第29話 加齢臭漂う会話とキレた乙女

 今日の夕食は、パンと干し肉と干しナツメ。船上の食事といえばこんなものであるが、まだパンが柔らかいだけマシだと思いながら、アーデスは甲板に出た。


 夜の甲板は少し肌寒かった。人の気は無い。木造船のきしむ音だけが、黒い波の上で上下する。頭上を見上げれば満天の星空だったが、暗い大海の上では、足元がおぼつかない船上という状況も相まって、果てしなく続くその夜空が余計に心を細くさせた。


 やはり、そこがどんなに乾き切った砂漠であっても自分は陸の方がいい。死ぬなら断然陸だな、とアーデスは己の死に場所を決める。


 夕食を片手に船首に向かって歩みを進めて行くと、人影が見えた。大人の男のシルエットが二つ、船首前の段差に並んで座っている。

 目を凝らして人物を特定すると、意外な組み合わせだった。


「よお。逢引かい」


 冗談を言いながら、飯を口に運んでいる二人の前に歩み寄る。


「逢引だと思うんなら邪魔すんじゃないわよ」


 パシェドゥがアーデスの軽口に乗り、隣のオルビアが手を叩いて笑った。

 オルビアが脇に置いてあったワイン壺の前の椀を手に取り、「どうです、一杯」とアーデスに差し出す。


「安物ですが、あったまりますよ」


 アーデスは「おう。悪いな」と椀を受け取り、オルビアの隣、パシェドゥの反対側に腰を下ろした。


「どこかで見たと思っていたら、ネアリム師団の司令官殿だったんですね。やっと思い出しましたよ」


 カデシュでの戦いを思い出しながら、当時は最下位の兵士だったオルビア小隊長は、ファラオの隣で戦場を駆けた豪傑にワインをなみなみと注いだ。


「今は若い奴らのお守役だよ」


 アーデスは謙遜した。だが、今の状況にまんざらでもない様子は、その苦笑いの端々から感じ取れた。


 オルビアは今朝初めて顔を合わせた第四王子を思い出す。巷では賢者だの魔術師だのとご大層な二つ名を頂戴している噂ばかりが流れている為、一体どんな尊大な人物がやってくるのだろうと身構えていたら、あまりに素朴で拍子抜けした。同時に、柔和でありながら物怖じしない強さと、知性と好奇心に満ちた瞳には好感を持った。カリスマ性というよりは、その温和な人柄と行動で人望を集めるタイプだと確信した。


「面白い王子じゃありませんか。ゲリラ戦やろうなんて」


 作戦を聞いた時には驚かされたが、かつての豪傑や最高司令官の影を統率する男が従っているのならば、とオルビアも期待した。


「そうよねえ」


 パシェドゥが反対側から同意する。


「無血開城なんて理想でしかないけど、それを実現してくれるっていうんなら手伝いたくなっちゃうわよねぇ」


 おフザケ専門の男が真面目に話した様子がおかしく、アーデスは思わず吹き出した。口に含んでいたワインが飛び出し、慌てて手で押さえる。


「なによう」とパシェドゥが膨れるので、アーデスは「すまん」と笑いをこらえながら謝罪した。


「てっきり、腹のたるみを気にしてるからだとばかり」


 カエムワセトの執務室で仲間入りの理由として『お腹のお肉がパン生地みたいにならないように』と言っていた冗談を引っ張り出す。


「なわけないでしょうが」


 パシェドゥはパンを口に運びながら言った。


「あたしは、ひほ(人)をはふける(助ける)為にひほ(人)を殺す本末転倒なやり方しかひらないから(知らないから)。若い発想に期待したのよ」


 感動的な台詞だったはずなのだが、口いっぱいにパンを頬張りながら喋った為、はっきり聞き分けられたのは嚥下後に喋った最後の一文だけである。


「若いって、お前も十分若いだろうが」


 『もう一度言って下さい』と頼む気も起らず、アーデスはとりあえず最後に聞き取れた一文に対して受け答えした。

 何歳だよ。と訊いてきたアーデスに、パシェドゥは嫌そうに顔をしかめて手で払う仕草をする。


「知らないわよ。一番古い記憶が不埒なオッサンを剣でブッ刺した20年前よ」


 自分に負けず劣らず波乱万丈な人生を生きて来たらしいパシェドゥの答えに、アーデスは「ほお」と相槌をうつ。

 パシェドゥは見た所、20代半ばから後半といったところである。今でこの外見であれば、子供の頃はさぞかし好色どもの食指をそそる美少年だったのだろうと容易に想像できた。

 しかしながら、変態に悩まされていた美少年が長じて変態になったのというのは、嘆かわしいことこの上ない。と、アーデスは感傷的に夜空を見上げる。


「そういうあんたはどうなのよ。ちゃんと歳分ってんの?」


 質問を返されたアーデスは、「31だ」と答えた。しかし、後に「多分」と付け加える。


「ホラ、あんたも分んないんじゃない」


 ほらみろと言わんばかりに指を指して来たパシェドゥに、アーデスは口ごもって首筋を掻いた。


「そんなもんじゃねえんですかね。今のご時世」


 笑いながら、オルビアがアーデスに助け船を出す。

 恐らくアーデスと近い年齢であろう彼は、陽気でありながら三人の中では最も包容力が感じられた。

 自分でも包容力はある方だと自覚しているが、どちらかというと枯れている部類に近いアーデスは、そんなオルビアの醸し出す陽気な雰囲気を羨ましく思った。さぞかし女にモテそうである。否。もしかしたら既に妻帯者なのかもしれない。

 オルビアに妻子はいるのか訊こうと思ったが、今朝知り合ったばかりで雑談程度の会話の中で家族の有無を聞くのは図々しいかもしれないと考え直したアーデスは、口をつぐんだ。

 そうこうしている間に、話題は敏腕座長のスパルタ訓練に変わる。


「そういや、昼からあんた何やってたんだ?けったいな叫び声が聞こえてきてたぜ」


 突然、船が大きく揺れた。

 船の生活に慣れているオルビアが、「おっと」とすかさず傾きかけたワイン壺を支える。


「特訓よ、特訓」


 パシェドゥが例のやらしい三日月顔でにんまりと笑った。


「はあ。特訓ねぇ」


 オルビアが微妙な相槌をうつ。

 それもそのはずである。昼間、甲板に聞こえてきた声は、以下の様なものだったからだ。


「ちょっと六番目!睨むんじゃなくて怯えろってあんた何回言ったら覚えんのよ!」

「番号で呼ぶなっつってんだろオカマ!」

「奴隷は口答えしなさんな!」


 最後に、大きく鞭の音。


 他にも「ご主人様とおよび」だの「跪きなさい」だの聞こえてくる台詞は耳を疑うようなものばかりだった。あとは断末魔である。


「けったいな特訓だな」

 

 言いながら首を傾げるオルビアの横で、特訓現場を想像したアーデスは頭を抱えた。


 突如、デッキの扉が勢いよく開いた。

 現れたのは、親衛隊隊長ライラである。両腕を横に伸ばして扉を開けた格好のまま仁王立ちでこちらを向いているライラは、暗がりでも分るくらい、怒りに燃えていた。両肩を大きく上下させながら、誰かを探すように素早く甲板に視線をめぐらせたライラは、年長者三人の姿を見つけると、扉を閉めるのも忘れてダッシュしてきた。


 経験上、これはヤバい! と悟ったアーデスは、怒られる覚えはないが脇に置いてあった夕食を手に持って、逃げる準備をする。


「あらライラ~。どうしたの?もうご飯たべた?」


 パシェドゥが呑気にご飯の心配をする。

 ライラはアーデスとオルビアには目もくれず、ご飯の心配をしてきた男に掴みかかった。


「こんのド変態!殿下に何したの!?」


 主に小姓役の指導をした座長の胸倉を掴んだライラは、開口一番、殆どがなり声で詰問した。

 元々血の気が多いライラだが、やはりアーデスの経験が警鐘を鳴らした通り、今回の切れっぷりはいつにも増して凄まじかった。

 とにかく怪我人が出る前に猛獣と化した同僚を鎮めなければ、とアーデスは使命感に駆られる。


「ライラ!とりあえず説明しろ。ワセトと何かあったのか?」


 年長者らしくビシッと相棒の名を呼んだアーデスは、状況説明を促す事で、冷静さを取り戻させようと試みた。

 試みは僅かながらも成功したようで、パシェドゥの胸倉を掴みながらではあるが、ライラはアーデスに顔を向けた。続けて、その気の強さを象徴しているような釣り目と綺麗に弧を描いた眉をこれでもかというほど下げる。


「殿下が、あんな……っ。あんなになっちゃうなんてっ。私、どうしたら――っ」


 ライラは、声を詰まらせながらのっぴきならない事態を告げようとした。だが、錯乱状態に陥っているせいか、全く説明になっていない。

 年長者三人は、首を傾げながらお互い顔を見合わせた。


「あんなって、どんなだよ?」

「ちょっと分んないわぁ」

「とりあえず、深呼吸だ深呼吸」


 パシェドゥの胸倉から手を放し、オルビアのアドバイスに従って何度か深呼吸したライラは、再び状況説明を試みる。


「さ、さっき廊下を歩いていたら、殿下がいらっしゃって。で、話しかけようとしたら、突然船が大きく揺れて、私、バランスを崩してぶつかっ――」


 思い出しながら順を追ってそこまで説明したは良かったが、言葉を切って一気に湯でダコ同然に全身赤くしたライラは、「あーっ!」と奇声を発し、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまう。

 そして、肝心なところを何も伝えられないまま再び錯乱状態に陥ったライラは、またもやパシェドゥを襲いにかかった。


「責任取れこのクソ犯罪者 !!」


 優男の胸倉を再度鷲掴みにしたライラは、軍隊仕込みの馬鹿力で相手を宙刷りにすると、船の縁から全力で海に投げ込もうとした。これには流石のパシェドゥも焦る。


「うおおお!タンマタンマタンマ!」

「ライラ、海はマズイ海は!」


 パシェドゥは縁を掴み必死に抵抗し、アーデスはライラの両肩を掴んで縁から引き離そうと頑張る。

 その様子を、オルビアだけが酒を飲みながら眺めていた。


「若者のお守も大変だなこりゃ」


 ぼそりと呟いた。

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