第55話 掲げられた軍旗と制圧宣言

 何かが破壊される音がした途端、歓声の様な、または咆哮の様な声が一際大きく響いた。それを機に、群衆の声が一気に近くなる。


「とうとう門が破られたみたいだね」

「エイベルはどこにいるのかしらね」


 ダリアとヘレナが、焦りを隠せない様子で辺りを見回す。


 見るからに文官風のエイベルが、ジェトやカカルのようにロープを使って高い城壁を超えるとは考え難かった。正門が使えない今、外に出るには裏門もしくは使用人用の通用口を通る必要がある。ならば、と手分けして一通り内周をぐるりと捜索した三人だったが、成果は得られず、結局城の西側で合流した。傍には離れと思われる平屋建ての建物があるが、灯りは灯されていなかった。


「隠し通路は私達が通って来たから、エイベルが使ったらはち合わせしたはずよね。なら、やっぱりまだ城の中って事なのかしら」


 ライラが言葉にしながら考え込む。敷地の端の方で井戸を発見した。もしやと思って中を除いたが、底に水面らしき光が見えただけで、人影はなかった。


「城内なら身を潜められる場所なんて、ごまんとあるよ。書記官なら城の構造にも詳しいだろうし」


 捜索の手を城内へと変更しようかとダリアが提案した時、突然、離れの扉が勢いよく開いた。身構えた三人の前に飛び出して来たのは、一人の少女である。


「お願いします!アンナ様を助けて下さい!」


 少女は三人と目が合うと、一番近くにいたライラにしがみついた。

 少女は頬に擦り傷を負っていた。肩や袖には引きずった様な汚れがついており、スカートの裾は破れている。その様相から、誰かと争ったのだと推測できた。


 弓と矢筒を背負った赤毛の女兵士に、少女は必至でまくしたてる。


「エイベルという文官が、私の主人を攫って行ったんです!暴動を抑える道具にするとか言ってたから、きっと正門に行ったんだと思います!私ってば投げ飛ばされて気を失って――」


「ミリアム!」


 懇願しながら、ライラのチュニックの裾をしっかりと掴んで離すまいとしている少女を凝視していたヘレナが声を上げた。

 少女は自分の名を呼んだ女にゆっくりと顔を向けると、自分の名を呼んだ女と同じ柔らかな茶色の瞳を持った目を大きく見開き、こう叫んだ。


「ママ!?」



「あーもーどうすんのよこれ。下手したら死人が出るわよ」


「すまん」


 とりあえず暴徒化した市民の後を追い、門を破ってなだれ込んだ群衆に紛れて自分達も中に入ったパシェドゥとオルビアは、ひしめき合う集団から一旦離れていた。

 侵入を阻止しようとしてきた兵達相手に当たり前のように小競り合いを始めた市民達を眺めながら、もはや手の施しようもない惨状に二人仲良く頭をかかえる。

 しかし、ふと顔を上げたオルビアが、何かを見つけた。

「お?」と目を凝らし、斜め上を睨んだオルビアは、続いて「おおっ!」と歓声を上げると、隣でまだ頭を抱えている男を二、三度叩く。


「おいパシェドゥ。あれ」

 

 反対の腕を前に伸ばし、指を差して注視を促した。


 群衆達の正面。二階のバルコニーに、三つの人影があった。群衆の持つ松明と月明りに照らされた彼らの姿は、赤毛の少年と兵士らしき屈強な男。そしてその二人に両側から拘束された初老の男であることが伺えた。服装から、初老の男は高貴な身分であると判断できる。

 あれはもしや。いや、もしかしなくても。


「ダプールの執政官だわ!」


 パシェドゥは光明を見たかのように目を輝かせた。こっちは大失敗だが、城内は上手く事が運んだようだと胸をなで下ろす。

 

 そこに、もう一人の人影が姿を現した。

 

 背の高い、伸びやかなシルエット。パシェドゥにもオルビアにも見覚えがある。


「やったわね、第四王子」


 パシェドゥは感無量の思いで目を細めると、見事本丸を落とした若き指揮官を仰ぎ見た。



 二階のバルコニーに出たカエムワセトは、目を覚ました執政の両腕を掴んでいるネベンカルとアーデスに迎えられた。


「シャルマはどうした」


 アーデスからの問いに、カエムワセトは短く「殺した」と答えた。

 死んだ。ではなく、殺した。という言葉を選んだカエムワセトに、アーデスはカエムワセトから、”人殺しをした” という事実を背負う覚悟を感じた。気丈に振る舞う主の肩を抱えてやりたい気持ちを抑えながら、「そうか」と返す。


「今、乱闘が始まったとこだ。さっさと終わらせちまえ」


「わかっている」


 頷いて答えたカエムワセトは、後ろを振り返り、城の頂上を仰ぎ見た。


 ヒッタイトの軍旗は既に下ろされていた。ラムセス二世の象徴である、双方からハゲワシに守られた太陽神ラー(エジプト神最高位の神)の紋章が空に昇ってゆく。月明かりに、紋章を象る刺繍がきらめいた。

 ジェトとカカルも無事に役目を果たしたようである。


 エジプトの軍旗が昇り切った事を見届けたカエムワセトは、バルコニーのぎりぎりまで進み出ると、目下で争う兵士とダプール市民を見おろした。

 

 深く息を吸い、声を振り絞る。


「ダプール兵及びヒッタイト兵に告ぐ!ダプールの執政は捕え、ヒッタイト司令官シャルマも既に倒れた!これ以上の争いは無意味だ。武器を捨て投降し、速やかにエジプトの軍門に下れ!」


 下で戦っていた者達が動きを止め、頭上から降って来た制圧宣言に面を上げる。


 彼らの視線の先には、柔らかな月光の中で細く鋭い光を放つエジプトの軍旗の下、若き指揮官の凛然たる姿があった。

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