リビアへ。そして終戦

第59話 ファラオの采配

 ラムセス二世率いるファラオ軍は、城門を大きく開かれ迎え入れられた。門前に吊られていたエジプト兵の遺体は昨晩のうちに下ろされ、並べられていた首と共に戦死者墓地に埋葬されていた。


 戦車および歩兵合わせ500あまりの軍勢は、城へと向かう道中、街頭の両脇の建物の窓から、路辺から、花を投げられ歓迎の言葉を口々に贈られた。


「まるで凱旋行進だな」


 自国の兵が大勝利を収めて戻って来たような市民の歓喜ぶりに、なんじゃこりゃ、と言わんばかりの苦々しい表情を浮かべた戦車上のファラオは、さっそく頭に花束を頂戴する。

 民家の二階の窓辺にいた婦人から投げられたその花束は、ラムセス二世の頭頂部で一度バウンドした後、無事ファラオの手元に落ちた。

 自分の手に落ちて来た色とりどりの花束を、上に向けたり下に向けたり、角度をかえながら一通り眺めたラムセス二世は、戦車の手綱を取る従者のメンナに「やるわ」と渡した。

 長年ラムセス二世の手綱取りをしているメンナは何とも言えない顔で見事な花束を受け取った。



 大広間でラムセス二世を出迎えたカエムワセトおよびゲリラ部隊員達は、跪き低頭した。

オルビアはじめ彼が連れてきた捕虜達は、ファラオ軍をペルシウムまで輸送する船を確保するため、カイザリアへ向かって既にいない。


構わん、楽にしろ。との下命に、顔を上げ立ち上がった面々を見たファラオは、ぎょっと身を引く。


「何だお前ら。どいつもこいつもやつれた顔しやがって」


お前のせいだ!!


 隈の浮いた青白い笑顔の下で、その場にいた全員が人騒がせなファラオを一斉に罵倒した。悪気があってヒッタイト軍と同時に現れた訳ではないので、残念ながら実際に口には出せない。


「父上。その―― 随分と早いご到着でしたね」


 カエムワセトが遠回しに早すぎる到着を咎めたが、ラムセス二世は意に介さなかった。そもそも、苦情だとは気付いていないのである。


「ああ。最短ルートを選んでカっ飛ばして来たからな」


 わざと目立つよう主要都市を経由してゆっくり来てくれと言った息子との約束を勝手に反故にした父王は、あっけらかんとそう言った。

 はあ……。とそこら中からため息が漏れる。


「あと三、四日はかかると思ってたぞ。数日前にガザを出立したっちゅう情報はどうなってんだよ」


 ガセか?と聞いてきたアーデスに、ラムセス二世は、ガセじゃねえよ。と返した。


「そっちは陽動部隊の陽動部隊だ。お前の予想通り、四日後くらいに着くんじゃあねえか?」


 今度は全員が『はあ?』という顔をする。陽動部隊の陽動部隊とは、どういう軍隊か。


「すみません。皆疲れておりまして。もう少し分りやすくお願いします」


 カエムワセトが代表して噛み砕いた説明を求めた。


だからさー。と、ラムセス二世はやや苛立った様子で再度説明する。


「部隊を二分したんだよ。陽動役は残してきた半分がちゃんと担ってんだから別にいいだろ。お前だって、こっちの采配は俺に任せると言っただろうが」


「なる、ほど」


 納得したカエムワセトは頷いた。陽動部隊を更に分けて敵を翻弄させるという発想までは、流石に出せなかった。だがしかし、何の為に?父王の説明には納得できたが、その目的が思い当たらず、カエムワセトは首をひねった。

 敵どころか味方まで騙し、窮地に陥らせてしまったのでは二分して駆けつけた意味が無い。


「だからな、言わんこっちゃねえんだよ」


 返答に困っている主人に、アーデスが文句をたれた。


 ぺル・ラムセスでの策戦会議で、ラムセス二世に陽動役を任せると言ったカエムワセトの案に、カデシュの戦いでのファラオの猪突猛進ぶりを体験しているアーデスがおぼえた不安は見事的中した事になる。


 大将が到着したというのに一向に喜ぶ顔を見せない息子とその部下達の様子に、ラムセス二世は不満げに眉を寄せ、腰に両手をあてた。


「なんだよぉ。お前らが心配で急いで来たってのに。さっきだって危うくヒッタイト軍に攻め込まれるところだったじゃねえか。俺らが牽制してなかったらお前ら死んでたかもしれねえぞ」


 心配だったから策戦の最も大事な部分を勝手に変更したのか。あの進軍は牽制しているつもりだったのか。

 カエムワセトは真っ白になる。


「な。だからな、言わんこっちゃねえんだよ」


 同じ文面を使って再びアーデスが言った。


 その時、広間の扉が開き、左右から兵士に付き添われたアンナが入って来た。身なりは整え直されており、顔の左側も隠していない。


「執政の娘、アンナでございます」


 ラムセス二世の前まで静かに進み出たアンナは、両膝をつき、平身低頭した。


「この度の父の行い、お許し下さいとは申しません。父娘おやこともども、存分に御処分下さい」


 細いが落ち着いた声で、更に深く頭を下げる。


「父上」とカエムワセトが一歩進み出た。


「この方はダプール奪還の手助けをして下さいました。執政もエイベルに踊らされているだけでした。どうか、寛大な処置をお願い致します」


 二人の減刑を求めて来た息子に、ひれ伏すアンナを見下ろしながら、ラムセス二世は「そんな事分かっとる」と返した。


「政局を見通す目に欠けているのを知りながら、あいつをぐずぐず執政官の椅子に座らせ続けた俺にも責任はある。―― 面倒をかけたな」


 この場で首をはねられる覚悟で出向いたアンナは、思いがけす労いの言葉をかけられ、返す言葉が見つからずひれ伏したまま首を何度も横に振った。


 ラムセス二世は小さくなって恐縮するアンナの痩せた背中をしばらく眺めていた。が、やがて


「お前独身か?」


 と問う。


 途端、ラムセス二世の後ろから悲鳴のような驚嘆が幾つも上がった。


「父上、それは横暴です」

「なぁに~、ちょっと最低じゃない?」「鬼畜っスね~」「女の敵?」


 慌てたカエムワセトが止めに入り、その部下達が流し眼を送りながら自国の王の陰口をたたく。

 痛い視線がざくざくと刺さって来る背後を振り返った自他共に認める好色漢は、盛大に勘違いしている息子と家臣に「違うわ!」と怒鳴った。


「何を早とちっとるんだお前らは!」


「お前の日頃の行いだろうが」


 人でなし扱いされ腹を立てるラムセス二世に、アーデスがぼそりと手厳しいツッコミを入れた。


「婿は俺じゃねえよ。――いや別に俺でもいいんだが」


 余計な二言目を口にした途端、痛い視線が冷たいものに変わった事を感じたラムセス二世は、もう無駄口は叩くまいと心に決めてアンナに向き直る。


「俺の息子はどれも独身だ。嫁に来たいなら検討してやる。お前の父親は失脚させて、ここには信頼のおける男を据え直すつもりだからな。ここに居ても、いい事無いだろ」


 アンナが顔を上げた。

 明るい色を持つ両目は驚愕に見開かれ、薄い唇はぽかんと開けられている。


「仲良くなったんならこいつでもいいぞ」


 にやりと笑ったラムセス二世は、ダプール奪還の功労者である四番目の息子を親指で指し示した。

 ライラが「ええ!?」と声を上げる。


 アンナはあえてカエムワセトを見ることはせず、再びひれ伏した。


「大変嬉しいお声がけではございますが、やもめの父が心配故。御無礼いたします」


「できた娘だな。あんな老獪、とっとと見限っちまえばいいのに」


 面白くなさそうにため息をついたラムセス二世は、アンナが広間に入室してから扉の向こうでずっと成り行きを見持っていたミリアムとヘレナを手招きする。


 「もういい。連れて帰ってやれ」


 と示指を出した。


 ミリアムとヘレナが急いでアンナに駆け寄る。


 大小二人の侍女の手を借りながら、ふらふらと頼りない動きで立ち上がったアンナに、退室を許したファラオは「お前は痩せすぎだ。ちゃんと食え」と苦言を呈した。


「近いうちに新しい執政官をよこす。それまでにもう少し健康体にしておけ」


 アンナの存在が次期執政官の助けになるかもしれないと踏んだラムセス二世は、アンナに治世の一端を担わせる為にも身体の強化を言いつけた。


「はい。お任せ下さい!」


 ファラオからの命令に、表情を引き締めたミリアムが真っ先に答えた。

 主人の胸元までしかない身体を二つに折って一礼すると、慣れた調子でアンナの手を取り、部屋を出て行く。

 ラムセス二世はその小さいながらも頼もしい背中を見送りながら、


「ちっせえ侍女長だな」


 と笑った。



 書物に溢れたアンナの寝室の隣。魔術道具が収納された部屋の中央には、円卓が置かれ、その上には同じく魔術使いであった母親から受け継いだ占い水盤があった。

 その水盤には、常にたっぷりとした清水が貼られている。


くらり。と、盤の水面が揺らいだ。


 小さな鳥のシルエットが盤の内底から現れた。それは円を描きながら徐々に大きく浮かび上がり、やがて水面が黄金色に輝きだす。

 水面から浮き出る金色の光の粒子が水盤の淵から暗い室内に溢れた時、一羽の鷹が飛び出した。その焦げ茶色の両翼を広げ、金色の水滴をまき散らしながら、鷹は室内を旋回する。先に墨を塗った様な黄色の嘴を大きく開けると、高い鳴き声を上げた。

 その左足には、書簡を封した筒が括りつけられていた。

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