第21話 男の子の証拠

 カエムワセトの忠臣達は昨夜の長時間労働で全体的に寝不足気味だったが、今朝もいつも通り、主の執務室に出勤した。

 掃除をしたり、準備運動をしたり、主が来るまでそれぞれが思い思いに時間を過ごす。

 朝一番で出勤していたライラは、ジェト達が来る頃にはいつも通り床の掃き掃除をしていた。テティーシェリにも雑巾を渡し、拭き掃除を指示する。


「――で、ホントに男だったのか?」


 朝の挨拶よりも先に、アーデスが雑巾を絞っているジェトに小声で話しかけた。

 いくら外見が可愛い女の子でも、自分が男だとカミングアウトしてきた人物とベッドを分けあう訳にはいかず、昨夜、ライラはジェトとカカルの宿舎に泊まるようテティーシェリに申しつけたのである。


「知らねえよ!怖くて確認できなかったよ!」

「ねむ過ぎて追求する気力なんてなかったっス」


 クマが浮いた目を据わらせたジェトが苛立ちまぎれに答え、隣のカカルは大あくびをする。カカルは単なる睡眠不足だが、ジェトは一睡もできなかったようだ。


 昨夜、自称男の子のテティーシェリを伴い宿舎に帰ったジェトとカカルは、寝室をテティーシェリに使わせ、二人は居間で横になった。

 床は固いわ虫が体を這うわ、最悪な一晩だった。


 ちなみに、翌朝居間に現れたテティーシェリの姿は髭も無駄毛も皆無の完璧な踊り子の女の子だった。


 アーデスは本人に気付かれぬようそろそろと後ろを振り向くと、雑巾がけに勤しむ可愛い踊り子を凝視した。

 はやりテティーシェリは、どこからどう見ても女の子である。明るいところで目を皿のようにして観察しても、頭の先からつま先まで、男性である事を疑う箇所は微塵もない。

 跪いて椅子を丁寧に拭きながら歌っている鼻歌までが愛らしい。


 アーデスはしばらくうんこ座りで葛藤していたが、意を決したように立ち上がると、テティーシェリに歩み寄った。


「なあテティーシェリ。あんた、ホントにその……男なのか?」


 視線を逸らせながら、非常に言いにくそうに確認する。

 目を見てはっきり訊ねないのは、デリケートな話題という他にも多分、信じたくない気持もあるのだろう、とその様子を見守るジェトは思った。自分だって出来る事ならテティーシェリは女であってほしいと願っている。


「そうですよ」


 アーデスとジェトの願いを裏切る形で、テティーシェリは花も恥じらうような笑顔ではっきりと肯定すると、「ライラさん、ちょっといいですか?」とライラを手招きした。

 「なに?」と近寄って来たライラの手をおもむろに取ると、テティーシェリは自分の胸にライラの掌をペタリ、と置く。

 いきなりの事に驚いたライラだったが、「ん?」と眉根を寄せると遠慮がちにテティーシェリの胸を上下左右に動かした。やがて真顔で「ない」と言う。


「でも、ぺったんな女の人もいるでしょう?」


 カカルの言い分はもっともである。胸のボリュームだけでは、性別を特定する決め手には欠けた。


「喉仏もありますよ」


 首の下半分から胸部全体を覆っている上着を少し下に引っ張り、テティーシェリは首元を見せた。


「あ、ほんとだ」


 再びライラが言った。

 テティーシェリの首の中央には、確かに女性には無いはずの出っ張りがみられた。


 次に、テティーシェリを除く全員の視線が腰から下に落ちる。

 ここが確認できれば決定的だな。という無言の呟きが四人全員の表情から伺えた。


「あ、そっちでは確認しづらいと思います。もうないので」


「「「「もうない!?」」」」


 テティーシェリがけろりと告げた驚愕の事実に、四人はそろって声を裏返らせた。


 昨日から幾度となく声を裏返らせる羽目になっているアーデスは、いよいよ喉の不調を感じ始める。


「最初の一座で、女役に徹しろと切られちゃいまして。テティーシェリという名も、その時に頂いたのですよ」


 男が後宮で働く際に宦官として切除される例はあるが、芸人が仕事の為に切るという話を初めて聞いたジェトは「むごい」と体を後ろに引いた。


「でも声は完全に女の人っスよね」


 カカルが首を傾げた。カカルは13歳。声変りはまだである。テティーシェリは見た所成人であり、とうに声変りを終えているはずなのだが、その声はカカルよりも高い。


「高音を出すのは得意なんです。声変りは一応しましたよ」


 テティーシェリは掠りもしない女性声で、にこりと微笑んだ

 誰も口にはしないが、ライラよりも優しく女性らしい声だと、そこにいる男性陣は思っている。


「お望みなら地声で話しましょうか?」


 まだ信じられない様子の面々に、テティーシェリが申し出た。


「いや、それはまた今度で」


 アーデスが神妙な顔で断った。


「殿下はこの事は?」


「勿論ご存知ですよ」


 ライラの問いかけに、テティーシェリはカエムワセトが、自分が男の子だった時の名前もきちんと覚えていた、と話す。


「どうりで対応が清過ぎると思ったわ」と、ジェトが後ろの方でぼそりと言った。昨夜のカエムワセトの態度は無粋なほどに清廉潔白だったが、テティーシェリが男ならそれも納得できる


「ライラさんはテティーシェリさんが男の子だって覚えて無かったんすか?」


「最初から女の子だと思ってたわ」


 カカルからの質問に、テティーシェリの昔の名を必死に思いだそうとしながら、ライラは答えた。だが、交流した期間はほんの数日であったし、そもそも性別からして勘違いしていたのだから名前を覚えているわけがないと、すぐに諦める。


「ええ。幼い頃から周りからはよく女子に間違われました」


 可愛く肩をすくめ、うふふ、と楽しい思い出話をしているような調子でテティーシェリは言った。


 カカルが悲しげなため息をつく。


「じゃあ結局、殿下の従者は男ばっかしなんスね。せっかく女の人が入ったと思ったのに」


 華が無いなあ、と心底つまらなそうに肩を落とした。

 途端、ライラが目を光らせて失礼な発言をする部下をぎろりと睨む。


「ちょっとヒヨコ豆。私を忘れんじゃないわよ」

「ライラさんは女の範疇に入れたくないっス」

「ああ!?」


 目の前で始まりかけた喧嘩に慌てたテティーシェリが、「まあまあ」と割って入った。


「私は一応、普段表向きは女性として生きていますし……どちらか一方で判断するのは難しいと思うので。いっそ、半分女、ということでいいんじゃないでしょうか」


 絶妙とも微妙とも思える提案に、そこにいる面々はしばらく黙った。


 やがて、ジェトが明後日のほうを見ながら「女気1/2か」としみじみ言う。


「1と1/2よ!」


 ライラが間髪おかず訂正した。


「ちなみにテティーシェリさんは男か女どっちが好きなんスか?」


 まるで好きな食べ物を聞くかのような調子で、カカルが遠慮のない質問をした。

 ライラはカカルの頭をひっぱたくと、この発言の元凶とも言える同僚に文句を言う。


「もう!あんたが将軍に不躾な事聞くから、カカルも真似するんでしょうが!」

「あいや、すまん」


 子供に悪癖を教えた夫を妻が叱るようなやり取りに、テティーシェリが「お二人はご夫婦でしたか」と盛大な勘違いをしたので、ジェトがすかさず「いや全然違う」と元気のない声で訂正する。


 カカルの質問はデリカシーに欠けたものだったが、テティーシェリは気分を害した様子もなく、にこやかに答えた。


「昔は女の子だけでしたが、お仕事柄今はどちらでも大丈夫になりましたよ」

「まじか!」


 後天性の両刀使いというものに初めてお目にかかったアーデスは、思わず驚きを口に出す。

 

 一方、質問をしたカカルは、『大丈夫』という言葉を選んだ背景にテティーシェリがしてきたであろう血のにじむような努力と葛藤を感じ取り、「苦労したんスね」とほろり涙した。


「まあ何にしてもとりあえず、早く殿下に部屋をもらわなきゃね」


 テティーシェリが男でもあり女でもあるという事で話がまとまった以上、ライラの寝床を分けあう事もジェトとカカルの宿舎で寝かせる事も難しくなった。アーデスなどは論外である。

 ライラはカエムワセトが現れ次第、テティーシェリの部屋の確保を最優先事項として進言する事に決めた。


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