第42話 奴隷商頭アーデスの奮闘
ダプールの城門前に到達した奴隷商隊は、検問所前の列に並んだ。
列と言っても、前にいるのは商人が三組ほどに、出稼ぎ帰りの風体の男が二人である。順番が回ってくまでさほど時間はかからないように思えた。
ダプールの城門は要塞都市の名に恥じぬ重厚感を誇っていた。高くそびえたつ切り石積みの壁はそこを潜ろうとする者を圧倒し、来訪者を選別する兵士の手助けをする。
アーデスは城門の上に目をやった。元は人間だったはずの残骸が二体、左と右から城門を挟むように石の出っ張りに引っ掛けられたロープの下で揺れている。傭兵のアーデスはこうした光景を何度も目にしているが、慣れる事は無かった。
眉を寄せて不快感を顕わにしたアーデスは、同胞の遺体から視線を下げた。
視線を下げると、今度は門の両側に兵士の首が市場に広げられた野菜のように並んでいた。上を見ても下を見ても、胸糞が悪くなった。
「どんだけ見つめても死人は生き返らねえぞ。ほどほどにしとけ」
同胞たちの無残な遺体を目の前に言葉を失っている隣の同僚と、幌の中から外を覗いている指揮官に忠告した。
奴隷商隊の検問の順番は、予想よりも早く回って来た。何人もの検問人が同時に訊問を行っていた為である。
「出所と来訪の目的を言え」
事務的に質問してきたのは、ダプールの兵士だった。
こりゃ楽勝だな、と思いながら、アーデスは媚びた笑いをその兵士に向ける。
「イェリコから来ました。しがない奴隷商人でございます」
いつもよりもワントーン高い声を意識して答えた。
イェリコ。と聞いた検問人は、面倒くさそうに顔をしかめた。
「エジプト領の人間か」
「そうですが、どうかしました?ここだってエジプト領でしょ?」
アーデスはしらばっくれた。
検問人は、「見ろ」と城門の上をペンで指し示した。
「エジプトの駐屯兵だ。最近ここは、ヒッタイト領に変わった」
「あらあ。お気の毒に」
アーデスは髭面に笑顔を張りつかせ、同胞の躯を再び見上げた。
そして、検問人に向き直ると「でもワタシら商人ですからねぇ。国籍なんて関係ありませんよ」と明るく笑った。
検問人が、幕がかかった荷台を指差す。
「商品は奴隷だけか。見せろ」
アーデスは歌うように「はいはーい」と答えると御者席後方の幕をめくった。
幌に近づいた検問人が、開いた幕の隙間から中を覗きこむ。
遮光された薄明かりの中でも、赤銅色の肌の判別はついた。検問人は再び顔をしかめると、「エジプト人か」と舌打ちする。
だがそこにはエジプト人への敵対心ではなく、やはり面倒がる響きが聞いて取れた。
面倒がっている分なら懐柔は容易い。アーデスはにやりとほくそ笑む。
「そうですけど、女子供ばっかりですよ。別に怖くないでしょ?――あ、こっちは俺のカミさんだから、非売品ですので宜しくたのんますわ」
隣に座る赤毛の女の肩を抱き寄せながら、奴隷商頭役のアーデスは冗談めかして言った。
肩を抱かれた赤毛の女が笑顔をひきつらせながら「もうあなた冗談ばっかり!」と夫の頬をぴしゃりと叩いた。
「いて」
頬への衝撃で、アーデスは危うく素に戻りそうになる。
「気の強そうな女だな。随分若いようだが?」
検問人は、見るからに歳が離れている若妻の尻に敷かれている夫を、情けなそうにみやった。
恐妻家の奴隷商頭は、愛相笑いを再び顔に貼り付けると、「あいやお恥ずかしい」と頭を掻く。
「ワタシは気の強いのも若いのも好きでねェ。だってほら、可愛いじゃないですか?」
そう言うと、妻の腰を後ろから抱えて動けないよう自分の腿に押さえ付け、反対の手で顎の下から頬を掴み、検問人に愛妻の顔を見せながらぐりぐりと回した。
これは明らかにビンタの仕返しである。
若い妻は「うふふ」と検問人に笑ったが、その眉は憤怒につり上がり痙攣していた。
この後で奴隷商頭に降りかかるであろう災難を予期した検問人は、「分ったからそれくらいにしとけ」と忠告する。
「じゃあ、中で商売させてもらえるってことでいいですかねぇ?」
若妻ライラを腕から解放した奴隷商頭アーデスが、にこりと微笑んで確認した。だが、検問人はまだ首を縦に振らない。
「奴隷商か……」
と口に手を当てて思案している。
ここで、アーデスは次の一手を打つことにした。
腰をかがめ検問人に顔を寄せたアーデスは、「じつはね」と声を落とす。
「ワタシ、執政たっての願いで集めて来たんですよねぇ。時間かかっちまいましたが、上玉ばっかだったでしょぉ?結構苦労したんですから~」
ねっとりとした口調で執政の性癖をちらつかせてきた奴隷商頭に、国を支える男の少年趣味を聞き知っていた検問人は「うむ……」と唸った。
検問人が付け入る隙を見せた所で、もうひと押し、とばかりにアーデスは顔を寄せる。
「ここで追い返したりしたら、執政も残念がりますよ?心配なら一回確認してみてくださいや」
殆ど耳打ちの状態で願い求めて来た奴隷商頭の言葉に、検問人は再び唸った。
奴隷商頭の言葉が正しければ、ここで追い返したとなれば相応のお叱りを頂戴する事になる。
検問人はまた暫く考えたが、やがて「分った」と頷いた。
「確認をとるから、ここで待て」
そう言うと、城門の中に入って行った。
アーデスは「宜しくどうぞ~」と媚びた笑顔で検問人に手を振って見送る。
荷台から幕をそっと上げた小姓役の指揮官が、一仕事やりきった男に「お見事」と短い称賛を送った。若妻のライラは「あとで覚えときなさいね、ダーリン」と狂暴な笑顔で夫の足を踏む。
愛相の良い奴隷商頭を見事に演じ切ったアーデスは、ずっと顔に張りつかせていた笑顔をなかなか元に戻せないまま、「あー、ほんっと疲れるわこれ」と、いつものしまらない声で愚痴をこぼした。
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