第38話 王子の戦友

「予知夢、ってやつすか」


 手元のパピルス紙を見ながら、ジェトは唸った。

 

「分らない。けれど、夢で見た外壁の形とその絵はあまりに似ているんだ」


 ジェトとカエムワセトは部屋にあった長椅子に向かい合わせに座りながら会話していた。

 ジェトにこれまで自分が見続けて来た夢の話をしたカエムワセトは、夢の中に現れた風景とその絵の、奇妙なまでの一致に驚かされたのだと語った。


 ふうん、とジェトはもう一度パピルス紙の絵に視線を落とす。


「外壁ねぇ」


 山頂に鎮座する要塞都市。石造りの頑強な外門。外壁内壁が重なり合い上へ上へと伸びてゆく街並。最上部にそびえ立つ城。

 全体のシルエットはどことなく巻き貝に見えなくもないな、とジェトは思った。

 そこに描かれている絵は、風景画と呼ぶにはお粗末だったが、要塞都市の特徴がしっかり捉えられており、一目で全体像が把握できた。限られた時間で周囲の目を気にしながら描きあげたにしては良い出来である。裏に記されている都市内部の地図も、よくできていた。これがあれば、迷わず都市内を動き回れるだろう。

 自分が所属していた盗賊団の奴らがこれを見たら、描き手を問答無用で引き込むに違いないな、とジェトは関係のない事を考えながら、カエムワセトから聞いた夢の内容を反芻する。


「殿下の夢の通りだと、ダプールでドロドロの血みどろ合戦が起こるって事ですよね?」


 あまり考えたくない事ではあるが、この王子の場合、魔術師に近い芸当も可能な人種である事を考慮しなければならない。やはりここは、正夢と前提して話を進めた方がよいだろう、と思索した。


 それもはっきりしないんだ。


 と、カエムワセトは表情を暗くする。


「色んな戦場がごちゃませになって、見ている私もどこがどこだかよく分らないんだ。けれど、外壁が映る夢の内容は毎日少しずつ変化している。最初の頃はエジプト軍が外壁の上から矢の雨を降らされていた。今は梯子をかけて攻撃している様子に変わっている」


「なるほど」


 ジェトは頷いた。

 聞く限りでは未来は好転していると判断できる。だが、無血開城、とはいかないようだ。


「変わらないのはリラが出て来ることと、全身の痛みですか?」


 毎晩悪夢と一緒に叩き斬られる様な痛みに苦しまされるというのも、惨い話である。そんな状態で今までよく平気でいられたな、とジェトは改めてカエムワセトの我慢強さに感服した。


「外壁の夢以外は、ずっと同じだよ」


 カエムワセトが答えた。


「いずれ私が負う痛みなのか、誰かが負わされる痛みを感じているのか、それすら分らない」


 いやあんたが負う痛みだとしたらえらい事だぞ。


 その言葉を、ジェトは飲み込んだ。

 その痛みがもし、未来でカエムワセトが受ける傷を暗示しているのだとすれば、このゲリラ部隊は近々、将を失うという最悪の事態を迎える事になる。

 後者であってほしい、とジェトは本気で祈った。


「けどまあ、矢の雨が降って来るよりは梯子登ってる方が断然マシっすわ」


 カエムワセトが見た夢の中で唯一好意的に捉えられる箇所はそこだけである。あとは御免こうむりたい惨劇でしかない。しかし、その惨劇を含めた夢が徐々に変化をしている、という点が重要だった。


「殿下の行動がちょっとずつ未来を変えてる、て事すよね」


 外壁のシーンはダプールとみてほぼ間違いない。他の戦場は、カエムワセトが関与していない故に変化がないのだとみるのが自然だろう、と考える。


「なら他に見覚えのない戦場は、リビアか……」


 ジェトが呟いた。それに対し、カエムワセトが異議を唱える。


「私にそこまでの影響力があるとは思えないんだが」


「あんた本気で言ってんすか」


 こんな時に謙遜はやめてくれ、と苦言を呈しかけたジェトだったが、目の前の心底真面目な男の顔を見た途端、あ、こいつ本気で言ってるわ。と口を閉じた。

 自分が仕えている男は、他人に対する観察眼はずば抜けているくせに、こと自分に関してはてんで盲目らしい。

 ジェトは半眼でぽかんと口を開けて、一八歳にもなって自己分析力が壊滅的な青年を、珍しい生き物でも見ているような心地で眺めた。が、やがてため息をつく。


「まあ、その辺はあんたの意見はどうでもいいっす」


 今ここでわざわざ指摘してやるのも面倒になり、にべもなく言い放った。

 目の前の男は少なからずショックを受けているようだったが、無礼をゲンコツで咎めて来る赤髪もいないし、ここは好きにやらせてもらおう、と決める。 

 夢に出て来る兵士に知っている顔はないのかと訊ねると、カエムワセトは「リラ以外、顔は殆ど認識できない」と首を横に振った。


「リラも無事であればいいんだが」


 カエムワセトは表情を険しくする。


「リラと会えなかったのも、なんか事情がありそうっすね」


 夢に出てきている事がリラの有事を示唆しているとジェトは思う。

 だが如何せん、どこにいるのかが分らない限りは助けに行きようもない。

 ジェトとカエムワセトは、向き合いながら二人同時に深いため息をついた。


「なんにしても、すぐに取れる手立てはないよ。とにかく今は、ダプール奪還に集中するしかない」


 疲れたようにカエムワセトが結論を述べる。


「そっすね」とジェトも同意した。


「夢の事はまだ内密に頼む。今打ち明けても、無駄に恐怖心を煽るだけだから」


 ジェトはここで初めて、カエムワセトが口外を躊躇っていた理由を理解した。

 今の今まで、こいつは何故にこんな大事な事を隠していたのだ。と腹立ちを覚えていたのだが、一指揮官として部下達の平静を保つ為だったのだとすると、実にカエムワセトらしい、と思う。  

 自分達が部下として信頼に足らなかった訳ではなかったと知れたことで、胸のつっかえが取れた気もした。


「分りました。何かまた気付いた事があったら言って下さい。俺で動けるところは動きますんで」


 ジェトはパピルス紙をカエムワセトに返しながら、共犯者として協力は惜しまない旨を約束した。

 秘密を共有した以上は、臣下としてまた共有者として尽力する義務がある。


「ジェト、ありがとう」


 椅子から立ち上がったジェトを、カエムワセトが見上げた。


「お陰で楽になったよ」


 臣下になってまだ間もない盗賊出の少年に、心から安堵した微笑みが向けられる。


 話を聞いただけで特に何も解決してはいないのだが、ジェトは久しぶりに、カエムワセトが本来持っている柔らかな笑顔を見た気がした。

 やはり、自分の育ての親であるお頭の格言は正しかったのだと確信する。


「いつでもどうぞ」


 腹心の部下を何人も持つこの男が、苦境を分かち合う相手としてアーデスでもなくライラでもなく、自分を選んでくれたことが、ジェトは妙に誇らしかった。

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