第35話 容赦の無い男
これまで体験した事のない訊問を終えて、精根尽き果てたヒッタイト兵たちが部屋から連行されてゆく。
第四王子と部屋に残ったエジプト兵達は無言で彼らを見送った。
足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなり、こちらの話声が聞こえないくらいの距離まで離れたであろう頃。
「―― アーデス!」
無情な敵司令官を必死に演じる自分の後ろで幾度が吹き出した緊張感のない忠臣に、カエムワセトは開口一番抗議の呼びかけをした。
「いやすまんすまんすまん」
主人のらしくない指揮官ぶりと、いちいち面白い反応を示すヒッタイト兵の慄きように笑いを我慢できなかったアーデスは、平謝りした。
オルビアが滑稽なその様子に吹き出し、部屋に残っているオルビアの部下までがつられて肩を震わせる。
「誰ですかあんた」
よくもここまで本性を隠して演じれたもんだと、ジェトは感心を通り越して呆れていた。
「独り歩きしている私のイメージを利用させてもらっただけだよ」
カエムワセトは苦笑いながら、元の姿に戻った槍を拾い集める。
最後の一本を拾おうと手を伸ばした時、誰かの手が先に槍の柄を掴んだ。
顔を上げると、ネベンカルが槍を手にカエムワセトを見おろしていた。
憮然とした弟は、「ん」と一仕事終えた兄に手を差し出す。
その行動の意味するところが分らず、ぽかんとしているカエムワセトに、ネベンカルは「貸せよ!槍!」と苛立ちを顕わにした。
「僕が片付ける!」
そこで初めて弟が自分を労おうとしている事に気付いたカエムワセトは、驚いて目を瞬かせた。
「ああ、ありがとう」
不機嫌な顔で手を出し続けている弟に、おずおずと槍の束を差し出す。
槍の束を抱えたネベンカルは、「どんくさいな」と一瞥を残して槍を片付けに行った。
その様子を、ジェトは勝ち誇った気持ちで眺めた。
他の面々も、ネベンカルの変わりように頬をゆるめる。カエムワセトが実践した型破りな尋問は、ヒッタイト兵を抑圧するだけでなく、暴れん坊の弟の反抗心の矯正にも一役かったようだ。
「しかし驚いたなぁ。一生に一度拝めるかどうかの訊問でしたわ」
魔術を初めて目の当たりにしたオルビアが、「面白いもん見せてもらいました」と感服する。他の海軍兵士たちも、オルビアに同意するように笑顔で頷いた。
「魔術を使うのは、あくどい方法だったかもしれないけど」
気真面目なカエムワセトは賛辞に対して曖昧に微笑み、外道に走らざるを得なかった自分の至らなさを少し反省した。
もしここにオカルト嫌いのライラがいたなら、魔物戦の時のように起立姿勢のまま失神していた事だろう。カカルや弟達と一緒に捕虜たちの見張りを任せておいて正解だったとカエムワセトは思った。
「いやいや!大成功ですよ!」
恐縮する指揮官に、オルビアは手を振りながら反省は不要だと主張する。
「こういう交渉は、最初のひっぱたきが重要なんだから」
ひっぱたくと言うよりは、焼けついた金属を押しつけるようなやり方だった気もするが。
その場に居た数名が、笑顔の下でオルビアの讃辞に少なからず疑問を抱いた。
「それにしても、駐屯兵が全滅とはやられましたね」
ジェトが悔しそうにため息をついた。
ヒッタイト兵たちの自供によれば、ダプール周辺のエジプト駐屯隊は奇襲を受け皆殺しにされたという。そして、そのうち数名の遺体はダプールの城門前に吊るし上げられ、首が晒されたとのことだった。
そして今も、それらの遺体は回収されずそのままだという。
「酷えことしやがんな……」
ジェトの呟きに、「民衆の反抗心を抑え付ける為だよ」とカエムワセトが言った。そこに、戦歴豊富なアーデスも加わる。
「戦争じゃよく使う手だ。やる方も気持ちいいもんじゃねえけどな」
今回、その寝覚めの悪い方法を選んだヒッタイト側の指揮官の名は、シャルマ。ヒッタイトの第二歩兵隊の隊長である。
「シャルマならよく知ってますよ。相変わらずの徹底ぶりですわ」
カデシュの戦いで、シャルマのその強烈な徹底ぶりを見せつけられたオルビアは、当時を思い出し、顔をしかめながら頭を掻いた。
「殺戮を楽しむタイプか?」
ネベンカルが訊いた。
「いやそれが、そうじゃなくてね」
オルビアは口をへの字に曲げながら腕を組み、8年前の戦いにシャルマがやったえげつない心理攻撃を説明する。
戦艦から上陸したオルビア達エジプト海軍は、シャルマ率いる第二歩兵隊と一戦交えていた。圧され気味になったオルビア達が戦艦に一時退避し、暫くした頃。シャルマ率いる歩兵隊が、陸から投石機で幾つかの塊を戦艦に投げつけてきた。
最初は岩かと思った。船を破壊するつもりなのかと。
しかし甲板に転がったそれらは、岩ではなかった。
「仲間の首でしたわ」
静かに語ったオルビアの言葉に、そこにいた全員がぞっと背筋に寒気を感じた。
「お陰でこっちは戦意がガタ落ちでね。あやうく全滅させられそうになりましたよ。殺戮は好みませんが、無駄な戦いを避けるために最短、確実を躊躇しねえタイプなんです、あいつはね。目的達成のためなら、容赦なんか微塵もありません」
まあ戦争なんて、そんなもんなんですけどね。
オルビアは最後にそう言って黙りこんだ。
今回ダプールを落としたのは、シャルマの第二歩兵隊のみ。ダプールの執政はシャルマの軍に城門を開け、あっさり降伏したそうだ。そしてシャルマはダプールの兵を伴い、エジプト駐屯地を奇襲したのだという。
ヒッタイト軍を目の当たりにして慄き降伏したというよりは、どちらかがあらかじめ使者を送って口裏を合わせていたに違いない、とカエムワセトは考えた。
最初から執政はヒッタイト軍に寝返るつもりで迎え入れたのだろう。強国に挟まれている国が従属の相手を変えるのはよくあることである。
鉄の使用権の分配。交易の拡大。ダプールが攻め込まれた際の安全保障。執政は我欲が強く長い物に巻かれるタイプの人間故、ヒッタイトに寝返る理由はいくらでもあった。
だが、自国の人心までは掌握できていないようである。
ヒッタイトがエジプト兵の遺体を城門前に晒しているのが何よりの証だった。
「逆に言えば、民衆の心は執政に反してまだエジプトに傾いている。民衆を敵に回さなくていいだけ、状況は思ったより悪くないよ。さっきのヒッタイト兵の供述通りなら、本軍の到着までは最短で四日から五日といったところだから……」
カエムワセトは本軍到前を目安に、ダプール奪還までの計略を逆算した。タ・ウィがダプールに到着するまでは半日あれば足りる。都市内を調査して、サシバを放つまでに半日から一日。サシバを回収し、早急に策を練り直し、指示書を付けて再びサシバを飛ばし、奴隷小隊に化けてダプールに到着するまでに一日。そこから制圧までに残された時間は二日から三日。
「余裕……は無いな。ギリギリか」
口に手を当て頭の中でシュミレーションしながら、カエムワセトは呟いた。ダプールがヒッタイトの本軍を迎え入れる前に内部を制圧し、エジプトの軍旗を城の頂上に掲げなければならない。
「ファラオ軍の到着は?」
ファラオ軍の帰還用に船舶の手配を申しつかっているオルビアが訊いた。
「ガザを出立したばかりなら、一週間はかかるぜ」
アーデスが答えた。これでファラオ軍は完全に当てにできない事が分った。
しかし、あくまで遊撃部隊による無血開城を考えているカエムワセトは、「問題ない」と言う。
「ファラオ軍は陽動部隊だ。遅くて構わないよ」
むしろ歩みを早くされると、それに釣られてヒッタイトの本軍までもが早く到着しかねない。
「ファラオ軍が陽動役ねえ」
「何度聞いてもとんでもねえ反則技だよな」
オルビアが感慨深げにため息を吐き、アーデスも呆れたように相槌をうった。
国王直々に率いる大軍をオトリ役に使おうなどと考えるのは、後にも先にもこの変わり者の王子だけかもしれない。
「せめて奇策って言えよ」
バツの悪そうな顔で黙るカエムワセトを見たジェトが、アーデスの失言を咎める形で腰の低い主人の味方についた。
カエムワセトが咳払いを一つする。
「とにかく今は、サシバの到着を待たなければ。それまでは出立に備えて用意をしておこう」
カエムワセトの指示に、その場に居る全員が頷いた。
「さて。ではまずは……」
「作戦会議すか?」
先んじてジェトが言った。それに対し、カエムワセトが「いや。それはまた後で」と笑う。
そしてジェトに、もうすぐ夕方だから捕虜たちに食事を与える旨と、自軍の兵もめいめい夕食をとるように伝える事を言いつけた。続けてオルビアに兵糧の確認と不足分の調達を指示する。
「では私は砦を見て回って来るよ」
暗くなる前に砦全体とその周辺を把握しておきたいから、とカエムワセトは部屋を出てゆく。
「んな悠長な」
敵陣ど真ん中でまず飯の心配をしたカエムワセトを、ジェトは肩を落としながら見送った。
「飯は大事だぞ~?ジェト」
浮足立っている新米親衛隊員の頭をアーデスが豪快に笑いながら掻き回して部屋を出て行く。
「そうそう。腹が減ってはなんとやら、だ」
オルビアも部下を連れて兵糧の確認に行ってしまう。部屋にはジェトとネベンカルが残された。
一気に静まり返った訊問部屋に、いたたまれない空気が流れる。
ジェトは錆びついたような動きで、つい先ほどまで一触即発状態だった第六王子に振り返った。
ネベンカルはジェトと目が合うと、ふふん、と顎を上げ、ファラオ譲りのいなせ顔を性悪そうな冷笑に歪めた。
「まあ落ち着けよ、坊や」
と嘲る。
「俺年上だけどね!」
兄の労を認め、自ら槍を片付けた事を褒めてやろうという気になっていたジェトは自分の甘さを悔やみながら、いけすかない王子に向かって唾を飛ばして怒った。
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