第17話 オネエもどきの座長 パシェドゥ
「それじゃあ、私はこれから兄上に用があるから」
カエムワセトが四人の腹心に新しいメンバーを託して去ろうとした時、どこからか叫び声が聞こえてくる。
「テ、ティ、イ、シェリー~!」
どんどん大きくなってくるその声は、カエムワセトの新しい部下の名を呼びながら、暗闇から華やかな男の姿となって形を表す。
テティーシェリが、「あら、座長」と目を瞬いた。
タ・ウィの座長は驚くべき速度で走って来ると、砂埃を上げて見事な立位スライディングを披露する。
そしてカエムワセトの前で静止した彼は、目を丸くしている面々をよそに、テティーシェリの顔を左右から両手で押し潰した。甲高い声で興奮気味にまくしたてる。
「あんた座長のあたしに挨拶もなしにさっさと消えるんじゃないわよぉ! いくら第四王子との再会を待ちわびていたからって、ちょっと白状じゃな~い!」
「すみません。パシェドゥ座長は王様に呼ばれていらっしゃらなかったので、まず殿下の臣下の方にお目通りを、と思いまして」
カエムワセトとその従者達が呆気にとられている中、頬を潰されたテティーシェリは慣れた調子でパシェドゥに答えた。
「座長には、改めてご挨拶に行こうと思っていたんですよ」
棘を全く感じさせない柔らかな声色でそう言ったテティーシェリは、座長に微笑んだ。緊張を解き、上ずりもどもりも無くなったテティーシェリの声は、花の香が漂って来そうに可憐で甘い。その色香にやられたのであろうアーデスが、「おぅ」と小さく唸り、手で口を覆った。
「あ~らそうだったの?」
落ち着きを取り戻したパシェドゥは幾分声を低くして、テティーシェリの頬を解放した。ふうう、と一息つくと、「ダダ走って汗かいちゃったわ」と言いながら服の襟をぱたぱたさせて胸に風を送る。
「すみません、パシェドゥ座長。私がテティーシェリに声をかけて連れて来たんです」
カエムワセトはパシェドゥに、座長の断りもなく団員を連れて出た事を詫びた。
パシェドゥはカエムワセトを見ると、目をパチクリさせた。すぐさま「あらやだ! いたのね」と慌てたように口元に手を当てる。
「眼中に無かったんかい」
ジェトがぼそりと野次った。
パシェドゥはカエムワセトの前で手早く身なりを正すと、両手を胸の前でクロスさせ頭を下げた。ネクベトというお辞儀である。
「改めてはじめまして。座長のパシェドゥと申します。お会いできて光栄ですわ」
ただし、口調は休業中のままである。
「こちらこそ、会えてうれ――!」
うれしい、と言いかけたところで、カエムワセトは両頬をむんずと掴まれ度肝を抜かれた。
掴んだのは勿論、パシェドゥである。第四王子の頬を遠慮なく摘まんだ怖いもの知らずの座長は、十八歳のピチピチした頬を弄ぶようにぐりぐりと回転させる。
「んもう~。テティーシェリが毎日呪文みたいに殿下殿下殿下殿下煩いからぁ、どんな男前かと楽しみにしてたら、可愛い坊やじゃないの~。あたし拍子抜けしちゃったわよぉ」
言い終わると同時に王子の頬を解放したパシェドゥは、続けて あっはっはっ! と城下町のご婦人がよくやっているように、手を上下に払う仕草で豪快に笑った。
「はあ、どうも」
これまで出会った事のないタイプの男に翻弄されながらも、カエムワセトはどうにか愛想笑いで対応する。
「こらまた強烈なのが出て来たなぁおい」
人生経験が豊富なアーデスまでが、面倒くさそうに渋面を作った。
オネエ言葉の優男に塵旋風が如く引っかきまわされ、その場の面々は完全に気圧されてしまっている。
だが、ジェトだけは己の
「俺らの主に向かって坊やはねえだろうが。そういうあんたは、お姉さんかお兄さんどっちなんだよ」
パシェドゥが口と目を三日月形に変えて にま、とジェトに笑う。
「あ~ら。ボクぅ。その三白眼はお飾りなの? あたしはどっからどう見てもカッコイイお兄さんでしょう――がっ!」
パシェドゥは最後の一音とともに、三白眼の上にある額に強烈なデコピンをかました。ジェトの頭が後ろに倒れるほどの威力で放たれたデコピンは、十六歳の少年の足元をよろめかせる。
しかし、ジェトの足を弱らせたのはデコピンだけではなかった。
「さっ、さんぱく――!」
気にしている眼つきの悪さを指摘されたジェトは、デコピンされた額を押さえながらショックで固まる。
「大丈夫っすよアニキ。最近ちょっとマシになってきてるっス!」
カカル拳を握り、大真面目で元気付けようとした。しかし、あまりフォローになっていない。
一方、多感なお年頃の少年に精神的打撃を与えたパシェドゥは、早くもジェトに興味を失っていた。視界に入った赤毛に目をやった彼は、「あ~っ!」と甲高い悲鳴を上げて、カエムワセトらをビビらせた。
パシェドゥは周囲を驚かせた事などお構いなしに、「いやぁん」と猫のような声を上げると、忍び足でその場から立ち去ろうとしていた赤毛の女兵士の背中に人差し指を向けた。
「あんた、ライラじゃないのぉ!」
満面の笑みで名を呼ばれたライラは「ひいっ」と悲鳴を上げて背中をのけ反らせた。そろそろとパシェドゥを振り返ったその顔は、今にも泣き出しそうである。
ライラの顔を見たパシェドゥは、「やっぱりぃぃ!」と頬に手をあてて歓喜する。
「あたしのライオンちゃーん! 会いたかったぁ!」
目をキラキラさせライラに飛びかかる。
ライラは鳥肌を立たせてぶるっと体を震わせると、脱兎のごとく逃げ出した。鳥肌を立たせてから逃げだすまでの所要時間は、ほんの一秒足らずである。
「いやああ! 来ないで消えてあっち行ってー!!」
「いやぁん、逃げないでよお!」
甲高い叫び声を上げながら逃げ惑うライラを、パシェドゥは両手を広げて執拗に追い回す。
「ライラ、知り合いなのか?」
運悪く石にけつまづき、その隙にがばちょと捕まった忠臣に向かって、カエムワセトは質問する。
自他共に認める忠臣の鏡であるライラは、危機的状況にあっても主に「はい」と返事をするのを忘れなかった。だが、その声は抱擁と頬ずりから逃れようと必死なため、濁音だらけである。
「私が入軍したての頃、に、少しの間行動を共にしたのです。彼はラメセス将軍の、密偵ですから――ひいっ!」
説明の最後に再び悲鳴を上げたライラは、「どこ触ってんの変態!」と自分の胸を掴んだパシェドゥの頬を思いきり張り飛ばす。
「「「密偵!?」」」
ライラの説明に驚いたアーデス、ジェト、カカルの三人が仲良く合唱した。
「はい」とテティーシェリが頷く。
「私達タ・ウィ一座の本業は、ラメセス将軍の忍なのです。旅芸人を装っているのは、それが一番怪しまれず方々に動きやすいからで」
テティーシェリが説明すると、パシェドゥはライラを羽交い絞めにした状態で「あ~ら、あたしはどっちも本業だと思ってるわよ」と振り返って言った。
「今日も王様からご褒美がっぽりだも~ん」
鼻の穴を膨らませて親指と人差し指で丸を作った名のある芸人一座の座長は、ご機嫌である。
先程、ライラに力いっぱい張り倒されたはずなのだが、パシェドゥは堪えているようには見えなかった。元気溌刺で、猛獣の如く暴れるライラを笑顔で押さえこんでいる。ただし、張り倒された左頬は正直で、真っ赤に腫れあがっていた。
自身も何度かライラの平手打ちを喰らって目を回している豪傑のアーデスは、『バケモンかこいつ』と内心で毒つきながら、別の指摘を口にする。
「密偵にしちゃあ賑やか過ぎねえか?」
「やあねえ、忍ぶ時にはちゃんと静かにできるわよ」
喧しいという自覚はあるようだ。
アーデスは小さく唸って黙った。
「ライラ、あんた髪痛んでるじゃない。肌も乾燥気味だし。オイル塗ってあげましょうか?」
「余計なお世話よ早く放しなさい!」
ライラは、猫が嫌がって前足で突っ張るような格好でパシェドゥを押し返す。それを見たジェトが「すげえ。ライラが圧されてるぜ」と感嘆のため息を漏らした。
「とんでもねえオバハン男が現れたもんだぜ……」
無駄に関わるな、という本能からの警告を感じたアーデスは、同僚に助け船を出す気すら起きない様子である。
「あんな嬉しそうな座長、久しぶりに見ました」
まるで犬とじゃれている子供を眺めているかのように、テティーシェリは温かいまなざしで座長とライラを見守っている。
「あれ? 殿下、大丈夫スか?」
カカルが先程から一言も発しない主に気付いた。
ライラに代わって今度はカエムワセトが、幼馴染と女言葉の男が起こしている大騒ぎを前にして、放心状態に陥っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます