第54話 投げられた柄

 カエムワセトは三階のルーフバルコニーに出たすぐの壁に身を隠していた。


 アヘンの服用で神経が興奮しているシャルマのパワーは凄まじかった。剣を一度受ければ手がしびれ、続けて受けると剣を取り落としそうになる。上手く力を逃がさなければ手首が壊れてしまいそうだった。集中力も上がっているのか、動きが素早く切り返しも早い。

 カエムワセトも幾度か反撃はしたものの、かわされ続けてかすりもしなかった。


「まずいな」


 劣勢なのは明らかである。このまままともにぶつかり続けてていては負ける。

 カエムワセトは呟きながら先程斬りつけられた右上腕を見た。衣服が裂け、下から血が滲んでいる。

 こちらはまだ一撃もあてられていないというのにこのザマである。しかし、逃げ続けるわけにもいかない。

 門前から聞こえる群衆の叫び声が、カエムワセトを急かした。


「小姓~。どこに逃げた~?」


 自分を探すシャルマの声が聞こえた。こっちに近づいている。しかも、すぐ傍に。

 素早く呼吸を整えたカエムワセトは、すぐ後ろにシャルマが来た気配を感じ、再び斬りかかった。

 やはりかわされる。


「遅ぇ!」


 かわされた挙句斬り上げられた。

 カエムワセトは身を反らせて避けながら、再び間合いを測る。


 追い詰められながら反撃の機会を狙う小動物のような面相で剣を向けて来たカエムワセトを、シャルマは鼻で笑った。


「多少は使えるようだが、太刀筋が弱っちいんだよなぁ。んな斬り方で人が殺せるかっつーんだ」


 宴会場で見せていた隙の無い武人の面影は無く、賊の様な口調と振る舞いで太刀筋の甘い小姓を嘲る。そしてどろりとした瞳で謎の小姓を捕えたシャルマは、独り言の様な問いかけをしてきた。


「お前、一体何もんだ?何の為に城に入りこんできた?俺に薬を盛った踊り子といい、エジプト人の奴隷といい……ああ、なるほど」


 ライオンと一緒に放り込まれた檻の中で健闘した赤毛の奴隷少年を思い浮かべたシャルマは、そこでやっと理解する。


「ああそうか。貴様もエジプトか~」


 そうかそうか、そうだったか。と笑い声をあげながら、剣を持つ手をだらりと下ろし、薬に犯されたヒッタイトの司令官は、がりがりと痒そうに首筋を掻いた。

 

 カエムワセトは奥歯を噛む。目の前の男はふざけているように見えて、隙が全く無い。やはり、薬物に犯されてはいても相応の地位まで上り詰めた軍人である、という事だ。


「で、貴様はエジプトの何だぁ?王族か?それとも軍人か?もしくはスパイか?」


 宙を見ながら伸ばした指をひらひらさせて、小姓の素性を探っていたシャルマだったが、「まあ、どっちにしろ貴様の首は――」と、狂暴な笑みに口元を歪めると、「とっとかねえとな!」

 剣を振り上げた。


 ひと際大きく刃がぶつかる音が鳴り、カエムワセトの剣がその手から弾かれた。



「ん?何だ?」


 窓の向こうで何かが落下したのを見つけたジェトは、落下物が見えた窓に駆け寄り身を乗り出し、下を確認した。暗くてよく見えないが、何か長いものが地面に落ちている。目を凝らすと、剣だと分った。


「どうしたっす、アニキ?」


 ジェトが立ち止まった事に気付き、戻って来たカカルが同じように窓から頭を出す。

 そして二人は、頭上から聞こえた大きな笑い声に顔を上げた。


 二人の斜め上。丸く張り出した建物の屋上部分で、男が剣を手にして狂ったように笑っていた。その男の前には、アラビア風の衣裳を身につけた若者がいる。丸腰であることから、先程落ちて来た剣はあの若者のものだと分った。


「あーっ!あれ殿下っスよ!」


 カカルがどんぐり眼を更に広げ、丸腰の青年を指差す。

 二人のあるじでもあるゲリラ部隊の指揮官は、剣の切っ先を向けられ、じりじりと端へ追い詰められていた。


「あれじゃやられちゃうっすよ!何か武器になるもの渡さなきゃ!」


 窓から頭を引き抜いたカカルがきょろきょろと周囲を見渡して武器になりそうなものを探した。


「カカル!棒か槍を見つけろ!」


 廊下はがらんとしており何も見当たらないので、二人は各々、近くの部屋を手当たり次第捜索した。

 やがてカカルが、「アニキ!あったっす!」と槍を一本持って走って来た。


「でかした!」


 受け取ったジェトが、すぐさま槍先を足で踏みつけて折った。


「なんで折るの!!」


 愕然としたカカルが目を剥く。


「あの人にゃこっちの方がいいんだよ!」


 せっかく武器を探したのに!と泣き崩れる弟分に、ジェトはそう答えながら、刃を失った槍を手に窓から身を乗り出した。そしてもう後ろが無いあたりまで追い付められているアラビア人姿のあるじに、「ワセトー!」と呼びかけ、槍をぶん投げた。



 剣を弾き飛ばされ、じりじりと後退するしかなくなったカエムワセトは後ろを見た。落下まではもう数歩分も残されていない事実を目の当たりにし、顔をしかめる。

 その時、「ワセト!」という呼び声が聞こえた。振りかえると、棒の様なものが回転しながら飛んできた。

 

 飛んできた棒を掴むと、槍の柄だと分った。なるほど、とカエムワセトは口角を上げる。

 これなら剣よりも動きやすい。

 

 相手の手にいきなり飛んできた棒きれに「なんだぁ!?」とシャルマが眼を開いた。

 

 槍の柄を手に入れたカエムワセトは、それを棍棒術の要領で振り回した。

 シャルマは何度か棒の攻撃を避けたが、ついに剣を弾かれた。

 棒の先で持ち主の手から叩き上げられた剣は、天高く空へと飛んでいく。


「ちくしょう!」


 シャルマが舌打ちした。

 この機会を逃すまいと、カエムワセトは棒を回転させながらシャルマに叩きこむ。しかしその柄先を握られ、棒は中央で叩き折られた。


「これでお互い丸腰だ!」


 シャルマが拳をふりかぶる。


 カエムワセトは折れた棒を手放し身構えた。そこに、何かが目の前に落下してきた。カエムワセトは無意識にそれを掴みとった。

 シャルマの拳をかわし、片足を軸に身体を回転させたカエムワセトは、掴みとったそれをシャルマの腹にぶつけるように突き立てた。

 

 次の瞬間、シャルマが潰れた声と共に口から血を吐いた。そこでカエムワセトは、自分がシャルマの腹に突き立てたものが剣だった事に気付いた。自分が棒で高くはじいたシャルマの剣が落下してきたところを、とっさに掴んだのである。これは、カエムワセトがアーデスから受けて来た武術訓練の賜物でもあった。


 相手の腹を剣で刺した事に驚き身を引いたカエムワセトに、シャルマは狂気に満ちた眼差しで「この……!」と唸った。食いしばる歯に吐いた血がこびりつき、口角から血が滴り落ちる。


「この、エジプトの小倅め!」


 逆流してきた血液を喉に詰まらせ苦しげな声を上げながら、恨みを口にしたシャルマは前のめりに倒れ、絶命した。


「殿下!大丈夫スか!」


 ジェトとカカルが階段を駆け上がり、カエムワセトがいるルーフバルコニーに走りついた。カエムワセトは血の気が引いた顔で、「大丈夫だ」と応答する。


「早く、二階のバルコニーへ。これ以上死者が出る前に!」


 カエムワセトは震える右手を押さえながら、ジェトとカカルに言った。

 刀身を力いっぱい掴んだその右掌には大きな切創ができており、傷口から指を伝った赤黒い雫が、バルコニーの床に幾つもの小さな染みを作った。

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