第33話 指揮官の仮面

 カイザリアは大きな貿易港である。そこに軍人だらけの貿易船を停泊させるのは、相手側に『見つけて本部に報告して下さい』と言っているようなものである。故に実際にカエムワセトが目指していたのは、カイザリア港ではなくカイザリア周辺の、小港を伴う監視塔だった。

 小人数でも制圧可能で、船も怪しまれず停泊でき、一時待機場所としても使用できる建物があるのが理想だった。

 

 カエムワセト達が制圧したシャロン平原の監視塔は、エジプト駐屯隊の管轄場所だったので、ある程度の前知識もあった。地図を確認しておおよその位置も予測していたが、大平原にぽつんと存在するこの監視塔を見つけた時は、理想的すぎる環境に思わず自分の目を疑った。

 しかも運のいい事に、ダプールから派遣されたヒッタイト兵を捕虜にできた。

 あとは、捕虜からヒッタイト側の情報を聞きだし、タ・ウィからの報告書を足にくくりつけたサシバの帰還を待てばよい。

 

 カエムワセトは監視塔の一室で、指揮官としてお呼びがかかるのを独り待っていた。

 今、別室では拘束したヒッタイト兵を集め、訊問の準備をしている真っ最中である。

 当たり前だが、訊問役はカエムワセトだ。

 カエムワセトはテーブルに両手をつくと、俯いて深呼吸した。

 

 しっかり役割をこなさなければ。牽制をきかせる為に、こんな慣れない格好までしたのだから。


 ゲリラ部隊率いる若き新米指揮官は、心の内で自分に言い聞かせた。



『それはそうとあんた、その格好で敵陣に乗り込むつもり?』


 タ・ウィの仲間入りが決まったその日、カエムワセトはパシェドゥからそんな質問をされた。

 その格好、とは、いつもの神官服の事である。

 そのつもりだ。と答えた自分に、華やかな座長は美貌を硬直させると、わざとらしくよろめいた。続けて『信じらんない。ホント信じらんない』と愕然と呟いた。

 

 そして彼は、己の指揮官となるカエムワセトの胸元を指先でつつきながら、興奮気味に説教を始めた。


『そりゃ、この国じゃあんたは”神官の王子 ”で通ってるからそれでもいいわよ。でもね。旅芸人は旅芸人の、神官には神官の、王族には王族の、その時々に相応しい格好ってもんがあるのよ。あんた、それじゃ敵さんにナメられるわよ!』

 

 職業柄服装に拘りの強い敏腕座長は、TPOについて熱く語った。


 いくら着なれてるからって、あんたドレスで戦場に出ようとは思わないでしょ?


 極端な例を上げて、ファッションに無頓着な王子の理解を得ようと頑張った。

 その例えには幾つか指摘したい点があったが、パシェドゥの言い分も理解できたカエムワセトは圧され気味に黙って頷いた。


『何かないの?そんな地味着じゃなくて、あんたの力をバシッと印象付けて相手をガッと威圧できそうな服は!』


『そう言われても』


 身振り手振りに合わせて擬音を重ねて勢いを表現するパシェドゥからの要求に、カエムワセトは困り果てた。神官服。訓練用のシャンティ。式典用の正装。手持ちのもので他に何かあっただろうか。

 常に機能性と着心地を重視して衣類を選んでいるカエムワセトは、そういった服選びに非情に疎かったのである。

 洒落者のアメンヘルケプシェフなら、簡単に衣裳箱から引っ張り出して来れるのだろうが――。そう考えたところで、あ、と思いたった。



 本当にあの時、よく思い出したものだ。と、パシェドゥとのやり取りを回想していたカエムワセトは、羽織の裾を広げて眺めた。

 今身につけているこの衣裳は、自分が巷で御大層な二つ名を貰い始めた頃に、アメンヘルケプシェフが冗談半分でくれたものだった。袖を通す事はないだろうと衣裳箱の底に仕舞っておいたのだが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。


 足首まで達する長めのシャンティ(腰巻)に、上半身には襟飾りからシャンティに向かって斜めに流れる亜麻布。そこに、カラシリスで織られたマントの様な羽織を羽織るのだ。

 刺し色は襟飾りと帯の二カ所に、いつもの青よりやや暗めの藍と、艶を消した金。装飾品はいつものささやかな耳飾りをそのまま残し、両上腕に控えめの金輪を付けた。華はあるが全体的に落ち着いており、派手さはない。

 パシェドゥを初め、タ・ウィの面々には非常に好評だった。アーデスやジェトは腹がよじれるほど笑っていたが。


 着港場所が定まり、カエムワセトが進撃に備えて衣裳を身につけると、最後にヘレナが短いだけで伸ばしっぱなしだった髪を後ろに流して整えてくれた。


「ほらとても素敵」


 優しい手つきでカエムワセトの髪を梳いて鏡越しに微笑んだ彼女は、着港と同時に馬で船を飛び出し、パシェドゥ達と共にダプール目指して疾走して行った。

 たおやかで女性らしく常に大人の余裕を身に帯びているヘレナが、跳躍する馬上で見せた横顔は凛々しく頼もしかった。

 この船旅の中でカエムワセトは、パシェドゥがタ・ウィの帆ならば、彼女は帆を支える柱だと感じていた。

 

 山脈越えのルートを目指して馬で遠ざかってゆく勇ましくも華奢な背中を見送りながら、どうか無事であるようにと願った。


「私もしっかりしなければ」


 呟いた所で、「殿下」と呼ばれた。振りむくと、ジェトが戸口に立っていた。


「準備、いいっすか?」


 ジェトが親指で訊問室を指し示す。


 カエムワセトは頷くと、無慈悲な指揮官を演じる為に顔を引き締め、その柔和な面ざしを硬質な仮面の底に沈めた。


「行こうか」


 戸口で待っていてくれたジェトに声をかけた。

 ジェトが再び「殿下」と見上げて来る。

 

「しっかり頼んます」


 元盗賊の少年は、三白眼に力を込めて主にそう言った。そして、鼻根に皺を寄せて至極悔しそうにこう続けた。


「あのクソ生意気な六番目の鼻をあかしたって下さい!」


「……ネベンカルと何かあったのか?」


 弟に対してもはや王子と呼ぶのも嫌だと言わんばかりの忠臣の様子に、一度仮面の底に沈めたはずだった本来の素朴な青年の顔を、うっかり出してしまったカエムワセトだった。





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