第16話 踊り子の仕事とは

「この人はテティーシェリ。一座の踊り子をしていたんだが、私に仕えてくれる事になった」


「そ、そのぉ……。殿下に御恩返しがしたくて、是非とも従者に、と……」


 よろしくおねがいいたしますぅ。


 武器庫前。主からの紹介を受けて、華やかな踊り子がか細い声とともに頭をさげた。


「なーんでぇ。嫁じゃねえのかよ」


 期待はずれの展開に、アーデスは面白くなさそうである。


「嫁でも従者でもいいけど、とばっちりで負傷するのはもう御免だぜ」


 ジェトは、調子が狂いっぱなしの上官が起こす失敗の餌食に今後もなるのではないかと恐れている。

 ちなみに、ジェトの右足には剣を落とされた時にできた切り傷が数カ所見られた。


「美人っスね~」

 

 カカルは単純に、目の保養になる仲間ができたことを喜んでいる。


「……」


 そして、ライラは放心状態で迎え入れる。


 テティーシェリを紹介されたカエムワセトの従者四人の反応は、見事に異なっていた。


 とにもかくにも、嫁ができたというのはデマだったのである。

 驚くべき早さで伝わった割にはどでかい尾鰭がついてしまった噂の真相を知ったアーデス、ジェト、カカルの三名は

 

 ま、そりゃそうだよな。


 と納得していた。

 

 この国宝級にお行儀のよい王子が、出会ったばかりの踊り子に手を出すわけがないのである。

 なにしろ


「本当に申し訳ございません〜。わたしが紛らわしい言い回しをしたばかりに……」


 そう言って両手で顔を隠し、己の失態を可愛く恥じ入る踊り子相手にも


「気にしないで。噂なんてそのうち無くなるから」


 と、実に爽やかな笑顔を返すほどのトウヘンボクぶりだからである。


 もしここにあの第六王子が居たら、『清らか過ぎて反吐が出る』とか言いそうだな。と考えたジェトは、乾いた笑いを洩らした。


 だが、やはり踊り子という職業には、如何わしい印象がついてまわるものである。勿論全ての踊り子が芸と共に体を売っていたわけではないが、定着しているイメージというのは、共通の概念として世の中に広く知れ渡ってしまうものだった。


「けどよ。踊り子さんにできる仕事っていやあ……なぁ?」


 アーデスが、隣で何やら難しい顔をしているお年頃の少年に同意を求めた。自身も何度か踊り子のお世話になった経験があるアーデスも、踊り子と聞けば芸事のほかに夜のお仕事を連想してしまったのである。

 ジェトも十六歳。元は盗賊団に所属していた事もあり、そういった大人の世界はよく知っているだろう、と見越して求めた同意であった。


「なあってなんだよ」


 ジェトは呆れながら聞き返した。この三十路の護衛仲間は常識人を気取っている割に、ちょいちょい迂闊な発言をする。


 アーデスとジェトの会話の内容を、『芸人に従者の仕事が務まるのか』という健全な問答に解釈したカエムワセトは、下世話な話をしていた二人に向かっていつものように上品に微笑む。


「テティーシェリは普通の踊り子じゃないんだよ。詳しくは本人から聞いてくれたらいい」


 そして、とりあえず新人の処遇は親衛隊隊長のライラに頼もうと赤髪の忠臣に目を向けた所で、カエムワセトはやっと彼女の異変に気付いた。


「ライラ? 大丈夫か?」


 いつもならカエムワセトが頼む前に、率先して世話役の名乗りを上げて来そうなライラである。しかし今日はカエムワセトが呼びかけても反応せず、終始ぼんやりとしていて一言も発しない。


「おい、ライラ。呼ばれてんぞ」


「――はっ。 はい! なんでしょう!」


 アーデスに肘でつつかれて、ようやっと正気を取り戻す始末である。

 やはりカエムワセトの呼びかけに全く気付いていなかったライラは、慌てて笑顔を繕った。


 まさかライラの不調が、自分とテティーシェリの噂によって引き起こされているなどとは夢にも思っていないカエムワセトは、真っ先に体調不良を疑う。


「ライラ、体調が悪いのなら無理せず休みを――」


 カエムワセトは本気でライラに休暇を取らせようとした。


「いいえっ。大丈夫です! 私はいたって元気ですので!」


 生まれてこのかた病気など患った事のない健康優良児のライラは、慌てて主の思いやりを辞退した。表情を引き締めて、いつもの頼れる部下に戻る。


「新しい従者の方ですね。諸々はお任せ下さい」


 カエムワセトは無理をしないようライラに忠告してから、テティーシェリを掌で示する。


「ライラも覚えているかな? 子供の頃、メンフィスで会ったヌビア商人の子だよ」


 ライラは眉を寄せてヌビア系の美人をまじまじと見ながら「ヌビア商人の子……」と呟いた。――が、やがてぱっと顔を輝かせると「ああ!あの踊りが上手かった人!」とテティーシェリを指差す。


 指を指されたテティーシェリは「はい」と花の様な笑顔で頷いた。


「確か……別れ際、殿下に『次に会えたらお礼をしたい』と言っていた方ですね」


 子供心にテティーシェリの存在に少なからずの危機感を覚えていたライラは、テティーシェリが別れ際にカエムワセトに言った言葉を思い出し、笑顔を引きつらせた。

 やはりライラもテティーシェリが踊り子として現れた事で、『お礼』の意味を如何わしい方向に解釈してしまったようである。


 しかも追い打ちをかけるように、次のカエムワセトとテティーシェリ二人の会話が、ライラを絶望のどん底に突き落す。


「お礼ならもうしてもらったよ」


「あれは挨拶代わりです。殿下にはきちんと、これから精いっぱいお礼をさせていただきますので」


 これは、腕の傷の治癒を『お礼』と受け取ったカエムワセトに、テティーシェリが家臣として誠心誠意仕える事で『お礼』を返す、と言っているだけである。しかし、不幸にも言葉選びが曖昧だった故に、ライラはまったく別の意味に捉えた。


 和やかに会話をする二人を前に、ライラは再び放心状態に陥る。


 死刑宣告でもされたような顔で茫然とたちつくす上官をげんなりと見やりながら、ジェトは「勘弁してくれよ」とため息をついた。


「ライラさん、ホントどうしたんスかね?」


 カカルが、広い肩を揺らしながら腹を押さえて必死に爆笑を我慢しているアーデスに忍び声で訊ねた。

 アーデスは、目に涙を溜めながらカカルに答える。


「さあな。まさかのライバル出現に頭真っ白、ってとこなんじゃねえか?」


 これまでカエムワセトは色恋に無縁の生活で、婚活にもまったく興味が無かった。時折姿を見せるリラは、カエムワセトにとってもライラにとっても妹の様な存在である上に、放浪癖があるため恋愛対象にはなりにくい。

 そんなぬるま湯に浸かっているような進展のない関係に、ライラはすっかり甘やかされてしまっていたのだ。 


アーデスはこみ上げてくる笑いに耐えながら、震える声でカカルに言う。

 

「面白いから放っておこうぜ」


 同僚の今後の行動の変化に期待したアーデスは、しばらく傍観者でいる事に決めた。

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