第44話 通行許可証をなくした少女

 通行許可証は城門横に増設された小部屋で受け取る仕組みになっていた。


 お買い上げが決まった小姓と連れだって人数分の許可証を貰いに行ったアーデスは、窓口で兵士から許可証を受け取っている小姓アミールまじまじと眺める。


 本来は奥手の代表格のようなこの男を、女泣かせで世渡り上手な小姓に化けさせたパシェドゥの腕は見事としか言いようがなかった。

 しかもその敏腕座長は三日という短期間で、カエムワセトのポリグロット他言語通話者の特技を上手く利用し、アラビア人とエジプト人のハーフに仕立て上げた。

 流暢なアラビア語に加えてアラビア訛の他言語を話すテクニックはカエムワセトが培ってきたスキルと才能が成し得た業ではあるものの、エイベルを前にしたアミールは、立ち居振る舞いから醸し出す雰囲気まで、完璧に“教育済み”の小姓であった。誰も彼がエジプトの王子だとは思わないだろう。


「しかしまあ、見事に仕上げたもんだなあ、パシェドゥの野郎」


 人数分の許可証を手に戻って来たアミールを前に、アーデスは唸った。


「一体どんな特訓したんだか」


 半眼で探るように見て来たアーデスに、苦笑いを浮かべたアミールは「そこはキギョウヒミツです」とアラビア語訛のアッカド語で黙秘を主張する。


 その時、城門前の広場が湧いた。


 城門を潜ってすぐの噴水の前で、口から火を吹いている人物がいた。

 禿頭で大柄の男。イネブである。

 丁度、タ・ウィが公演しているタイミングに来たらしい。広間には人だかりができていた。


 群衆の隙間から、華やかな装いの男が見えた。座長のパシェドゥである。彼の左肩にはサシバが停まっていた。

 パシェドゥは城門の手前で自分達を見ている指揮官の姿に気付くと、その手の中の許可証に視線を移し、首尾よくいった様子に祝辞代わりの笑顔を見せた。

 アミールも馬車に戻る傍ら、数日ぶりに会えた仲間に微笑み返す。


 アーデスもパシェドゥに視線を残しつつ、アミールと並んで馬車へと向かった。


「さっそく様子見に来たってか、大将」


「ここには魚介料理が美味い酒場があるらしい。大将同士、仲良く食事でもしてくれ」


「いいねぇ。小遣いもたんまり入る事だしな」


 エジプト語でとりとめのない会話を交わしながら、奴隷商頭と小姓は仲間の元へ戻った。


 各々、通行許可証を手にした奴隷商隊は検問所を通過する為、再び馬車を動かしはじめる。

 その時、すぐ傍で喚き声がした。


「道中転んできっとその時に落としちゃったんです!お願いします通して下さい!」


「転んだ場所が分っているなら探して来い。そうほいほい再発行などしてやれるか!」


 少女が検問人と言い争っていた。背中に籠を背負っており、中には近隣で採取したと思われる植物が入っている。

 若い頃の放浪生活で多少薬草に通じていたアーデスは、その植物が全て一般家庭でよく使われる熱さましである事を見抜いた。


「よお、お譲ちゃん。家族に風邪っぴきのヤツでもいるのかい?」


 馬車を止めたアーデスが、手綱を握ったまま少女に声をかけた。

 少女は御者席の奴隷商頭を仰ぎ見ると目を見開き、その活発さが伺える顔を固まらせた。が、すぐに勝ち気な表情に戻ると、頬を膨らませて何度も頷く。


「おねえちゃんがずっと熱を出してるんです!うちは貧乏でお医者さんに診てもらう事もできないから、こうやって薬草を集めて来たのに、この人が通してくれないの!」

 

 少女はここぞとばかりに目の前の融通のきかない検問人を指差し、非難した。


「そりゃあ難儀だなぁ」


 言いながら、アーデスは自分のすぐ後ろに座っている小姓をちらりと見やる。アーデスの目は『お前の機転でなんとかしてやれ』と言っていた。


 賢しい小姓は目を丸くすると、幌内にいる自分の存在を検問人に気取られないよう声には出さず、少女を指差す事でアーデスの意向を再確認した。視線を右往左往させて解決策を模索するも、良案が浮かばなかったのか眉間に手をあてて考え込む。だがすぐにぱっと顔を上げた彼は、城門前の広場を指差した。その先には絶賛公演中のタ・ウィがいた。

 

 はた、とパシェドゥと目が合った。

 

 奴隷商頭と小姓は、少女の騒ぎに気付いている一座の座長に目配せする。

 パシェドゥは口を『え~』の形に開けて面倒くさそうな反応を返してきたが、『仕方ない』とばかりにため息をつくと、くるりと二人に背を向けた。そして、ファイアー・ショー真っ最中のイネブにぶつかる。

 

 出し抜けにぶつかられたイネブはバランスを崩し、空に向かって吹いていた炎を観客向かってしならせた。

 悲鳴を上げた観客が、襲いかかる炎から逃げ惑う。

 やがて炎は、傍に置いてあったタ・ウィの荷物に引火した。


「やだどうしよう!火が燃え移っちゃった!仕事道具が炭になっちゃう~!そこの検問さん、桶貸して!!」


 説明臭い悲鳴を上げながら、パシェドゥが検問所に向かって救援を要請した。

 何人かの検問人が慌てて詰め所に走り、桶を手に出て来る。


 検問を待つ来訪者も少女を訊問していた検問人も騒ぎに気を取られ、検問人と芸人達が噴水の水を桶でくんで消火活動に励む様子を見守った。

 その隙に、幌を覆う幕の下から腕を伸ばした奴隷商の小姓が少女の腕を引っ張り、素早く中に抱えこんだ。


「――あれ?あいつ、どこ行った?」


 荷台に担ぎ込んだ少女の上にすかさず毛布を被せた小姓は、検問人の焦る声を聞きながら、毛布の下でじだばたと暴れる少女に「しっ」と静かにするよう指示する。


「おい早くしてくれよぉ。おれの可愛いカミさんと腹の子が寒がってるだろうが!」


 目的を達成したアーデスは、消火活動にあたっていた検問人に通行許可証を振って見せつつ、膝で隣のライラをつついて協力を求めた。


 ライラは「えっ!?」と眉を寄せたが、すぐに腹を抱えて蹲る。


「いたたた!お腹痛い!あなた!早くあったかい所に行かせて!」


 妊婦に腹が痛いと騒がれて焦らない人間はいない。付き合いの長い二人は、見事な連携プレーで検問人の判断力を鈍らせた。

 馬車の荷台には許可証を無くした少女だけでなく、床下を二重にして武器まで隠していたのだが、検問人は中を調べる事無く、許可証の有無だけで馬車を通した。


 ボヤ騒ぎで騒然とする広場を、奴隷商隊の馬車は悠然と通り過ぎてゆく。


「……誰の子が腹に居るって?」

「諸々の苦情は戦後にまとめて受け付けますのでここはひとつぐっと堪えて頂けないでしょうか」


 目を座らせながら顔を上げたライラに、アーデスは口早にこいねがった。


 騒ぎに乗じて、猿のキイが群衆の足元をすりぬけて馬車の荷台に飛び込んできた。キイは指揮官の膝の上に白い布切れを乗せると、すぐに荷台を下りて再び雑踏の中に消えていった。


 小姓に扮した指揮官はキイが置いていった布切れを手に取って広げた。そこに書かれた一文を目にして、瞠目どうもくする。


 布切れにはこう書かれてあった。


『執政の娘は魔術を使う』


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