第34話 型破りな訊問
ジェトは結構怒っていた。不機嫌は自分の標準装備だが、それでも今の腹立ちはなかなかのものである。
騎馬群が飛び出したのを見届けたジェトが波止場に橋をかけた時、第六王子ネベンカルは海軍兵に加わって橋を下り、砦を襲撃した。てっきり後方でふてくされていると思っていたが、己の役割をきっちり果たそうとするその姿勢にジェトはうっかり感心してしまった。
やればできるじゃねえか、と。
口に出さなかったのが幸いである。それでも、今無性にその賛辞を撤回したい。とんでもなく後悔している。
『最後まで船に居残り戦わず、今も別室でのんびり待機とは。兄上もお偉いことだな』
拘束したヒッタイト兵三名を部屋の中央に座らせたネベンカルは、彼らの腕の縄をきつく締め直しているジェトにそう言った。
ジェトは『は?』と片眉を上げてネベンカルを仰ぎ見た。
マジで言ってんのかこいつ。と、一度は言葉の裏の真意を探ろうとしたが、その不満げな幼顔を見たジェトは、いや、これはそのまんまだな。と嘆息した。
『確かにあの人は、先陣切っては戦わねぇわな』
ジェトは答えた。
だがその理由は、常に全体を把握して戦況を見極め素早く判断を下す為だ。
そんな事も分らんのか。
侮蔑を込めて、むくれている第六王子を上目づかいに睨んだ。
思ったまま口にすると絶対喧嘩になると思ったので、ここは家臣として一歩引き、別の言葉を選んだ。
『けどいつも、一番辛い場所にいるぜ。訊問役もあの人だ』
『つまりはいいとこどりか』
ネベンカルは嘲笑で返してきた。
正気かよ。
感情的だが頭は悪くないと評価していただけに、ジェトは落胆した。
この王子の兄を嫌う気持ちは、ここまで分別を失わせるのか。
しかも、ネベンカルが嘲笑している相手はジェトの主人である。
立ち上がったジェトは、ネベンカルの前にずい、と進み出た。悔しいが、自分の身長は二つ年下のこの王子と同じである。
『お前に出来んならやってみろよ』
唸るように言って、ドン、とネベンカルの胸を後ろの壁に向かって押した。
二、三歩後ろによろめき、自分を睨み返してきた第六王子に、ジェトは彼の後方の壁を指差した。
『そこで見とけ』
短く言い残し、別室で待つカエムワセトを呼びに行った。
相手が王子でなかったら、最後に『アホ』か『ボケ』くらいつけてやったのに、と悔しく思いながら。
★
「大丈夫か?ジェト」
いつもの三倍は目つきが悪くなっている忠臣に、カエムワセトは心配そうに声をかけた。ジェトは「問題ないっす」とぶっきらぼうに返答し、訊問室の扉を開けた。
「どうぞ」
掌で促す。
ふーっ、と細い呼気を斜め後方から感じたジェトは、そこにいるのであろう自分よりも頭一つ高い主に振り返りかけた。その時、エムワセトの白い衣がジェトの鼻先をスッとかすめる。その白い衣の向こう側に、ジェトの前を通り過ぎる主の横顔が見えた。
その横顔は、いつもの穏やかな彼ではなく、厳しさを帯びた一指揮官のものに変わっていた。
★
「エジプト軍はガザじゃなかったのかよ」
「知るかマヌケ」
「馬に直乗りとか反則だろ。何なんだよあれ」
訊問室の真ん中に座らされたヒッタイト兵三名は、互いに身を寄せ合いながら文句を言い合っていた。
部屋の壁際には、彼らを左右から挟むように、数名のエジプト兵が腕を後ろに組んで並んでいる。
扉が開き、「どうぞ」と声がする。
続いて、最後に船から下りて来た指揮官と思われる青年が現れた。
青年を呼びに行った目つきの鋭い少年は、扉を閉めるとそのまま扉の前に立った。
「敵に囲まれながら雑談とは豪気だな」
青年はそう言いながら捕虜たちの横を通り過ぎ、中央の文机に腰をかけた。捕虜たちと向き合う。
「お喋りが好きか?」
悠揚たる問いかけとは裏腹に、その表情に慈悲はみられなかった。
「あんたが司令官か?」
伝令を叫んだ兵士が、果敢にも司令官と思わしき青年を睨み据えた。
途端、青年の瞳が暗さを増す。
「私に答える義務が?」
静かながら恫喝にも似た響きで質問を蹴ったその迫力に、三人の捕虜は揃って背筋を震わせた。
怯えるヒッタイト兵たちを前に、青年は軽く肩をすくめる。
「アペピと闘ったエジプト第四王子の噂は知っているか?」
再び質問をしてきた。
「賢者だの魔術師だの騒がれている変わり者か」
伝令役だった兵士が苦々しい顔で、最近耳にするようになったエジプトの王子の異名を挙げた。
「実際は賢者でも魔術師でもないが。変わり者は正解かもしれないな」
青年がそう答えた瞬間、「ぐっ」と、右側に立つアジア系の兵士が腹に力を入れて何かを堪えた。拳をあてた口角が震えている。
もしかして笑ってるのか?
ヒッタイト兵士たちはまじまじとそのアジア人兵士を見た。
「さてそれでは!その変わり者から幾つか質問がある」
自称変わり者の王子が、やや大きめの声を出して捕虜たちの気を引いた。
「正直に答えれば手荒な真似はしない」
王子は座っていた文机から腰を上げると、壁際の槍立てに歩いて行った。
そこにずらりと立て懸けられている槍を一本手に取ると、ヒッタイト兵の前に槍先を向けて床に寝かせた。それを繰り返し、計六本の槍をヒッタイト兵に向かって円形に並べた。
床で寝ている槍に囲まれながら、何やってんだこいつ。という目で見て来る三人の捕虜たちの前に、再び文机に腰を下ろした王子は、腕を組んだ。
「私が欲しい情報は6つだ」
そう言うと顔の前に右手を掲げ、指を一回、ぱちりと鳴らした。
途端、硬いはずの槍がぐねぐねと形を変え、やがて槍一本分の長さの大蛇の姿に変わる。
ヒッタイト兵三人は、その信じられない光景に悲鳴を上げ、身を寄せ合った。
「一つ目。ダプールを落とした指揮官は誰だ」
と、一つ目の質問を口にした。
「二つ。兵の数に軍備」
「三つ。どこまで勢力を広げた」
「四つ。執政は何をしている」
「五つ。本軍は今どこだ」
王子は質問の度に指を鳴らしながら、槍を一本ずつ蛇に変えてゆく。
ヒッタイト兵たちは真っ青な顔で、自分達を取り囲んで牙をむく大蛇から少しでも逃げようと互いに押し合いながら後退したり前進したりを繰り返した。
「最後の質問だ」
パチン。と一際大きく指が鳴る。最後の一本が姿を変えた。
「我が国の駐屯部隊はどうなった」
怒気を孕んだ瞳と声色に、ヒッタイト兵たちは慄いて思わず訊ねてしまう。
「俺達をどうするつもりだ!」
六本の槍を蛇に変えた王子は、すっと顎を上げた。
「さて。どうしてほしい?」
問いかけとは逆に、蛇が一斉に牙をむいた。
「あああ!嘘つきぃ!」
手荒な真似はしないと宣言しておきながら蛇をけしかけてきた王子に、兵士の一人が情けない悲鳴を上げた。また、アジア兵が「ぶっ」と破裂音を出し、腹に力を入れて床を見る。
「正直に答えれば、と言ったはずだ」
文机から下りた王子は、最初に姿を変えた蛇に近寄るとかがんで、威嚇音を発しながらぱかりと開けられているその大口を覗いた。指先でそっと乳白色に輝く毒牙に触れる。
「なかなか鋭いな。刺さったら痛そうだ」
のんびりと言い、横目で捕虜たちを見やった。
王子と目が合った兵士の一人が、観念して俯く。
「分った。話せばいいんだろ」
掠れた声で、自供を約束した。
王子はそこで初めて、口元に笑みを作った。だがその薄い笑みも、すぐに冷たく賢しい面立ちの下に消える。
「嘘は見抜くぞ。真実のみを話せ」
姿勢を伸ばした王子は捕虜たちを高圧的に見下ろした。
「隠しだては為にならない。分るな?」
ヒッタイト兵三人は疲れ切った表情で、型破りな方法で訊問をしてきた変わり者の王子に頷いた。
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