第23話 目指すは無血開城

 今日の軍議に召集されたのは、下エジプトの宰相パセル、皇太子アメンヘルケプシェフ、最高司令官ラメセス、第四王子カエムワセト、第六王子ネベンカル、第七王子メリアメン、第八王子アメンムイア、第九王子セティ、第10王子セテプエンラーである。ちなみにこの時、第10王子は11歳になったばかりだった。


 ラムセス二世からダプールとリビア双方の動きをここで初めて知らされた歳若い王子たちは、一様に不安げな表情でだまりこんだ。


「調査隊を送ったのであれば、報告を待つべきでは?」


 宰相のパセルが進軍を急く事に異議を唱えた。大軍を動かすと諸外国を無駄に刺激する。


「俺の目や耳を信用できんと?」


 ラメセスがパセルをじろりと睨んだ。各地に放っている草は、ラメセス直々に仕込んだ精鋭である。調査隊は最終確認に過ぎない。


「そういうわけではないが……」


 気圧されたパセルは口ごもった。

 ラメセスとパセルは親子ほど歳が離れているが、“鬼の大将軍ラメセス”が放つ威圧感は年齢差などものともしない。


「これこれ次男」


 ラムセス二世が宰相を抑圧的に睨みつける息子を窘める。

 だが、ラムセス二世の主張もまた、パセルの見解を否定するものだった。


「宰相の言い分もわかるが、悠長に待ってたらヒッタイトに軍備を強化する時間を与えるだけだ。兵の準備を整えるだけでも三日かかる。とっとと動いちまおうぜ」


「ヒッタイトとリビアが繋がっている可能性は?」


 不安心から口をつぐむ歳若い王子たちとは別に、ずっと黙して考え込んでいたネベンカルが挙手をして発言した。


 タイミングよろしく北と西から挟み打ち。エジプトの戦力を二分させる為、ヒッタイトとリビアが手を組んだ可能性も有り得る。


 だがそれは、ラムセス二世の「なかろう」という一言で呆気なく打ち消された。


「何故です」


 ネベンカルの問いに、ラムセス二世は「勘だ」と答える。


 父王の解答に、ネベンカル以降の王子は『ん?』と耳を疑った。

 対して、ラムセス二世が往々にして理屈よりも勘を頼りに動く直感的な人間であることをよく知る一番目から四番目の三人の王子は、『またか』と渋い顔をする。

 

 勘というものは全て第六感に頼っているように思えて、実はその多くは本人が蓄積した記憶や経験が無意識下で働いて、発揮するものである。よって、この度ラムセス二世が働かせた勘も、ラムセス二世が知る近隣諸国の情勢を考慮して発揮したものなのだろうと年長の王子たちは推測した。だが、それはあくまでラムセス二世の無意識下での話である。そのため、説明を求められてもラムセス二世は答えを出せないのであった。


 仕方が無いので、アメンヘルケプシェフが父王の代わりに詳しく理由を述べる。


「ダプールは頑強な要塞都市だ。砦代わりに使うには申し分ない。ヒッタイトは今、アッシリアの脅威にさらされつつ弱体化もしている。ダプールへの侵攻は、対アッシリアの一環として行われたと見て良い。一方、リビア遊牧民が欲しがっているのは下エジプト・ナイルデルタ地帯だ。もし今エジプトがリビアに敗して国力を落とせば、アッシリアはこれ幸いとシリアを取りにかかってくるだろう。シリアはエジプトとヒッタイトがギリギリの均衡を保っている緩衝地帯。そこにアッシリアがしゃしゃり出るのは、ヒッタイトの望むところではない」


「そう!俺もそれを言いたかったんだ」


 パチンと指を鳴らしたラムセス二世は、実に模範的な解説をしたアメンヘルケプシェフを称賛し、指差した。

 その場に居る全員が、『やれやれ』とでも言いたげに肩を落とす。


「一つ、提案があります」


 今度は、ラムセス二世とともにダプール出兵を命じられたカエムワセトが挙手をした。


「私を別動隊で行動させて頂けないでしょうか」


 と打診する。


 ファラオの意向を尊重する形で、あえて魔術師の件は伏せておいた皇太子と最高司令は、思わず顔を見合わせた。もしかしたら、弟は既にリビア側の魔術師の存在を知っているのだろうかと懸念する。それゆえ、別動体で自由に動くつもりなのか、と。

 だが、弟が次に口にした言葉で、それは杞憂だったと気付いた。


「もし私の戦略をお気に召したら、商船を一隻、調達願います。それから弟達を私に付かせて下さい」


 途端、ネベンカルが嫌な顔をした。『弟達』の中にはきっと自分も含まれているのだろうと推測したが故である。

 一方、ラムセス二世はおそらく兄弟一聡いであろう第四王子が考えた戦略とやらに大いに興味をそそられた。


「おもしれえ。聞こうじゃねえか」


 身を乗り出したファラオは、不敵な笑みと共にカエムワセトに発言を促した。



「すまない皆。遅くなった」


 テティーシェリの性別確認から暫く経った頃。軍議を終えたカエムワセトがようやく執務室に出勤してきた。


「よお。朝からご苦労だったな」


 軍議の予定を聞いていたアーデスが、誰よりも先に主を労った。続けて「どうだった」と訊ねる。

 カエムワセトは「うん」と神妙な面持ちで頷くと、まずは椅子に腰をかけた。

 そして、自分の周りに集まった近臣達を見渡し、いつもの優しげな面ざしをやや固くしたカエムワセトは「ダプールへの出兵が決まった」と告げる。

 その瞬間、執務室の空気が緊張を帯びた。


「やっぱり戦争になるんスね」


 カカルが悲しげに肩を落とした。カエムワセトは最も歳若い近臣に、「すまない」と瞼を伏せる。


「家臣になったばかりの君達まで巻き込んでしまって、申し訳ないと思っている」


 昨夜のアーデスとの会話で覚悟ができていたジェトは、自分達が家来になっても相も変わらず低姿勢でいる主に、「何言ってんすか」と笑った。


「俺らは魔物戦の時からあんたに付いて行くって決めたんだ。そこんとこは気にしないでくださいよ」


 ざっくばらんな口調だったが、その言葉は主人への真心に満ちていた。いつもは皮肉と文句が多いジェトだが、その愚直なほどの誠実さはカエムワセトの見立て通りである。

 また一人信頼できる腹心に恵まれたカエムワセトは、「ありがとう」と感謝を伝えた。

 続いて、昨夜仲間になったばかりの踊り子に顔を向ける。


「アルも。私に仕えて早々に戦争になってすまない」


 途端、ライラが何かを思い出したようにポン、と手を打った。他の面々も、『あっ』と目を丸くして新人の踊り子に注目する。

 大事な一部を切ってから名前が変わった、と言っていたが、“アル”が本名らしい。


「殿下。今は女の子なのでテティーシェリでお願いします」


 やや怒気を孕んだ声で“アル”が言った。どうやら使い分けているらしい。

 声が怒っている割に、顔は完璧に笑顔なのが余計に怖かった。


「ごめん」とカエムワセトが即座に謝る。


「殿下こそ大丈夫なんすか?戦争なんて、一番苦手でしょ」


 昨夜、アーデスから聞かされていたカエムワセトの弱点を気にかけて、カカルが訊いた。

 その質問にカエムワセトは初め、きょとんとした顔を見せたが、カカルからの気遣いだと心付くと、やがて破顔した。

 自分を心配してくれた年下の家臣に「大丈夫だよ」と柔らかく頷く。そして、


「私には、私なりの戦い方があるんだ」


 そう言うと、カエムワセトはファラオから許しを得た戦略を忠臣達に話して聞かせた。


 ダプールは、とにかく守備力に長けている。外から攻め入るのは容易いとは言えず、時間と人命を無駄に浪費し、お互い疲弊する戦闘になる事は目に見えている。侵攻したヒッタイトもエジプト軍が攻めて来る事を前提に軍備を固めていることだろう。

 ダプール奪還は、きっと一筋縄ではいなかい。

 だからカエムワセトは、隊を大小二つに分け、大きい一つは目くらましに。小さい方はダプールに前もって潜入し、要塞都市を内から壊す策戦を考えた。

 例え外守が強固でも、内側がガタガタに崩れていれば、要塞などただ高いだけの壁である。


「我々が行うのは少数精鋭でのゲリラ戦だ。緻密な下準備と強い連携が必要となる」


 説明しながらカエムワセトは、書棚の横のカゴから大判のパピルス紙を取りだした。片手で持てるくらいに細く巻かれたそれは、オリエント全域を描いた地図である。

 広げると、縦横二キュビット(一メートル)はある大きさだった。

 ジェトに手伝ってもらいながら床に地図を広げ、四隅に部屋から適当に集めた重しを置くと、カエムワセトは指でまずファラオ軍の動きを示した。

 ぺル・ラムセスからガザへ。ガザからヨッパへ。ヨッパからサマリアへ。サマリアからヨルダン川を北上し、ダプール要塞があるダボル山へ人差し指を海岸線沿いにゆっくりと滑らせてゆく。


 その指の動きに、アーデスが「大都市ばっかじゃねえか」と髭面をしかめた。「こりゃ悪目立ちも甚だしいぞ。今度はどんな馬鹿話をレリーフにする気だ?」と手厳しい意見を口にする。

 

 アーデスの言う馬鹿話、というのはラムセス二世がテーベの神殿のレリーフに描かせたカデシュの戦いの叙事詩だった。そこにはラムセス大王がいかに勇猛勇敢に敵と闘い自軍を勝利に導いたか、いかにラムセス二世が神々に愛されているかが実にドラマティックに記されていた。

 だが、傭兵ばかりで構成されたネアリム師団を指揮して参戦したアーデスからしてみれば、カデシュの戦いはラムセス二世の猪突猛進的な性格と敵の策略にまんまとひっかかった間抜けさが引き起こした惨劇である。

 ラムセス二世は戦いのシーンの絵にたった一人で戦車を操りながら闘う自分に加え、可愛がっている馬とヌバ(ライオン)まで描かせた。

 確かにアーデスが駆け付けた時はヌバも戦場で暴れていたが、あれは普段庭でグータラしているライオンが危機的状況に錯乱していただけであったし、ラムセス二世も確かに器用に一人で戦車の手綱を操りながら弓を射ていたが、手綱の操作に気を取られて矢の命中率はべらぼうに落ちていた。加えて言うと、後ろには数名ではあったが護衛もちゃんといたのだ。


『おっせーわ!どこでチンタラやってたんだよ!』

『お前が西から回れっつったんだろうが!てか一人で何やっとんじゃ!使えよ手綱取りを!!』

『後ろで腰抜かしてんだよ!』

『だったら他の奴引っ張ってこんかい!』


 混戦状態の中、アーデスとラムセス二世は怒鳴り合った。

 そもそもカデシュの戦いはエジプトの勝利ではなくただの痛み分けである。しかもエジプトは一万の兵を失ったのだ。

 エジプトに戻って暫くしてから気持ちが良いほどに事実関係を無視した巨大なレリーフを見せられたアーデスは、「道化かよ」と自分をレリーフ前まで引っ張って来たファラオを開口一番、罵った。

 特に『わが父アメンよ』のラムセス二世が神に祈る下りからは、もはや失笑ものでしかなかった。混戦中ラムセス二世の口から罵詈雑言は山ほど聞いたが、祈りの言葉など、いつ出てきただろうか。

「国民の為だよ」

 と、当時のラムセス二世はふんぞり返って笑った。

 優勢だと思っていた敵が粛々と停戦交渉の準備を進める中、翌朝の戦闘に向けて軍備を立て直していたファイトは認めるが、アーデスが戦友としてラメセス二世を褒めたいと思う点は、そこだけである。


 今回も国民の為、ファラオの逸話を捏造する気かと疑ってかかるアーデスに、カエムワセトは苦笑った。そして、これは自分の出した案だと説明する。


「陸路を進むファラオ軍にはあえて目立つ行軍をしてもらって、敵の注意を引いておいてもらいたいんだ。その間に我々は海からシリアへ入り、相手の懐へ潜入するんだよ」


 カエムワセトは一度ダプールから指を離し、今度はエジプトの港町であるペルシウムから沿岸沿いに人差し指を北上させ、カイザリア周辺で指を止めた。そして、そこからダプールへ一直線に指を滑らせる。


 なるほどな、とアーデスが言った。目立つ事に関してなら、あのファラオの右に出る者はいないだろう。


「けどあんまり調子に乗らせんなよ。逆に怪しまれるぞ」


 でかい前科があるだけに、アーデスにとってラムセス二世はとことん信用が無い。カエムワセトは「まあ、その辺は父上の采配に任せても大丈夫だと思う」と父王を信用している意向を伝えたが、念のため「参謀本部もついているし」とお目付け役の存在を主張した。

 参謀本部は、カデシュの戦いの際にヒッタイトからの休戦の申し入れを受諾するようラムセス二世に熱心に進めた面々だった。


「とにかく、目標は無血開城。ファラオ軍が到着する前にカタを付けるつもりでいてくれ」


「無血開城!?」


 ジェトが素っ頓狂な声を上げた。


「本気かよ!?」


 驚きのあまり、友達相手の様な口調になる。ここでとうとう、ライラの鉄拳が飛んだ。


「あんたホント大概にしなさいよ!」


 右拳をジェトの脳天にめりこませたライラは、部下の行き過ぎた失言を咎めた。

 ジェトは雷が落ちたような衝撃を受けた脳天を両手で抑えつつ、痛みに蹲る。


「ジェトが驚くのも無理は無いよ、ライラ。無血開城なんて、歴史的に成功した事例は殆どないからね」


 カエムワセトが指導に熱心な親衛隊隊長を宥めると同時に、王族との主従関係に不慣れな隊員を擁護した。

 そして、力強い光を深い焦げ茶色の瞳に宿し、こう続ける。


「けれど、少ない事例なりにもあるにはあるんだ。正面からぶつかっても無駄死にを増やすだけだ。なら、やってみる価値はあると思わないか」


「まあ、いいんじゃねえの。お前らしいわ」


 詳細は未だ決まっていないが、これまで聞いた限りでは、無茶苦茶な戦法とも思えなかった戦歴豊富な傭兵は、主の挑戦に賛成した。

 だが、アーデスの主は忠臣達が無茶をしないよう釘を刺す事も忘れなかった。


「無血開城は理想だが、拘る必要はない。あくまで目標として、自分の命を優先してくれ」


 この言葉を聞いた忠臣達は、やはりか、と思った。


 無血開城を目標としたゲリラ作戦は、効率を重視するというよりは、自軍の死傷者を最小限に抑えるために導き出した戦略だったのだ。そして多分、カエムワセトは敵軍の死傷者をも減らそうとしているに違いない。


「うん、やっぱお前らしいわ」


 アーデスは頷きながら、再び同じ感想を口にする。

 その時、後ろから新たな人物が作戦会議に加わった。


「なあに~?楽しそうな話してるじゃない。あたしもまぜてよ」


 男性声でジェトの背後からにょっきりと顔を出したその人物は、昨夜と同じ三日月を顔面に張り付けたような顔でにんまりと笑った。


「こんの男女!気配消してやがったな!」


 ジェトが鳥肌を立てたせてパシェドゥから離れた。

 昨夜からすっかりジェトに天敵認証されたパシェドゥは、男女呼ばわりしてきたジェトの頭頂部にゲンコツをお見舞いすると「今度オカマ扱いしたら内臓ぶっ潰すぞ」と低めの声で恫喝した。


 不幸にもライラが鉄拳を下した同じ場所を攻撃されたジェトは、先程よりも回復に時間を要す。

「アニキ、大丈夫っス?」蹲ったままなかなか起きてこない兄貴分を、カカルが心配そうに覗きこんだ。

 カエムワセトもジェトの様子を気遣わしげに見ていたが、パシェドゥはお構いなしに元のオネエ言葉に戻ってカエムワセトに笑いかける。


「ちょうどいい運動になりそうね。このままだと、お腹のお肉がパン生地みたいになっちゃうんじゃないかって心配してたのよ」


「それはつまり、あんたも一緒に行くという事か?」


 アーデスがパシェドゥに確認した。

 ライラは泣きそうな顔で首をブンブン横に振りながら、断固お断りの意志を示す。

 カエムワセトも、思ってもいなかった人物からの申し出に、戸惑いを隠せなかった。


「ですが、貴方がたは兄上の――」


 兄上の部下では。と言いかけたところ、「いいのよエジプトに味方する事には変わりないんだから」と機先を制されてしまう。


 確かにゲリラ作戦には密偵であるパシェドゥの知識や経験は役立ちそうだ、と考えたカエムワセトは、ライラに申し訳なく思いながら、「ではパシェドゥ。よろしく頼む」と受け入れた。


「やったー」


 喜ぶパシェドゥの後方でライラがぐしゃりと崩れ落ちる。


「でも、どうやって町の中に入るんスか?」


 首を傾げたカカルが訊いてきた。港まで順調に進軍できたとしても、そこからはどうしても人目についてしまう。地面を掘って侵入でもしない限り、要塞都市に入ることなどまず不可能だろう。


「そこはもう考えてあるよ」


 カエムワセトはいつもの柔和な笑顔で答えると、


「大勢で潜入しても怪しまれない方法があるんだ」


 とまるで悪戯を企む子供の様な口ぶりで言った。


 カカルは学校で問題を出された生徒のように暫く「んー」と腕を組んで考えたが、パシェドゥと目が合った事でピンと閃く。


「旅芸人すか!」


 絶対の自信で答えたのだが、不正解だった。

 しょぼくれるカカルに、カエムワセトは「芸事は無理だから」と苦笑う。そして、仲間達をぐるりと見渡したカエムワセトは「奴隷商人さ」と静かに正解を告げた。


「それも、高官しか相手にしない高級奴隷商だ」

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