第37話 カエムワセトの隠し事
サシバ帰還の知らせと共に、カエムワセトの忠臣達は昨日の訊問室に召集された。
ジェトは、まだ寝足りないと言わんばかりに目をこすっている弟分のポニーテールをひっつかんで、訊問室へ急いだ。
訊問室の扉をはやる気持ちで開けた時、そこには既にオルビアを加えた残りの忠臣達が揃っていた。
主のカエムワセトは昨日腰かけていた文机にサシバを立たせ、片手に隠れるほどの筒をその左足から外すと、蓋を開けて中から小さなパピルス紙を取りだした。小さく巻かれたその報告書は、二枚重なっていた。
カエムワセトが掌サイズのパピルス紙を広げ、目を通す。ジェトは覗きこみたい衝動に駆られながらも、ぐっと堪えた。
一枚目。真剣な眼差しでパピルス紙に並ぶ小さな文字列を追っていたカエムワセトの眉がふと中央に寄り、やがて苦々しい笑みに変わる。
何が書いてあったんだ?
ジェトは再び覗きこみたい衝動を堪えた。
二枚目。一枚目を後ろに回した途端、カエムワセトの顔色が変わった。変わるというよりも、凍りついた、と表現する方が正しい。
「おいワセト、どうした?」
柔和な面立ちを硬直させ、手の中のパピルス紙を凝視している若き指揮官に、アーデスが気遣わしげに反応を求めた。
忠臣からの呼び声に、はっと我に返ったカエムワセトは慌てたように笑顔をつくろうと、呼びかけて来た年上の忠臣に問う。
「―― いや。アーデス。私はまだ少年に見えるかな?」
「は?」
眉根を寄せたアーデスは、質問の意図が掴めないまま
「まあ、おぼこい部分もあるにはあるが……」
質問通りの解答を素直に返した。
カエムワセトは正直な解答をくれた忠臣に満足げに頷く。
「そうか。じゃあ頑張ってみるよ」
そう言うと、タ・ウィからの報告書の一枚をアーデスに手渡した。
そして、「ちょっと、書くものを持ってくる」と部下達を残し、部屋を出て行く。
指揮官を見送った部下たちは、その背中が廊下に消えると、吸い込まれるように一斉にアーデスの元に集まった。
「見えないっす!ちょっと下げて」
カカルがつま先立ちでよろめきながら、アーデスにパピルス紙を下げろと要求した。
応じて少し腕を下げたアーデスは、四方から自分を潰さんばかりに寄って来る仲間達の中で窮屈に思いながら書簡に目を落とした。
そこにはヒッタイト兵が供述した通り、エジプト兵の遺体がさらされている旨と、城門前には検問所が設けられており、訊問や所持品の検査が行われるとの内容が書かれてあった。
検問を通過した者には、一種の通行手形のようなものが渡される仕組みになっており、住人には既に通行手形が行き渡っているらしい。よって、通行手形を持たない者は街を出る事を許されず、また、出先で手形を無くした者には厳しい取り調べが行われるという事だった。
そして、最後の一行。
それを読んだアーデスは、馬糞を踏んだ時のようなしかめ面になる。
「うげ」
続いて、蛙が潰れたような声をあげた。
「あらあ」
テティーシェリも目を丸くして手で口を隠す。
オルビアも「おお」と目を見開く。
ライラは青ざめて固まり、まだ民衆文字をマスターしていないカカルは見慣れない単語に首をひねった。
最後の一行には、こう書かれてあった。
執政は少年趣味。頑張れ四番目。
よく見ると、その一行だけ筆跡が異なっていた。
最後の一行の書き手は容易に特定できた。
カエムワセトをはじめとする王子達の演技指導に情熱を燃やした敏腕座長パシェドゥその人に違いなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ジェトはアーデスに手渡された書簡の内容も気になったが、二枚目を見た時のカエムワセトの反応の方が気がかりだった。その二枚目は、部屋を出て行ったカエムワセトの手の中にある。
ジェトは仲間達がアジア人の傭兵に集まる中、主を追ってそっと部屋を出た。
カエムワセトが別室に入った事を確認し、扉の隙間から中の様子を覗いた。
アーデスに言い残した通りなら、この部屋で書くものを探しているはずの主は、部屋の中央で立ち止まり、左手の中のものに視線を落としていた。二枚目の報告書である。
ジェトは下瞼を持ち上げ怪しげに目を細めると、扉を開けた。
「なに隠してるんすか」
扉を開けると同時に問うてきた忠臣に、カエムワセトは驚いて振り返ると、「ジェト」と名を呼び、視線を伏せた。
昨日見事な化けっぷりを見せた人物とは思えないほど分りやすい反応を返してきた歳の近い指揮官のその様子に、ジェトは追求を決意する。
「あんた、船の上で俺に何か言いかけましたよね」
ジェトがカエムワセトの態度に違和感を覚えたのはその時からである。明らかに、何かを持て余している様子だった。
「そこに何が書かれてるんです?さっきそれ見た時、あんた明らかに顔色変わりましたよ。毎晩うなされてんのも知ってます。関係あるんすか?」
カエムワセトの手の中のパピルス紙を指差しながら、ジェトは容赦なく追い込んだ。
それどころか、いっそかすめ取ってやろうか、とも考えた。元盗賊のジェトには簡単な事だった。
だが、やはりここは主を信じて解答を待つべきだと思いなおし、カエムワセトの返答を待った。
信じて待ったが、頑固な王子はなかなか口を開こうとしなかった。
焦れた短気な忠臣は、「あのねえ!」と声を荒げると、ずかずかと詰め寄った。
カエムワセトは半歩引いたがそれより後ろには下がらず、ジェトが自分のすぐ正面で指をさしながら興奮気味に捲し立てるのを許した。
「指揮官はあんただ!情報を晒すも隠す自由だが、こっちだって見過ごしてやるにも限度があるんだよ!」
ジェトはカエムワセトが悪巧みをしているとは思わなかったが、秘密を打ち明ける相手として自分達が信用されていないのだと思うと、無性に情けなくなった。
ジェトは焦燥感に任せて主を睨みつけた。――が、あることに気付いた彼は三白眼を大きく見開く。
「……伸びてる」
愕然と呟くと、ふらふらとした足取りで二・三歩後ろに下がった。
突然、意味不明な言葉とともに顔色を変えたジェトに、カエムワセトは「え?」と訊き返した。
ジェトは実に悔しそうな顔でカエムワセトを見ると、離れた分再び近づいて、カエムワセトの喉元のラインを4本の指で水平に示した。
「伸びてる!絶対伸びてるよ!だってこの前飯屋で並んだ時、俺あんたのこの辺だった!」
どうやら身長の事を言っているらしい、と理解したカエムワセトは、「ああ、なるほど背か」と言いながら自分の足首のあたりを見た。
先日、神官服の裾のラインが少し上がっている事に気付いたが、それは洗濯で布が縮んだわけではなかったらしい、とぼんやり考える。
「『なるほど背か』じゃねえわ!余裕ぶっこきやがって!」
ショックのあまり、ジェトは雇い主相手に使うものとしてはとことん不適切な言葉づかいでカエムワセトに怒鳴った。
「あんたもうすぐ19でしょ!?成長期終わってるんじゃねえの!?」
来月に19回目の誕生日を迎える青年がまだ背を伸ばしているという事象に、驚愕を隠せない。
カエムワセトは興奮状態にある忠臣に笑いながら、「まあ、父の家系はみんな長身だから」と遺伝的要因を簡単に説明した。
ラムセス二世の身長は、180㎝を超えている。当時のエジプト人の男性の平均身長が160~165㎝と言われている中、かなりの長身だった。
彼の血を継ぐカエムワセトが長身となるのは遺伝的に自然な流れである。
ジェトはくうう、と呻き声を上げると、両手で頭を抱えた。
「ちくしょ~。どいつもこいつもキノコみたいにニョキニョキニョキニョキと!」
「ジェト、キノコは上にと言うよりは数が増え」「んなこたどうでもいい!」
律儀に認識の間違いを正そうとしてきた主に向かって、ジェトはすかさず吠えた。
「ジェトだってまだ伸びるよ」
カエムワセトが曖昧に笑いながら、確証のない慰めを口にする。
ジェトは両手で顔を覆うとぶんぶんと首を振って、主がみせた中途半端な優しさを力いっぱい否定した。
「俺はもうすぐ成長スパート終わりそうなんです!カカルに抜かされんのも目に見えてんスよ!」
一般的に、男児の成長期は10歳から15歳である。先先月から定説通り伸び悩みの時期を迎えた16歳のジェトは、その場にしゃがみこんで、悲しみに暮れた。
「ちくしょう。ライラよりチビとか耐えられねえ……」
ライラはカエムワセトと並べば頭のてっぺんが顎のあたりにくる。
毎日のように自分を張り倒し踏みつけにしてくる上官に、せめて身長では勝ちたいと切望していたジェトだったのだが、その望みは叶いそうも無かった。
「沢山寝れば背が伸びると、書物で読んだことがあるよ」
少しでも悩める少年の助けになればと、カエムワセトは子供の頃に神殿の図書館で得た知識を紹介した。
だが掌から三白眼を覗かせたジェトは、情報提供を喜ぶどころか、じろりと恨めしそうな視線でカエムワセトを見る。
「絶賛不眠中でも伸びてるあんたに言われてもね。説得力ありませんわ」
確かに。
腕を組んだカエムワセトは苦笑った。
ジェトは、諦めたように大きなため息をついて立ち上がった。
両手を腰に当てて
「――そんで?あんたは何悩んでるんですか?」
盛大に脱線した話を元に戻した。
カエムワセトが再び表情を固くする。
「昔、お頭が言ってましたよ。喜びは独り占めして良いけど痛みは共有しろ、って」
そして、「共有すれば減らせるらしいっすよ。確実に」と付け加える。
しかし、やはりカエムワセトは黙したままだった。
ジェトは「わかりました」とため息をついた。
育ての親の格言まで持ちだしたが、失敗に終わったようだ。もはや打つ手なしと判断する。
「俺じゃ頼りないってんなら、アーデス連れてきますわ」
ちょっと待ってて下さい。
そう言うと、主に背を向けた。
「待ってくれ」
その背中を、カエムワセトが静かに呼び止めた。
振り返った歳の近い忠臣に、カエムワセトは一度手元のパピルスに視線を落とすと、ようやく重い口を開く。
「ジェトに頼みたいんだ。聞いてくれないか」
そう言うと、二枚目のパピルス紙を手渡した。
そこには、ダプールと思われる厚く高い城壁に囲まれた街の絵と、内部の簡単な地図が記されていた。
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