第31話 プライバシーの無い船内

「初心な子ねえ」


 女性専用部屋では、2.5人の華やかな女性達が、床に毛布を敷いただけの簡単な寝床の中で丸まって、出てこないライラを囲んでいた。

 0.5は、勿論テティーシェリの分である。タ・ウィに居た頃は部屋の広さに合わせて、女性部屋の住人になったり男性部屋の住人になったりと臨機応変に対応していたテティーシェリは、今回は女性部屋の仲間入りをしていた。


 先程ライラを初心呼ばわりしたヘレナが、赤毛がはみ出ている毛布の上に、ため息を一つ落とした。


「唇を舐めたいって言われただけなんでしょ?動物だって気に入った人間の顔を舐めるんだから、犬猫だと思ってやらせてあげればいいのよ」


「あんたそんな無茶苦茶な」


 身も蓋もない物言いで窘めるヘレナに、ダリアが呆れた。

 人間の男と犬猫を同列に並べるのは流石に無理というものである。


 だがやはりダリアも、ライラの反応は『初心』以外の何物でもないと感じていた。ヘレナやダリアからしてみれば、カエムワセトとライラのすったもんだは、ちょっと石に躓いたくらいのもので、事故ですら無い。それを、まるで大怪我を負ったように大騒ぎするものだから、子供だな、と感じてしまうのは致し方の無いことなのかもしれない。


「まああたしも、だから何?とは思うけどさ」


 ライラよりも多少人生経験が豊富且つ媚びない二人のお姉さんは、忌憚無き意見をライラに述べた。


「殿下は昔から奥手でしたからね。ライラが驚くのも無理はないかと」


 三人の中では最も穏やかなお姉さんが、水差しからカップに水を注ぎながらライラの味方についた。「ライラ」と優しく毛布を叩き、布団の中でふてくされている年下の仲間に顔を出させる。

 もぞりと動いて毛布を口元まで下げたライラに、水の入ったカップを差し出した。


「どうぞ。飲んだら少し落ち着きますよ」


 毛布から全身を出し、布団の上にぺたりと座ったライラは、テティーシェリの両手の中にある透明な液体が入ったカップを見ると、遠慮がちに首を横に振った。


「大事な水を無駄にもらうわけにはいかないわよ」


 船旅では、早々に腐敗してしまう水よりもワインなどの腐りにくい酒が飲用として重宝されていた。海上では、水は大変貴重だったのである。

 大酒のみのライラは、自分が真水をもらうなど贅沢だとテティーシェリの気遣いを断った。


「大丈夫ですよ」


 優しく微笑んだテティーシェリは、ライラの手をそっと取って水の入ったカップを持たせた。続けて、ライラの罪悪感を吹き飛ばす思惑を口にする。


「減った分は、座長の取り分から引いておきますから」


 ただ水をもらうのは申し訳なく思うが、パシェドゥへの仕返しになるならば躊躇う必要はない。ライラはテティーシェリに真顔で「いただくわ」と頷くと、カップの水を一気に呷った。

 行儀は悪いがズズズと音を立てて最後の一滴まで飲みほしたライラは、カップから口を離すと は~。と息をつき、実に爽快な顔で


「おいしい!」


 と天井を仰いで、空になったカップを下ろした。

 水一杯で元気を取り戻した初心で単純な娘の姿に、ヘレナとダリアが顔を見合わせて笑った。


「それで諸悪の根源は何をしているの?」


 ヘレナがテティーシェリに訊ねた。

 テティーシェリはライラの分に取ってあった夕食の椀を埃よけの布の下から取りだすと、それをライラに手渡しながら先程男性用の部屋で見かけた座長の様子を説明する。


「とうとうライラに嫌われたとかで。あっちでいじけています」


 女性部屋を出てすぐ斜め前の部屋を指差した。

 

 ヘレナは「まったく」と腰に手を当てると、足早に女性部屋を出ていく。

 自分の役割のようにパシェドゥの元に向かったヘレナの様子に、ライラはヘレナに出会った当初から何となく感じていた事を訊ねた。


「あの二人、できてるの?」


 主は傍におらず、女性同士で気安い空気の中、ライラの言葉選びも砕けたものになっていた。


 ダリアとテティーシェリは顔を見合わせると、二人同時に「うーん」と首をひねった。やがて、「どうなんでしょうねぇ」と、テティーシェリが曖昧に笑う。


「私達は性別すら一言じゃ語れませんし。人間関係も簡単には説明できないんです」

「ちなみにあたしは男よりは女が好き」


 ライラの前にすとんと座ったダリアが、テティーシェリの説明に便乗するように、にこやかに女性のボディラインを両手で象った。ボン・キュッ・ボンが好みらしい。


「へえ~」


 ここ数日ですっかりこういったカミングアウトに慣れてしまったライラは、パンを頬張りながら頷いた。



 ライラの口からカエムワセトの変化を聞いたパシェドゥは、いじけるどころかほくそ笑んでいた。


「あたしの指導もなかなかよねぇ。仕上げるにはあともうちょっとってことかしら」


 自分の敏腕に酔いしれながら、自分用の布団の上で胡坐をかいたパシェドゥは、明日からの訓練内容を頭の中で練り直す。

 年下の王子たちは、なんのかんのいって反応が素直だった。パシェドゥの思惑通り、どんどん奴隷らしい顔になってゆく。暴れん坊の第六王子も、あと少しで尻に敷けそうだった。奴隷といっても、全員が全員大人しくなくてもよい。一人くらい反抗的な奴がいても多様性があって面白いわ。と、パシェドゥはネベンカルの尖りぶりを尊重することにした。


 対して、一等手がかかっているのが、第四王子カエムワセトである。一筋縄ではいかないとは思っていたが、心のプロテクトの強さは予想以上だった。柔和で人を拒まないように思える割に芯の強さが凄まじく、なかなか隙を見せてくれなかった。焦って少々行き過ぎた訓練をしてしまったが、ライラの話から察するに、上手くいったようである。


「あたし、調教師の才能あるわぁ」


 誰も居ない相部屋で、自画自賛の独り言で悦に浸る。

 そして調薬も得意な座長は、自分専用の麻袋をゴソゴソ探ると、色違いの小袋を三つ取りだした。赤、紫、金。全て絹で出来たそれらの袋に入っているのは、効力別に分けた媚薬である。


「明日はワインに薬でも盛ってやろうかしらね」


 そしたらもっと理想的な色気が出せるかもしれない。


 三つの袋を手に明日の特訓を想像しながら美貌を悪質な笑みに歪めるパシェドゥの後ろで、ドアがバタンと勢いよく開いた。


「反省してるかと思えば。またなに企んでるんです?」


 「ひゃっ」と甲高い悲鳴を上げて媚薬の袋を手から落としたパシェドゥは、腕を組んで半眼で睨んでくる団員の良心とも言える存在に恐る恐る振り返った。


 最初から説教目的で入って来たヘレナは、座長が今何をしているかはそれ以上追及せず、とりあえずまくしたてる。


「やり過ぎちゃ駄目だっていつも言ってるじゃないですか。皆迷惑してるんですよ!」


 パシェドゥはわたわたと慌ただしく媚薬を拾って麻袋にしまいながら、苦しい弁解をする。


「い、いやねえ。あたしは第四王子にもう少し、色気をださせようと――ね?」

「何が色気ですか変態をまた一人作っただけじゃないですか馬鹿馬鹿しい!」


 しどろもどろになってゆく座長を、ヘレナは持ち前の饒舌で容赦なく斬った。だが、ヘレナのこの余裕に満ちた滑る様な口調が好きなパシェドゥは、元々締りが無かった口元を更に緩ませた。


「なに笑ってるんです」


 ヘレナが大きな瞳でぎろりと睨んだ。


「ごめんってばぁ。そんなに怒んないでよぅ」


 麻袋を放りだしたパシェドゥは、くねくねとした動作で謝罪する。

 ひたすら下手に出て謝って来た座長に、ヘレナは釣り上げた目尻を標準の位置まで下げると、深くため息をついた。


「私はいつか一座を抜けるんです。心配かけないでください」


 それを聞いたパシェドゥが、慌ててヘレナの腕にすがりついた。


「だから抜ける必要なんてないんだってばぁ。娘が見つかったらあたしがちゃんと父親になってあげるんだから!」


 それは明らかにプロポーズだったが、パシェドゥの言い回しから察するに、幾度も口にしている事が伺えた。

 その証拠に、ヘレナは暗い声でお断りと思える返事を返す。


「私は娘と落ち着いた生活がしたいんです。密偵じゃ叶いません」


「もう五年も探してるんでしょ?いい加減諦めたら?」


 同情のこもったパシェドゥの声が、辛い決断を迫った。


「あの子はちゃんと生きてます。分るのよ。母親ですもの」


 凛とした声で、ヘレナが変わらない意志を告げた。


 しばしの沈黙。


「んじゃ見つかったらあたしも転職するからさぁ~!」


 再び、懇願するようなパシェドゥの声。


「あなたが転職したら結局みんな付いてきちゃうじゃないですか!」


「いいでしょ皆で仲良く暮らしましょうよお」


 嫌です!絶対いや。



「「「……」」」

 

 聞き耳を立てるのはよくないと思いつつも、いつの間にか女性部屋の三人は、壁越しに聞こえてくる二人のやり取りに無言で耳をそばだてていた。


「ホント船内ってプライベートないよな」


 ダリアがぼそりと海上生活の不満を漏らした。


 それぞれの人生と思惑を乗せて、貿易船に扮したゲリラ部隊船は、着実にカイザリアへと進んでいた。

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