第53話 テティーシェリの地声

 ライラとアーデス、タ・ウィのメンバーに一足遅れて間道を抜けて、二階の客間の床から顔を出したジェトとカカルは、後方からついてくる王子たちを先導した。

 客間の扉をそろりと開けて人の気配が無いことを確認したジェトが、『来い』と手で合図を送る。軍旗の交換を任された四人の王子たちは、ジェトの手招きに応じて足音を立てないよう注意しながら部屋を抜け、廊下に出た。


 エジプトの軍旗は第七王子が抱えている。王子たちの最後尾はギルが守っていた。


「外が騒がしいっスね」


 廊下に出た途端、暴徒化した群衆の声を耳にしたカカルが眉をひそめた。


「おおかたパシェドゥがけしかけたんだろ。派手なことしやがんな」


 激しく誤解したジェトが舌打ちした。


「けどこの騒ぎなら、兵士もそっちに気を取られてるだろうから、おいらたち楽勝っスよ」


「そうだな。さっさと上への階段見つけて――」


 言いながら廊下の曲がり角から先を覗きこんだ時、後ろから「いたぞ!」という声が聞こえた。

 振り返ると、剣を抜いた兵士が数名、廊下の向こうから走って来くるのが見えた。


 ジェトとカカルは王子たちを前に逃がすと、すぐに応戦できるよう剣を抜いて、自分達も前へと走った。しかし、王子たちの後について角を曲った瞬間、現れた背中につんのめりながら足を止める。

 王子たちは立ち止まっていた。その先には、やはり兵士が数名こちらに走ってきている姿が見えた。

 挟み打ちである。


 ジェト達はあれよあれよという間に、総勢10名の兵士に囲まれた。


「誰っスか楽勝とか言ったの~!」


「お前だよ!」


 ジェトとカカルはお決まりなやり取りをしながら、剣を抜いて構える王子たちやギルとともにじりじりと壁際に追いやられた。


「武器を捨てて投降しろ。そうすれば殺しはしない」


 兵士の一人が言った。

 ははっ。とジェトがその三白眼で威嚇しながら笑う。


「そうしたいのはヤマヤマなんだが、こっちも色々事情がありましてね」


 応対しながら眼球を動かし、必死に逃げ道を探した。

 しかし相手も軍人プロである。そう簡単に隙を作ってはくれなかった。


 玉砕覚悟で斬りかかるか、一度大人しく捕まって反撃のチャンスを待つか、決断に迫られた時。

 突如、ジェトの正面で立ち塞がっていた兵士が「がっ」と声を上げて目を見開き、前に倒れて来た。ジェトは自分の方に倒れかかって来た兵士を避け、床に倒れたその背面を見る。兵士の背中には、小刀よりも小さいナイフが刺さっていた。


「テティーシェリさんス!」


 カカルが叫んだ。

 カカルの視線の先を追うと、暗闇から白い布と小さく煌くものがこちらに近づいてくるのが見えた。窓から差し込む月明かりを浴びた瞬間、白い服を身に纏い、髪に幾つもの小さな金色の飾りを付けた暗い肌の踊り子の姿が浮かび上がる。


 テティーシェリは走りながら巻きスカートをひるがえすと、両腿にあるキラリと細く光る物を抜き取った。上半身を左に捻じり、右手で抜き取ったそれをこちらに投げつける。間をおかず、左手からも。

 一人の兵士の四肢にナイフが刺さった。別の兵士はナイフを剣で叩き落とす。


 二名の兵を戦闘不能にした踊り子は、高く跳躍すると天井すれすれで身体を回転させ、軽い足音を立ててジェトの前に降り立った。

 低くしゃがんだ踊り子が纏う白いスカートが、深い黒を中心にして花弁はなびらのように宙に浮かぶ。

 テティーシェリは裾が床に落ちる前に顕わになった瑞々しい両腿から、今度は小刀を抜きとった。立ち上がり、残りの兵に向かって構える。


「間に合ったようですね」


「遅いわい」


 兵に睨みを利かせながら言った踊り子に、ギルが文句を返した。


「すみません」と短く謝ったテティーシェリは、続けてジェトにちらりと視線を送る。


「殿下は上の階でシャルマと闘っておられます。ここは私とギルで引き受けますので、王子たちをお願いします」


 そう言って、右足を半歩前に滑らせた。

 テティーシェリの言葉に反応した残りの兵士たちは、侵入者達の退路を断とうと剣を向けながら立ち位置をずらしてゆく。


 倒れた二人分空いていた空間が再び閉じられてゆくのを見ながら、ジェトは助っ人に反論する。


「いやでもこんな数無理だろが!」


「男に戻ればなんとかなる」


 テティーシェリの足元でギルが言った。


「おとっ――ああ。ええ!?」


 一瞬ギルの言葉の意味するところが分らなかったジェトだったが、テティーシェリがアルに戻る事を意味しているのだと理解して納得。納得したはいいが、紙の裏と表をひっくり返すように意識を変えるだけで戦闘力も変化するという事実に驚き、このような受け答えとなってしまった。


「逃がすか!」


 隙をついて、兵士の一人が斬りかかってきた。テティーシェリが小刀で受ける。それをきっかけに、他の兵士も剣を振り上げた。ギルと王子の二人が兵士と剣をぶつけ合った。


「旗を!」


 第七王子メリアメンがカカルに旗を渡した。


「貴方がたの方が身軽です。行って下さい!」


 旗をジェトとカカルに任せ、自分達もここに残る意志を表明した四人の王子たちは、テティーシェリとギルとともに戦い始めた。


「ああああにきぃ!どおすんの!?」


 託された旗を握り締めて、カカルが地団駄を踏む。


 剣を払いのけたテティーシェリが兵士の胸に蹴りを入れ、転倒させた。逃げ道が開く。


「走れ!早く!」


 いつもの何倍も太い声が、テティーシェリの口から飛び出した。


 アルに戻ったテティーシェリの地声を号砲代わりに、ジェトとカカルは脱兎のごとく全速力で走った。

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