出港からダプール戦終結まで

第24話 貿易船に扮したゲリラ船

 エジプトは砂漠を駆ける戦車や歩兵ばかりにイメージが偏りがちだが、海軍も充実していた。国力が大きくなるにつれて遠方への軍事遠征も増え、また兵の数も10万を超す大所帯となってからは、兵力だけでなく、部隊や兵站の輸送手段としても海軍は重要な役割を担っていたのである。

 

 エジプトデルタ地帯の港、ペルシウムの波止場で木造大型帆船を目の前にしたカエムワセト一行は、その巨大さに全員がぽかんと口を開けて船体を見上げた。


 船底部には片側40以上のオールが並び、高さは10mを優に超えている。船首から船尾までの長さはジェトとカカルが行射訓練をした時の倍はありそうだった。

 カエムワセトは改めて、自国の造船技術の高さを思い知った。


「すげえ。こんなでけえもんが水に浮かぶなんて」


「まるで水に浮かぶ神殿すね」


 ジェトとカカルも、初めて見る大型船に感嘆の吐息をもらす。


「商用船を神殿とは、おもしれえ事言うじゃねえか」


 そこに、船乗りの格好をした大柄の男が大股で歩いてきた。日焼けをしていても肌や髪の色は明るく、その身体的特徴はヨーロッパ方面の人種に近い。

 その男は「海は初めてかい」とジェトとカカルに白い歯を覗かせて陽気な笑顔を見せた。


「オルビア隊長だね。急な頼みだったのを、引き受けてくれて感謝する」


 カエムワセトは船を手配してくれた海軍の小隊長オルビアに礼を述べると、忠臣5人を順番に紹介した。


「あのアペピと闘われた方々にお会いできるなんて、光栄ですよ」


 好奇心に満ちた眼差しを向けられたカエムワセトは、魔物戦以降、いい加減慣れたこの質問に何十回と返した解答を今回も使用した。


「いや。アペピと闘ったのは、父と彼の二人だよ。私は姿すら見ていないんだ」


 そう言って、アーデスを掌で示す。


「魔術師にちょっとけし掛けられたもんでな。仕方なく」


 アーデスはバツの悪そうな顔で、あらましにすらならない説明で済ました。

 アペピとの戦いを、大人相手に子供が両腕をぶん回しているのと大差ないものだったと自覚しているアーデスは、あの戦いを誇る気になれなかった。アヌビス神が現れなければ、ラムセス二世もアーデスもアペピの巨体に潰されていたか、胃袋に収まっていた事だろう。


「神々や魔物を見たってだけでも凄いことだと思いますがね。話を聞いた時には、神様ってほんとにいたんだと感動しましたよ。シャルダナ族のわたしにも、エジプト神の御加護があればいいんですが」


 オルビアが感慨深げに言う。

 シャルダナ族とは、『海の民』と呼ばれる東地中海沿岸を放浪した集団の一派である。『海の民』は総称的呼称であり、その出所は不明であった。 

 シャルダナ族はラムセス二世の治世2年目にエジプトデルタ地帯の島々に上陸し侵略を試みたが敗戦し、エジプト軍に編入された。その後カデシュの戦いで武勲を立てた彼らは、エジプトの土地の一部を褒美として与えられたのである。

 オルビアもエジプト軍編入後に功績を残し、一兵士から小隊長まで上り詰めた叩き上げの人であった。


「それはそうと、軍艦でなく交易船を、とファラオからのご命令でしたのでこちらを用意したんですが、合ってましたかね?」


 戦争が始まると聞かされていたのに商用船を用意せよと奇妙な命令を受けた小隊長は、怪訝な顔で確認した。

 カエムワセトは「ああ。ありがとう」と頷く。しかし、「ただその……」と間を置いてから「少し大き過ぎないか?目立つのは避けたいんだが」と、やや気がかりだった船のサイズについて質問した。

 カエムワセトの軍は極少数精鋭。近臣5名。弟5名。旅芸人5名の15名しかいない。そこに、馬や食料などの兵站とオルビアの小隊の大体50名が乗船するとみても、まだ余裕で空きがありそうである。 


「交易船ていえば、大体これくらいですぜ。小さいと逆に目立っちまいますよ」


 そういうものなのか、とカエムワセトは辺りを見回した。

 確かにオルビアの言う通り、これより小ぶりの船も幾つか見受けられるが、国同士を行き交う貿易船と思われる船は、みな大型ばかりである。


「大きい方がいいわよ。まあこれでもかなり揺れるだろうけど」


 後方から聞こえた新たな声に、そこにいた面々が振り返った。そこには、一座の仲間を連れたタ・ウィの座長パシェドゥがいた。彼らの後ろには、ロバ二頭が引く幌つきの馬車がある。


「パシェドゥ。物資の調達、ご苦労だった」


 ぺル・ラムセスを出立してからカエムワセト一行とすぐに別れたタ・ウィは、カエムワセトに頼まれ、ダプール潜入に必要な物資の調達に走っていたのである。後方にある荷車の中には、他にも様々な小道具が積み込まれていた。


「お安い御用よ」


 にこりと微笑んだパシェドゥは、カエムワセトの後ろにさっそくお気に入りの親衛隊隊長を見つけると、目を輝かせて飛びついた。


「ライラ~!船酔いしたらあたしに言いなさいよ。介抱してあげるから~」


「は・な・し・な・さ・い~!」


 ライラは猛獣が唸るような声を出して嫌悪を前面に押し出しながら、腰に抱きつくパシェドゥを渾身の力で押し離そうとした。

 両手で押されるパシェドゥの首は、今にも頚椎を骨折しそうなほどひん曲がっている。カカルが「ライラさん、座長さんの首もげそうっすよ」と注意した。

 その横で、テティーシェリが「大丈夫です。座長はああ見えて頑丈なので」とのんびり言う。

 タ・ウィの団員は、各々顔を見合わせて肩をすくめている。


「パシェドゥ。ちょっと」


 誰も救いの手を差し伸べる気が無い中、カエムワセトがパシェドゥの肩に手を触れた。


「私の部下を襲わない約束の元、同行を認めたのを忘れないでくれ」


 タ・ウィの仲間入りを認める条件として、カエムワセトはライラの身の安全と精神安定を確保するため、パシェドゥにライラとの過剰な接触を禁止していた。

 リーダーからの忠告に、パシェドゥは「覚えてるわよぉ」と口をとがらせる。


「でも抱きつきついでにおっぱい触るくらいならセーフでしょ?」

「じゃああんたは××された上×××されてもいいっての!?」


 ライラが同じ年頃の女の子であれば絶対に口にしないであろう軍隊仕込みの下品な言い回しで、変態ど真ん中な行為を例に挙げて腰にかじりつく男を脅した。

 ジェトとカエムワセトが、赤面と共に硬直する。

 ライラにとって、パシェドゥからのハグに加えたおっぱいタッチはそれくらい、えげつないらしい。

 

 カエムワセトはパシェドゥとのボーダーラインに対する認識の差について後で話し合い、再度、緻密なライン調整が必要だと考え直した。


「はぁあ~。あたしの楽しみが一つ減っちゃったぁ」


 心底面白くなさそうにライラから離れたパシェドゥは、わざとらしくため息をついた。だがすぐに気を取り直し、非常にからかい甲斐のありそうな、十代前半の王子たちを探してきょろきょろと辺りを見渡す。


「楽しみと言えば、あんたの可愛い弟ちゃんたちはどこにいるの?」


 その台詞の導入部分が非常に気になりながらも、カエムワセトは「まだ宿屋で休ませてるよ」と答えた。


「ちょっとみんな、初陣でナーバスになっていてね」


 ネベンカルより下の王子たち4人は、ぺル・ラムセスを出立して二日。緊張と不安で、早くもホームシックに陥っていた。ネベンカルに至っては、出立当日から一言も口をきこうとせず、殆どボイコット状態である。


「ホント大丈夫かよあいつら」


 まるで頼りになりそうになかった今朝の王子たちの様子を思い出し、アーデスはガシガシと頭を掻く。


「大丈夫よぉ。船に乗ったら、あたしがお家に帰りたがる暇もないくらい可愛がってあげるから」


 パシェドゥが声を弾ませて言った。

 カイザリアまでは二日から三日の船旅となる。奴隷小隊に扮する上で細かい演技指導をタ・ウィに依頼していたカエムワセトは、一抹の不安を覚えながら「お手柔らかに宜しく」と、やる気満々な座長に苦笑した。

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