えなかった。


「それは性質の異なる魔力が混ざった事で、殿下の魔力にまで変化を及ぼしたからです。性質が変化した魔力を使いこなす為には、覚醒が必要です」


「「「……かくせい……」」」


 その場の全員が復唱した。


 はい、覚醒です。とアンナが頷く。


「回復は既に終えています。あとは、覚醒させるのみ」


「失礼ですが、覚醒とはなんなのでしょう?私は呪術使いですが、覚醒など身に覚えはありません」


 テティーシェリが質問した。いつもより声が低い。立ち居振る舞いも、これまでの可愛らしい踊り子から、どことなく中性的な雰囲気に変わっていた。ヒッタイト兵との戦いで“アル”に戻った事が原因である。一度完全に男に返ると、“テティーシェリ”にコンディションを戻すまで数時間から数日を要するのだ。性別を使い分けるというのも簡単ではなかった。


「覚醒は最初の呼吸ですから。自覚している方は滅多におりません」


 アンナの解答に暫く考えたカエムワセトが、「出生のことですか」と“最初の呼吸”にあたる事象に思い至った。

 その通りです。とアンナが答えた。


「文献によると、人間の魔力は初めて外気を体内に取り入れた瞬間に花開くそうです。そこから先は、魔力の花はその者が死ぬまで枯れる事無く咲き続けるのだとか」


「一回死ねってか?」


「流石にそこまでは」


 死ぬまで同じ花が咲くのであれば新たに覚醒させるには死ぬしかないだろう、という安直な考えで結論を導き出したラムセス二世に、アンナは苦笑った。


「体内に溜めこまれた外気を限界まで抜けば、こちらの助けで何とかなるかと思います」


「つまり息を止めろと?」


 確認してきたカエムワセトにアンナは、限界ぎりぎりまで。と頷いた。


「なんだ、簡単じゃねえか」


 ジェトが笑った、覚醒などと仰々しい表現を使う割には、やることは意外と単純である。

 アンナは首を横に振った。


「いいえ。意識が無くなる一歩手前まで我慢して頂かなくてはなりません。お一人では無理でしょう」


 うわっエグ!――


 意識が無くなる手前と訊いた途端、悲壮な空気が一同を包んだ。

 顔を無理やり水に押しつけ死の恐怖を味わわせる拷問があるが、アンナが示す方法というのは、要はそれと同じことだった。

 今から水攻めを受けると知ったカエムワセトは、何とも言えない苦い表情になる。

 大丈夫ですよ、とアンナは言った。


「私は水と相性がいいんです。一緒にこの中に入って下されば、覚醒を助けましょう」


 そう言うと、隣の部屋との仕切りになっているベールを上げた。そこに居る全員が、我も我もとベールの向こうを覗きこむ。


 ベールの向こうでは、ミリアムとヘレナが作業をしていた。大きな四角い窪みに、えっさえっさと桶で水を入れている。


「風呂場?」


 ラムセス二世が眉をひそめた。

 入れているのは湯でなく水だったが、見えているのは明らかに浴槽だった。

 はい。とアンナが再びベールを閉じた。


「水の中であれば川でも泉でも何でもいいのです。今は急ぎなので、浴室を使ったまでです」


「こいつがあそこに入るのか?」


 ラムセス二世がカエムワセトを指差して訊ねる。アンナは、そうです。と答えた。


「あんたも入るのか?」


 ええ。とアンナ。


 ラムセス二世はへえ~、と言いながら顎をさすった。そして、おもむろにカエムワセトの肩をポンと叩くと


「やったなお前。初の混浴だぞ」


 と息子の初体験を真顔で祝った。

 アンナが目を丸くし、カエムワセトは「は!?」と顔を真っ赤にする。


「こんのクソエロオヤジ!時と場所をわきまえられんのか!」


 激昂したジェトがラムセス二世向かって拳をふりかぶった。ラムセス2世がカエムワセトを拘束し軟禁するよう命じたと聞かされ、一物抱えていたところのおフザケである。勘忍袋の緒が切れるのは早かった。

 だが相手は曲がりなりにもファラオである。一度でも拳を叩きこめば、反逆罪の罰を与えられる羽目になりかねない。


「アニキ人中っす堪えるっス!」

「俺が後で殴っといてやるから!お前はやめとけ!」


 慌てたカカルがジェトを羽交い絞めにし、過去ラムセス二世をどついてお咎めなしだったアーデスが振り上げられた拳を掴んで下ろさせた。


「あああ、アンナ様!混浴というのは私はちょっとどうかと思うのですが!?」


 ライラが涙目になりながらアンナに抗議した。


「皆さん、盛り上がっておられる所、誠に申し訳ないのですが――」


 アンナは眉根に皺を寄せ、服を脱ぐ必要はないと伝えた。

 途端、大騒ぎだったその場の空気が一気に静まる。


「ちょっといいか?」


 ネベンカルがいつもの尊大な態度でアンナに訊ねた。


「この中に二人で入って、この人に息を我慢させるんだよな?」


 今も浴槽に次々と水が放り込まれている隣の浴室を指差し、これから二人が行う覚醒とやらの儀式の方法について確認する。

 アンナは頷いた。ネベンカルはやれやれと言わんばかりにため息をつく。


「兄はこれでも男だ。もし暴れたら、その細腕で押さえ込めるのか?」


 拷問同然の儀式など、死の危険を感じた相手が大人しくしているとは限らない。呼吸しようとカエムワセトがもがこうものなら、アンナなどすぐに弾き飛ばされるだろう。


 ネベンカルの指摘に、その場の面々は「確かに」と同意した。


「掴まれただけで折れちゃいそうな腕よね」

「一応、俺らも加勢した方がいいかもな」

「それがいいっスねアニキ。アーデスさんも手伝うでしょ?」

「ああ。とりあえず野郎全員で押さえたら、火事場の馬鹿力出されても余裕だろ」


――だな!


 珍しく結束し、頷き合った野郎どもは腕を伸ばしたり屈伸運動をしたり、各々準備運動を始めた。ティムールはサシバとキイをダリアに渡し、イネブとギルは「お前もだ」とテティーシェリの肩をたたいた。肩を叩かれたテティーシェリは「またアルに戻るんですか!?」と至極嫌そうな悲鳴を上げる。ラムセス二世はボキボキと指を鳴らしている。


「冗談じゃなく本当に殺される気がします」


 カエムワセトは大真面目に他の覚醒方法を求めた。


「み、皆さんが想像されている様な押さえ込み方はいたしませんので、どうぞご心配なく」


 焦ったアンナは、やる気満々の男性陣を掌で押しとどめて加勢を断った。


「先程申しあげたでしょう。私は水と相性がいいのだと」


 水を操って押さえ込むのだとアンナは説明した。そのための浴槽なのだ、と。


 アンナの説明を聞いたカエムワセトは安堵して胸を撫でおろした。

 一方、兄を体よく殺す機会を失ったネベンカルは小さく舌打ちした。まだ諦めてなかったのか。と、カエムワセトはネベンカルのしつこさを思い知る。


「準備できましたよ」


 風呂場の方からベールが持ち上がり、ヘレナが顔を覗かせた。重労働で軽く汗ばみ、頬が紅葉している。

 アンナはヘレナとミリアムに礼を言うと、カエムワセトに向かい合った。


「では、はじめましょう」


 と言う。カエムワセトが頷く。


「貴金属は外して下さい」


 余計な物質を身につけていると覚醒の妨げになると言われ、カエムワセトは耳飾りと指輪を外した。それをライラに渡す。


「すぐ戻るよ。それまで持っていてくれ」


 ライラは黙ってそれを受け取った。


「覚醒すると、何が起こるか分りません。念の為皆さんはこの部屋を出ておいて下さい」


 カエムワセトと入れ替えるように、一仕事終えて汗をぬぐうヘレナとミリアムを浴室の外へ出したアンナは、自分達を見送る面々にそう伝えると、ベールを閉じた。

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